政治形態が立憲民主主義となってはいるが、天皇という存在は他国の王族とは違うのだが、その存在も意味がない。日本唯一の宗教である神道でさえ、この天皇は関わってない。例えば、英国は王族は英国教会の信者であり、王は英国教会のトップだ。日本と言えば、皇族でありながら、他宗教の大学へ進学とか、学ぶのも日本国に関係ないような学問ばかり。そのくせ、国民の憂うとか、理解ができない人たちだ。まあ、血統主義の思想も皇族が世界でもめずらしい長世代という点なんだが、それが何がメリットなのかもわからない。環境は変わるので、適応した遺伝子による人類こそが、生き残れる訳なんだが。今回のコロナ騒動だけではなく、歴代の感染症も同じで、遺伝子的に感染を克服してきてる世代のみが免疫機能によって生き残ってる。こういった視点から変えていかないと日本の未来はどこかの自由経済の社会や共産主義に飲み込まれるしかないのだろう。
民主主義は、もっともわかりやすい例で言えば、フランス革命だ。すべての人は平等な権利を有するという視点こそ、民主主義の土台だと思うのだが。当然、障害者などのハンデを持つ人もいるが、そういった人も健常者と同じ権利がある訳だ。その権利を実現するための手段として、義足や医療補助が開発されてきている。個体の違いなんて、本当にどうでもいい時代がやってくるだろう。自分はスポート大会が大嫌いな理由がここにある。個体差を競うほど馬鹿らしいものはない。
同じく入学試験もどうかと思う。本人が望むならやらせればいい。定員すうって必要な理由もわからない。少なくても国公立大学ならすべてオンラインでいいだろう。成果や評価をするための必要な人材は用意すればいいし、教授もそれぞれの理論や成果によって学生が選択できればいい。研究こそ、学んだ実績と成果で加入を判断するようにすればいいし、ここに重点をおくことで、より高度教育の成果が期待できる。あと、学歴や年齢についても、オンライン加入時の試験やオンライン面接によっては考慮しないでもいい。法律や医学関係も同じでいい。医療ロボットがより進化すれば、診断補助もAIでできるだろうし、手術も可能になるかもしれないからだ。
犯罪の定義も変わってくるかもしれない。例えば、経済がなくなれば、金のための犯罪は減るだろう。あとは感情による犯罪だが、これも事前に予防が可能になるだろうから、減少するだろう。もし、経済が地球上レベルで崩壊すれば、消滅するかどうか。どこかで金の保有がうんたらと言ったとことで、ブツブツ交換によるそれぞれの集団間でのやりとりが、経済であるのは買わない。地球上の人口数は70億を超えているのだが、環境保護の主張者は誰一人として、人口抑制を言い出さないのだ。狭い場所にネズミを詰め込んでみたらいい。どんな動物も生き残る本能があるのだから、そりゃ戦いはなくならない。平和主義者に言いたいのは、我々は人類という動物だという意味だ。これが世界規模で人口が爆発すれば、食糧の争奪戦は確実に起こる。強く国こそ、生き残るだろう。だが、その国の中は弱肉強食じゃなければ、強さは維持できないのだ。
その臨界点がいつなのか、誰も知らない。
日本国がもっと改善できる点は、まずは政治による変化かもしれない。もっと若い世代が政治家となっていかないと、未来はないだろう。間違えた、失敗したら、やり直せばいい。現実に今だって、感染症対策は失敗だ。まずは法律を整備して、地域ごとに医療体制を徹底し、感染拡大を防げばよかった。結局、ワクチンにしても自前の開発はやめて、他国からの購入という政治判断になった点も反省するべきじゃないのか? 健康保険についても、国籍条項を入れるべきだ。命に関わる疾病の場合、自国民を優先する。違法入国者の場合、平等という視点からすれば、そうそうに出身国に送り返すのが筋。難民申請時に、技能や疾病状況による審査も必須とし、できるだけ技能は活かせるような教育と疾病も治療が可能かどうかで判断する。治療が可能じゃなければ、それを本人につたえて、それも日本に入国したいのかを確認すればいい。もっとも重要なのが日本語による義務教育レベルの取得。これを修了しない限り、滞在許可は認めないでいい。まずはコミュニケーションのためには、日本語取得が必須だし、基礎学力もだ。お互いにリスペクトすることで、安全な安定した社会が維持できると理解できるからだ。
