郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 棋聖戦 編

2024年04月21日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗叡王戦0勝0敗王座戦0勝4敗

 棋王戦2勝5敗王将戦1勝2敗

 ここまで8勝14敗3割6分3厘

 これが野球なら首位打者だが、あの郷田真隆の勝率と考えれば低すぎる

 あとひとつタイトル戦は残っているが、一気の巻き返しなるか。

 

 


 最後に棋聖戦

 ここまでの棋王戦王将戦は、獲得こそあるものの、やはりうっすらと負け越しており、「挑決は苦手」というイメージを払拭できないでいる。

 ただ、最後の棋聖戦は獲得経験も複数回あり、五番勝負に登場回数も一番多いということで、ここで一気の逆転もねらえそうである。

 まず、1990年後期(当時の棋聖戦は年2度開催だった)第57期棋聖戦で挑戦者決定戦に進出するも、森下卓六段に敗れる。

 このときの棋聖は18歳屋敷伸之で、もしここでまだ19歳だった郷田が勝っていれば、史上初にして、今でも実現していない、

 

 「10代同士のタイトル戦」

 

 を見られたことになり、これには本人も「残念でした」と語っていた。

 続いて半年後1991年前期、第58期でも連続で挑決に進出するが、これも南芳一王将に敗れてしまう。

 まあ、このあたりはまだ低段時代だから「これからさ」とかまえていられるところで、翌年の前期第60期棋聖戦では、阿部隆五段を押さえて初の五番勝負に登場。

 続く1992年後期第61期棋聖戦でも、塚田泰明八段を破って2期連続の檜舞台。

 どちらも、そのころ充実期だった谷川浩司棋聖に敗れるも、四段五段のころにこれだけ挑決まで勝ち上がり、2度も番勝負に出ているというのが、あらためてスゴイものだ。

 しかも、その間に王位のタイトルも取ってるし、マジで今の伊藤匠七段に負けない勝ちっぷりで、郷田がいかに強いかがわかっていただけるだろう。

 そこからしばらく、棋聖戦では鳴りを潜めるが、1997年の第68期では挑決に進出し、屋敷伸之七段に敗れるも、久しぶりに「棋聖戦男」ぶりをアピール。

 そして翌年の第69期では、挑決で「システム」藤井猛七段を退けての、お待たせ5番勝負に出場。

 そこでも、前期棋聖に復位した屋敷伸之から3勝1敗のスコアで奪取し、の棋聖獲得

 ただ、翌年には谷川浩司九段にストレートで奪われてしまい、ここでも防衛戦での苦戦ぶりを露呈している。

 しかし、こう見ると谷川も、羽生善治相手にこそ苦手意識に苦しめられていたが、の「羽生世代」の棋士たちには貫録を見せている場面が多く、本当に

 

 アイツさえいなければ」

 

 という時代だったのだなあ。

 無冠になった郷田だが、2001年の第72期はそのキャリアの中でももっとも語られるべきシリーズかもしれず、まず挑決で深浦康市七段を破って5番勝負に。

 

 「これまでは眼前の勝敗にこだわらなかったが、今回は結果を出したい」

 

 という「美学派」が本気を出した羽生棋聖との勝負は、フルセットの激戦の末に郷田が勝利

 

 

 

 この一番は本当に両者力が入っていて、△57歩というイヤらしいタレ歩に、郷田の応手が驚愕

 

 
 
 
 

 

 

 ▲49銀と打ったのが、郷田将棋にあこがれる金井恒太六段も、おどろいたというスゴイ手。

 受け一方で貴重なも手放して、相当に指しにくい。

 そもそも、こんな消極的な手は郷田が一番嫌いそうだが、指した本人はこれでまだまだと見ていたよう。

 事実、ここから玉の上部脱出をめぐって激戦が展開され、クライマックスはこの場面。

 

 

 

 ここで羽生は△75同馬▲同玉△73金入玉を阻止するが、これが敗着になった。

 手番をもらった郷田は▲31成桂と踏みこんで、△同金▲同竜と切り飛ばし、△同玉▲43桂から一気に詰まし上げてしまった。

 

 

 

 

 △75同馬では△71歩▲同竜△53角か、単に△53角から△71金と竜を封じこめれば、難解ながらも後手有望だった。

 これには友人である先崎学九段が、『週刊文春』の連載で祝福する一文を載せていたが、たしかに報われるべき人が報われるというのは大きなカタルシスである。

 だが、ここでもやはり防衛戦がネックとなり、翌年には佐藤康光王将2連勝スタートから3連敗を喫し、またしても1年で失冠

 その後は2003年の第74期に丸山忠久棋王に敗れる。

 2013年の第84期と2019年の第90期ともに、渡辺明竜王王将棋王(王将・棋王)に敗れて挑戦ならず。

 

 ☆棋聖戦挑決 4勝6敗獲得2


 

 以上が、郷田真隆による、挑戦者決定戦での受難の歴史である。

 整理すると、

 

 竜王戦 0-1

 名人戦 2-0

 叡王戦 0-0

 王位戦 3-2(獲得1)

 王座戦 0-4

 棋王戦 2-5(獲得1)

 王将戦 1-2(獲得2)

 棋聖戦 4-6(獲得2) 

 

 合計 12勝20敗 3割7分5厘


 たしかに、これは低い。

 郷田の実力をもってすれば、本来はあり得ない数字だ。4割に届いてないとは……。

 これ、一発勝負でない名人戦をカウントせず、優勝できなかった叡王戦の敗戦も含めると10勝21敗3割2分2厘と、さらにヒドイことに。

 これはもはや、「将棋界の七不思議」と言っていい内容だが、一番不思議なのは再三いうが、

 

 「理由がよくわからない」

 

 ことであって、おそらく郷田自身も自分に、腹の底から「なんでやねん!」と、つっこんでいることであろう。

 ちなみに、一般棋戦の方では決勝に出ると、
 
 
 NHK杯 1勝1敗
 
 新人王戦 0勝1敗
 
 早指し選手権 1勝0敗
 
 銀河戦 2勝0敗
 
 日本シリーズ 3勝2敗
 
 
 しっかりと勝ち越しており、決して勝負弱いわけではないのだ。

 ホンマ、なんでなんやろ。

 


(郷田が中村太地に敗れた、2013年の第61期王座戦挑決はこちら

(郷田の切れ味鋭い名手はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 王将戦 編

2024年04月18日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗と、ここまではまずまずの成績だが、叡王戦0勝0敗王座戦0勝4敗棋王戦2勝5敗と下り坂に。

 ここまで7勝12敗と負け越しているが、ここからどうなるか。

 事務仕事が苦手な私は、もうすべてを投げ出してメイプルタウンあたりに亡命したくなっているが、果たして完走できるのか?

 

 


 次も、棋王戦に続いて獲得経験のある王将戦

 まずはずせないのが、1994年の第44期王将戦プレーオフで、このとき挑戦権をかけて戦ったのが羽生善治六冠王

 このとき羽生は「七冠王ロード」のクライマックスへ向かってひた走っており、郷田はそのストッパーの役を担うことになったが、残念ながら敗れてしまった。

 その後、2002年第52期にもプレーオフに進出するが、羽生にまたもやられてしまう。

 その後は長くプレーオフ進出に縁がなかったが、12年後2014年第64期王将戦で七番勝負に進出。

 このときも、リーグ戦で独走態勢に入りながら、勝てばすんなり挑戦というところで2つ星を落とし、羽生に追いつかれるという、まさかの失速

 流れ的にプレーオフは勝てないと思われたが、そこをしっかり立て直したのはさすが。

 本番の七番勝負でも、充実著しかった渡辺明王将からフルセットの末奪取し、王将獲得

 

 

 

 図は第7局の序盤戦。

 横歩取りから、後手の渡辺が△53角と打ったところ。

 先手が▲12歩と攻めて、がなくなったタイミングで8筋をねらうが、郷田は好きにすればと▲11歩成

 堂々と歩を成られて、これで行けなければなにをやってるかわからないと、△86角と切って▲同歩△同飛

 

 

 

 

 力強く踏みこんだはいいが、こうなってみると後手の8筋突破が受からない形。

 歩があれば▲87歩で大優勢だが、もちろん渡辺はそれがないことを見越しての攻撃だ。

 このままではを作られるのは必至。かといって、頭の丸いしかないのでは受けもむずかしい。

 先手が困っているようだが、郷田は平然と次の手を指した。

 

 

 

 

 ▲87角と打つのが、形のこだわらない郷田の腕力。

 一見、突破されたように見えるが、2枚のがうまく連携して一気にはつぶれないのだ。

 以下、△85飛▲66角△65桂▲21と△77銀▲59玉△66銀成▲同歩△39角▲38飛△57角成▲54桂で激戦。

 

 

 

 スゴイ形だが、本格派の2人が、こんなおかしな局面を戦っているのはそれだけで熱局の証拠であろう。

 そこから少し進んで、この局面。

 

 

 

 先手の攻めもカサにかかっているが、後手から△57歩のビンタも玉頭だけに痛烈。

 後手はまだしか持駒がないが、先手も攻めるとなるととかを渡すことになりそうだし、▲87質駒になっている。

 うまく対処しないと、裸玉に近いだけに一撃で仕留められる危惧もあるが、次の手が郷田らしい一着だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲47金と上がるのが、なにも恐れない勇者の一手。

