The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

病んだ日本をどう回復させるのか

2015-02-25 06:16:37 | Weblog
日本人は密入国者の彼らを受け入れてきた。しかし、彼らは日本人以上の待遇を時の日本政府に要求し、竹島の漁師拿捕、監禁による代価をして永住許可、社会福祉の高待遇を得た。それでも足りずに未だにヘイトスピーチだとか、差別されるとか、騒いでいる。何故、本国に帰国しないのか。朝鮮半島は元は一つの国なのだから、南北など出身が違うはずもない。言語も違うからコミュニケーションできないのか。

何故、こういった印象があるのかと言えば、未成年者の殺人、猟奇的殺人、残酷な殺人事件が起きるたびに、国内では「犯人は在日」という憶測がまんえいする。これはネットだけではなく、普通の会話でも出てくるぐらいだ。どうして在日という存在は、ここまで忌み嫌われるのか、と考えると、日本国や日本人側だけの問題とは言い難いと気づく。そもそも外国人が同じ民族で既存文化を構成する集まりにやってきたらどうなるのか、と考えて頂きたい。机上の理論では、人類はみな兄弟、仲良くというのだろう。しかし、現実は違う。時代によっては無条件で抹消される。言葉が違えば、コミュニケーションもできないし、外国人が来た目的もわからないから警戒されて当然だろう。まして、密入国となれば、助けようなど、考える方が一般的ではない。昨今、現実に起こりうる事態を想定できず、ファンタジー的なみんな仲良くできる、という信仰がまかり通ることに不安を感じる。敵意がない、など自分の違う人間に抱くはずがない。相手が天然の武器を持つ、猛獣を見て、敵意がないと感じられるのだろうか。もし、感じるのなら、その人は現存世界で生きるのに事実を見ようとしない人だ、と断言できる。

竹島の件で、国際裁判所に訴えることができない日本政府は、どうやって解決するつもりなんだろうか。もしかしたら同盟国からの圧力なのか、と疑いたいぐらいだ。ならば、民間人がもっと竹島で起こった漁師拿捕、虐殺という事実をもっと世界に広めるのがよいだろう。ポイントは、武力を持たない日本へ侵略し、武器を持たない民間人を射殺、拿捕し、解放条件で何をしたのか。これを説明しない限り、日本人が朝鮮半島出身者へ抱く感情は理解されない。ネガティブでなく、事実を広めるだけだ。慰安婦にしても、事実を広めるのが先だったのだが、それをやらなかった。国家が戦争時に売春を手助けし、少女を売春婦とした点が問題だ。数の問題でも、軍の強制でもない。これは当時、売春が合法だとしても、現代の目線からの批判である限り、反論は難しい。ならば、彼らが捏造する背景や動機を知らしめるの良い。

日本が本当に移民を受け入れ、共存しようとするのなら、移民恐怖を煽るような朝鮮半島出身者への対応を白紙とし、他国の外国人と同等にするのが先だ。これを実行しないのは、竹島の単独訴訟ができない理由と同じ何かがあるのかもしれない。ここまで日本国および日本人が卑下され、ビジネスまで邪魔されて、何故、日本政府は通常の行動ができないのか、不思議でならない。左右のイデオロギーなど無関係で、自国がやられた行為に対して、しっかり反撃できない、となれば、これは世界から「やはり日本は朝鮮半島がいう通りだ」と見られるだけだ。確かにたかが小さい島と言えばそうだ。だが、目先として、日本は外国人労働者を受け入れて、移民で若い世代も増やしたい。そのためには、日本国民が持つ不安を解消すべく努力は必要だ。例えば、あれだけ一気に増えた中国人への嫌悪より、確実に朝鮮半島出身者への嫌悪の方が強い。むしろ、在日朝鮮人たちが自分たちが朝鮮半島出身者と表明したくない理由がまさにここにある。日本人がいじめる、差別する、というよりは、単純に嫌われたくないだけだ。何故なら、どこの国出身者であっても、店で買い物もできるし、日本の公立学校への入学はできる。ただし、朝鮮半島出身者だけ優遇される雇用や入試もある。こういった差別をなくそうとしない日本政府や政治家にも問題がある。残念だが、本当に民のために平等を訴えるような政治家が日本にはいない、ということだろう。腐ったみかんやりんごは、早めに選別して取り出す。そうでなければ、腐敗はどんどん広がる。外国人学校への支援についても、日本国の安全を考慮するのなら、相互主義が取れない国の学校は何の支援もしないでよい。すべての国から来た外国人のために支援できる学校がないのなら、特定の国だけ支援するのがおかしい。だからこそ、日本の公立学校のカリキュラムをもっとグローバル対応する内容に変更する必要がある。
日本語(国語)と英語は必須とするとして、その他の言語については条件で制限する。例えば、その国の文化や技術などを学ぶために必要な知識としてだ。もし、朝鮮語を教えるというのなら、中国語(北京、関東共)、アラビア語、ペルシャ語、スペイン語、ブラジルポルトガル語と滞在している外国人の数に比例するしかない。そうなると英語は必要とは言い難いのだが。何故、英語なのか。

