LA VIE EN ROSEのプロムナード(散歩道)

私達の毎日の生活は”プロムナード(散歩道)”です。散歩道で発見した出来事を日常世界ふしぎ発見!でご紹介して行きます

【お散歩】18/1/16 最後の最後までありがとうございました

2018年01月15日 21時28分40秒 | 今日のお散歩記録
  ”LA VIE EN ROSEのプレリュード(前奏曲)”は、2017年8月1日より、
”LA VIE EN ROSEのプロムナード(散歩道)”にタイトル変更をしました。
本ブログの内容につきましては、残念ながら、にほんぶろぐ村のジャンルの”バラ園芸”の内容と一致いたしません。

 私達にとって、毎日の生活は”プロムナード(散歩道)”です。平凡な毎日の散歩道で見た事、感じた事、思った事、
起きた事、日々の発見をカメラマン(妻)の撮った写真を交えてご紹介したいと思います。

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【お散歩】18/1/16 最後の最後までありがとうございました

残念な出来事で、”LA VIE EN ROSE”のローズガーデンを造園して頂きましたチェルシーガーデンのUさんが退職する事になりました。そして、今日が最後の出社日となりました。

 さて、オリーブの木が、昨年9月の長雨でキノコの菌にやられてしまいました。12年前に自宅を新築した際にシンボルツリーをして植えた、非常に思い出のある木です。大事なオリーブの木がキノコにやられてしまいそのオリーブの木を助ける為に、チェルシーガーデンのUさんに救援を依頼しましたが、もう手遅れの状態になってしまっているとの診断結果でした。でも、思い出のある大事なオリーブの木ですので、今年の梅雨の時期での、キノコ菌の対応について、チェルシーガーデンのUさんに最後のアドバイスをしていただきました。

大事なオリーブの木がキノコにやられてしまい、残念ですが、でも、オリーブの木の根元に子供のオリーブの木が生まれていますので、今後、この子供のオリーブの木を大事に育てて行きたいと思います。

Uさんへ

最後の最後まで本当にありがとうございました。


今日も平和に終わりました。感謝!!

記録

起床:4:15
 
 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]  
 血圧 113/68/61

<1>

 自宅  04:35:00 
 赤坂上  04:49:00
 小踏切 05:50:00
 柳の木 05:21:00
  +八重山の道
 団地前 05:26:00
 自宅着 05:37:00
 訓練: 左腕の振り。リズム歩行。左足加重。大きな歩幅で足の回転を上げる。背を伸ばす。胸を張る。
 歩行距離:1.2km
 帰宅後:   トイレ+浴室+洗面所掃除  05:45 - 06:20 

<2> ガーデニング 10:00 - 12:00

<3> 高校講座  13:30 - 15:00

 ◆ 今日の歩行距離:      1.2km 
 ◆◆ 1月の累計歩行距離: 14.8km

◆ 会社に通勤していた時の一日の歩行距離

  自宅<->駅 往復:   2.0km
 大崎<->会社ビル往復: 1.5km
 事務所ビル内歩行距離:  0.5km
 駅の階段歩行あり:    0.3km
------------------------------
一日の歩行距離  :    4.3km

一日の終わりは、この曲を聴いて終わります 

ラストワルツ
 エンゲルベルト・フンパーディンク

星と太陽と青空に願いを』は、私達の毎日のおまじないです。
星と太陽と青空に願いを』
このおまじないをブロブに書きますと、不思議と悪い事が起きません。神様に私達のお願いが通じて私達家族を守ってくれているように思えます。

家族が健康で安全で平和な日でありますように。
地震が起きませんように。
悪いことが起きませんように。
明日は今日より良いことがありますように

訪問者の皆さんが健康で安全で平和な日でありますように。

今晩も『太陽と青空と星に願いを』でおやすみなさい。 ◆ 就寝:22:00


私の幸せの犬


散歩人とカメラマン(妻)

今週のgooなブログ:”帰りは、新宿伊勢丹”

2018年01月15日 19時02分31秒 | 良い出来事
 私達の1月10日のブログ記事の”帰りは、新宿伊勢丹”が、今週のgooなブログに選ばれて驚いています。

 稚拙な内容の私達のブログ記事ですが、膨大な数のgooブログサイト数:2,799,744の中からどうして選ばれたのでしょうか?私達は、本当に驚いています。

 思う事は、カメラマン(妻)の写真術が、日に日に向上しています。このカメラマン(妻)が撮った写真が評価されたのでしょうか?もし、そうでしたらカメラマン(妻)にとって、本当に喜ばしい、嬉しい出来事ですね!!