 一見「金はナナメに誘え」で守備力が激減しているようだが、そこをあえて▲58の地点を開ける▲47金が、郷田流の見せ場。

 △62歩▲同桂成△44歩▲54歩△62銀▲同成銀△43金上▲56金のショルダータックルが決め手になった。

 

 

   

 この手を見越しての▲47金だったのだ。

 △67馬に、▲55桂と上部から押しつぶして先手勝勢

 第1局画期的新手に、第6局大逆転と並べて、実にドラマチックなシリーズであった。

 翌年の第65期王将戦でも、羽生善治の挑戦を勝2敗で蹴散らしてタイトル戦初防衛

 こう見ると、2010年代前半王将棋王を獲得するなど、円熟期とも言っていい内容。かなり充実していたようだ。

 

 ☆王将リーグプレーオフ 1勝2敗獲得2

 

  (続く

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 棋王戦 編

2024年04月15日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗叡王戦0勝0敗王座戦0勝4敗

 ここまで5勝7敗と負け越しているが、ここからどうなるか。

 ぶっちゃけ、かなり数えるのがダルくなってきたが、今さら後に引けないので続けたい。

 


 続いては獲得経験もある棋王戦

 こちらは1997年に、南芳一九段を破って挑戦権を獲得。

 そこまでは良かったが、5番勝負では羽生善治棋王1勝3敗のスコアではね返されてしまう。

 で、ここからがまた試練になる。

 まず、2000年の第26期棋王戦では、挑戦者決定戦で敗者復活から上がってきた久保利明六段に、2連敗し挑戦を逃す。

 翌2001年の第27期、今度は敗者復活戦から勝ち上がったものの、佐藤康光九段先勝しながら勝ち切れず。

 2002年の第28期では、これまた敗者戦から上がってきた丸山忠久九段に2連敗し、王座戦と同じく怒涛の3年連続挑決敗退。

 しかも、2度敗者組2連敗しているんだから、ちょっと問題ありだ。

 おまけに2005年の第31期棋王戦でも、敗者戦から森内俊之名人に挑むも敗れ、郷田ファンからすれば頭をかかえたくなる惨状

 ただ、2011年の第37期棋王戦では、敗者戦から上がってきた若手トップの広瀬章人七段を押さえて、ようやっとトンネルを抜ける。

 このときも初戦を敗れて、「またか」とおもわせたところを2戦目でキッチリと取り返しての挑戦で、少しヒヤヒヤはしましたが。

 

 

 

 

 図は挑戦者決定戦の第1局

 「振り穴王子」の穴熊に郷田も対抗して、この局面。

 こんなもん、どうみても▲21飛成しか思い浮かばないが、次の手がいかにも「郷田流」だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲85歩と、ジッと伸ばすのがコクのある手。

 目先の飛車成にとらわれず、穴熊の最急所に圧力をかけておくのが、この際の好判断だった。

 もちろん▲21飛成でも悪くはないのだが、ここでそれを保留できる精神力がすばらしい。

 控室で検討していた青野照市九段からも「郷田好み」のお墨付き。

 なにかこう理屈抜きで「つえーなー、オイ」という気にさせられるのだ。

 将棋はこの後、熱戦になって二転三転の末に郷田が敗れたが、その存在感は存分に見せたようだ。

 続く久保利明棋王との五番勝負でも郷田は強かった。

 

 

 

 第1局のこの局面。

 やはり相穴熊の戦いだが、作戦負けで苦しげなところ、次の手が意表の一着。

 

 

 

 

 ▲96銀と出るのが、形にこだわらない強い手。

 ねらいとしては次に▲85歩から歩を交換すれば、一歩を手持ちにした上にが大いばりで指せると。

 それはいけないと久保は△73桂と交換を拒否するが、今度はそこでまたもやジッと▲87銀

 

 

 

 

 手損となったが、後手に△73桂と跳ねさせ、アーマークラスを下げたことが地味に効いている。

 木村一基八段曰く、

 


 「負けてもこういう手を指すと「強いなあ」と感嘆しますね」


 

 この将棋こそ敗れたものの、その後3連勝3勝1敗奪取

 ようやっと苦労が報われる形に。

 王座戦とちがって、こっちはハッピーエンドだったが、その翌年には渡辺明竜王1勝3敗で敗れて失冠

 挑決ともうひとつ、防衛戦でなかなか本領を発揮できないのも、郷田の泣き所だったが、これまたなぜか。

 理由はやはり不明である。

 おっと、忘れるところだった2021年、第47期の挑決でも永瀬拓矢王座に敗れて、またひとつ黒星を増やしてしまった。

 永瀬は今バリバリでA級タイトルの常連だから、ある程度はしょうがないとはいえ、うーん、ここは久しぶりに郷田のタイトル戦が見たかったのだが……。

 

 (続く

 

 

 ☆棋王戦挑決 2勝5敗獲得1

 

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 叡王戦&王座戦 編

2024年04月12日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗

 今のところは5勝3敗と勝ち越しているが、ここからどうなるのか。

 正直、ちょっとめんどくさくなってきたが、がんばって数えてみたい。

 

 


 続くのは叡王戦だが、ここでもまず第1回の大会で決勝に進出するも、山崎隆之八段に敗れて準優勝

 まあ、このときはまだタイトル戦じゃなかったから、ノーカウントだけど、このときのトーナメントを

 

 「ソフトへの挑戦」

 

 をかけた戦いと解釈すれば、やはり負けているということにもなるなあ。


 ☆叡王戦挑決 0勝0敗

 


 次は王座戦

 王座戦は郷田が獲得どころか、5番勝負にも出たことがない棋戦である。

 ただ、しっかりと挑決4度も勝ち上がっているのがさすがで、つまりはそこで4連敗していしまっているということでもある。

 またしても、なんでやねん。

 うちわけは、1997年の第45期王座戦で、島朗八段に負け。

 1998年谷川浩司竜王に、必勝の局面から「1手トン死」を喰らって大逆転負け。

 1999年の第47期では丸山忠久八段に敗れて、3年連続の挑決敗退。

 これはかなりしんどい結果だが、そのあと2013年にも久々に勝ち上がったものの、やはり中村太地六段に敗れガッカリ。

 これには相性がいいのか悪いのか、よくわからないものである。

 そういえば郷田と言えば丸山天敵で、対戦成績でも負け越しているはず。

 その理由は郷田が後手になったとき、ムキになって丸山必殺の角換わり腰掛銀を受けるからで、それにほとんど勝てていないからだ。

 そういえば佐藤康光九段もそうで、谷川浩司九段や丸山のような「スペシャリスト」に後手番の角換わり腰掛け銀で挑んで、痛い目にあわされてきた。

 象徴的なのがこの将棋で、2011年の第70期A級順位戦

 

 

 

 

 渡辺明竜王と郷田真隆九段の一戦は角換わり腰掛け銀から「富岡流」と呼ばれる形になる。

 △同金、▲33銀、△同桂、▲同歩成、△41玉、▲22と、△49馬、▲74桂、△同金、▲53馬、△58馬、▲72歩。

 

 

 

 

 △72同飛、▲62金、△42金、▲45桂、△53金、▲同桂成、△62飛、▲同成桂、△68銀、▲88玉。

 

 

 

 

 まで渡辺の勝ち。

 相居飛車の定跡通り先手番バリバリ攻めて押し切るという「後手番ノーチャンス」のような、よくある将棋に見える。

 これが当時「事件」と騒ぎになったのは、なんとこの手順は「後手負け」という定跡としてすでに確立しており、角換わりのにも掲載されている有名な順だったこと。

 「富岡流」からその定跡通りに進んだところでは、当然「負ける」側の郷田が手を変えるはずで、「郷田新手」を皆が予想し期待していたところ、なんとそのレールに乗ったまま最後まで走って投了

 なんてこったい! これじゃあ、まるで棋譜並べだ。

 公式戦、しかも持ち時間6時間の順位戦で、なぜこんなことが起こったのか。

 結論から言えば、郷田はなんとこの定跡を知らなかったから。

 郷田と言えば、パソコンはおろか携帯電話なども、

 


 「そんなものより大事なものはいくらでもある」


 

 

 と言い放って長く持たなかった「硬派」で知られ、今では当たり前の研究会や、ケータイのメッセージなどでの最新手順の情報交換も一切拒否していた男。

 日々の鍛錬と、自分の信念のみを信じるという文字通りの「一刀流」で、それでタイトルまで取ってしまったサムライの姿は、

 

 「カッコよすぎるやん……」

 

 金井恒太六段をはじめ、多くの棋士観戦記者ファンをシビれさせるが、そのスタイルには常に、こういった落とし穴がつきまとう。

 これが「定跡」になっていることを知らされた郷田は呆然としたそうだが、さもあろう。

 もちろんこれは極端な例だし、郷田の力をもってすれば、この程度の罠は「誤差」の範囲内だが、生涯勝率を少しばかり下げてしまっているのも事実だ。

 これはねえ、「オランダサッカー」問題と同じで、むずかしいよねえ。

 「信念」か「結果」か。

 もっとも、それを「もったいない」と感じるのは素人考えで、本人たちの弁では、意地だけでなく勝算があっての採用だと語っている。

 それに棋士人生を長い目で見れば、たとえ相手のエース戦法に挑んで負けても、きっと黒星以上に得るものもあるのだろう。

 そういったことを視野に入れれば、

 

 「角換わりを、さければいいのに」

 

 というのが、いかに底の浅い意見であるかわかろうというもの。

 玄人の将棋ファンとし鳴らす私としては、そういう輩は大いにバカにしたいところであるが、2013年NHK杯決勝で丸山と当たった郷田は、後手番で横歩取りを採用。

 

 

 

 図で△75飛と引いたのが好手で、▲45を取って△47の地点をねらうのが速い。

 先手は左辺の角金銀になって受けにくく、郷田がそのまま勝ち切りNHK杯初優勝を決めた。

 あざやかな指しまわしで、さすが郷田はどの戦法を指しても強いなあ……。

 ……て、あれ? やっぱ、じゃあ今までも角換わりは避けといたらよかったんちゃうん! 