自由は日本国憲法下に存在する。ゆえに憲法改正は不可欠だし、そのための変更手順は国民投票のみとする。多国籍維持については、メインの国、つまり納税先がどこかによって選択とすればいい。別に納税しないのに日本国籍でなくてもいい訳だ。このメインの国設定によって、戦争時に敵国となった場合は、一時的に日本国籍剥奪が可能にしやすなり、追い出せる。当然、日本国籍保持の条件には、日本語能力レベルのいくつは必須とする。そろそろ戸籍はやめていい。血統主義じゃなければ、別に親族に日本人がいようが、いなかろうが関係ない訳だ。日本は島国であり、多くの民族との混血なのは間違いはない。ところが皇族という血統主義を温存したおかげで、未だに戸籍やらの血統を重視している訳だ。婚姻などの記録は住民票にすればいい。住民票がなければ、違法入国や滞在者として判断すればいいだけだ。あと住民票に国籍、疾病や納税記録をすることで、海外に転出する場合は、海外転出をしない限りは税金の集金を可能とすればいい。あと国籍維持手数料もあってもいい。
このくらい改革しないと、日本の未来はないのだ。多種多様な人を集めて、まとめるためには、民主主義しかない。ただし、憲法上で思想や宗教の自由を認めるとしても、憲法下と定義する。これによって思想や宗教による暴力的行為は犯罪として、処罰できるし、従わない場合は、国外退去とする。国家反逆者の実刑に死刑があってもいいが、それはある意味、より反逆者を生み出す温床になりかねない。まあ、暴力行為による暴動などで死傷者を出したら、当然、刑事として判断すればいいだけだ。
早い話が、日本政府は何かあると例外処理が多くて、憲法そのものを改正しないのだ。そのツケを張らないのが今なのに、やらないで武器揃えるだけって変じゃないのか?あと皇族は選挙権もないが、納税はしている訳だし、徴兵制の対象とすることだ。だって国民なんだから。こういった特別扱いが使えない皇族を生み出している。自分が国を治める一人という自覚がないから、存在の意味がないのだよ。
あと、皇族の名誉なんちゃらというのも廃止しろ。意味がない。もし、彼らの誰かがその専門家としての実績があれば、別だが。皇族はどうして医療、警察や自衛隊を職業としてないのか。つまり国民の上に存在するという意識がどこかにあるから、意味がない名誉なんちゃらになるんだろう。
日本人が本当に尊敬するべきは、医療、警察や消防、自衛隊に従事する人たちだ。彼らこそ、日本国民のために日夜働いている。それも厳しい規則の下でだ。だからストレスも大きい。それを日本の教育者は暴力組織の従事者として見下している。こういった問題すら、文部科学大臣は修正しないのだ。日本の教育現場に政治思想があってはいけない。政教分離の定義をもっと重視することで、学者もそれに従う宣誓をさせる。戦争反対というのは個人の意志であれば、兵器に応用されるのを避けるためには、学者をやめればいいだけだ。理解できないのは、戦争が嫌なら攻撃を防御するための手段、兵器を開発しようという発想がないことだ。他国から武力攻撃されにくい国にすればいいだけなのだが。
経済制度が地上からなくなれば貧困は解決する。なにせこれだけの人口を賄える食糧が偏っているのも事実だし、食糧が賄える国は人口が抑えられている。発展途上国ほど、人口増加が急激なのだ。それを食糧や医療で補助すれば、ますます人口は増加する。これは双方にとって最悪な結果でしかない。
人口増加で、自分がもっとも怖いのは、やがて高齢者や障害者が治療不可な既存症を持つ人たちが抹消される社会がくることだ。ある年齢になると抹消される社会なんて、誰が生きたいと思うだろうか。