カメラマン(妻)は、これからも、日々の発見・驚きを写真に撮って行きます。

カメラマン(妻)

毎日、楽しんで、写真を撮ってくださいね。


記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

高校講座 (1)日本史 (2)国語表現 (3)数学Ⅰ

2018年01月15日 17時52分36秒 | 学習
高校講座で勉強しました。今日の教科は;


【日本史】第8回 第1章 古代国家の形成と貴族文化の誕生

一.武士の誕生 二.武士団のおこり 三.源氏と平氏

今回の時代と三つの要 今回は10世紀~12世紀の平安時代後期

武士とは?

今回は、いよいよ「武士」が登場します。
武士と言えば、武士の役を演じることも多い高橋館長。「その時その時代、どういう風にその人が生きていたのか。どういう場所で、どんな考えを持って生きていたのか。それ想像しながら役を作っていくんですが、実に、楽しいです。」と話します。

今回の時代は、10世紀から12世紀にかけての平安時代後期です。
弓馬を操る戦闘集団である武士は、なぜ生まれたのでしょうか。
あるときは土地を切り開き、あるときは貴族に仕える武士。そして、あるときは反乱を起こすこともある「武士」とは、いったい何者だったのでしょうか。

今回押さえるべき三つの要は、

一.武士の誕生
二.武士団のおこり
三.源氏と平氏

武士がどのように生まれ、どのように成長していったのかを見ていきます。

前回は、平安時代の華やかな貴族文化を学びました。
平安時代は、優雅で平和な時代だったという印象を持っている人が多いかもしれません。しかし華やかな貴族の文化を表とすると、その裏では武士たちが戦いに明け暮れて、貴族の平和を守っていたといいます。

まずは武士たちがどのように生まれたのか、見ていきます。

▶要 其の一 「武士の誕生」

反乱鎮圧後も地方に土着し、開発領主に
都では、内裏(だいり)や、貴族の邸宅の警護

10世紀、律令は紛争解決の手段としては機能せず、力の強いものが勝つ自力救済の時代でした。朝廷の支配も地方には行き渡らず、各地で度々反乱が起こります。

その鎮圧のため、朝廷は中央の下級貴族や地方の有力者を、押領使(おうりょうし)・追捕使(ついぶし)として派遣しました。
彼らは反乱を鎮圧した後も地方に土着し、土地を切り開いて開発領主となり、私兵を蓄えます。また都では、内裏や、貴族の邸宅の警護に当たりました。
こうして、「朝廷の武力」としての武士が誕生します。

桓武天皇の末裔、平将門
高望王は東国に派遣され土着して開発領主に

当時の武士の、具体的な例を見てみます。
桓武天皇の末裔である平将門(たいらのまさかど)は、歴史の舞台に武士が登場した、最初の事件の主人公です。

桓武天皇のひ孫に当たる高望王(たかもちおう)は、中央から東国に派遣され、そのまま土着して開発領主となりました。
高望王の孫に当たる平将門は、地元に根付いた武士として、農民たちとともに新たに土地を開墾し農地を増やしました。

鉄を取り出し、農具や武器を作る
自ら新皇と名乗り、東国の支配者になろうとした

自力救済の時代においては、自分の土地は自分で守らなくてはなりませんでした。そのため将門たちは砂鉄から鉄を取り出して農具を作ったほか、武器を生産し、土地を守るために武力を強化していました。

939年、将門は常陸(ひたち)の国司に反抗した藤原玄明(ふじわらのはるあき)を助けたことをきっかけに、反乱を起こしました。
まず常陸の国府を襲い、東国から次々に国司を追い出します。そして自ら新皇(しんのう)と名乗り、東国の支配者になろうとしました。

東国・西国ともに反乱が起きた
朝廷は破格の褒章

同じ頃、西日本でも反乱が起こります。伊予の藤原純友(ふじわらすみとも)の乱です。純友は瀬戸内海諸国を襲い、国司を殺害し、大宰府を焼き払います。
この二つの乱が「承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱」です。

