歌おう、感電するほどの喜びを! 伊藤沙恵vs里見香奈 2017年 第28期女流王位戦 第4局 その2

2022年02月26日 | 女流棋士

 前回(→こちら)の続き。

 2017年の第28期女流王位戦

 里見香奈女流王位と、伊藤沙恵女流三段の5番勝負、第4局は最終盤に突入。

 

 

 伊藤の手番で、後手玉を一気に襲ってしまうか、それとも一回受けておくか。

 悩みどころで、里見は▲67銀と受けられる手を気にしていたそうだが、伊藤は▲83歩と、思い切って寄せに出る。

 △同玉に▲33角成と切り飛ばして、△同金に▲75桂

 

 

 

 お手本通りの攻め筋で、これで決まれば、もちろん文句なしだが、こういう華麗な順というのは、うがって見れば「軽い」という側面もあったりする。

 その通り、里見はここをねらっていた。

 ▲75桂、△82玉、▲84飛の飛び出しに、△83歩なら▲61飛成として必至だが、ここで後手に△93玉とかわす手があった!

 

 

 

 これが里見の張っていたで、▲61飛成△84玉と、こちらの飛車を取った手が、詰めろのがれの詰めろになり、先手負け。

 われわれアマチュアは駒落ちの下手で、上手にこういう手を指されてまくられるという、トラウマを刺激されるのではあるまいか。

 敵の攻めをギリギリまで引きつけての、あざやかな「ひらりマント」で、一瞬にして態勢が入れ替わった。

 里見の実力を見せた場面で、この手が見えていなかったのか、伊藤は▲86飛と引くが、最終盤での読み負けは、あまりにも致命的。

 

 

 

 △85銀と押さえられては、局面的にも、手の流れ的も、先手が必敗である。

 ここで▲61飛成は詰めろになっておらず、△86銀で先手負けだし、▲76飛と切る順も、先手玉が薄すぎて勝ち目はない。

 伊藤は▲85同飛とこちらを取って、△同角▲61飛成とするが、△86角▲77桂△88飛、▲78歩

 利かすだけ利かしてから、△75角桂馬を取る。

 

 

 

 

 これが、自陣を安全にしながら、△67銀からの詰めろで、先手先手と、こんな攻防手を連打されるのは、玉頭戦の典型的な負けパターン。

 出血の止まらない伊藤は、それでも▲85桂と取り、△同飛成に▲71角の王手と、懸命の喰らいつき。

 攻めながら、3筋、4筋にも大きく利かして、なんとか劣勢を跳ね返そうともがくが、△82銀先手で当てて受けられては、万事休す。

 

 

 

 ▲72竜は、△71銀と取られて負け。
 
 かといって、▲82同角成とせまっても、△同玉でも△同竜でも、8筋の威力が強すぎて、後続はない。

 控室では、立会人の武市三郎七段が、主催紙の記者に

 


 「里見さんが勝勢です。ここで伊藤さんが投了してもおかしくはないですね」


 


 たしかに、先手から攻めも受けも、これ以上の手は無いように見える。

 だが、執念の伊藤は、まだあきらめてはいなかった。

 里見が最後、△93玉という手をねらっていたのなら、伊藤もまた、ここで、すさまじい手をひねり出してくるのだ。

 

 

 

 

 ▲76銀と打ったのが、初タイトルに懸ける捨て身の勝負手。

 タダ捨てのだが、いかにもアヤシイ手である。

 △同竜なら、8筋から竜がいなくなるから、▲72竜と開き直ろうということか。

 ただし、その瞬間、先手玉が詰まされても、文句は言えない形であり、また里見にはこのとき、まだ7分も時間が残っていた。

 おそらく伊藤も、そこはなかば、覚悟を決めていただろう。

 銀を取って勝ちに行くか、それとも、落ち着いて受けに回るか。

 里見はここで6分を投入して△76同竜と取った。

 しっかりと読みを入れて指したはずだったが、なんとこれが敗着になった。

 正解は冷静に△61銀と、こちらの竜を取っておく手。

 ▲85銀と取るしかないが、△71銀と、自陣にせまる駒をクリーンアップしておけば、伊藤の攻めは切れており、投げるしかなかった。

 もちろん、里見だってそんなことを百も承知だったが、そこをあえて踏みこんだのは、先手玉に詰みありと見たからだ。

 ▲76銀△同竜▲72竜に、△57角成から仕上げにかかるが、▲同玉△45桂▲46玉で、里見の手が止まる。

 まさか……。

 

 

 

 このときの里見は、どんな表情をしていたのだろうか。

 △45桂に最後の1分を使っているだけに、そこで気がついたのかもしれない。

 そう、先手玉には詰みがないことに!