 最初からもっと柔軟に戦型を選んでたら、NHK杯だってもっと勝てたかもしれないのに……。

 もっとも、私(ド素人)なんかがそんなことを言ったところで、郷田なら、

 

 「それって、なんか意味あるんですか?」

 

 なんて答えるのだろう(「あー、意味ない、意味ない」は酔った郷田の口癖)。

 もっともだ。そんな郷田は郷田ではない。

 あーもー、めんどくせーなー。オレはアンタについていくよ、もう!

 

 ☆王座戦挑決 0勝4敗

 

 (続く
   

 

 

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 王位戦 編

2024年04月09日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦2度出場しているけど

 

 「勝ってれば挑戦者なのに……」

 

 という敗戦があるかどうかわからないので(調べろよ)2勝0敗ということに。

 


 続いて王位戦

 郷田は初タイトルが王位であるし、1993年から95年にかけて、3年連続羽生善治と七番勝負を戦った印象などから「王位戦男」とも呼ばれた。

 棋士によって相性のいい棋戦というのはそれぞれあって、羽生善治九段王座戦に、森内俊之九段名人戦

 佐藤康光九段棋聖戦や、渡辺明九段竜王戦などがパッと目につくが、王位戦に関しては郷田以外にもいたもの。

 佐藤義則八段高橋道雄九段(王位獲得経験もあり)なども、かつてはリーグ入りの常連で、そう呼ばれたものだった。

 なら比較的勝率も高いのではと期待も高まるわけで、まず1992年の第33期王位戦では、佐藤康光六段に勝って挑戦者に。

 七番勝負でも谷川浩司王位にいきなり3連勝し、その後2つ返されたものの、第6局では終盤の競り合いで絶妙手を披露し、見事に初タイトル獲得。

 これが当時、絶賛されたので少し見ていただきたい。

 

 

 

 

 図は谷川王位が△66歩とたたいて、▲同金△57角成としたところだが、これが疑問で、もっと早く△73桂と跳ねるべきだったそう。

 先手は▲67金上として△39馬に、▲78飛と回る。

 

 

 

 これがが味のいい手で、郷田はこのあたりで手ごたえを感じたという。

 谷川は遅ればせながら△73桂の両取りだが、かまわず▲75飛とさばいて、△85桂▲86角が絶妙の跳躍!

 

 

 

 

 自陣で眠っていた飛車角が、敵の急所をねらう位置に飛び出して、見事な躍動感を生み出している。

 郷田はこの年、棋聖戦でも2度谷川挑戦してどちらも敗れているから(当時の棋聖戦は年2回開催だった)、ちょっと苦しいかなとも思われたが、それをはね返した精神力はすばらしかった。

 翌年、羽生善治四冠の挑戦を前にストレートで失冠したが、その次の1994年第35期王位戦では挑決で高橋道雄九段を退けてリベンジマッチの舞台へ。

 さらに翌年の36期でも、谷川浩司王将に勝って、またも挑戦者に。

 それぞれ3勝4敗2勝4敗で羽生王位に防衛をゆるすも、ここまでの成績を見ると、王位戦とは相性が良かったともいえる。

 ただ、1997年の第38期と、翌年の第39期でそれぞれ佐藤康光八段名人)に敗れて挑戦はならず。

 郷田と言えば王位のイメージが強かったが、意外なことにこの後、挑決まで上がってくることはなかった。

 獲得1期というのも、あらためて調べてみておどろいたもの。もっと取ってると思ったのだ。

 

 ☆王位戦挑決 3勝2敗獲得1

 

続く

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 名人戦 編

2024年04月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 続いては名人戦

 ここはA級順位戦というリーグ戦だから、挑戦者決定戦もなく、そこをどうとるかが問題。

 2007年第65期名人戦と、2009年第67期名人戦に挑戦者として出場しているから、2勝0敗ということでもいいが、逆に

 

 「勝ってれば名人挑戦だったのに」

 

 という敗戦があったかどうかがわからないし、調べるのがめんどいので「0敗」かどうかはわからない。

 まあ、とりあえずここでは2勝0敗ということにして話を進めるが、本番の七番勝負では勝てなかった。

 とはいえ、2007年森内俊之名人に、2009年羽生善治名人にどちらもフルセットまで行っており、「郷田名人」の可能性は十分すぎるほどあった。

 特に2007年は「永世名人」のかかった森内に2勝3敗カド番から「50年に1度の大逆転」を喰らわせてフルセットに持ちこむという、ドラマチックな戦いを披露。

 しかも、最終局で先手番を引くという大チャンスだったが、大熱戦の末敗れてしまったのは残念だった。

 

 

 

 その名人戦の最終局

 森内勝勢のところから郷田が決死のねばりで喰いつき、ここでは控室も「またも逆転か!」と色めきだっていた。

 駒が、特に先手陣の桂香の利きがゴチャゴチャしてややこしく、

 


 「むずかしすぎる」

 「これが詰将棋だったら、考える気もしない」


 

 検討陣も悲鳴をあげるほど。

 しかも、次の手がまたスゴイのだ。

 

 

 

 

 

 ▲73銀と捨てるのが、名人への執念を込めた郷田渾身の勝負手。

 △同金▲85桂と取る手が、▲31角△22歩▲23角成△同玉▲22角成以下の「詰めろ逃れの詰めろ」になるのだ!

 あまりの難解さと郷田の迫力に、さすがの森内もパニックになったが、ここで冷静に△83と引いて耐えていた。

 ▲23角成△同玉▲84金(!)という根性のしがみつきにも、△59角と打つのが冷静だったよう。

 

 

 

 

 と言っても、やはりメチャクチャな駒の配置で理解は不能だが、これで△66竜と取る手や、が入れば△76金で詰む形になり、どうやら決まったようだ。

 角切りを強要して、後手玉が安全になったのも大きい。

 ▲75銀△84飛と取って、▲同銀引不成△76金まで郷田が投了

 「森内俊之十八世名人」が誕生した。

 郷田も強かったが、森内の超人的な落ち着きが印象的なシリーズだった。

 

 2009年の名人戦も、第5局で羽生の横歩取りを完全に封じ、3勝2敗とリードを奪ったときには、

 

 「まあ、郷田は一回は名人になるべき男やもんな」

 

 ひとりごちたものだが、そこから逆転されてしまい、またも悲願ならず。

 

 

 

 図はそのシリーズ第5局

 横歩取りの激しい切り合いから、羽生が△27飛とおろしたところ。

 ふつうは▲28歩しか見えないところで、△25飛成から、じっくりした戦いになりそうだが、次の手が「お見事」という着想だった。

 

 

  

 2筋を受けずに▲23歩と、ここにタラしたのがキビシイ手だった。

 次に▲22歩成△同金▲42角打から詰まされてしまうが、これを受けるうまい手がない。

 △52歩と受けるしかないが、そこで▲75馬飛車取りに逃げられるのがピッタリで先手絶好調。

 △44飛と逃げるしかないが、▲82歩△同銀を一発利かして▲18角が気持ちよすぎるクリーンヒット。

 

 

 

 

 郷田の見事な指しまわしに戦意喪失したのか、羽生はその後、ねばることもできずに土俵の外にたたきだされた。

 ただ、そこから勝つのがこのころの羽生や森内相手だと大変なことで、第6局第7局に敗れた郷田は、あと一歩のところで、またしても名人を獲得ならず。

 このころの森内と羽生は、名人戦で強かったなあ。

 格やその王道的棋風からも「郷田名人」はしっくりくるんだけど、なかなかうまくいかないものである。

 また郷田はA級順位戦で何度か「4勝5敗降級」という目にも合っている。

 深浦康市九段も似たようなことになっているが、彼らが実力とくらべて実績的に歯がゆいのは、こういうハードラックのせいでもあるのだろう。

 

 ☆名人戦(プレーオフ) 2勝0敗

 

 (続く

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 竜王戦 編

2024年04月05日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 郷田真隆はなぜ、「ここ一番」という戦いを落としてしまうのか。

 勝負の世界では、勝率は高く、仲間内からもその実力を認められていながら、なぜか思うような結果が出ない人というのがいる。

 豊島将之九段20歳タイトル戦に登場しながら、実際に獲得するまで長い年月を必要とした。

 A級棋士として活躍し、王座のタイトルも取ったことのある斎藤慎太郎八段は、14歳三段になり、三段リーグでも毎年好成績を上げるも、卒業までに4年も費やしてしまった。

 この手の「なぜ?」で昔から引っかかっているのが、郷田真隆九段のそれであり、この人はとにかく、挑戦者決定戦でよく負けている印象がある。

 タイトル6期、優勝7回はこれだけ見ればすばらしい実績だが、郷田ほどの男にしては少ないというか、正直言わせてもらいたいが、全然物足りない数字。

 デビュー初年度から挑戦者決定戦にバンバン進出しまくり、四段王位を獲得など偉業を達成しているなどから、その2、3倍はあってもおかしくないわけで、データベースウィキペディアを見るたびに、誤植を疑ってしまうクセが抜けないのだ。