東からは将門、西からは純友に攻め込まれるのではないかと追い詰められた朝廷は、異例の太政官符(だいじょうかんぷ)を発行します。将門を討った者には、貴族の位を与えるという、破格の褒章を打ち出したのでした。
当時、貴族の位は代々世襲で受け継がれる特権階級であり、武士が貴族社会に入るなどありえないことでした。

太政官符の呼びかけに応じたのが、ともに東国の豪族である藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と平貞盛(たいらのさだもり)です。940年、将門は討たれ、将門の反乱は同じ東国の武士によって終焉を迎えます。将門を討った貞盛と秀郷は約束通り、貴族の位を与えられました。
この出来事が、政治の場に武士が深くかかわっていくきっかけとなりました。

東京大学史料編纂所教授 本郷和人先生 武士の起源

武士の誕生と発展について、東京大学史料編纂所教授の本郷和人(ほんごうかずと)先生に、話をうかがいます。

武士の誕生にはさまざまな説がありますが、大きく二つの方向から説明することができるといいます。
一つは、もともと京都の朝廷に仕えている貴族だったという説です。貴族たちが都を離れて現地へ下向し、次第に力を得て武士になっていったというものです。

もう一つは、もともと現地の豪族などの有力者だったという説です。この場合は、有力な農民というケースもあった可能性があります。これら現地の有力者たちが力を得て、次第に成り上がっていき、武士になったという説も有力なシナリオです。

武士は都と地方の両方に軸を置いて活躍
地方では国司に仕えた

さらに武士たちは、中央と地方の生活という二通りの生き方によって、力を伸ばしていきます。
中央では、宮中や貴族の警備や、都の治安を守るという警察のような仕事をしていました。

一方、自分の領地である地方に帰ってくると、大きな土地を切り開いた開発領主という存在であったといいます。開発領主の子孫たちは在地領主と呼ばれ、多くの土地を持っていました。彼らは、現代の県知事に当たる国司に仕え、「館侍(たちざむらい)」や「国侍(くにざむらい)」と呼ばれたりしました。

また、地方の犯罪者等を取り締まるために、押領使や追捕使などの役職に就くこともありました。
このように、武士は都と地方の両方に軸を置いて活躍しました。

武士たちは戦いを繰り返し、次第に武士団を作っていきました。
武士に欠かせないものといえば馬であり、当時の武士は馬に乗って戦っていたと考えられています。
向井地さんは、武士とともに活躍した馬に会ってきました。

▶要 其の二 「武士団のおこり」

強力な武士が他を統合して武士団を形成
弓馬の技術は、武士の命に関わる最も重要なものだった

武士たちは対立・抗争を繰り返し、強力な武士が他を統合して武士団を作っていきました。
彼らは館を構え、家来である家の子や郎党を率いて、弓馬の練習に励みます。
弓と馬の技術は、武士の命に関わる最も重要なものでした。

東国は、その地形から良馬を育てるのに適しており、政府の馬牧(うままき)である官牧が多くありました。良い馬がいたため、強い武士団も育ちやすい環境でした。

藤原秀郷が始めたと言われている

鹿島神宮流鏑馬(やぶさめ)神事は、藤原秀郷が始めたと言われています。

現在この伝統行事を奉納するのは、倭式騎馬會(わしききばかい)の皆さんです。
騎馬會の皆さんは毎月一回、河川敷で流鏑馬の稽古に励んでいます。

日本在来馬の白星ちゃん

皆さんが稽古で乗っている馬は、普段私たちが時代劇で見るよりも小さい馬です。
倭式騎馬會の馬は、全て日本在来馬です。当時の武士たちと共に戦った馬の子孫で、現在は2000頭弱しか残っていません。

向井地さんが今回乗るのは、おとなしいメスの白星ちゃんです。
馬に乗りながら矢を射るために、向井地さんはしばらく練習し、一人で馬に乗れるようになりました。

いよいよ流鏑馬を体験してみます。
武士といえば甲冑ということで、向井地さんは大将が着る大鎧(おおよろい)のレプリカを身に着けることになりました。重さは本物の三分の一、およそ10キログラムです。
兜を被って立ち上がりますが、とても重く、何とか立ち上がることができるという状態です。
東国武士の気持ちになりきってみたものの、これでは乗馬は難しいということで、狩をするときの服装に着替えてチャレンジです。