 里見の読みでは、△45桂、▲46玉に、△55金と打つ。

 ▲同玉、△65竜、▲46玉、△57銀、▲35玉、△37桂成まで、防衛が決まったと。

 ところが、ここに信じられない穴が開いていた。

 △37桂成の空き王手には、▲55角と合駒するのが、唯一無二のしのぎで、先手玉は逃れている。

 

 

 ここをを打つと、△同竜、▲同歩、△34銀(金)まで簡単だが、頭の丸い角だと詰まないのだ。

 △43桂と追っても、▲45玉で、ギリギリ刃先は届かない。

 そう、これこそが「中段玉のスペシャリスト」伊藤沙恵が見せた、必殺の玉さばき。

 先とは逆だ。今度は伊藤から、最後の最後に用意された落とし穴に、最強里見香奈が、まんまと足を踏み入れてしまったのだ!

 目の前が真っ暗になったろう里見は、△55金に変えて△83金と手を入れるが、これは受けになっていない。

 以下、▲61角△74銀▲82角成△84玉▲83馬と、ボロボロ駒を取られて、まさかの大逆転

 最後はワーテルローもかくやの大敗走だが、投げきれない里見の無念も伝わって、決して「棋譜を汚す」という手順ではない。

 こうして、最後の最後で勝負師的な一発を入れて、フルセットに持ちこんだ伊藤の底力には大感動。

 このシリーズは最終戦に敗れるも、私が常々、さえぴーが無冠なのは「たまたま」であって、タイトルを取るのは時間の問題と言っていたのも、ご理解いただける一局であろう(棋譜は→こちら)。

 そうして、このたびめでたく、女流名人を獲得することができた。

 私は、これまた常々、

 「ひとつとれば、2つ3つと転がっていくのは目に見えているわけで」

 とも言っているので、きっとこのあとも、二冠三冠と雪だるま式に増えていくだろうから、それを見守るだけなのだ。

 さえぴー、おめでとう! まだまだ、これからも、どんどんタイトル取っていってね!

 もちろん、里見さんも。これからも、みんなで女流棋界を盛り上げて下さい。期待してます。

 

 (阪田と関根の「角落ち」編に続く→こちら

 (こちらも大熱戦の伊藤と里見の第2局は→こちら

 

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9度目の正直 伊藤沙恵vs里見香奈 2017年 第28期女流王位戦 第4局

2022年02月25日 | 女流棋士

 伊藤沙恵女流名人が誕生した。

 これまで8度、タイトルに挑戦しながら、いずれも惜しいところで敗れてきた伊藤だったが、9度目の挑戦にして、宿敵である里見香奈3勝1敗で勝利。

 ついに、念願の初タイトル獲得に成功したのだった。

 その独特が過ぎる将棋に惚れ、さえぴーファンを公言する私としては、とてもよろこばしい結果。

 またそうでなくとも、実力のある者が、それに見合う対価を得ていないというのは、なんとなくモヤモヤするもので(だから稲葉陽も早くタイトルを取るのがいいぞ)、その意味でも、よかったんではないかと。

 まあ、私は里見ファンでもあるというか、西山朋佳さんとか、加藤桃子さんとか。

 今、第一線で活躍している女流トップはだいたい応援してるので、だれが勝っても、うれしさと複雑さが同居してしまうのだが、今回ばかりは

 「さえぴーに勝たせてあげて!」

 判官びいきバリバリでした(里見さんゴメンね)。

 実を言えば、シリーズ開幕前、さえぴーの名局を紹介して(→こちら)、「今回こそ」と気合も入れた私は、もしこの度、見事に女流名人を取ることができたなら、彼女の将棋を紹介しようと、温めていた一局があった。

 そこで今回は、それを見ていただきたい。

 そのため、観戦記の載っている『将棋世界』もちゃんと買い直してきたくらいだから、我ながらファンの鏡であるなあ。

 
 2017年の第28期女流王位戦

 里見香奈女流王位と、伊藤沙恵女流三段の5番勝負は大激戦となった。

 おたがいに先手番を取り合って、里見の2勝1敗でむかえた第4局

 カド番の伊藤だが、臆することなく自分の個性をつらぬく将棋で、序盤からおもしろい展開になっていく。

 

 