 そんな郷田は、いったい挑決でどれくらい苦戦しているのか。

 私はデータを集めたりするのが苦手なので、イメージこそあれ具体的な数字はよくわからない。

 ウィキペディアなどにも載っていないので、めんどうではあるが、ここに今回数えてみることにした。

 アバウトな統計なので、間違っているところはあるだろうが、そういうときは鯖にでも当たったと思ってあきらめるのが吉であろう。

 


 ではまず、竜王戦から。

 郷田は意外なことに、竜王戦で挑戦者決定戦まで行ったことは1度しかない。

 しかも2013年の第26期でのことで、四段デビューが1990年だから、ずいぶん経ってのことなのだ。

 このときはNHK杯初優勝するなど好調だったようだが、挑決では森内俊之名人1勝2敗で敗れた。

 それはまあ、勝負だから仕方ないにしろ、この年はこれにくわえて、棋聖戦渡辺明竜王棋王王将に。

 王座戦中村太地六段にも、それぞれ挑決でやられており、これはなかなかにキツイ結果だ。

 年に3回も挑戦者決定戦まで行くのはすごいが、そこで3回とも負けてしまうのはコタエるだろう。

 

 

 

 図は竜王戦挑決、第3局の中盤戦。

 ▲86にいる飛車がスゴイ形で、△85銀とすれば取れそうだが、それには▲同飛△同飛▲64歩とするのが好手。

 

 

 △同角▲65歩と、角取りの先手で飛車の逃げる場所をつぶしてから、△28角成と逃げたところで▲86香と打てば取り返せる。

 かといって、▲64歩△82飛と先逃げしても、▲63歩成で、これもと金ができて先手が優勢だ。

 そこで郷田は△85歩と打って、▲96飛△28角成と押さえこみにかかるが、そこで▲94歩(!)が、また度肝を抜かれる構想。

 △18馬▲93銀と、なんとこっちから強引に突破して、先手が勝つのだった。

 

 

 

 郷田と仲のいい先崎学九段は、たしか王位戦だったかで挑戦権を逃したときに、

 


 「彼は昔から、ここ一番に弱かったですよ」


 

 と言ったそうだが、郷田の不思議なところは、その理由がよくわからないこと。

 勝負弱い人の定番である、メンタルに問題があるとも思えず、「フルえる」ことによって落としたところも、あまり見ないわけで、なんでやねんと首をひねることになるのだ。


 ☆竜王戦挑戦者決定戦 0勝1敗

 

 (続く

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「無冠の帝王」「C1に14年」 こうして森下卓と屋敷伸之の「七不思議」は生まれた 1991年 C級1組順位戦

2023年10月30日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「はへー、ここが【正しい歴史】から【七不思議】への分岐点やったんやなあ」
 

 なんて、ため息をついたのは、若き日の屋敷伸之九段森下卓九段が戦ったタイトル戦を調べているときのことであった。
 
 勝負の世界には時折、
 
 
 「この試合の結果がもしだったら、その後の歴史は全然違うことになってかもなあ」
 
 
 と思わせるターニングポイントがある。
 
 昭和将棋の世界だと、升田幸三大山康晴の運命を変えた「高野山の決戦」に、大内延介九段名人を取りそこなった「大内の▲71角」。
 
 平成だと、谷川浩司九段羽生善治九段に、強い苦手意識を植えつけられることとなった1992年、第5期竜王戦第4局
 
 

 谷川の2勝1敗でむかえた第4局は、中盤で谷川必勝に。
ここで△45桂と跳ねれば、順当に谷川が押し切り竜王も防衛した可能性が高い。
そうなれば「羽生時代」はもっと先の話で、谷川のタイトル獲得が「27期」という、ありえない数字も修正されていたはず。

 

 
 
 「永世七冠」にほとんど手をかけながら、まさかの3連勝からの4連敗を喰らって羽生が9年ものおあずけをくらった「100年1度大勝負」こと2008年第21期竜王戦七番勝負
 
 

 

羽生の3連勝でむかえた第4局。
ここで▲38金、△36玉、▲41飛成。あるいは単に▲41飛成でも、そこで「永世七冠」達成だった。
本譜は奇蹟的な打ち歩詰の筋で後手玉が寄らず、なんとそこから渡辺が4連勝で大逆転防衛。
もしここで決まっていたら、4タテで失冠した渡辺のその後の将棋人生は大きく変わっていたことだろう。

 

  


 
 これらはまさに歴史を動かした大逆転劇で、その舞台の大きさとシチュエーションから、その後の歴史に多大な変化影響をあたえたことは容易に想像できる。
 
 こういう話を「勝負にタラレバはない」と一蹴する人はいるけど、私は大好き。

 それに我々は先日の王座戦で、村田顕弘六段戦、挑戦者決定戦豊島将之九段戦に、五番勝負の第3局第4局の終盤戦を見せられている。
 
 将棋の世界では「現実」と「if」が本当にギリギリのラインで交錯をまぬがれただけの、儚いものだと思い知らされているのだから、このif妄想の一言で片づけるには、少しばかりリアルが勝つわけなのだ。
 
 で、今回脳裏によぎったのが、屋敷と森下のこと。
 
 この2人には平成における大きながあった。
 
 それこそが、

 

 「森下卓が1度もタイトルを取れなかったこと」

 「屋敷伸之がC級1組14年も足止めを食ったこと」
 

 これは平成の「将棋界七不思議」といった話になると、まず100%入ってくるもの。
 
 当時なら谷川浩司、羽生善治に次ぐ格だった森下が無冠ということは、今でいえば藤井聡太八冠渡辺明九段に続く、豊島将之九段永瀬拓矢九段がタイトルを取ってないようなもの。
 
 実際、豊島が棋聖のタイトルをはじめて取るまでは、森下と重ね合わせる声も多かったのだ。
 
 また屋敷の件も、C1昇級が18歳で脱出が32歳だから、これまた今ならさしずめタイトル経験のある菅井竜也八段斎藤慎太郎八段が、いまだC1で戦っているような異常事態だったのだ。 

 その「七不思議」が、まさに先日紹介した棋聖戦五番勝負と関連しているというか、シリーズのあった1990年12月から1991年1月までのこの2か月こそが、この2人の運命を結果論的には決定づけることとなる。
 
 まず森下の方はわかりやすく、ここでタイトルを取れなかったのは、大きな取りこぼしだった。
 
 もちろん、「小さな天才」屋敷伸之を倒すことは簡単ではないが、そこからの5回の挑戦の相手が谷川浩司1回に、羽生善治4回だったことを考えれば、ここが一番大きなチャンスだったことは間違ない。
 
 一方の屋敷もまた、この時期に人生を決める大勝負を戦うことになった。
 
 それは棋聖戦ではなく、順位戦
 
 今回調べ直して思い出したのだが、このシリーズの第3局と第4局の間に、2人はC級1組順位戦でも当たっていたのだ。
 
 日程を言えば、1991年1月11日に棋聖戦の第3局、同14日順位戦25日第4局
 
 まさにタイトル戦のド真ん中に順位戦が、しかも事実上の「昇級決定戦」がブッこまれているという、シビれるようなスケジュールだったのだ。

 6勝1敗同士の直接対決は前期次点の森下が、2期連続の1期抜けをねらった屋敷を破っている。
 
 しかも、その内容というのが屋敷が不出来で、ほとんど中押しのような形で終わっているのだ。
 
 
  

順位戦の森下-屋敷戦の投了図。手数はたった73手。
後手になにか誤算があったのは一目瞭然だが、これが14年の歳月と振り替わってしまうのだから怖ろしい。

 


 

 森下はその勢いでB級2組に昇級。屋敷は8勝2敗で、おしくも昇級を逃した。

 棋聖戦と順位戦。

 これが結果論的には、2人のその後の苦難を決定づけた交錯となった。

 森下はA級10期、棋戦優勝8回、通算800勝以上という素晴らしい実績を残しながら、タイトル獲得はゼロ

 一方の屋敷は空白の14年

 その間に全日本プロトーナメント(今の朝日杯)で優勝し、一度は失った棋聖復位するなど活躍を見せるが、なぜか昇級できない。

 その間の成績も、8-2、6-4、8-27-37-3、5-5、7-37-37-37-37-3、6-4、8-28-29-1(B2昇級)と毎年好成績を残しているのに、どうしてもあと一押しが足りないのだ。

 もしこの棋聖戦と順位戦の結果が、だったら。

 森下はふつうに、実力通りタイトルを獲得し、佐藤康光九段森内俊之九段と同じくらい積み上げていたかもしれない。
 
 屋敷もすんなり、本来位置であるA級まで駆け抜けたかもしれない。

 想像してみると、こっちのほうがずいぶんと「本当の歴史」という気がしてならないではないか。
 
 いや、絶対にそっちのほうが正しいやろ。「森下無冠」「屋敷C1に14年」なんて、今でもフェイクとしか思えないもの。

 私がもし「そっちの世界線」の自分だとしたら、きっとこっちの自分と話しても、

 