良い馬がいたことで武士団が成長

的を立ててもらい、いよいよ流鏑馬に挑戦です。
しかし何度挑戦しても、放った矢が的に当たりません。そこで倭式騎馬會の森会長がコツを伝授し、再度挑戦します。すると見事に矢が的を射抜きました。

流鏑馬はとても難しかったという向井地さんは、「当時の武士は、さらに全力疾走の馬の上で、重い鎧を着て流鏑馬をしていたことがすごい」という感想を持ちました。
稽古を通して、武士には馬が欠かせなかったこと、そして良い馬がいることで武士団が育っていったことを感じた向井地さんでした。

▶要 其の三 「源氏と平氏」

強力な武士団が中小武士団を配下に従える
武士の棟梁の代表格、清和源氏と桓武平氏

数多くの武士団が成長して行く中で、11世紀になると強力な武士団が現れ、その統率者は多くの中小の武士団を配下に従えるようになりました。

これが武士の棟梁であり、その代表が清和源氏と桓武平氏の一族です。

源頼信は東国に派遣され勢力を伸ばす
前九年の役と合わせ源氏が東国武士と結びつきを強めた

清和源氏の源頼光(みなもとのよりみつ)と頼信(よりのぶ)は、摂関家に接近し、保護を受けて名声を高めました。
頼信は1028年、平忠常(たいらのただつね)の乱を平定し、東国に勢力を伸ばします。

源氏がさらに東国武士との結びつきを強める出来事が、陸奥(むつ)、現在の東北地方で相次いで起こりました。
豪族 安倍氏の反乱を、源頼義(みなもとのよりよし)が鎮圧した前九年合戦、そして別の豪族の後継者争いを、義家(よしいえ)が平定した後三年合戦です。

源氏は東国武士団を率いて二つの乱を戦い、棟梁として仰がれるようになりました。

義家が去った後、東北は奥州藤原三代が繁栄

義家が去った後の東北は、奥州藤原氏が清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)の三代にわたって統治し、独自の文化と繁栄を築き上げました。

平正盛は源義親の乱を鎮圧
忠盛は西国の国司を歴任し地位を築いた

一方、桓武平氏の平正盛(たいらのまさもり)は、源義親(みなもとのよしちか)が出雲で起こした反乱を鎮圧します。
正盛の子の忠盛(ただもり)は、西国の海賊を討伐し、上皇の信任を得ます。さらに西国の国司を歴任し、貴族の身分を得て上皇の近臣として朝廷に地位を築きました。

源氏と平氏は、こうして勢力を広げていきました。

このように源氏は東国武士団との結びつきを強め、平氏は朝廷での地位を固めることで、それぞれ力を持っていったことが分かりました。
後に、源氏と平氏は雌雄を決する時がきますが、それについては次回以降見ていきます。

▶ 日本の歴史・いとをかし

藤原秀衡を演じた高橋館長
藤原秀衡は在地に生き、かつ都の文化も持ち込んだ

東北地方では前九年合戦や後三年合戦といった非常に悲惨な戦いがあり、大勢の人たちが亡くなっています。奥州 藤原三代の人々は、だからこそ理想郷、平和の里を作ろうと考えたのではないかと、高橋館長は思いをめぐらせたといいます。また、豊かな穀倉地帯を守り、大事にしていこうと考えたのではないかと感じたそうです。

本郷先生は、これは世界遺産に登録された平泉の理念そのものだと話します。そして、この高橋館長の話に、今回の全体の話が密接に結びついてくるといいます。
「藤原秀衡という人物は、在地、すなわち平泉という土地に生きていたという側面があります。また、都の文化を持ち込み、流麗な建物を作るということもしました。このように文化を創っていくという側面もあり、二つを兼ね備えた人物だった。」と本郷先生は話します。



【国語表現】第8回 ことばと人間 挨拶と人間関係を表すことばを学ぶ

今回のテーマは「挨拶と人間関係を表す言葉」
みなさんも目上の人と話すときには敬語を使うように意識したりしませんか?
人間関係によって変わる「挨拶」と「敬語」
相手や場面にふさわしい表現を学びましょう

敬語は相手や話題の人物を高める働きがあります。大きく以下の3つに分類されます。
(1)相手を直接高める尊敬語
→仰る、お話しになる など
(2)自分がへりくだることで相手を間接的に高める謙譲語
→申す、お話しする など
(3)丁寧な言い方で相手を高める丁寧語