 駒組の段階から、3筋に勢力を築こうとした里見に対して、▲26銀とぶつけていくのが伊藤流の将棋。

 ふつうなら、攻めの銀と守りの銀の交換は、攻撃側としたものだが、この場合は後手の△36歩を伸び切っているととらえ、それを負担にさせようという意図。

 また、△34に浮いている飛車も、先手の金銀に近くてアタリが強く、それはしばらく進んだこの図を見れば、伝わってくる。

 

 ▲37歩と合わせるのが、力強い手。

 △同歩成なら、▲同金上として、そのままカナ駒のタックルで攻め駒を責めまくろうと。

 


 「相手の攻撃陣を金銀で押し込み、グシャッとつぶれるのが快感」


 

 
 という、ほんわかした雰囲気に似合わぬ、Sっ気丸出しの棋風が、早くも垣間見えるところである。

 このまま挽肉にされてはかなわんと、里見は△13角と活用し、▲36銀△46銀と切りこむが、そこで▲58玉が、またも伊藤流の玉さばき。

 

 

 「出雲のイナズマ」のアタックを、眉間で受けようというのだから、なんとも根性のすわった話ではないか。

 なんだか、木村一基九段とか、山崎隆之八段の陣形みたいだが、そう考えると、さえぴーの将棋はもっと人気が出る余地はある。

 ここからは中盤のねじり合いタイムで、△45歩▲48金引△42金▲65歩と、押したり引いたりがはじまる。

 里見の攻め方がうまく、伊藤も苦しいと見ていたが、駒損を恐れない踏みこみの良さなども発揮し、簡単にはくずれない。

 

 

        

 図は後手が、△36歩と取りこんだところだが、これが里見の悔やんだ手。

 歩を補充しながら、△26角の突破を見た手で、むしろ好手に見えるが、次の手を軽視していた。

 

 

 

 

 

 ▲64歩と突くのが、ぜひ指に、おぼえさせておきたい、味の良い突き出し。

 △同歩は飛車の横利きが止まり、▲84歩の攻めをふくみに▲36金と取っておいて、これは先手も充分。

 実戦は思い切って△64同角と取り、▲84歩、△同歩、▲64銀に△同飛と▲67の地点をねらって転換するが、そこで▲65歩、△同飛、▲56角が、強烈な切り返し。

 

 

 飛車取りの先手で、▲67の地点もカバーしつつ、8筋への攻めにも利いている。

 △64飛と逃げるが、▲75銀とさらにカブせ、飛車を逃げ回っているようだと、▲84銀と、今度は玉頭からブルドーザーが押し寄せ受けがない。

 このあたり、まだむずかしいながら、

 


 伊藤「ここでは盛り返したはず」

 里見「自信がなくなった」


 

 流れが変わったことに対しては、両者の見解が一致

 そこから、5筋、6筋で駒が交錯して、この局面。

 

 先手陣もうすいが、後手玉も▲83歩のタタキがあって、相当に危ない形。

 攻めるか、それとも一回受けに回るか。

 悩ましいところだが、ここで伊藤が選んだ手順が、その後の波乱を呼ぶことになるのである。

 

 (続く→こちら

 

 

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「銀が泣いている」からの平手戦 阪田三吉vs関根金次郎 大正2年(1913年) 阪田七段歓迎会

2022年02月22日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「あ、これって【銀が泣いている】の続きやん!」

 昨年の年末、実家の押し入れをあさっていて、思わずそんな声が出た。

 先日、ここで阪田三吉七段関根金次郎八段の熱戦を紹介したが(→こちら)、それは真部一男九段の『将棋論考』という記事のスクラップを元にしたものであった。

 そのとき他のスクラップ記事も、あとでネタにできそうだと、せっせとスキャンしておいたんだけど、そこにある棋譜の解説が目に留まったのだ。

 それが、やはり『将棋世界』に連載していた河口俊彦八段の『評伝 木村義雄』という記事で、そこに

 

 「阪田と関根の対決」

 

 という文字があり、まさに「銀が泣いている」の一局。

 さらにもうひとつ、阪田が勝ったことによって実現した「平手戦」のことが取り上げられていたのだ。

 うわあ、こんなんあったんや!