教師も近隣諸国からだけではなく、世界中から募集する。算数や数学などはインドから教師を迎えた方がずっと子供達も算数好きになる。日本人や近隣諸国出身者だけが教師というのがおかしな話だ。日本の教育は見直し、即刻改革するのが先だ。クラスという概念もなくしてもよい。学校でコミュニケーションとか学ぶというのも幻想だ。もっとも重要なのは知識を得ることであり、体育、芸術などは選択制でよい。子供達に自分がどういった大人になって社会に貢献するのか、という意識がない。義務教育がまさに問題の塊だ。生徒が学校に来なければ、通わないでもよい。勉強だけしたいのなら、通信やネットで教育すればいい。日本がおかしいのは、学校でコミュニケーションやらを学ぶという点。そもそも教師が生徒とコミュニケーションできない状態であっても、教師が異動もさせなれないし、解雇もされない。民間企業ならこんなことはあり得ない。教師をいつまでも特別扱いにするのはやめたいものだ。また、生徒や教育に対して、情熱だと語る教師も問題。生徒は単に必要な知識を得るために学校に行く。ただそれだけだ。それ以上のふれあいが生徒にとっては負担だときずかないのだろう。
ある意味、学校が不良と呼ばれる子供たちの交流する場になっている点も問題だろう。同時にLINEと呼ばれるSNSは日本産のアプリケーションであれば、事件が発生したら内容を傍受したりできる権限さえ与えればよい。そこから位置情報を割り出せる。何故、こういった権限を警察に与えないのか。暗号化があるから、生産元への協力を必須とする法律を制定すればよい。未成年者の犯罪は、大人が考える自由だとか、権利だとかの上には存在しない価値観で起こる。多角的かつ広い視点から見て、少年法や犯罪操作の法律を整備し直さないと、手遅れになる。日本を無法地帯にしないために、自由や権利の範囲を明確に定義し、それから外れた権利や自由は許されないという姿勢も必要だろう。

また、死刑についても議論は進めよう。国による殺人となる死刑は廃止したい。むしろ、生きて、しっかり反省してもらう方がよい。凶悪犯罪者の釈放についても、議論を進め、自由への制限を期限付きで実行することも検討する。漠然とした概念より、国は国民をどう保護するのか、具体的な改善が求められる。日本以外も同じだ。
国民同士がこミュニケーションを取れるようになった時代、国という概念は不要という人がいる。確かに言語の問題などが解決できれば可能だろう。だが、住み分けという手段はなくならない。人は論理的な思考で感情を抑えることができる人ばかりではないからだ。理想では人種、宗教、言語や生活習慣で居住区を分けるのが差別だという。だが、習慣が違うとなれば、違う同士が近くにいれば、必ず揉め事が起こる。双方、我慢せよ、とするのなら、ストレスばかりかかり、いつかは爆発する。古来、人間が持ってきた知恵を、理想だけで否定するのはむしろ退化した、としか感じない。争う原因を取り除く。そのためにはどちらかのみに有利な采配はしないで、あくまで双方で手にする利益をもった采配だ。これがどれだけ難しいのか、世界中の異文化に触れてないと理解はできないのだろう。

人は誰もが自由に思考、信じる、楽しむ、喜ぶ、怒る、泣く、苦しむ権利がある。殺人も権利と訴えるかもしれない。これはあくまで個人の視点からだ。集団で共存するために、社会という一定の秩序を保つ環境からの視点ならば、殺人を認めると社会へ不安がまんえいし、パニックになって混乱が生じ、秩序もなくなる。日本政府は、日本国内にある地域社会をどうしたいのだろうか。そろそろ、そういった現実的な未来への政策として、異民族、異文化の民をどう共存させるのかを議論してほしいものだ。決して、ファンタジーではなく、現実としてだ。言語、宗教、習慣が違うとどう地域社会に影響し、それによる秩序の変化など、具体的なシナリオで検討しなければ移民受け入れの成功は難しい。それこそ、既存の社会福祉の全面変更、教育の変更もあり得る。国籍への課税もだ。
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