【数学Ⅰ】 第8回 第1章 数と式 乗法公式を使った因数分解


今週も高校講座で勉強します。

記録

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 散歩人

驚いた!!要注意外来生物」指定:アカボシゴマダラの発見

2018年01月15日 14時33分05秒 | 動物・生物
アゲハチョウかな?近づいて


もっと近くまで


「要注意外来生物」に指定されている”アカボシゴマダラ”でした


2017年11月29日の街歩き・道歩き  
2017秋(4)黄葉の世界の発見
で発見しましたきれいな蝶蝶は、普通のアゲハ蝶でなくて、「要注意外来生物」に指定されているアカボシゴマダラであった事を昨日、カメラマン(妻)は発見しましたので、報告します。

◆「要注意外来生物」に指定:アカボシゴマダラについて

参考出典サイト:ウィキペディア

*** アカボシゴマダラ(Hestina assimilis)
チョウ目・タテハチョウ科に属するチョウの一種。東アジアの広域分布種で、斑紋は近縁のゴマダラチョウによく似るが、和名が示す通り、後翅の外縁に鮮やかな赤い斑紋が出現することで区別される。タテハチョウとしてはゆるやかな飛翔で、斑紋も行動様式も毒蝶のマダラチョウ類に擬態していると考えられる。

日本では移入個体群である名義タイプ亜種が「要注意外来生物」に指定されている。

本種は、広東産の標本に基づいてリンネにより命名された。あらゆるチョウの中で、最も古く命名された種類のひとつである。

1.特徴

日本国外では、ベトナム北部から中国、台湾、朝鮮半島まで分布する。韓国では南端の済州島にまで分布する。中国や韓国では里山的環境から都市部にまで広く分布する普通種である。分布の末端である奄美群島、台湾の個体群は一見して他の地域の個体とは斑紋が異なり、それぞれ別亜種に分類される。これらに朝鮮半島産も含めた特徴として、低温期に発生する成虫の翅が白くならないことが挙げられる。


アカボシゴマダラ
(名義タイプ亜種)
(神奈川県の外来個体群)
日本には、もともと奄美大島とその周辺の島々だけに固有の亜種 H. a. shirakii Shirozu, 1955 が分布する。沖縄からも古い記録があるが、その後絶滅したのか、偶産であったのか、不明である。

しかし1995年に埼玉県秋ヶ瀬公園などで突如として確認された。この埼玉での発生は一時的なもので終わったが、これに続く数年間には神奈川県を中心とする関東地方南部でも本種が多数発生・定着するようになった。2006年には東京都内でも発生し、2010年以降には関東地方北部や山梨県・静岡県・福島県、さらには愛知県・京都府や伊豆大島からも記録され、分布の拡大が続いている。極端な例としては富士山山頂で本種が撮影されている[1]。

この関東を中心に拡散している個体群は、その外見上の特徴から、中国大陸産の名義タイプ亜種 H. a. assimilis に由来と推定されている。自然の分布域から飛び離れていることや、突如出現したことなどから蝶マニアによる人為的な放蝶(ゲリラ放虫)の可能性が高いといわれている[2]。気候風土が好適であったために急激に個体数が増加したと考えられており、市街地の公園などの人工的な環境に適応しているので、今後も分布が拡大していくだろう。このように、典型的な外来生物であるために、もともと類似環境に生息するゴマダラチョウと生態的に競合するのではないかという危惧もある。

2.生態

奄美群島での食樹はリュウキュウエノキ。中国大陸や関東地方での食樹はエノキCeltis sinensis。幼虫で越冬する。


◆ 国立環境研究所の説明

侵入生物データベース > 日本の外来生物 > 昆虫類 > アカボシゴマダラ

影響 在来蝶類との競合:
 影響を受ける在来生物:オオムラサキ・ゴマダラチョウ・テングチョウなど,幼虫期にエノキを利用する蝶類(競合)

法的扱い: 公表移入種(愛知県での野外放逐の規制,自然環境の保全及び緑化の推進に関する条例)。タテハチョウ科は検疫有害動物(植物防疫法).