 おどろいて、さっそく並べてみたのだが、これがなかなかおもしろかったので、急遽取り上げてみたい。

 阪田にとっては納得いかない「香落ち下手」を勝ち、とうとう互角の「平手戦」。

 これに勝てば、ついに「関根越え」を果たし、「次期名人」に堂々と名乗り出る資格を得ることになる。

 河口老師の言葉を借りれば、まさに「夢の実現」であり、名人位をかけた血戦は、「銀が泣いている」香落ち戦の10日後、名古屋で行われた。

 ただこれが、並べて見ると、老師も書いているように、阪田の指し手がぎこちない。

 


 図の▲37歩と打った手など、いかにもおかしいではないか。

 3筋の歩は阪田が自ら▲35歩、△同歩、▲同銀と交換したところ。

 そこを△36歩と、タラされたところを▲37歩と合わせていくなど、なにか手の流れが変であり、ここは、さすがの阪田もプレッシャーがあったか。

 一方の関根も、負けるわけにはいかないのは同じだが、こちらは落ち着いた指しまわしを披露。

 

 図は阪田が▲65金打としたところ。

 先手は駒損な上に、玉頭にも手がついて、あせらされているところ。

 ただ、後手は居玉だし、飛車が逃げてくれるようなら、▲75金とはずして、これは先手の厚みが大きそう。

 もちろん、関根がそんなヘボい手を指すはずがない。

 大駒が向かい合った、いかにもワザがかかりそうなところで、関根の強打が飛び出す。

 

 

 

 

 △46角と放つのが、痛烈な一打。

 ▲同金△58飛成

 ▲57歩の合駒は△56飛と取られて、▲同歩とできない。

 ▲68銀と受けるのも、△47角から攻め合われて、▲54金△58角成で先手陣は持たない。

 阪田は▲88玉と逃げ込むが、△86歩▲54金△79銀が、また急所の一撃。

 

 

 ▲同金△87歩成から、△79角成で必至。

 ▲98玉とよろけるしかないが、△87歩成、▲同金、△86歩で、きれいな寄り形。

 


 
 これにて関根の必勝態勢だが、負けるわけにはいかないのは、阪田も同じで、△86歩に▲同金と取り払い、△同銀に▲52銀の王手。

 一見、タダ捨てのようだが、△同玉に▲82飛王手銀取りで、決死の反撃。

 

 

 

 図は関根が、飛車打ちに△62銀と合駒したところだが、ここで▲86飛成と取るようでは、後手玉が安全なまま、手番を渡してしまって勝ち目がない。

 ▲53歩と打っても、△41玉本譜で関根が指したように△61玉もある)、▲81飛成△51歩で詰みはない。

 なら、ここで終わりかと言えば、そこは千両役者の阪田三吉ということで、ギョッとする手をひねりだしてくるのだ。

 

 

 

 

 

 ▲53金(!)の突進が、入魂の一手。

 ▲52銀に続いて、今度はタダ捨てだが、△同玉に、▲46金と取って、後手玉はにわかに危険な形に。

 

 

 

 このあたり、勝負手の連打はすごい迫力で、さすがは「棋神」阪田三吉である。

 △54歩などと平凡に受けると、▲45桂から▲86飛成で、今度こそ逆転模様だが、関根はしっかりと読み切っていた。

 

 

 

 △54角が、きれいな返し技。

 これが逆王手になっていて、受けても△87銀打で詰みだから、指しようがない。

 阪田は▲54同飛と切り飛ばし、△同玉に▲76角からせまっていくが、関根は乱れず、そのまま勝ち切った。

 両者互角(正確には「阪田が先手」戦だが)の「平手戦」は、阪田の執念を、関根の冷静な指しまわしが上回った格好となった(棋譜は→こちらから)。

 これで、またも「香落ち下手」に押し戻された阪田だが、この将棋は意地を見せ、238手、実に29時間にもわたる熱戦の末に制して、ゆずらない。

 再度の平手戦は、先手阪田の「袖飛車」からはじまった。

 「関根やや良し」から、阪田も猛攻をかけ、ついには逆転

 最後も、「固い、攻めてる、切れない」という現代将棋風の終盤術を活用し、押し切って快勝

 ついには宿敵相手に後手番を持つことになり、関根の上位に立つ。

 

図の▲74桂が、飛車取りと同時に角を封じこめる決め手。

以下、△42飛、▲44歩、△同金、▲同金、△同飛に▲56金が、角を無効化させた効果の気持ち良いさばきで阪田の勝ち。

 

 

 ただ、関根も並ではなく、この大ピンチの「先手番」を踏んばって、またも押し返した。まさに、シーソーゲーム。

 負ければ、「香落ち上手」からはじまったのに、ついには自分が「香を落とされる」という、とんでもない屈辱を味わされることになり、

 「どの口が、名人なりたいとか言うとるねん」

 宿願であった「十三世名人」への願いなど、木っ端みじんに打ち砕かれてしまうこととなる。

 

