「ジメイ君」の米長哲学 村山慈明vs村田智弘 2007年 第65期C級2組順位戦

2020年03月29日 | 将棋・名局

 村山慈明はなにをやってるねん。

 というのが、前からずーっと引っかかっていることなのである。

 村山七段といえば奨励会のころから将来を嘱望されており、19歳でプロデビュー後も新人王戦優勝勝率一位賞獲得など、エリートコースを走っていた。

 ならば今ごろはAクラスに定着し、タイトルの5、6個も取っていておかしくないはずだが、まだ挑戦者決定戦の壁を破れず、順位戦もB級1組から、まさかの降級を喫してしまった。

 NHK杯優勝など大きな実績もあるが、そのポテンシャルからしては全然物足りないところで、ここからの巻き返しを期待したい棋士のひとりだ。

 前回は羽生善治森下卓の若手時代の将棋を紹介したが(→こちら)、今回は期待をこめて「ジメイ」君の絶妙手を見ていただこう。

 

 2007年、第65期C級2組順位戦の最終局。

 村山慈明四段は、村田智弘四段と対戦することとなった。

 この一番は、村田が勝てば、C1昇級が決まるという大勝負。

 一方の村山は、ラス前で競争相手の片上大輔五段に敗れて(片上はこの期9勝1敗の成績で昇級する)昇級戦戦から脱落している。

 村山は前期も、最終戦で勝てば昇級の一番を、川上猛六段に敗れ逃してしまった。

 今期も、もし片上戦に勝っていれば、この村田戦が、昇級をかけた直接対決の鬼勝負になるはずが、まさかの消化試合に。

 2年連続「あと一歩」で涙を飲み、これで競走相手に目の前で上がられた日には、もう踏んだり蹴ったりもはなはだしい。

 村田のみならず、村山にとっても、ここは絶対に負けられない一番なのだった。
 
 戦型は後手の村山が、横歩取りから、中座流△85飛車戦法にかまえると、村田は序盤で工夫を見せ力戦型に。

 むかえた中盤の、この局面。

 

 

 

 村山が△35桂と打ったところ。

 後手がを得しており、その桂馬が、先手陣の急所である▲27の地点と、▲47をねらっている。

 それだけ見ると苦しそうだが、先手は▲62にいるの存在が大きい。

 後手玉も、2枚のタレ歩が、ノド元に突きつけられていて相当に危なく、実戦的にはむずかしい局面なのだ。

 と、ここで

 「あれ? この桂馬ってタダなんじゃね?」

 と感じたアナタは、なかなかスルドイ。

 そう、ここで▲43歩成と成り捨てると、△同玉▲35馬で、打ったばかりのが抜かれてしまうのだ。

 本譜もそう進むが、もちろんこれはウッカリではない。

 村山は桂を犠牲にすることで、▲43歩成とド急所のタレ歩を捨てさせ、左辺の制海権を押さえている、も引き上げさせたのが主張だ。

 ▲35馬に、後手は△44金と打って、馬にアタックをかける。

 馬を逃げるようではドンドン押し戻されるから、村田は▲同馬と切りとばして、△同玉に▲56桂と寄せに行く。

 村山は△55玉

 「中段玉寄せにくし」

 かわしにかかるが、ここで▲67歩と打つのが好手だった。

 

 

 

 ▲66金までの詰めろだが、△同馬と取ると、▲45飛と取る。

 △66玉(△同玉は▲46金打から簡単な詰み)に▲57金打

 △同馬、▲同金、△同玉に▲47飛とされて、これは寄せられてしまう。

 

 

 

 

 村田智弘が、昇級に大きく近づいたかに見えたが、ここで村山が持ち前のしぶとさを発揮するのだ。

 

 

 

 

 

 まず△88角と打って、後ろ足で受ける。

 ▲66に勢力を足したい先手は、▲57金打として、△同桂成、▲同金。

 これが、▲47桂、△65玉、▲66金打の詰めろだが、そこで△77銀(!)。

 

 馬と角と銀がダンゴになってすごい形だが、なりふりかまわず、△66に利きを足す。

 これらの手は、将来△87飛成としたとき、の働きを邪魔してしまう。

 相当やりにくいところだが、ともかくも王様を詰まされたら負けなので、やるしかないと。

 後手玉は危険極まりなく、なにかあれば一発アウト。

 村田は▲44桂と跳ね、△65歩、▲32桂成、△45歩に▲56金と押し戻していく。

 そのままブルドーザーをグイグイ前進させ、今度こそ決まったかに見えたが、村山も土俵際でふんばってギリギリの最終盤。

 

 

 ここでは▲53銀と、俗に打っていけば先手が勝ちだったが、村田は▲73桂成と取り、△同玉に▲61金とせまる。

 

 

 

 この瞬間、無情にもC1行きの切符が、村田の手からスルリとすべり落ちた。

 ここで村山が、ねらっていた必殺の一手を発動させるからだ。

 遊んでいたあの駒たちが、まさかの……。

 

