The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本がどういった国なのか、世界に示す唯一の方法

2019-02-20 06:42:17 | Weblog
まず、隣国が日本の象徴である天皇がどうたら、と言わせること自体が問題。確かに憲法では定義されている象徴ではあるが、ならば一体天皇とはどういった役割を日本という国で果たしているのか、それをより明確にしないから都合よく利用される。たぶん、日本国民に天皇とは一体何なのかとたずねたところで、答えられる国民だって多くはない。それほど曖昧存在なので、象徴なのだ。これは歴史上権力のトップでもないし、かといって神道のトップでもない。ならあ、どうして国民の税金で彼ら一族が生活しているのか、と点から見直す必要はある。

例えば、政治的権限がないのに彼らの意見を公開するとかだ。権限がないのなら、一人の日本国民として意見を述べてもいいはずが、それすら許されないって、一体どんな存在なんだろうか。選挙権だってあるのか、どうか。
宗教家だって選挙権はある。しかし、天皇および皇族と呼ばれる人たちには選挙権はないのか。なにせ、氏すら持たないと言われているのだから。こういった存在が日本古来からの儀式を継続しているというのなら、まだしも、どうもそういったことも明確ではない。だって、災害による鎮祭をすることもないのに、慰問にでかける不思議。

こういった積み重ねが皇室への疑問となってきている。おまけに一般常識を上回る生活習慣を持っているのか、婚姻騒動ですら、どこの漫画の世界なのか、というレベルでしかない。むしろ、皇籍離脱の権利や自由がないのがおかしいだけだ。まあ、血統で一族の保存をしてきたというが、そこまでして存続する意味が自分はわからない。
こういった点も差別助長となると感じるのは自分だけではないと思う。なにせ、英国の王族などはきちんと国防が何かを知るために活動しているのに、日本の皇族からは自衛隊での勤務経験すらないのだ。

日本は神の国。しかし、神道における儀式を継続するとしても、あそこまで一族の多くを皇族として認めるのは「平等」という意識を土台とする民主主義からすると、違和感がありすぎる。だから、30周年記念なんちゃらという儀式を税金ですることすら、違和感がありまくりだ。

日本の未来は共和制しかない。どんなに隣国との関係が悪化しようが、現実として大量な朝鮮半島出身者が居住し、かつ何世代も生活しているのだ。この背景が何なのか、それすら義務教育で教えられない日本という国がいかに異常なのか、今こそ、考える時期でもある。それが2月22日竹島の日だ。日本政府はあの事件で一般の日本国民が拿捕され、虐殺までされても、それを慰霊する儀式すら参加しないのだ。竹島が日本の領導であろうが、朝鮮半島の領土であろうが、そこで虐殺されたのは、間違いなく日本国民なのだ。これは日本の天皇と呼ばれる人も同じで、自然災害や戦争による被害者の慰問はするが、こういった国際的事件で日本国民には見向きもしないのだ。過去をほじくり返せというのではない。慰問という日本独自の行為に、日本の象徴だとか、日本の最高責任者がずっと無視してきている点を避難しているのだ。これは靖国神社参拝にも言える。他国がどういおうが、これを政治カードにする政治家も許せない。日本の価値観をどうして世界基準に合わせるために、変えるのか。

命が大事と教えたところで、国のトップや象徴が過去の慰問すら外圧でできないのがおかしいのだ。法律として政教分離云々というが、ならば、どうして法律を改正しないのか。日本独自の文化であり、宗教としても価値観を守るための法律をどうして改正しないのか。これは国を守るための自衛隊のために憲法改正を訴えるのも同じ。日本が本当に国民が主権を持つ国というのであれば、日本国民のために憲法は存在しないといけないのだ。憲法改正には天皇や皇族の定義も役割と共に規定する必要があると自分は主張したい。特に、宗教的儀式すらできないような皇族たちに税金で支援するのをやめさせたいのだ。宮内庁の役割そのものを見直せ、という意味でもある。

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