*** 問題: 在来種のオオムラサキやゴマダラチョウなどと幼虫期のエサが競合している事。
        近年、かなり勢力図を広げている事もあってか、要注意外来生物(外来生物法)に指定。

防除方法:
捕獲,啓蒙・啓発活動による移入・拡散防止

多摩川の魚も外来種が増えてタマゾン川と皮肉られています。都内の街中の代々木公園で!!「要注意外来生物」に指定:アカボシゴマダラを発見して、日本の今後の生態系について改めて考えさせられた出来事でした。

 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
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 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 サンテグジュペリの生育

2018年01月15日 13時40分55秒 | バラ名 サ~
”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます

18/1/15 サンテグジュペリの生育



 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 ピースの生育

2018年01月15日 13時40分21秒 | バラ名 ハ~
 ”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます

18/1/15 ピースの生育

どの枝か?分かりませんが・・・


 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 グリーンローズの生育

2018年01月15日 13時39分57秒 | バラ名 カ~
”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます

18/1/15 グリーンローズの生育
 


 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 セントエセルブルガーの生育

2018年01月15日 13時39分26秒 | バラ名 サ~
 ”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます

18/1/15 セントエセルブルガーの生育

左の枝です


ラウンドトレリス全体



 記録

 天気: 晴時々曇
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 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 ロイヤルサンセットの生育

2018年01月15日 13時38分43秒 | バラ名 ラ~
”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます

18/1/15 ロイヤルサンセットの生育

左の枝です


ラウンドトレリス全体



 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 アウグスタルイーゼの生育

2018年01月15日 13時38分03秒 | バラ名 ア~
”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます


右側の枝です

ラウンドトレリス全体



 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 ハーモニーの生育

2018年01月15日 13時35分58秒 | 日記
”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます

18/1/15 ハーモニーの生育

右の枝です

ラウンドトレリス全体



 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

18/1/15 ロゼンドルフシュパリースホープの生育

2018年01月15日 13時28分15秒 | バラ名 ラ~
”LA VIE EN ROSE”のローズガーデン風景 : これからバラ達の開花までを観察して行きます

18/1/15 ロゼンドルフシュパリースホープの生育

どの枝か?わかりにくいですね


 記録

 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]

 散歩人とカメラマン(妻)

【早朝のお散歩】 18/1/15 お世話になった”激励のご婦人”

2018年01月15日 07時35分39秒 | 今日のお散歩記録

おはようございます。

【早朝のお散歩】 18/1/15 お世話になった”激励のご婦人”

 今朝も、昨日以上に冷えた、寒い朝でしたね。今朝は頑張って、いつもより早い出発で5時前に家を出て早朝のお散歩に行ってきました。

 さて、今朝の早朝のお散歩をしていまして、会社に行っていた頃、毎朝、私の姿を見かけると、”今日も頑張って!!”と激励してくれていました、”激励のご婦人”の思い出して歩いていました。
 この”激励のご婦人”は、早朝にソニービルの前で健康管理のトレーニングしていました。

 この”激励のご婦人”は、遠くの自宅から大崎のソニービルまで歩いて来ていましたね。6:30頃にはソニービルの前に着いて以下のトレーニングをしていましたね。

1.30m直線ダッシュを10本くらい走って
2.ダッシュの戻りは、バックウオーキングを10本くらい歩いて
3.手足のストレッチ
4.足の屈伸運動

”激励のご婦人”の年齢は、当時72,3歳だったと思います。この年齢で上のトレーニングを毎日、早朝からしていたと、セカンドライフの私が今思うとすごい事に思えます。
健康管理の基本は、継続は力なりですね。私も継続は力なりでこれからも朝のお散歩を続けて行こうと思った、今朝の早朝のお散歩でした。


今日は、この曲でスタート

Eagles - Lyin' Eyes

今日も頑張って行きましょう!!


記録

起床:4:15
 
 天気: 晴時々曇
 最高気温(℃)[前日差] 12℃[+4] 
 最低気温(℃)[前日差] -1℃[-1]  
 血圧 113/68/61

<1> 

 自宅  04:35:00 
 赤坂上 04:49:00
 小踏切 05:50:00
 柳の木 05:21:00
  +八重山の道
 団地前 05:26:00
  
 自宅着 05:37:00
 訓練: 左腕の振り。リズム歩行。左足加重。大きな歩幅で足の回転を上げる。背を伸ばす。胸を張る。
 歩行距離:1.2km
 帰宅後:   トイレ+浴室+洗面所掃除  05:45 - 06:20  
 
皆さま、微笑みで素敵な一日をお過ごしくださいませ。

 散歩人