 

 

 

 △66銀成とするのが、見事な絶妙手

 あの、ただ△66の地点に利きを足しただけのが、こんなところで千金の輝きを見るとは、だれが予想したろうか。

 ▲同歩の一手に、△56馬とこれまた眠っていた馬で、王手飛車取り

 ▲47銀、△65馬、▲同歩に△87飛成とすれば、なんとこれで、邪魔駒が全部さばけてしまったことになる。

 

 

 

 しかも、これが、△47竜以下の詰めろ

 見違えるように景色が変わり、まさに「勝ち将棋、鬼のごとし」という形ではないか。

 村田は▲48歩と受けるが、これでは勝ち味がなく、以下村山の鋭い寄せの前に、いくばくもなく投了。

 土俵際でのしぶとい受け、最後は一瞬のスキを突いたあざやかな鋭手など、村山慈明の持ち味が存分に出た一局だった。

 見事な将棋で、昇級を阻止した村山は、次の年9勝1敗の好成績をあげ、4年目でC2脱出を果たすのである。

 

 (羽生善治と森内俊之の新人王戦編に続く)

 (村山の絶妙手編はこちら

 

 

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ダウンタウンの「ヤングタウン木曜日」とミニFMパーソナリティー

2020年03月26日 | 若気の至り

 「ラジオのことイジってくるんやったら、もうお前とは終わりやな」

 

 友人センボク君にそう詰められたのは、まだ高校生だったころの話である。

 今では自分のをだれかに届けるとなると、ネットでわりと気軽に出来るけど、YouTubeニコ生の環境などない、いにしえの時代には、それなりのハードルがあった。

 文章が書きたければワープロで起こしたものをせっせとコピーし、ミニコミの表紙はハサミノリで切り貼りして作り、動画編集がしたければビデオデッキ2台買ってテープに録画したものをダビングする。

 そんな古代人でラジオがやりたい人は「ミニFM」というものを手に入れ、それで電波を発信していた。

 といっても、届く距離は微々たるもので、せいぜいが「学校の放送室」レベル。

 それでもちゃんとした「オンエア」であることは間違いなく、将来ラジオの仕事がしたいという若者は、マイクを前にせっせと音楽を流しトークを披露していたわけなのだ。

 で、あるときその「ミニFM」が取り上げられたことがあって、それが若き日のダウンタウンがやっていたラジオ番組「ヤングタウン木曜日」。

 オープニングトークの次にある「ハッピートゥデイ」というコーナーにこんなハガキが来たのだ。

 

 「ボクは高校生男子ですがラジオが大好きで、ミニFMを使って自分の番組を持っています」

 

 ハガキでは続けて、

 

 「番組名は《キヨくんFМ》というもので、音楽だけでなくボクのギャグセンスあふれるおしゃべりもあり、とってもステキな内容に仕上がっています。よかったらダウンタウンのおふたりも、ボクの番組を聴いてみませんか」

 

 なにか「仕込み」ではないかと疑ってしまうような、さわやかに若気が至っている。

 案の定というか「ボクのギャグセンス」あたりで浜田さんが「チッ」と舌打ちし、松本さんも「あーもー」とイヤそうな声をあげる。

 そこからハガキを最後まで聞くこともなく、

 

 「全然おもんない」

 「そんな才能もないこと、やめてまえ」

 「コイツ、なにをいうとんねん」

 「ホンマにおもろい奴は、こんな前に出ようとせえへんからね」

 

 なんてダルそうにダメ出しをしまくりで、アシスタントのYOUさんが

 

 「いいじゃん。だって、まだ高校生だよ」

 

 とフォローに奔走させられる始末。

 私がキヨ君だったら、すぐさまトイレに走って胃の中のもの全部、泣きながら便器にぶちまけると思うけど(もちろん番組は即刻終了だ)、まあ他人事なら大笑いである。

 で、なにかの流れでセンボク君にこの話をしたのだが、そこで出たのが冒頭の言葉。

 それ嘲笑するんやったら、もうおまえとはしゃべらん、と。

 ずいぶんと剣呑な雰囲気で、「あ、なんかやらかしたかな」という空気感はすぐに伝わったが、このことを別の友人カワチ君に話すと、彼はそれこそ腹をかかえて笑いながら、

 

 「それはアカンわー。だって、センボクのやつ、自宅でミニFMの番組やってるもん」

 

 ゲ、しまった。そういうことか。

 そうなのである。センボク君はヤンタンや「鶴瓶新野のぬかるみの世界」「青春ラジメニア」などのリスナーで大のラジオ好きだったから(確認はしてないけど、たぶんハガキも送ってる)、その可能性に気づかなかったのは不覚であった。