 「え? そっちでは森下がまだ無冠で、屋敷のA級昇級が40歳? おいおい、ダマしてからかうんやったら、もうちょっとリアリティーあるウソついてくれよ」

 

 なんてつっこみを入れるのは、間違いないのだろう。

 今思うと、1990年12月からの2か月は、それほどに大きななにかを動かした冬だったのである。
 
 てか、こんなこと書いてたら、こっちでは妄想することしかできない、の世界線にある「あったかもしれない将棋界」の情報がたくさん知りたくなってきた。

 

 「藤井聡太? あー、三段リーグで苦労して22歳でプロになったよ。これから期待できるけど、でもそもそもその間に将棋自体が色々ありすぎてオワコン化してるねんなあ。え? 八冠王? 阿呆か、今タイトルは5個しかないっちゅうねん」

 

 なんてことがあってもおかしくないわけで、もしここを読んでいる「パラレルワールドオレ様」がいたら情報交換したいんで、とりあえずメールかLINEで連絡ください。

 

 


★おまけ

(「大内の▲71角」はこちら)

(谷川と羽生の立場が入れ替わった瞬間はこちら

(「100年に1度の大勝負」のシリーズはこちら

(「藤井聡太八冠」誕生の王座戦予選第3局第4局) 

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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律義先生の大ウッカリ 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第3局 第4局

2023年10月22日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 18歳屋敷伸之棋聖24歳森下卓六段挑戦する、1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 1勝1敗タイでむかえた第3局は、これまた両者の持ち味が存分に発揮された激戦となる。

 屋敷が谷川浩司九段のような「光速の寄せ」で攻めつぶしたように見えたが、森下も徳俵でのねばりを見せ、なんとか踏みとどまる。

 こうなると、もうどっちが勝ちかわからない大熱戦だが、クライマックスはおどろきの展開を見せたのだ。

 


 次の手が森下の意表を突き、結果的に勝着となった。

 

 

 

 


 △76金が、屋敷の見せたアヤシイ手。

 一見、を守りながら先手玉にをかけた手で、きびしそうに見えるが、これが危険な手に見えるのだ。

 この手は▲同歩なら、△66角王手する。

 ▲77銀合駒△89角成と切って、▲同玉△77桂成必至というねらい。

 だが、そうなると先手には持駒になることに。

 そこで後手玉は、▲32飛成△同玉▲43金△同玉▲21角△32合▲53金までの詰みになるのだ。

 だとすれば、この手は先手に詰ますためのをあたえる「ココセ」(相手に「ここに指せ」と指令されたような悪手のこと)ではないか。

 森下は「勝った」とばかりに、勇躍▲76同歩

 当然に見えたが、なんとオソロシイことに、この手が敗着になってしまった。

 それは、本譜の手順を見ればわかる。

 森下は読み筋通り、△66角▲77銀△89角成

 さっきと同じ、まったく工夫のない同じ手順であるが、後手はこれから変化のしようがない。

 だが、この局面が先手負けなのだから、森下も茫然としたことだろう。

 

 

 


 読み筋では、ここで▲同玉と取り△77桂成▲32飛成とすれば、先手が勝つはずである。

 ところが、上記の手順通りに進めてみてほしい。

 なんと、最後の▲53金のところで、実は詰んでいない

 そう、△89角成としたところで、△59が遠く▲53の地点を守っているではないか!

 

 △56の角がいなくなったおかげで、▲53金に△同竜で詰まない。

 

 

 なんと森下は、この初心者がやりそうなウッカリを、この大舞台で披露してしまったのだ。

 まさに、森下が自虐するときによく出る

 

 「なんと馬鹿なことをしたのかと、ほとほと自分にあきれ果てました」

 

 というフレーズが聞こえてきそうなシチュエーションではないか。

 考えてみればおかしな話で、屋敷伸之ほどの男が、こんな簡単な負け筋に自ら飛びこむはずがないのだ。

 いつもの森下なら、こんなミスはやらかすはずがない。

 あまりにもうますぎる話に、気持ちを引き締め直して、1秒もかからずに▲53金が打てないことに気づいたはずなのだ。

 それが、このエアポケット

 理屈ではない、屋敷の持つ独特の「妖力」のたまものとしか言いようがないが、屋敷本人もビックリしたかもしれない。

 今さら言っても意味はないが、▲76同歩では、▲78銀打と受けておいて、まだまだ熱戦は続いてた。

 まさかの落とし穴は、おそろしいことに次にも繋がる深いとなった。

 第4局は先手の屋敷が、棋聖獲得の原動力ともなった相掛かりを示すと、森下もそれに追随。

 むかえた、この局面。

 

 

 先手の布陣にスキありとして、森下が果敢にから仕掛けて行ったのだが、次の手が森下のねらっていた軽手だった。

 

 

 

 

 

 

 △37歩とタタいて、森下は指せると見ていた。

 ▲同桂△17歩成で突破される。

 ▲同金△28銀から、桂香を取られてしまう。

 ▲同飛△45銀と出て、飛車が殺されそうで困る。

 後手がポイントをあげたようだが、これがとんだ尻抜けだったのだ。

 

 

 

 

 

 ▲28金とかわして、後手の攻めは頓挫している。

 これで後手は手順に△17歩成を防がれたうえに、飛車をいじめる順もなく、歩打ちが完全に空振ってしまっている。

 これぞ見事な「スカタン」であり、見れば見るほど悲しい形。

 以下、▲37桂から▲16香と味よくを払って、先手は全軍躍動

 一方の後手は後退に次ぐ後退で、ヒドイことに。

 

 

 

 図は△12歩と受けたところだが、自ら元気いっぱいで△15歩と仕掛けていったのに、そのにあやまらされるのでは、なにをかいわんや。

 それでも歩を受けた根性は、さすが不屈の森下卓だが、これは局面的にも気持ち的にも、あまりにつらすぎるというものだ。

 堅実派の森下が、まさかの2局連続で大ポカ

 第3局の終盤からは急転直下の決着で、森下も納得がいかなかったろう。

 以下、後手の懸命のがんばりを振り切って屋敷が制勝。見事、タイトル初防衛を果たした。

 森下はA級10期、棋戦優勝8回、通算800勝以上を数える大棋士だが、タイトル戦には6度登場しながら、1度も獲得することができなかった。

 それは相手の大半が、天敵ともいえる羽生善治だったことが大きな原因で(他は屋敷と谷川浩司が1度ずつ)、そのせいか後年この棋聖戦が「最大チャンス」と言われることもあったが、残念な結果となってしまった。

 

 (「無冠の帝王」と「C1に14年」の七不思議編に続く


★おまけ

(森下が名人挑戦を決めた将棋はこちら

(屋敷が「史上最年少タイトルホルダー」になった将棋はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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おばけなんてうそさ 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第3局

2023年10月21日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 挑戦者の森下卓六段が、かつて屋敷伸之棋聖を評して、

 

 「強いとは思えない」

 

 この発言から、ある種の因縁の対決ともいえた1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 1勝1敗でむかえた第3局は、森下が先手で相矢倉に。

 第2局とちがい、森下らしいじっくりとした矢倉戦だが、当時話題になったのがこの局面。

 

 

 

 森下が▲15銀と進出させたところ、あいさつせずに屋敷が△75歩と仕掛けたのだ。

 こういうとき、教科書にはまず△14歩と突くものと書かれている。

 それで▲26銀▲14同銀の特攻もある)と先手も引いて、次に▲15歩△同歩▲同銀の突破をねらう。

 それがこの形の「常識」というものだった。

 それをアッサリ無視して、△75歩。どうぞ、▲24歩から攻めてくださいと。

 ふつうは、▲24歩△同歩▲同銀と、飛車先を交換しながらをさばければ棒銀大成功としたものだが、「おばけ屋敷」の発想は一味ちがっていた。

 ▲24歩△同歩▲75歩△同銀▲同銀△同角▲24銀に、△同銀ではなく、△23歩と打つ。

 ▲33銀成と取らせてから、△同金寄と取るのが、屋敷が目指していた形。

 

 

 

 棒銀をさばかせているのは同じだが、この△32金△33金タテ金無双のような囲い。

 これが、実はすこぶる耐久力に優れていたことを、屋敷は見抜いていたのだ。
 
 これは当時の観戦記でも「なるほど」と感心されており、今だとこの形が固いのはわかるが、それをいち早く察知していたところに、屋敷の才能と特異性があった。

 ここからも屋敷は、その異形の力を存分に発揮していく。

 意外と二の矢がない森下は▲65銀と、ややもたれ気味に指す。

 △64角がきびしい手なので、それを防いだわけだが、攻防に中途半端

 よろこんで指したい手ではなさそうだが、単に▲46角△64角とぶつけられて困る。

 屋敷は△69銀と、カサにかかって攻めはじめる。

 

 

 

 

 矢倉くずしの手筋だが、おそろしいことに、なんところが詰めろになっている。

 放置すると、△97角成から△78飛成まで。見事なVの字斬りが決まる。

 それはいかんと▲77歩と受けるが、こういうところの辛抱の良さは森下の強みでもある。

 飛車角の直通を遮断して、ここさえ受け止めてしまえば、そう簡単にはつぶれまいというところだが、続く手が、またも森下の意表を突いた。

 

 

 

 △58銀打が、なんともすさまじい手。

 強情というか、強引というか、とにかくひとつぶしにしてやろうという意志の継続。

 先手からすれば、妥協して▲77歩と謝っているのに、

 

 「ゴメンですんだら、警察いらんわ!」

 

 とばかりに、ねじこんできたのだから、むかっ腹も立つというというものだ。

 いや、腹立たしい以前に、そもそも▲57金とかわして、そこで継続手があるのか?

