オリンピックの開会式のオープニングイベントから、日本という国を抹消したおかげで、バーチャルリアリティー世界のTokyoでオリンピックやってるらしい。まあ、好き嫌いは別として、つまらなかったのは事実。アメフトのハーフタイムぐらいに、派手な方が観戦者にとっては面白い。おまけに意味がない上で長いスピーチで、チャンネルを変えたぐらいだ。再生をテーマにしているのか、世界統一政府を目指しているのか、まあ、理解できなかった。
差別をなくす、というなら、どうして、競技に年齢や性別制限があるのだろうか。まあ、国ごとというのは、単なるグループ分けとするのであれば、いっそ、国旗なども制限して、みんな番号や国名のみのユニフォームでいいと思うんだが。つまり、差別をなくすといいながら、競技そのものが性別や年齢で差別している訳だ。笑わしてくれる。いっそ、グループもくじ引きでメンバー構成するとかなら理解もできるのだが。
いじめや差別はどんなに法律で管理してもなくならない。何故なら、人という動物は、自分を守るためのグループを作り、その条件に身体的かつ能力的が含まれるからだ。あと、身体能力別の競いそのものが差別だと自分は感じている。つまり、パラリンピックとオリンピックを分けることに違和感があるのだ。
誰よりお早く走るとか、そんなものは外骨格類を装備すれば、障害者だって参加できるのだから、いっそ、そういったカテゴリーにすればいい。水泳だって、足のヒレだけじゃなくて、いっそ、身体補助装置別、競泳にすればいい。だって、民族によって、身体特徴や身体の優位性の部分が違っているのに、それを来そうことこそ、差別だと感じる。性別だって同じで、どうして分けるのかといえば、身体的優位性があきらからだからだ。
本当に差別をなくそうというのなら、まずはこういった身体的相違による影響がでるような運動による競争はやめるべき。意味がないでしょう?それとも身体的に不利だとしても、改造手術のようなジェンダートランスファーを認めるのはおかしいでしょう。だって、あきらかに身体能力が違うのだから。ゆえに、改造してもOKというようにルールを変えるべき。これこそが、平等かつ公平な競争なんじゃないのかぁ。
あと、なんかオリンピック期間は休戦なんちゃらとか、意味がわからない。むしろ、オリンピックで国ごとが争うのなら、それこそe-sportが最適だろう。だって、そこには身体的格差がないからだ。障害者だって、UIによって、参加できる。そもそも競争って、ある意味戦争じゃないのか。だったら、今後はe-sportをもっと世界的に復興していけばいいし、UIや補助ソフトなど、どんどん開発していけば、現実世界への応用によって、障害者も社会で活躍できる機関が増えていく。当然ながら、ここには年齢、性別も関係ない。本当に既存の価値観をぶち壊さないと未来は暗い。
オリンピックや世界的競技の大半が欧州元でできている。つまり、未だに身分、男女に性別、文化の差別が存在している地域だ。だからこそ、そういった既存の価値観がないネットの世界に新しい世代は期待してくる。その一つがアニメやマンガの世界観。まあ、経済そのものも破壊する必要があるのかもしれない。権力は強い経済に支えられているのだから、発展途上国が乗り上あがるのは、ほぼ不可能。中国は人の数とそれを管理するシステムがまさに蜂や蟻のような仕組みだから、早々に経済発展を成功させてきた。これは日本も同じで、女王の代わりに天皇をトップに働き蜂や蟻によって経済を支えてきた。ならば、欧州はどうかといえば、これも働き蜂を一般民衆とすれば、貴族は王族が利益を甘受してきた歴史だろう。だから、そんなところから生まれた競技で、差別を泣くそうとか、理解できないのだ。もちろん、ラグビーやテニスのような貴族たちのスポーツは、争いというよりはゲーム的要素が強いように感じる。勝者だけではなく敗者の行動までが賛称されるのは、観戦者の貴族たちが、たのしむための価値観じゃないのか。例えば、陸上競技と乗馬を比較してみると理解できる。観戦者が楽しければ、人間でも動物でもいいんじゃないの?感動?それって観戦者みたいにベットしているとか、それとも自らが競技者へポゼンションして興奮するから感動して、楽しむってこと?