 まあ、こういうのはイジるのもイジられるのも、YOUさんの言う通り

 「だって、まだ高校生だよ」

 ってことだけど、これは気まずかったッス。

 しかも彼は、のちに大阪芸術大学放送学科に進学するくらいだから、「自分の番組を持つ」のも、ガチ中のガチであったのだ。そりゃ怒りますわな。

 苦笑いするしかないというか、自分だって当時から舞台に立ったりミニコミを作ったりしていたんだから、どのツラ下げてミニFMをイジッてるねんという話だ。

 反省した私は「ゴメン、あやまるわ」と頭を下げたわけだが、センボク君はまだ不機嫌な顔こそしていたが、

 

 「ええよ。オレがメインで聴いてるのはヤンタンやなくて、『鶴光のつるつる90分』やから」

 

 ボソッとそれだけ言って、ゆるしてくれたのであった。

 

 

 ★おまけ ダウンタウンの「ヤングタウン木曜日」は→こちらから。私にとってダウンタウンは「ごっつ」でも「ガキ使」でもなく「ヤン木」なのです。

 

 

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歩がいない僕は空を見た 羽生善治vs森下卓 1992年 第50期B級2組順位戦

2020年03月23日 | 将棋・名局
 「自陣飛車」というのは、上級者のワザっぽい。
 
 飛車というのはやはり、にして敵陣で暴れるのが、もっとも使いでがある。
 
 そこをあえて、自陣で生飛車のまま活用するというのは、強い人の発想という感じがする。
 
 前回は永瀬拓矢叡王王座の驚異的なねばりを見たが(→こちら)、今回は自陣飛車の、それも、するどい攻撃手を見ていただこう。
 
 
 1992年、第50期B級2組順位戦
 
 8回戦で、羽生善治棋王森下卓六段がぶつかった。
 
 羽生は順位上位で、6勝1敗首位を走っており、この強敵を倒せば、昇級は8割がた決まりというところ。
 
 森下は順位下位ですでに2敗しているが、この直接対決をものにすれば、まだ望みをつなげる。
 
 なにより、憎きライバルを足止めする、最大のチャンスでもあるのだ。
 
 星勘定でも、プライドでも、絶対に負けられない大一番は、羽生が先手で相矢倉に。
 
 ここまで羽生に、痛い目にあうことが多かった森下は意識しすぎたか、序盤で軽率な手を指してしまう。
 
 
 
 
 
 △24歩を取りにいったのが、らしくないミスで、平凡に▲33歩とたたかれて、先手の攻めがつながっている。
 
 森下の読みでは、強く△23金とかわして指せるはずが、そこに▲32歩成の軽手があるのを見落としていた。
 
 
 
 
 △同玉に▲35歩と打って、銀が死んでいる。
 
 タダで取りきるはずのが、守りのと交換になっては大失敗だ。
 
 やむを得ず△33同桂だが、▲24角とさばいて、△25桂▲42角成△同飛▲25歩で先手の調子がいい。
 
 ただ序盤で失点しても、そこでくずれないのが森下の強さ
 
 羽生が自然な手で攻めているようだが、意外とパンチが入らない。
 
 ▲24角では平凡に▲33同桂成と取って、△同角▲35歩△23銀と押さえてから▲36飛とすれば、ハッキリ優勢だったのだ。
 
 そのうち後手もを引きつけ、飛車を打ちこんでに味をつけるなど、なんだかいやらしい感じになってくる。
 
 
 
 
 
 図は一気の攻略はむずかしいとして、B面攻撃に方向転換したところ。
 
 相手の攻め駒を責めながら、上部を厚くする、いわゆる「羽生ゾーン」に銀を打ったのだ。
 
 △42飛と逃げれば、▲97香とイヤミを消し、金銀のスクラムを活かして、入玉模様で戦うというのが先手のプランだった。
 
 ところが、ここからの森下の対応がうまかった。
 
 
 
 
 
 
 
 △73歩と打ったのが、「羽生ゾーン」を逆用する好手。
 
 ▲84馬と逃げると、△72桂と打つ筋がある。
 
 
 
 
 ▲同銀成は、△84飛を取られる。
 
 △72桂▲82銀成なら、△84桂と取った形が、▲76の銀取りと、△96桂と跳ねる手の両ねらいで、後手がうまい。
 
 △73歩に対して、羽生は単に▲82銀成と飛車を取るが、△74歩と急所のを除去することに成功。
 
 ▲91成銀と、駒を補充しながら端の脅威を緩和させると、後手も△73桂と遊び駒を活用して好調子。
 
 
 
 
 
 流れるような手順で、森下がうまくやったようにも見えるが、実はそうでもなかった。
 
 要の馬を消され、成銀を僻地に追いやられても、先手から次の手がきびしかったからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 ▲29飛が、後手陣の不備をつく、巧妙な自陣飛車。
 
 △28歩と打って簡単に止まりそうだが、それには▲39香(!)のクロスカウンターが激痛。
 
 △29歩成に、▲38香と取り返した形が、後手の歩切れを見事についている。
 
  歩が1枚でもあれば、△35歩でなんでもないところ。
 
 
 