 森下もいぶかしんだだろうが、屋敷はここから巧妙に手をつなげていく。

 まず△64歩と突いて、もし▲76銀なら、そこで△66角(!)の強襲がある。

 

 

 

 すごいタダ捨てだが、なんとこれで後手勝ちになるのだ。

 ▲同金△78銀成と取って、▲同玉△76飛とこっちも切り飛ばし、▲同歩△69銀打

 ▲88玉△77歩で寄り。

 

 

 

 それはたまらんと、△64歩に▲54銀だが、そこで△52飛とまわって後手好調

 

 

 ▲53銀打▲63銀打は、△同飛△54飛と切り飛ばして、やはり△78銀成から△69銀打で決まる。

 ▲63銀成しかないが、そこで△56飛(!)と今度は飛車をタダ捨てにして飛び出すのが、まだ四段時代の藤井聡太八冠が指しそうな、あざやかな一撃。

 

 

 


 ▲同金△78銀成▲同玉△67金でとどめを刺される。

 こんな好き勝手に攻めこまれては、いよいよマイッタかと、うなだれそうなところだが、ここから森下が根性を見せる。

 ▲58飛(!)と、タダでもらえる飛車ではなく、逆モーションでを取るのが、ギリギリの切り返し。

 △同銀成に今度は▲56金と時間差で飛車を取り返して、まだふんばりがきく形だ。

 

 

 

 このあたり屋敷の攻めも芸術的だが、森下の受けも見事なもの。

 もう並べながらシビれまくりで、両者の才能がほとばしっている様が、いかにもまぶしいではないか。

 おもしれー将棋だなー、マジで。

 以下、森下も間隙を縫って反撃に身を投じ、勝負は次第にわからなくなってくる。

 そうして将棋はクライマックスをむかえた。
 


 

 

 
 次の手が、勝敗を決する大きなドラマを生むことになるのだが、これもまた、森下が読んでいない手だった。

 そしてそれを、おそらくは「ありがたい」と感じてしまったところに、大きながあったのだ。

 

 (続く

 

 

 

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忍者武雷伝説 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第2局

2023年10月20日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 挑戦者森下卓六段が、屋敷伸之棋聖に勝利して幕を開けた、1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 腰の重い森下が、「忍者流」の奇手をくり出した屋敷を押さえこみ、得意の展開で先勝

 屋敷の才能も破格だが、安定感では棋界随一の森下の方が一枚上かと思いきや、ここからシリーズはややこしくもつれていく。

 第2局は屋敷が先手矢倉模様から急戦調に展開。

 足早にをくり出し、さらににも手をつけ、主導権を握っていく。

 

 

 

 図は▲23香成と、屋敷が2筋を突破したところ。

 部分的には先手が大成功で、私レベルならもう、後手をもって勝てる気がしないところ。

 もちろん、プロレベルではそんな簡単には終わるわけはなく、ここから森下の受けの妙技をご覧あれ。

 

 

 

 

 

 


 △26歩が、おぼえておきたい受けの手筋

 ▲同飛と取らせれば、

 

 「大駒は近づけて受けよ」

 

 のような形で、いつでも△25歩先手を取りながら、利きを遮断することができる。

 後手からすると、▲22成香を取られるのは、たいして痛くない。

 角のななめのラインは受けにくいが、飛車タテの突破は存外受けやすいというのは、おぼえておきたい将棋のセオリーだ。

 そこで屋敷は▲13成香と、こちらを取る。

 角をもらえるところ、でガマンなどつまらないようだが、こういうときは後手陣のキズを残しながら攻めるのがコツ。

 △同角に、▲14香と角の丸い頭を責めていく。

 △24角▲25歩と打つ。

 

 

 

 なるほどという流れで、単に▲22成香△同銀で手順に固めさせてしまうが、こうやってを目標にしながら敵陣を乱していくほうが、ずっと攻めとしては効いている。

 こうなると角が責められる形で、後手が苦しそう。△25同桂▲同金△51角と大駒を逃がすくらいしかないけど、駒損後手も引くし冴えないよなあ。

 私のような素人はその程度しか思いつかないが、次の手が華麗な一着で、そう簡単ではない。

 

 

 

 

 

 △45桂がカッコイイ跳躍。

 ▲同歩△57角成で、見事に逃げられてしまう。

 かといって▲24歩と取るのも、△57桂成で突破される。

 通せんぼをキープするには▲45同金しかないが、「べろべろばー」とばかりに△51角とかわして、パンチは入らない。

 屋敷は▲24桂と攻撃を続行するが、△33金上▲13香成△45歩▲26角△42玉と上がるのが、これまた見習いたい玉さばき。

 

 


 


 「玉の早逃げ八手の得」

 

 のようなもので、戦いながら自然に王様を戦場から遠ざけるのは、受けのテクニックのひとつである。

 以下、▲37桂△35銀▲15角△52玉

 

 

 


 屋敷の猛攻を、ヒラリとかわす、あざやかさ。

 こうなると、先手は1筋2筋に攻め駒が渋滞している印象がある。

 形勢はまだ、むずしいだろうが「受け将棋萌え」の私は、一連の森下の指しまわしにはウットリである。

 そこからも、難解なねじり合いが続くが、当時話題になったのが、この局面。

 

 

 

 森下が△47金と貼りついたところ。

 ふつうの発想は、▲73金飛車を取って、△同角▲53桂成と突貫していくところだろうが、なんと屋敷は単に▲53桂成

 これでは△同飛と、手順に逃げられてしまうわけで、大損のように見える。

 

 

 まあ、素人ながら理屈をつければ、△同金ではなく、△同飛と取らせることによって、△43玉と逃げ出す形を作らせない。

 ということなのかもしれないが、それにしたって現実の飛車は大きな駒である。

 その誘惑を振り切っての▲53桂成

 好手かどうかはわからないが、

 

 「人と違うことを考えている」

 

 という意味では屋敷らしいアヤシサを感じさせる手で、今でも記憶に残っているのだ。

 どこまでも続く形勢不明の闇を打ち破ったのは、どうやら屋敷が先だったようだ。

 

 

 


 森下が△36桂と、きびしい両取りをかましてきたところ、ここで屋敷が力強いカウンターをおみまいする。

 

 

 

  

 


 ▲56歩△同金▲57銀

 飛車を見捨てて玉頭から駒をぶつけていくのが、すごい発想だった。

 △同金▲同金と取り返した格好が、▲63金打からの詰めろになっている。

 これが、飛車を取らずに▲53桂成とした効果だったか。

 たしかに、△53同金の形なら、これが一手スキになっていないから、先手も危ないが、ここまで進めば、なるほどと感心することしきりだ。

 どうやら、これで勝負あったようで、△42金と遅まきながら脱出路を作るが、やはり▲63金打から押しつぶして、先手勝ち。

 これで1勝1敗タイに。

 因縁の対決は、あらためて3番勝負にもつれこむこととなるのだが、ここから決着までは、ここまで2局のオーソドックスな熱戦と違い、少々不思議な展開となるのだ。

 

 (続く

 

 

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ゴーストバスターズ 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第1局

2023年10月19日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 

 「彼が強いとは、どうしても思えないんです」

 

 屋敷伸之九段のことを、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。

 こういうとき、将棋にかぎらず勝負というのはハッキリしていて、

 

 「はあ? じゃあ、負かして証明してみろや!」

 

 温厚な屋敷は口にこそ出さないが、まあ内心は似たようなことを感じていたことだろう。

 これに対して、森下は棋聖戦の予選で完敗してしまい、

 

 「史上最年少タイトルホルダー」

 

 という記録のアシストをする形になってしまう。

 これを受けて、少しばかり評価も変わったようだが、話はまだ終わってないとばかり、今度は自らがその棋聖への挑戦者に名乗り出ることに。

 今度こそ本場所での決戦だが、言われた屋敷のみならず、森下の方も「強くない」と言った相手に番勝負で負かされては、「ヤカラ」とさげすまれても仕方がなくなる。

 

 「吐いたツバ、飲まんとけよ」

 

 まさに双方、プライドにかけて負けられないシリーズは、その通り熱戦あり、終盤のドラマありという、実に激しいこととなったのだ。


 1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 まずは開幕局

 後手番になった屋敷が四間飛車に振ると、森下は得意中の得意としていた左美濃へ。

 このころの森下がくり出す左美濃の強さは鬼神のごとしで、高橋道雄南芳一といった面々もふくめて猛威を振るい、一時期は

 

 「振り飛車全滅の危機」

 

 にさらされたほどの破壊力だった。

 その通り、森下はここで「らしさ」全開の指し回しを見せることになる。
 
 序盤をリードしたのは屋敷だった。

 角交換から、その△64の好所に設置し、△33桂

 

 「振り飛車の命」

 

 と呼ばれる右桂も活用していく。

 森下は敵のをわざわざ引き寄せて、きわどく受け止めようとするが、屋敷は手に乗ってをさばき、駒得にも成功。

 