だったら、e-sportで世界中で平等に公平な条件で参加し、観戦者もベットというよりは投資として楽しめばいい。
差別をなくす、というなら、どうして、競技に年齢や性別制限があるのだろうか。まあ、国ごとというのは、単なるグループ分けとするのであれば、いっそ、国旗なども制限して、みんな番号や国名のみのユニフォームでいいと思うんだが。つまり、差別をなくすといいながら、競技そのものが性別や年齢で差別している訳だ。笑わしてくれる。いっそ、グループもくじ引きでメンバー構成するとかなら理解もできるのだが。
いじめや差別はどんなに法律で管理してもなくならない。何故なら、人という動物は、自分を守るためのグループを作り、その条件に身体的かつ能力的が含まれるからだ。あと、身体能力別の競いそのものが差別だと自分は感じている。つまり、パラリンピックとオリンピックを分けることに違和感があるのだ。
誰よりお早く走るとか、そんなものは外骨格類を装備すれば、障害者だって参加できるのだから、いっそ、そういったカテゴリーにすればいい。水泳だって、足のヒレだけじゃなくて、いっそ、身体補助装置別、競泳にすればいい。だって、民族によって、身体特徴や身体の優位性の部分が違っているのに、それを来そうことこそ、差別だと感じる。性別だって同じで、どうして分けるのかといえば、身体的優位性があきらからだからだ。
本当に差別をなくそうというのなら、まずはこういった身体的相違による影響がでるような運動による競争はやめるべき。意味がないでしょう?それとも身体的に不利だとしても、改造手術のようなジェンダートランスファーを認めるのはおかしいでしょう。だって、あきらかに身体能力が違うのだから。ゆえに、改造してもOKというようにルールを変えるべき。これこそが、平等かつ公平な競争なんじゃないのかぁ。
あと、なんかオリンピック期間は休戦なんちゃらとか、意味がわからない。むしろ、オリンピックで国ごとが争うのなら、それこそe-sportが最適だろう。だって、そこには身体的格差がないからだ。障害者だって、UIによって、参加できる。そもそも競争って、ある意味戦争じゃないのか。だったら、今後はe-sportをもっと世界的に復興していけばいいし、UIや補助ソフトなど、どんどん開発していけば、現実世界への応用によって、障害者も社会で活躍できる機関が増えていく。当然ながら、ここには年齢、性別も関係ない。本当に既存の価値観をぶち壊さないと未来は暗い。
オリンピックや世界的競技の大半が欧州元でできている。つまり、未だに身分、男女に性別、文化の差別が存在している地域だ。だからこそ、そういった既存の価値観がないネットの世界に新しい世代は期待してくる。その一つがアニメやマンガの世界観。まあ、経済そのものも破壊する必要があるのかもしれない。権力は強い経済に支えられているのだから、発展途上国が乗り上あがるのは、ほぼ不可能。中国は人の数とそれを管理するシステムがまさに蜂や蟻のような仕組みだから、早々に経済発展を成功させてきた。これは日本も同じで、女王の代わりに天皇をトップに働き蜂や蟻によって経済を支えてきた。ならば、欧州はどうかといえば、これも働き蜂を一般民衆とすれば、貴族は王族が利益を甘受してきた歴史だろう。だから、そんなところから生まれた競技で、差別を泣くそうとか、理解できないのだ。もちろん、ラグビーやテニスのような貴族たちのスポーツは、争いというよりはゲーム的要素が強いように感じる。勝者だけではなく敗者の行動までが賛称されるのは、観戦者の貴族たちが、たのしむための価値観じゃないのか。例えば、陸上競技と乗馬を比較してみると理解できる。観戦者が楽しければ、人間でも動物でもいいんじゃないの?感動?それって観戦者みたいにベットしているとか、それとも自らが競技者へポゼンションして興奮するから感動して、楽しむってこと?
だったら、e-sportで世界中で平等に公平な条件で参加し、観戦者もベットというよりは投資として楽しめばいい。