 これで、を射抜くクロスボウの矢を、止める手段がない。
 
 この飛車打ちに、森下は△27桂(!)と、すごい中合を見せ、場をしのごうとする。
 
 これも好手で、▲同飛とつり上げてから△23歩とすれば、▲39香消えている仕組みだが、今度は▲37香から打って、やはりどこまでも受けるがない。
 
 
 
 
 △35桂という、つらい受け方しかないが、▲46桂△45馬▲33歩とたたいて攻めがつながる形。
 
 以下、森下も力を出して大熱戦になったが、最後は猛追を振り切って、羽生が昇級に大きく前進する1勝を、手に入れることとなったのだ。
 
 結果もさることながら、この将棋は作りもすごいというか、えげつない。
 
 なんといっても、「駒得は裏切らない」をモットーにする森下を歩切れにさせて攻めたてるとは、羽生の組み立てには、おそろしいものがあるではないか。
 
 ライバルに勝利した羽生は、C級1組時代に続いて、ここでも森下を置き去りにして昇級を果たすのだ。
 
 
 (村山慈明の見せた「米長哲学」編に続く→こちら
 
 
 
 
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「負けない将棋」ここにあり! 永瀬拓矢vs渡辺明 2018年 第43期棋王戦 第1局 その2 

2020年03月16日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 2018年、第43期棋王戦5番勝負の第1局

 渡辺明棋王永瀬拓矢七段の一戦は、渡辺がタイトルホルダーの貫禄を見せ、序中盤から挑戦者を押しに押しまくる

 

 

 

 ▲81飛成の局面では、駒をボロボロ取られそうというか、下手するとも捕獲されそうで、どうにも手のほどこしようがなく見える。

 だがここから、永瀬の驚異的な、ねばりがはじまるのだ。

 

 

 

 

 

 △43角と打つのが、しぶとい手。

 完全に温泉気分だった渡辺棋王だが、この手があって、まだ少し時間がかかりそうだと思い直す。

 とはいえ、これで形勢がどうなるわけでもなく、▲62歩成、△同金、▲64香、△52金、▲72竜

 駒得しながら攻めて、焼け石に水感がすごいが、そこでじっと△35歩と突くのが、渡辺ものけっぞた意表の手。

 

 

 

 ▲25桂や、▲36桂の攻めを防いだのはわかるが、棋王曰く、

 

 「ただ受けているだけの手って怖くないんですよ」

 

 相手にプレッシャーをあたえられない受けの手は、それだけで価値がないと切り捨てられるものなのだ。

 さらに棋王を驚愕させたのが、▲63香成、△42金右、▲73成香△39馬(!)。

 

 

 

 受け「だけ」の手、第3弾。

 これも次に▲75歩封鎖してから、▲83成香を殺されるのを避けたもの。

 なのだが、せめて飛車▲28にいて、△39馬先手になっているならまだしも、ここで手番を渡してしまうのが、ふつうは耐えられないのだ。

 

 「泣きの辛抱」「苦渋の一手」

 

 とでも表現されそうなものだが、永瀬は「仕方ない」とあっさりしたもの。


 
 「△35歩と△39馬ってすごい辛抱だよ」

 

 渡辺は驚愕を隠せないのだから、永瀬の感覚が、常人とは違うことがよくわかる。

 先手は▲26桂から攻撃を続行するが、後手は△33玉から上部脱出を見せ、▲71竜には△61桂と、まだまだ根性を見せる。

 

 

 

 

 そこから少し進んでの、この局面で、またも永瀬は渡辺の想定外の手を披露する。

 

 

 

 

 

 △25角が、棋王をして三度「すごい辛抱だなあ」と言わしめた手。

 指されて、あきれるのはわかる。

 これは▲44香から、を削っていくのを避けた手だが、上部脱出を急ぎたい後手は、なるたけ早く△25玉と上がりたいのだ。

 そのルートを自らの駒で、ふさいでしまうというのは、いかにも選びにくい。

 ロジカルな渡辺と、鈴木大介九段の言う「クセ」とが真向からぶつかり合い、それでいてまったく交わらないところが、おもしろすぎるではないか。

 その後も中段玉をめぐって、ゴチャゴチャと競り合いが続くが、先手が決め手を逃して、いよいよ闇試合に。

 その手こずりようは、ただ事ではなく、追いつめられた渡辺は、

 

 「この将棋を負けたら勝つ将棋がない。這いつくばってでも勝たなきゃいけないと思った」

 

 「全駒」で楽勝だったはずが、目立った悪手もないのにこんなことになるとは、棋王も悪夢を見ているようだったろう。

 最後の見せ場が、この場面。

 

 

 

 ▲27歩と打って、ようやっと渡辺は勝ったと思った。

 △同玉▲38金

 △同銀成▲15馬と取って、△同玉に▲14飛と打てば、△19にある飛車を抜くことができる。

 だが永瀬拓矢はまだ「負けない」のである。

 