環境保護のためにも、人口増加抑制はCO2増加と同じぐらいにやらなければならにことだ。それとも食糧争奪戦がはじまってから弱いものを処分する社会がいいのか? 少子化はある意味、人類の種の保存という本能によるものじゃないのだろうか? 日本国は食糧自給率で賄える国民数のみを維持すればいい。そのためには農業や漁業従事者をもっと優先する税制が必要だ。永住許可も農業や漁業経験者や技術者を優先(英語や日本語ができないでも)して迎える。工業や医療の技術者の場合、英語ができれば、即刻永住許可を認め、日本語教育も無料で提供し、国籍取得時にはN2以上を目指してもらう。
食糧は国家戦略なので、国が水と共に指導する。
来年の年末は少しは改革が進んでいることを期待したい。
民主主義は、もっともわかりやすい例で言えば、フランス革命だ。すべての人は平等な権利を有するという視点こそ、民主主義の土台だと思うのだが。当然、障害者などのハンデを持つ人もいるが、そういった人も健常者と同じ権利がある訳だ。その権利を実現するための手段として、義足や医療補助が開発されてきている。個体の違いなんて、本当にどうでもいい時代がやってくるだろう。自分はスポート大会が大嫌いな理由がここにある。個体差を競うほど馬鹿らしいものはない。
同じく入学試験もどうかと思う。本人が望むならやらせればいい。定員すうって必要な理由もわからない。少なくても国公立大学ならすべてオンラインでいいだろう。成果や評価をするための必要な人材は用意すればいいし、教授もそれぞれの理論や成果によって学生が選択できればいい。研究こそ、学んだ実績と成果で加入を判断するようにすればいいし、ここに重点をおくことで、より高度教育の成果が期待できる。あと、学歴や年齢についても、オンライン加入時の試験やオンライン面接によっては考慮しないでもいい。法律や医学関係も同じでいい。医療ロボットがより進化すれば、診断補助もAIでできるだろうし、手術も可能になるかもしれないからだ。
犯罪の定義も変わってくるかもしれない。例えば、経済がなくなれば、金のための犯罪は減るだろう。あとは感情による犯罪だが、これも事前に予防が可能になるだろうから、減少するだろう。もし、経済が地球上レベルで崩壊すれば、消滅するかどうか。どこかで金の保有がうんたらと言ったとことで、ブツブツ交換によるそれぞれの集団間でのやりとりが、経済であるのは買わない。地球上の人口数は70億を超えているのだが、環境保護の主張者は誰一人として、人口抑制を言い出さないのだ。狭い場所にネズミを詰め込んでみたらいい。どんな動物も生き残る本能があるのだから、そりゃ戦いはなくならない。平和主義者に言いたいのは、我々は人類という動物だという意味だ。これが世界規模で人口が爆発すれば、食糧の争奪戦は確実に起こる。強く国こそ、生き残るだろう。だが、その国の中は弱肉強食じゃなければ、強さは維持できないのだ。
その臨界点がいつなのか、誰も知らない。
日本国がもっと改善できる点は、まずは政治による変化かもしれない。もっと若い世代が政治家となっていかないと、未来はないだろう。間違えた、失敗したら、やり直せばいい。現実に今だって、感染症対策は失敗だ。まずは法律を整備して、地域ごとに医療体制を徹底し、感染拡大を防げばよかった。結局、ワクチンにしても自前の開発はやめて、他国からの購入という政治判断になった点も反省するべきじゃないのか? 健康保険についても、国籍条項を入れるべきだ。命に関わる疾病の場合、自国民を優先する。違法入国者の場合、平等という視点からすれば、そうそうに出身国に送り返すのが筋。難民申請時に、技能や疾病状況による審査も必須とし、できるだけ技能は活かせるような教育と疾病も治療が可能かどうかで判断する。治療が可能じゃなければ、それを本人につたえて、それも日本に入国したいのかを確認すればいい。もっとも重要なのが日本語による義務教育レベルの取得。これを修了しない限り、滞在許可は認めないでいい。まずはコミュニケーションのためには、日本語取得が必須だし、基礎学力もだ。お互いにリスペクトすることで、安全な安定した社会が維持できると理解できるからだ。
