もっとも多いのは先送り・先延ばし

2006年09月10日 | 持続可能な社会

 先進工業国の多数は、本音では今の資源浪費型の高度産業社会――これは必然的に大量生産-大量消費-大量廃棄社会です――をやめたくないようです。

 しかし本音を公式の場で言うとデータと矛盾しますから、建前的には「持続可能な社会」というコンセプトを受け入れるようになっています。

 例えばインターネットで「持続可能な社会」というキーワードで検索してみると、官民通して建前としての受け入れ-浸透の度合いは、驚くばかりです。

 しかし、そこで語られていることをよく読んでいくと、実際的にはスウェーデンなどの行なっている政策とは根本的に異なった方向のものが多いようです。

 そして、官の多くが本音ではないようで、実際にやることを見ていると、最優先・最重要課題としてお金や人やいろんなことをどこまで注ぐかを持続的に観察していると、いつも問題先送り気味になっているように見えます。

 日本でいうと35年ずっと問題先送りです。世界各国の多数もそうです。そのツケがそろそろはっきり回ってきそうだということでしょう。

 もちろん、問題先送りといっても、最初から先送りをしようというわけにはいきませんから、公式にはどうするかというと、「対策を策定しましょう」ということになります。

 「まず事実を確認しましょう」ということで、研究調査が始まります。研究調査で暫定的な結論を出すためだけでも○○年かかるとかいう話になります。

 その間、疑わしきものはどんどん放置されます。疑わしきものが放置されるということを30年もそれ以上もやっていて、疑わしきものはどんどん増えてきているのです。

 法律は「疑わしきは罰せず」の原則で行くべきでしょうが、環境は「疑わしきは対策をする」でなければならないと思うのですが。

 そのあたりのことを小澤徳太郎さんは、「スウェーデンは予防志向の国であり、日本は治療志向の国だ」といっておられます。

 近代科学以来、化学物質は1千数百万種作られたのだそうです。このうちのどれくらいが内分泌攪乱物質つまり環境ホルモンなのか、1千数百万種について、誰が研究してどういうマニュアルをつくって、どうやってコントロールをするのでしょうか。人類-科学者は、化学物質を1千数百万種作って、まだやめていないのです。

 ともかく、問題があることは事実ですから、「問題があります。研究しましょう。事実を認識しましょう」とさんざんすったもんだとやったあげく、そこで学者間の学説の違いによって割引きが必ず起こります。

 いちばん深刻に予測する人とさほど深刻に予測しない人の間の中間くらいの結論しか公式には出せないのです。そこでまず割引きが起こります。

 次に対策策定がなされるのですが、この対策策定というのは公文書だけ見ると(例えば典型的には「環境基本計画」ですが)、結構がんばってやってくれるのだと思って期待するのですが、実行段階を見ていると、書いてあることの半分も実行されないように見えます。ここでもまた割引きが起こるわけです。

 こういうふうにして、どんどん割引きが起こるという人間的なマイナス要素が必ず加わってきますから、対策策定の内容に対してある程度の実行というふうにしかなりません。対策策定そのものが危機のいちばん深刻な予想に基づいてなされないうえに、実行段階では割引きされますから、結局、問題の根本的解決は先延ばしになるだけです。

 というわけで、国際自然保護連合の「国家の持続可能性」ランキングで上位に評価されている、スウェーデン、フィンランド、ノールウェー、アイスランドなどの北欧は解決に相当接近しており、オーストリア、カナダ、スイス、そしてドイツ、デンマーク、ニュージーランドがある程度接近しつつあるのを別にすれば、日本を含め多くの先進工業国では、公式の世界での建て前が第2のシナリオ、実態は第3のシナリオに限りなく近いということが起こってきたし、今でも続いているように思えます。

 しかし、環境問題の緊急性からいえば、本当は先延ばしなんかやっていられるような状況ではない、と思います。


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