 

 

 

 △36歩が驚嘆の一手。

 ▲26歩を取ると、△37歩成で、今度こそ逃げ切りが確定。

 △34がここで働いてきて、先手に強烈なプレッシャーをかけている。

 私だったら、もう勘弁してくださいと泣きを入れたくなるが、最後の最後で渡辺は冷静だった。

 銀をすぐには取らず、▲21飛と打つのが落ち着いた手で、以下△35金のさらなるがんばりに、▲38銀△37歩成▲29金と上部を押さえて、今度こそ寄せ切った。

 

 

 

 総手数189手の大激戦。

 すごい戦いだったが、敗れたとはいえ私同様、この将棋を見て、永瀬がいつかかならずタイトルを取れる、と確信したファンは多いのではあるまいか。

 このシリーズこそフルセットの末惜敗したが、その後は叡王王座の二冠に輝く。

 渡辺明、豊島将之に次ぐ「第三の男」として君臨することとなるのだ。

 

 (羽生と森下のB級2組順位戦編に続く→こちら

 (永瀬の新人王戦優勝の将棋は→こちら

 

 

 

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「負けない将棋」ここにあり! 永瀬拓矢vs渡辺明 2018年 第43期棋王戦 第1局

2020年03月15日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)に続いて、永瀬拓矢叡王・王座のお話。

 挑戦者も決まり、もうすぐ叡王戦が開幕するが、そこでチャンピオンとして君臨する永瀬拓矢といえば「負けない将棋」である。

 デビュー当時から、期待の若手として注目されていた永瀬は、その実力とともに、独特ともいえる受けの力でも話題を集めていた。

 ねばり強さに加えて、ちょっとでもスキを見せたら、その瞬間から「根絶やし」をねらってくるS気もあり、プロには、なかなかいないタイプの棋士だったのだ。
 
 アニキ分である鈴木大介九段はその独特に進化した将棋を

 

 「悪いクセがついている」

 

 手厳しく評したが、それが永瀬の個性として際立っていたことも、また一面の事実だろう。

 その「負けない」ところが存分に発揮されたのが、2年前のこの将棋。

 2018年、第43期棋王戦5番勝負の第1局

 渡辺明棋王と、永瀬拓矢七段の一戦。

 後手の永瀬が、現代風な雁木に組むと、先手の渡辺はオールドタイプの矢倉を選択し、見事な作戦勝ちを収める。

 

 

 中盤戦の入口。

 金銀4枚の堅陣にくわえて、持ち歩は4枚もあり、あとは▲46歩から▲45歩とか。

 ▲22歩の手筋に、▲46とか▲71に打つ筋をからめて、先手から、どんどん攻めがつながりそうな局面。

 このままでは勝負所もなく、やられてしまいそうだが、次の手が「永瀬流」の一着だった。

 

 

 

 

 △34歩と打ったのが、すごい手。

 意味としては、▲33歩、△同桂、▲34歩、△同銀、▲71角のような攻めを受けているわけだが、本当にただ受けただけである。

 他になんの主張もない形で、ふつうは指せないどころか、昭和の棋士なら

 

 「破門だ!」

 

 一喝されそうなほど元気がない手だが、ここで自滅に走らないのが永瀬の強さか。

 渡辺は▲46歩と味よく突いて、△39角、▲38飛、△84角成▲45歩と、自然に駒をぶつけて行く。

 

 

 これで、どう見たって先手優勢である。

 それを承知での△34歩というのが、なんとも、すさまじい発想ではないか。

 そこからも先手は右桂を活用し、お手本のように攻め駒をさばいていく。

 

 

 

 ▲71角と打った局面など、こんなにうまくいっていいのかと、口笛でも吹きたくなるところで、実際、渡辺自身もそう感じていた。

 両取りを受けるには△62飛しかなく、▲同角成、△同金、▲82飛が、またもの両取り。

 どちらも取られないようにするには、△72桂しかないが、受け一方で、いかにもつらい。

 さらに▲63歩、△61金、▲81飛成とカサにかかられて、ますます防戦が困難に。

 

 

 

 △52金▲72竜と取った手が、また金取りで、なおも逃げれば▲62歩成と、土砂崩れが止まらない。

 △71桂とヤケクソのような受けにも、▲62歩成、△同金、▲71竜で、どっちにしても駒をボロボロ取られてしまう。

 あまりの大差に、棋界最強のねばり強さで鳴らす木村一基九段ですら、

 

 「投了してもおかしくない」

 

 指している渡辺棋王も

 

「タイトル戦で全駒になっていいのか」

 

 ところが、おそろしいことに、ここからこの将棋は永瀬の超人的ながんばりによって、とんでもない展開を見せることになるのだ。

 

 

 (続く→こちら

 

 