自由は日本国憲法下に存在する。ゆえに憲法改正は不可欠だし、そのための変更手順は国民投票のみとする。多国籍維持については、メインの国、つまり納税先がどこかによって選択とすればいい。別に納税しないのに日本国籍でなくてもいい訳だ。このメインの国設定によって、戦争時に敵国となった場合は、一時的に日本国籍剥奪が可能にしやすなり、追い出せる。当然、日本国籍保持の条件には、日本語能力レベルのいくつは必須とする。そろそろ戸籍はやめていい。血統主義じゃなければ、別に親族に日本人がいようが、いなかろうが関係ない訳だ。日本は島国であり、多くの民族との混血なのは間違いはない。ところが皇族という血統主義を温存したおかげで、未だに戸籍やらの血統を重視している訳だ。婚姻などの記録は住民票にすればいい。住民票がなければ、違法入国や滞在者として判断すればいいだけだ。あと住民票に国籍、疾病や納税記録をすることで、海外に転出する場合は、海外転出をしない限りは税金の集金を可能とすればいい。あと国籍維持手数料もあってもいい。
このくらい改革しないと、日本の未来はないのだ。多種多様な人を集めて、まとめるためには、民主主義しかない。ただし、憲法上で思想や宗教の自由を認めるとしても、憲法下と定義する。これによって思想や宗教による暴力的行為は犯罪として、処罰できるし、従わない場合は、国外退去とする。国家反逆者の実刑に死刑があってもいいが、それはある意味、より反逆者を生み出す温床になりかねない。まあ、暴力行為による暴動などで死傷者を出したら、当然、刑事として判断すればいいだけだ。
早い話が、日本政府は何かあると例外処理が多くて、憲法そのものを改正しないのだ。そのツケを張らないのが今なのに、やらないで武器揃えるだけって変じゃないのか?あと皇族は選挙権もないが、納税はしている訳だし、徴兵制の対象とすることだ。だって国民なんだから。こういった特別扱いが使えない皇族を生み出している。自分が国を治める一人という自覚がないから、存在の意味がないのだよ。
あと、皇族の名誉なんちゃらというのも廃止しろ。意味がない。もし、彼らの誰かがその専門家としての実績があれば、別だが。皇族はどうして医療、警察や自衛隊を職業としてないのか。つまり国民の上に存在するという意識がどこかにあるから、意味がない名誉なんちゃらになるんだろう。
日本人が本当に尊敬するべきは、医療、警察や消防、自衛隊に従事する人たちだ。彼らこそ、日本国民のために日夜働いている。それも厳しい規則の下でだ。だからストレスも大きい。それを日本の教育者は暴力組織の従事者として見下している。こういった問題すら、文部科学大臣は修正しないのだ。日本の教育現場に政治思想があってはいけない。政教分離の定義をもっと重視することで、学者もそれに従う宣誓をさせる。戦争反対というのは個人の意志であれば、兵器に応用されるのを避けるためには、学者をやめればいいだけだ。理解できないのは、戦争が嫌なら攻撃を防御するための手段、兵器を開発しようという発想がないことだ。他国から武力攻撃されにくい国にすればいいだけなのだが。
経済制度が地上からなくなれば貧困は解決する。なにせこれだけの人口を賄える食糧が偏っているのも事実だし、食糧が賄える国は人口が抑えられている。発展途上国ほど、人口増加が急激なのだ。それを食糧や医療で補助すれば、ますます人口は増加する。これは双方にとって最悪な結果でしかない。
人口増加で、自分がもっとも怖いのは、やがて高齢者や障害者が治療不可な既存症を持つ人たちが抹消される社会がくることだ。ある年齢になると抹消される社会なんて、誰が生きたいと思うだろうか。
環境保護のためにも、人口増加抑制はCO2増加と同じぐらいにやらなければならにことだ。それとも食糧争奪戦がはじまってから弱いものを処分する社会がいいのか? 少子化はある意味、人類の種の保存という本能によるものじゃないのだろうか? 日本国は食糧自給率で賄える国民数のみを維持すればいい。そのためには農業や漁業従事者をもっと優先する税制が必要だ。永住許可も農業や漁業経験者や技術者を優先(英語や日本語ができないでも)して迎える。工業や医療の技術者の場合、英語ができれば、即刻永住許可を認め、日本語教育も無料で提供し、国籍取得時にはN2以上を目指してもらう。
食糧は国家戦略なので、国が水と共に指導する。
来年の年末は少しは改革が進んでいることを期待したい。