 

 

 図の局面は、先手の飛車角が使えてなく、後手がうまくやったようだが、森下もを作って△11を取り駒損を回復すると、今度は左辺から手をつけていく。

 後手の飛車窮屈なのを見越して、接近戦に持ちこんで押し返そうという腹である。
  
 むかえた、この局面。

 

 


 先手が▲56金と手厚く打って、△73に逃げたところ。

 先手は飛車角の働きが悪いが、5筋と6筋の厚みが大きく、持駒のも威力を発揮しそうで、いい勝負に見える。

 一目は▲45金と取りたいが、ソッポに行くし、将来△65飛とさばいてきたときに当たりになるのも気になる。

 そこで代わりに放ったのが、筋中という手だ。

 

 

 

 

 

 ▲64歩が、いかにも感触のよさそうな軽妙手。

 △同飛△同角も、6筋にを打てば田楽刺しの一丁上がり。

 じっと▲46歩も良さそうだが、手の流れとしてはを突きたくなるところだ。

 こういう手の気持ちよさがわかって、自分でも指せるようになると、将棋のおもしろさはさらに2倍、3倍になるのだ。

 困ったのか、ここで屋敷は△57桂成と派手な手を見せるが、これがイマイチだったよう。

 ▲同金△65桂と両取りに打って、▲67金△77桂成▲同桂

 そこで△68歩が、期待のスルドイ手裏剣

 

 

 


 この手を見越しての桂捨てで、▲同金上△79銀が怖いし、▲同金引は上部が薄くなって指しきれない。

 そこで▲79金とよろけるが、そこで△64飛(!)が勝負手。

 ▲65香の田楽刺しが見えるが、それにはかまわず△44飛から△49飛成と成りこめば、△68歩の利かしが目一杯生きてくると。

 森下は誘いに乗らず、△64飛にじっと▲22馬と蟄居している馬を活用。

 △62飛▲33馬で手を渡しておく。この落ち着きが森下流である。

 

 

 なんとかあばれたい屋敷は、今度こそ6筋の香打ちがきびしいから△69歩成と成り捨ててから、△95歩から手をつけるが、このあたりでは流れは森下ペースだろう。

 しっかりと腰を据えて、あせって突撃してくるのを受け止めて完封するのは、得意中の得意という展開なのだから。

 だが屋敷も、そこはタダではやられない。

 なんといっても、18歳ですでに天下の棋聖である。ここで勝負手をくり出して喰いついていく。

 


 

 

 図は強引に飛車を成りこんだ屋敷に対して、ガツンとの補強を入れたところ。

 竜を逃げるようでは、▲66香とか▲94歩とか、▲66馬とか▲65(85)桂打とかとか攻めは選り取り見取りだが、「忍者流」屋敷がここで魅せるのだ。

 

 

 

 △76竜と捨てるが、渾身の勝負手。

 ▲同玉の一手に、△75金と押さえ、▲87玉△64角と、懸命に駒をさばいていく。

 ▲66香△76金打▲88玉△66金を取り返す。

 一気に先手陣も危なくなってきたが、森下はくずれない。

 

 

 

 ▲66同馬△同金▲87金と埋めるのが、森下流の手厚い指し回しで、これで後手が攻め切れない。

 先手のは消えたが局面がサッパリして、こうなると、いかにも後手の攻めが細く見える。

 以下、△75香から、ふたたびラッシュをかけるも▲89桂から、しっかりと受け止める。

 

 

 


 最終盤も落ち着いたものだった。

 次の手が、おそらく決め手にするべく、ずっといいタイミングで指したかった手だ。

 

 

 

 

 


 ▲35歩と突くのが、ぜひとも見習いたい感覚。

 飛車取りを防ぎながら、同時にこれまでまったく働いていなかった飛車が、その横利きで先手玉上部を見事にカバーしている。

 強い人というのは、この▲26にいる飛車のような遊んでいる駒は、いいところで働かせたいと常にねらっているものだが、こうもドンピシャに決まっては気持ちよすぎるではないか。

 こんなさわやかな手を喰らっては、さしもの「おばけ屋敷」(化け物のように強いことからついた当時のニックネーム)もまいった。

 △67金から最後の勝負をかけるが、この将棋の森下は終始ブレなかった。

 ▲78銀から、すべてを受け止めて先手勝ち

 才気あふれる屋敷のフットワークを大人の手厚い将棋で封じこめたところが、まさに森下将棋であり、気の早い私など

 

 「強い! さすがは谷川浩司、羽生善治に続くナンバー3やで。こりゃ、森下棋聖で決まりやな」

 

 ひとりで決め打ちしていたが、なかなかどうして。

 戦いが進むにつて、この好局は波乱のシリーズにおける、口当たりのいいオードブルのようなものだったと、徐々に思い知ることになるのである。


 (続く

 

 

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盤上での証明 屋敷伸之vs森下卓 1990年前期 第56期棋聖戦

2023年10月18日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き

 

 「彼が強いとは、どうしても思えないんです」

 

 屋敷伸之九段のことを、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。

 将棋にかぎらず、スポーツなど勝負の世界では「仲間の評価」というのが重視される。

 同じ土俵で戦う仲間から、

 

 「アイツは強い」

 

 と思われれば、それだけで相手にプレッシャーをかけることができ、時には戦いのさなかに、

 

 「やはりダメか……」

 「もともと、自分が勝てる相手ではないのだ……」

 

 折る効果もあり、運が良ければ同世代の旗頭として「時代の波に乗る」こともできるが、逆に

 

 「アイツはたいしたことない」

 

 あなどられてしまうと、のびのびとプレーされてしまうだけでなく、自らも「侮蔑の視線」に耐えながらの戦いを強いられ、その重圧と屈辱感で、ますます勝てなくなるという仕掛けだ。

 そんな、様々な意味で勝負の結果に影響をあたえる「見えない格付け」だが、ここでの森下による屋敷評は、やや違和感を覚えたもの。

 この発言を取り上げたのは若手時代の先崎学九段だが、屋敷も森下もまだ低段棋士のころ。

 すでに森下は「将来のA級タイトル候補」と謳われていたが、屋敷もまたデビューしていきなり棋聖戦の挑戦者になり、藤井聡太八冠の活躍で脚光を浴びた

 

 「史上最年少タイトル挑戦」

 

 この記録を打ち立てていたからだ。

 こんな男が「強くない」わけがないのだから、この発言は感情的なものか、あるいは人生なり将棋なりの「哲学」が合わないかだろう。

 かつて村山聖九段が、なぜか佐藤康光九段の将棋を認めていなかったように、ままあることで、それならまさに佐藤が村山に突きつけたよう、

 

 「決着は盤上でつけたら、ええんちゃうんけ!」

 

 となるのが、勝負事というもののスッキリしたところでもある。

 



 1990年前期(当時の棋聖戦は前後期の年2回開催だった)の、第56期棋聖戦

 決勝トーナメント準々決勝、森下卓六段と屋敷伸之五段の一戦。

 後手の屋敷が、このころ得意にしていた「横歩取り△33桂」戦法を選んで、むかえたこの局面。

 

 

 


 この形によくあるような、相振り飛車風の戦いになっているが、この将棋を取り上げた先崎学四段によると、すでに森下が一発喰らっている。

 

 

 

 

 

 

 

 △46歩、▲同歩、△36歩、▲同歩、△46金で後手優勢。

 なんてことない仕掛けに見えるが、これですでに先手陣は収拾困難なのだ。

 平凡な▲47歩は、すかさず△37歩とタタかれて取る形がない。

 

 

 

 ▲同桂には△36金で、桂頭を守ることができない。

 ▲同金には△57金で、やはり突破されてしまう。

 △46金に森下は▲68金と守備駒を寄せるが、勇躍△45桂と跳ねて、▲47歩に、やはり△37歩が激痛。

 

 

 飛車角金桂と、後手の攻め駒が全軍躍動で、▲39が明らかに立ち遅れている先手陣に、すでに刺さっている。

 ▲同桂△36金▲45桂と取って一瞬駒得だが、そこで△47金と入られては、完全に網がやぶられてしまった。

 

 

 

 ▲49玉と逃げるしかないが、先手陣はそこから守備駒をボロボロはがされての大敗走

 森下も猛攻を耐えて、なんとか局面を好転させようとするが、屋敷の指し手は正確で、なかなかきっかけがつかめない。

 

 

 

 ここまでいいところのない森下だが、それでも遅ればせながら▲46銀▲35銀打と上部に厚みを作って抵抗。

 「強いと思えない」と評した相手に、簡単に負けるわけにはいかないという執念だが、屋敷は最後まで乱れなかった。

 

 

 

 

 △97竜と切り飛ばして、▲同香△38角と打つのが見事な決め手。

 ここであえて、遊んでいるを取るのが、気づきにくい妙手で、普通の感覚なら▲35銀打に自然な手は△64飛であろう。

 △67飛成(竜)の先手で飛車取りをかわして、もちろんそれでも悪くなさそうだが、スッパリ角を取って△38角とするのが、より鋭かった。

 ▲47合駒しても、△64桂と打たれて、△76金と打たれる筋があるから逃げられない。

 本譜の▲66玉にも、そこで△64飛と幸便に使って、▲77玉に、△87金▲同玉△67飛成

 

 

 