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「負けない将棋」のブレイク前夜 永瀬拓矢vs北浜健介 2010年 第36期棋王戦

2020年03月09日 | 将棋・好手 妙手

 永瀬拓矢はデビュー時、意外と苦戦を強いられていた。

 前回は、叡王戦の挑戦権を獲得した、豊島将之竜王名人の四段時代に見せたあざやかな寄せを紹介したが(→こちら)、今回はそれを受けて立つ、永瀬拓矢二冠の若手時代のお話。

 

 将来トップに立つ棋士の、ブレイク時期というのは様々である。

 羽生善治九段や、藤井聡太七段のように、期待通りにかけあがっていく人もいるが、実力は認められていても、それなりに苦労している人もいる。

 今では二冠を持って、ブイブイ言わしている永瀬拓矢叡王・王座も、またそのひとりだった。

 17歳でデビューしたころは、その独特すぎる受けの力もあいまって「大器」と誉高かったが、初年度からの成績は、しばらくの間、勝率5割程度という物足りなすぎるものだった。

 理由としては、居飛車穴熊全盛の時代に、受けに特化した三間飛車を多用していたため、いわゆる「勝ちにくい」戦いを強いられていたこと。

 また、「大山康晴の再来」と言われたほどの受けの力も、並みいるプロの猛者たちにかかれば、そう簡単に通じないというシビアさもあったのだ。

 

 2010年の第36期棋王戦

 北浜健介七段との一戦。

 先手の永瀬が、ノーマル三間飛車に振ると、北浜は平成の将棋らしく、すかさず居飛車穴熊にもぐる。

 石田流から中央で角交換が行われて、むかえたこの局面。

 

 △89馬▲78金と上がって、竜取りを防いだところ。

 自陣竜に下段の、また守りのを王様の反対側に使うところなど、いかにも力強い「受け将棋」という感じがする。

 ただ、後手玉が鉄壁中の鉄壁というか、ほとんど「玉落ち」みたいな形なため、先手は相手の攻めを完璧に受けて、切らしてしまわなければ勝てない。

 それにしては美濃囲いも薄く、また▲78▲67の配置が、危なっかしいのが気にかかる。

 それになんといっても、相手はシャープかつ、激しい攻めを売りとする北浜健介。

 言動は温厚でも、着手は手厳しいのだ。

 

 

 

 

 △45角と打つのが、あざやかな居合切り。

 これで先手陣は、一刀両断されている。

 次に桂馬を成り捨てる形が、2枚で、先手のを直射することになり、△52にあるの威力もすさまじく、すでに受けがないのだ。

 永瀬は▲69竜と、角のにらみから逃げ出すが、かまわず△48桂成が激痛。

 

 

 ▲同金△78角成で崩壊だから、▲89竜だが、自然に△49成桂と取る。

 ▲同銀に、△77歩で、完全に網が破れた。

 

 

 飛車金交換の駒得ながら、話にならないほど玉形に差があり、すでに先手が勝てない形。

 なにかもう角道を止める振り飛車が、イビアナにやられる典型的なパターンで、なんとも切なくなる手順だ。

 以下、永瀬も▲56歩とがんばるが、△78歩成とボロっと金を取られたうえに、▲同竜に△56角と取られて、受けになっていない。

 そこで角に当てて、▲67金は根性のねばりだが、一回△77歩を入れて、▲68竜に、ゆうゆう△47角成

 ▲56歩と、再度香の利きを止めて、必死の防戦だが、そこで△69金と打つのが、穴熊らしい手。

 

 

 一段金で筋はとんでもなく悪いが、なにせ自陣はの要塞なので、メチャクチャでも、攻めさえつながってしまえばいいのだ。

 とにかく、トン死はないわ、をいくら渡してもいいわ、攻め合いの速度計算も必要ないわで、居飛車は笑いが止まらない。

 まさに穴熊の暴力で、こんな見事な

 

 「固い、攻めてる、切れない」

 

 を喰らっては、いかな永瀬といえどもねばりようがない。

 デビュー初年度の永瀬は、受けに特化しすぎていたせいか、こういう将棋でなかなか勝てない日々が続いた。

 注目度が高かっただけに、これには、少しばかり心配されたものだったのだ。

 ただ、そこからの脱却も、彼の場合は早かった。

 プロ相手に「受け切って勝つ」ことの難しさを実感したせいか、攻めにもシフトするようになる。

 その棋風のアレンジが成功して、18連勝新人王戦加古川清流戦のダブル優勝と大爆発。

 また、羽生善治渡辺明とのタイトル戦での経験や、第2の師匠ともいえる鈴木大介九段のアドバイスを取り入れるなど、着々と将棋をブラッシュアップ。

 また、本来なら難しいはずの、居飛車党への転向もスムーズに完了させ、見事に叡王と王座の二冠に輝くのであった。

 

 (永瀬と渡辺明の棋王戦編に続く→こちら

 

 

