老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

政治家の言葉   その①  ~違和感がある言葉遣い~

2019年08月30日 19時50分19秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 先日「喫緊」という言葉の語源に関して書き込みをしている時に改めて感じたのは、現在の政治家は如何にも丁寧そうな言葉を使いながらも、その言葉に全く真心が感じられない事で、かっての“政治家の言葉は命”と言われるような、自分の言葉に責任を持つという姿勢はどこに行ったのかという気持です。

 そんな時、8月17日の毎日新聞の「土曜サロン」の「松尾貴史のちょっと違和感」というコラムで、松尾貴史氏が政治家の言葉遣いに関して“重さも、厳粛な意識も、含羞もない”というテーマで寄稿されているのを読みました。

 同氏は主に、国民に対して説明する責任がある権力者の立場にある官房長官などが遣われる下記のような言葉に違和感を覚えるとされています。
全くその通りで、違和感どころか、安倍一強と言われる状態の中で“上から目線からの押さえつけでも良い、如何にして真実を隠して誤魔化そうか”との思惑が見え見えで、不信感を倍増させるに充分だと思います。

「仮定の質問には答えられません」
  ⇒ 「確実に決定した事」や、「実際に起きた過去の問題」にしか答えないのか。

「対案を出せ」
  ⇒  性質の悪いへりくつで、反対している側に「サボタージュする者」というレッテルを張ることができる印象操作用語。

「その指摘はあたらない」
  ⇒  単に否定するとその根拠を問われるかも知れないので、客観的な事実を話しているような錯覚を与える表現。

「誤解を与えたのだとしたら撤回する」
  ⇒  非常に不遜で尊大な言葉で、まるで世間が勝手に誤解したような口ぶりで、完全に相手のせいにしている。
  
「私の発言の一部だけが報道されて」
  ⇒  何故全てを報道せねばならないのか、それ程ありがたいお言葉を発信しているというのか。

 尚、同氏はこれらの言葉を直接に聞きながらも、これ以上の突っ込んだ質問をし得ないマスコミ担当者の弱腰を指摘されていますが、これも多くの国民が感じている状況でしょう。
(まさ)