 まるで谷川浩司九段による「光速の寄せ」のごとき、流れるような手順で後手勝ち。

 よく強い人の終盤は、むずかしそうなところから簡単に(実際はそうではないけど、あざやかすぎてそう見えてしまう)寄せてしまうと言われるが、まさにそんな感じであった。

 完敗した後、森下は、

 

 


 「ヒドイ。▲97角では▲28銀と守っておくんだった。それでこれからの将棋でしょう」


 

 なげいたそうだが、先崎に言わせると、それでものびのびした後手陣にくらべて先手陣は進展性がなく、すでに後手がいいのではとのこと。

 つまりは、屋敷の卓越したセンス大局観により、この将棋は序盤ですでに、先手が勝ち味の少ない将棋になっていたということだ。

 森下にかぎらず、このころの屋敷はまだ評価が定まっていなかったというか、その強さの理由が理解されていなかったよう。

 たとえば先崎は、このころ書いたあるエッセイの中で「天賦の才」を感じるのは、昔なら升田幸三で今は谷川浩司としたが、屋敷については(改行引用者)

 


 屋敷は、よくわからない。いっこうに才能のかけらを窺うことができない。

 ただし、同業者の僕の目からみても、強烈な、いかがわしいほどのフェロモンの匂いを感じる。

 人と違ったことを考えられるのは、一種の天性だろう。

 才能がみえないというのは、自分にそれを見抜く能力がないだけなのかもしれない。大きすぎるのかもしれない。

 そう言った意味では、一番怖い棋士である。


 

 この敗北を受け、森下は屋敷について、

 


 「彼の将棋は、相手を油断させるところがありますね」


 

 多少思うところは変わったようだが、ここで簡単に「強い」とは言わないぞというか、むしろ「負けたのは油断」と、やはり評価を保留しているようにも読める。

 そんな思いを知ってか知らずか大強敵を破った屋敷は、その後は一気にかけあがって2期連続の挑戦者になり、史上最年少で棋聖のタイトルを獲得

 一方、一敗地にまみれた森下だが、ここで奮起して次のトーナメントを勝ち上がり挑戦者に。

 「因縁の対決」は、ついに番勝負の大舞台で実現することになったのである。

 

  (続く

 

 

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「屋敷君が強いとは思えない」と、若き日の森下卓は言った

2023年10月17日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「彼が強いとは思えない」


 ある棋士のこと、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。
 
 
 現在、竜王戦八冠王になったばかりの藤井聡太竜王挑戦者となった伊藤匠七段が激しいバトルを繰り広げている。
 
 「同世代対決」として話題を呼び、
 
 
 「年齢の合計が41歳はタイトル戦史上最年少記録」
 
 
 なのだそうで、藤井聡太の21歳(!)はもとより伊藤匠の22歳と言うのも、相手がバケモノだから目立たないだけで、将来のA級タイトルへのパスポートをその手につかんだと言っていい快挙だ。
 
 藤井八冠はデビューこのかた、「歩く記録メーカー」やなーとか感心することしきりだが、ではこの2人のに「最年少」だった2人はだれだろう。

 ここで過去の名局などを紹介しているせいで、そんなことを考えるのがすっかり習慣になってしまったが、だいたいこういうのは元祖「記録メーカー」である、羽生善治九段の名前を出しておけばいいとしたものだが、はてどうでしょう。
 
 羽生と森内俊之九段がはじめてタイトル戦で戦ったのが、たしか1996年の名人戦25歳同士の合計50歳。

 これは史上初の「20代同士の名人戦」として話題になった。
 
 羽生と佐藤康光九段竜王戦や、郷田真隆九段との王位戦なんかはもっと若いけど、双方23歳24歳くらいだったはず。
 
 これらもかなりの若さではあるけど、実はこれより、さらに若い対決があったのだ。
 
 それが1990年屋敷伸之棋聖森下卓六段棋聖戦
 
 2人の年齢が、なんと18歳24歳
 
 記憶力がの開いたバケツな私だが、なぜかこの数字のことだけは、よくおぼえていて、そのカラクリは挑戦者決定戦にある。
 
 当時の史上最年少である17歳でタイトルを取った屋敷に挑むのは、森下と郷田真隆四段のどちらかだった。
 
 この挑決で19歳の郷田が勝っていれば、なんといまだ達成されていない、前代未聞の
 
 
 「10代同士のタイトル戦」
 
 
 になっていたのだ。

 これはさすがの藤井聡太八冠でも、破れないものとなったはず。

 いくらスゴイ棋士でも、こればっかりは「相手」がいないといけないものね。 

 郷田はこのときのことを取材などで訊かれることが多く、これには本人も
 
 
 「めったにない機会でしたので、今思えば勝ちたかったですね」
 
 
 コメントしていて、その流れで
 

 「あー、まだ郷田も、屋敷も10代やったもんなあ。じゃあ、森下もまだ20代前半やったんやね。2人とも若!」
 
 
 とまあ、頭のどっかに引っかかっていたわけである。
 
 さらに言えば、私がこの記録のことをおぼえていたのには、もうひとつ理由がある。
 
 それこそが、冒頭の森下の言葉。
 
 森下は仲の良い先崎学九段に、ある時ふと、
 
 
 


 「羽生君は強い。たしかに強い」


 

 そう前置きしてから、こう続けたというのだ。

 


 「それに比べて屋敷君は強いとは思えない。どうしても思えないんです」



 
 
 (続く)  

 
 
 
 

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王の帰還 羽生善治vs渡辺明 2012年 第60期王座戦 その5

2023年09月01日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 渡辺明王座竜王羽生善治王位・棋聖が挑戦した、2012年度の第60期王座戦

 挑戦者の2勝1敗リードで迎えた第4局は、難解な終盤戦で羽生から△66銀という伝説的な一手が飛び出す

 

 

 

 

 これが渡辺の意表をつき、千日手が成立。

 指し直し局は、22時39分開始。

 両者疲れているだろうが、あぶないところを逃げた羽生の方が、元気が出るところだろうか。

 先手番というのも大きく、今度はオーソドックスな相矢倉を志向。渡辺も、それに追随する。

 

 

 相居飛車らしく、先手が仕掛けて後手受けに回る展開だが、この次の手が、それっぽい。

 

 

 


 ▲34銀と捨てるのが、このころ流行していた「銀損定跡」という形。

 大きな駒損になるが、後手の矢倉は△21がないため薄く、や3筋から突入されると、見た目以上にモロいのだ。

 

 「矢倉は先に攻めたほうが有利」

 

 とはよくいわれるが、まさにそんな形。

 後手が横歩取りとか、矢倉急戦とか右四間飛車とか、いろいろと戦型を工夫するのは、こういう流れで一方的にたたかれるのに、コリゴリしているからなのだ。

 △34同金▲55歩と突いて、△44金までが定跡手順の範囲。

 

 

 

 ここで次の手が、また感心させられる一手。

 

 

 

 ▲35歩とじっと伸ばすのが、佐藤天彦八段が披露したという構想。

 すでに銀を丸々1枚損しているのに、そこをあせらず、歩を進めておく。

 なんとも格調高い手で、たしかに「貴族」天彦らしく見える。

 さらには、△55金の進出に▲34歩(!)。

 

 

 


 先手陣も、そろそろ火がついてきそうなのに、これまた悠々と歩を進める。

 しかも、先手から▲34桂と打てるところなだけに、二重の意味でビックリ。

 これで先手が主導権を握って、指せるというのだから、相矢倉の後手番というのは大変であるなあ。

 以下、羽生は▲18飛と「スズメ刺し」に組んでを突破し、後手の陣形を破壊にかかる。

 渡辺は手に乗って左辺に逃げ出し、必死の逃亡劇だが羽生の攻めも的確で、難解ながら先手が押しているよう。

 

 

 

 後手はなんとか1手しのいで、△78銀成から△67金千日手で逃げたいが、ここからの羽生の勝ち方がド迫力

 

 

 

 ▲59銀と、自陣に手を入れる。

 飛車に当てて、これで後手の攻めは継続が難しい。

 △78銀成、▲同金に△46飛成と逃げるが、▲77銀とガッチリ入れる。

 

 

 

 △56角と必死の喰いつきにも、▲67銀ではじきかえす。

 

 

 

 ありあまる金銀を、おしげもなく自陣に投入し力ずくでの防戦。

 あのいつも泰然とした羽生善治が、こんなにも必死になるのだ。

 なんだか、古い戦争映画だったか、アニメのセリフを思い出しちゃったよ。

 

 「落ちろ! 落ちろ! 蚊トンボめ!」

 

 ここまでされては、さしもの渡辺もなすすべがなく、△45角と逃げるしかないが、▲44金から羽生が制勝

 これで羽生は、3勝1敗のスコアで、前年取られたばかりの王座に返り咲き

 と同時に渡辺の「一強時代」突入に待ったをかけ、戦国時代の継続を決定づけた。

 その後、羽生と渡辺はタイトル戦で何度も出会うが、勝ったり負けたりの、ほぼ五分の戦いに。

 渡辺が三冠王名人になり、棋界の本当の頂点に立つのは、もう少し先の話となるのだ。

 


 ■おまけ

 (羽生と中村太地による王座戦の大激戦はこちら

 (羽生が渡辺と「永世七冠」をかけて戦った「100年に1度の大勝負」はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

コメント (2)
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