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新型コロナウイルスで「卒業式がなくなって悲しい」という若者と、真田圭一八段の高校時代のお話

2020年03月06日 | 時事ネタ

 「卒業式が無くなって悲しい」

 という意見に、全然ピンとこない。

 昨今、コロナウィルスのせいで、各地の学校が休みになっている。

 そのせいで、卒業式もなくなるため、そのことを残念に思う生徒が、多いんだとか。

 これには、

 

 「あー、そっちがふつうの感覚なんやー」

 

 と、わが身を振り返ってしまった。

 私はといえばこれに関して、

 「別にええやん

 としか、思わなかったからだ。

 いやあ、どうでもよかったなあ、卒業式とか。

 別に学校で、イジめられたとかではない。

 そりゃクラスに友達がいない時期や、担任の先生と反りが合わなかったこともあるけど、まあ、その程度は、だれでも似たような経験はあるだろう。

 楽しい思い出も、それなりにあるわけで、単に「嫌だったから」卒業式が、どうでもいいということでもない。

 たぶん、根本的に学校という場所が好きではないため(「強制収容所」くらいに思ってるからかな?)、そこでいい思い出があろうが無かろうが、それを「慈しむ」という感覚が希薄なのだ。

 昔『将棋世界』『将棋マガジン』だったかを読んでいるとき、まだ若手バリバリだった真田圭一八段が、高校時代の思い出を書いていたことがあった。

 その内容というのが、とにかく学校が楽しくて、仲間が最高で、先生も素晴らしく、ちょっと甘酸っぱいのドラマとかもあって。

 あのころは、なにもかもが輝いていたから今でも思い出す、とかそういったものだった。

 真田八段がみなに好かれる、陽性さわやかアニキであることは聞いていたが(団鬼六先生も本でそう書いていた)、その肯定感200%の思い出話を読んで、ずいぶんと不思議な気持ちにさせられたものだ。

 

 「世の中には、こんな、さわやかな青春時代を送っている人が、本当にいるんだなあ」

 

 そんなのは、マンガドラマの世界の話だと、思いこんでいたのだ。

 私はもともと能天気で、あんまし青春の蹉跌的な悩みもなかった。

 高校時代といえば、学校はよくサボっていたし、高2高3のときはクラスになじめなかったけど(明るいイケイケの子が多かったから話が合わなかった)、部活もやって、友達もいてもあって、それなりに楽しくはやっていた。

 でも振り返ったとき、あんな真田八段の書く、洗いたてのシャツをはおるみたいな、お日様のにおいがする肯定感はないよなあ、と。

 なんか、もうちょっとウェットというか。

 先生とかヤな奴多いし、第一、朝からずっと同じ方向を向いて、どうでもいい授業を聞いてるのを強制されるとか、まともな人間のやることじゃないよ。

 なので、

 「学校というものにポジティブなイメージを持つ」

 という感覚には、どうしてもなじめいなところがある。

 

 「ゲットーが好き」

 「刑務所が楽しい」

 「アパルトヘイトの時代に戻りたい」

 

 とか、言わないじゃん、ふつうは。

 修学旅行とか体育祭とかも、全然おぼえてないなー。

 文化祭は部活をやってたから、楽しかったけど。

 おそらくだけど、私と真田八段のような人では「青春の定義」が違うんだろう。

 真田八段たちにとってのそれは、

 

 「そのときあるもの、そのものすべてが青春の輝き」

 

 であって、私の場合は

 

 「そのお仕着せから、いかに脱却するか奮闘する」

 

 こそが、若さの出しどころだった。

 根本が違うわけだが、振り返ってみると、案外そういう子同士が友達にはなるケースもあって、そこがまた、おもしろいところだけど。

 またこういう「さわやか」な人でも、たまに

 「自分がいかに変なヤツか」

 をアピールしてくることがあって、意味不明だったけど、どうも、そういう人は人で自分が、

 「世間的に見て健全である」

 このことに、ちょっと不満があったりするケースもあるよう。

 今でも覚えているのが、20代のころ、当時よく遊んでた、ある「さわやか」グループのリーダーだった友人から、

 

 「シャロン君はオレのこと《さわやか》とか言うけど、ホンマは変人なんやで。そこをもっと見てくれよ。ガンダムとか好きやし」

 

 とか、うったえられたことあったなあ。

 いやいや、今の時代にガンダム好きなのは、まごうことなき「ふつう」ですよ!

 オレなんか友人にオウム真理教の道場連れていかされて、尊師空中浮遊するアニメ見せられてるよ!

 セリフ棒読みで、周りに信者がいたけど、笑いこらえるの大変だったよ!

 コンサートも行かされて、そこでシンセサイザーで作った、アニソンみたいな歌も聞かされたなあ。

 歌手の女の子はかわいかったけど、「変なヤツ」って、そういうイベント持ってくるヤカラのことや!(おい、テラダ、おまえのことやぞ)

 あと、本当に変な人は、自分で変とは言いません。

 人に指摘されると、ちょっとムッとしますから! あれホント、頭くるんだよなあ(←おまえのことかよ!)。

 男女問わずやさしくて、みんなに慕われて、立派な家庭も築いてるけど、案外そんなところに悩み(というほどでもないでしょうが)があるんやなあと、ほほえましくもなったもの。

 そんな人間なので、

 

 「卒業式に出られないのが悲しい」

 

 という声には今でも、

 

 「そういうもんなんやー」

 

 というマヌケな感想しか出てこないわけなのだ。

 ただ、世間のヤングたちが、それを「悲しい」と感じること自体はきっと、真田圭一さん的な良きことなので、混乱が収まったら、何らかの形で式をしてあげてほしいとは思う。

 

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中段玉捕獲指令 豊島将之vs松本佳介 2007年 C級2組順位戦

2020年03月03日 | 将棋・好手 妙手

 豊島将之が、叡王戦の挑戦者になった。

 渡辺明三冠との挑戦者決定戦は、現在の棋界最強決戦。

 特に第3局の終盤は、超難解な局面が続き、もうハラハラドキドキで堪能したもの。

 対照的なキャラ設定もあいまって、この2人の対戦は今、激アツである。

 今から名人戦も、楽しみでならないところだ。

 ということで、前回は大山康晴十五世名人が晩年に見せた「全駒」の将棋を紹介したが(→こちら)、今回は今まさに旬の棋士の若手時代を見ていただきたい。

 

 2007年の、第66期C級2組順位戦

 松本佳介五段と、豊島将之四段の一戦。

 現在、名人位を保持している、豊島将之の順位戦デビュー戦であるが、当時流行の矢倉▲46銀&▲37桂型から、先手の豊島が先攻。

 相居飛車の将棋、特に矢倉角換わりでガッチリ組み合うと、先手猛攻を仕掛け、後手がひたすらそれを耐えるという図式になりやすいが、この一局はまさにその典型のような形となる。

 先手も飛角銀桂香をすべて使った、目一杯の攻めなら、後手も眉間で受け止めるギリギリのしのぎを見せ、チャンスをうかがう。 

 

 

 

 

 図は△12桂と、松本が受けたところだが、攻防ともに紙一重のところで戦っているのがよくわかる。

 先手の攻めもきわどいが、後手も一発で倒れても、おかしくない形。

 足が止まったらおしまいの豊島は▲23銀成から▲43銀と攻めつけるが、後手も決死の上部脱出から、間隙をぬって△69銀から△86歩と手筋の反撃。

 こういった形は、嵐がやんだ瞬間に後手から「一瞬のカウンター」が決まるかどうかだが、この将棋はどうか。

 

 

 

 後手が△24角と打ったところ。

 これが竜に当てながら、次に△79角成からの詰みを見た攻防手。

 ▲26歩▲36金△16玉とかわされ、△73角の利きもあってつかまりにくい。

 ましてや深夜の秒読みともなれば、相当にあせらされそうなところだが、ここで豊島は、あざやかな寄せを披露するのだ。

 

 

 

 

 ▲16金と打ったのが絶妙手。

 △同歩は▲36金と打って、△15玉しかないが(▲16を埋めつぶした効果!)、そこで▲69金質駒の銀を取る。

 △同成香でも△33角をはずしても、▲26銀以下詰み。

 

 

 

 

 

 やむをえず、松本は△16同玉と取るが、▲36竜と王手して、大海に逃げ出したはずの後手玉は、にわかにせまい

 

 

 

 

 △17玉にはやはり▲69金と取って、△同成香▲27金から▲38竜で詰み。

 なので後手は、▲69金の瞬間に△32飛とハッとする手で(▲38竜を消している)最後の抵抗を試みるも、あわてず▲18歩と打って、△28玉に、▲38銀で後手投了。

 

 

 

 入玉形で広く見えたが、これでピッタリつかまっている。

 

 「玉はつつむように寄せよ」

 「玉の腹から銀を打て」

 

 格言通りの冷静な寄せ。

 当然とはいえ、▲32竜と飛車を取らないところがうまい。

 見事、豊島四段が、順位戦を白星デビューで飾り、大器の評判に偽りなしであることを証明した。

 その後も豊島は、各棋戦で高勝率をあげ、2010年には20歳の若さで王将戦の挑戦者になる(当時の王将位は久保利明)。

 このときはまさか、この男がタイトルを獲得するまで、あんなに手間どることになろうとは想像もつかなかった。

 豊島にはこれから、この長かった雌伏の時間を取り戻すべく、勝ちまくってほしい。

 と言いたいところだが、叡王として待つ永瀬拓矢も、またデビュー当時から目をつけていた逸材で、七番勝負はどちらを応援するか、今から悩ましいところである。

 
 

 (永瀬拓矢のデビュー時代の苦闘編に続く→こちら

 

 

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