勝てば「上手」になる阪田は金を僻地に使って押さえこみに行く曲線的な指しまわしを見せるが、関根は冷静に対応してピンチをしのぐ。

 

 

 そこを負けなかった関根も、これはもう、たいした精神力としか言いようがない。

 なんかもう、どっちも「すげーなー」と。

 昔も今も、勝負将棋は胸が躍るというのは、時代を問わないようであるなあ。熱いぜ。

 

 (伊藤沙恵と里見香奈の激闘編に続く→こちら

 (阪田と関根の「角落ち」戦は→こちら

 

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タイのバンコクで、「フアランポーン駅」が、トゥクトゥク乗りに通じなかったお話

2022年02月19日 | 海外旅行

 フアランポーン駅が移転することになったらしい。

 フアランポーン駅とは、タイの首都バンコクにあるタイ国鉄の駅のこと。

 観光都市であるアユタヤや、マレーシアシンガポールに行く国際列車の起点ともなっており、私のようなバックパッカーにはなじみの存在だ。

 元『旅行人』編集長である、蔵前仁一さんのTwitterによると、これから駅の機能はバーンスー中央駅に移り、フアランポーンはミュージアムになると。

 そっかあ、あそこがねえ、なんて旅情を誘われる私が、この駅と聞いて思い出すのが、

 「全然、駅名が通じなかった」

 もう20年近く前のことだが、はじめてタイに行ったとき、フアランポーン駅に行く用事ができたのだ。

 そこでトゥクトゥク(タイ名物のバイクタクシー)に乗って飛ぼうとしたのだが、「どこに行く?」と聞かれての、

 「フアランポーン・ステーション」

 というのが、まったく通じなかったのだ。

 たしかに、私もトゥクトゥク運転手のおじいさんも、英語に堪能な方ではないが、それにしても通じない。

 「どこ行くねん」との問いに、「フアランポーン」と応えても、「え?」。

 あー、言葉が足らんかったかと、「フアランポーン・ステーション」といっても、「え?」。

 どういうこっちゃと、

 「だからぁ、フアランポーンレイルウェイ・ステーションの。トレインの。わからんかなあ。ビッグステーションビゲスト・ステーション・イン・バンコク言うたらええんですか? つまり、このシティセントラル・ステーションですやん!」

 言葉をあれこれ変えてトライするが、どれも

 「え?」「ワシ、わからん!」。
 
 鈍いやっちゃなあ。

 とここで思い浮かんだのが、発音のこと。

 そうか、私のイントネーションが悪いのだ。日本語のような母音重視の発音では、英語を始め、外国では通じにくいというのは、よく聞く話。

 やはりここは、現地語っぽくやればよかろうと、見様見真似でタイ人っぽく「ファランポーン」と言ってみたが、これもダメ。

 そうか、タイと言えばチャイナタウンが充実しているように、中華な文化の影響も強い。

 そこを突けば突破口が開けるかと、ジャッキー・チェンの映画を思い出しながら中国語風に「ふぁーらんぽーん」とやってみたが、またも通らず。

 運ちゃんは「哀れな人」を見るような目で見てくるし、一緒に居た友人は大汗かいてインチキ中華風タイ語(?)を駆使する私がマヌケすぎて、ゲラゲラ笑うしで、もうなにがなんだか。

 てか、あんたもタクシー運転手やったら、「フアランポーン」みたいなメジャーな場所の名前は知っとけよ!

 そもそも、外国人観光客も多いねんから、「ステーション」くらいの頻出英単語はおぼえといて!

 いや、別に英語が母語でもなんでもないところで、英語の知識を求めるのが筋ちがいなのは、私も理解してるけど、それにしてもタイのバンコクといえば、旅行者から人気、特にバックパッカーのメッカでもある。

 なんぼ日本人が、英語苦手や言うても、大阪の運ちゃんに

 「ウメダ、ステーション、オネガイシマース!」

 言うたら、どこ行きたいかくらい、わかるっちゅうねん!

 なんて、あのときは怒ったものだが、今回のニュースを受けて調べてみると、どうもあの駅は「フアランポーン」とはいうものの、正確には、

 「クルンテープ駅」

 という名前だったそう。

 「クルンテープ」とはバンコクの正式名称で(「バンコク」は外国人がつけた名前で、「ジパング」みたいなもん?)、なるほど、じゃあ、あの運ちゃんにも、そう言えば通じたのか……。

 嗚呼、僕が、もっとタイ語を勉強しておけば、よかったんですが(ママタルトのひわちゃん風)。

 でも、観光都市バンコクで「フアランポーン・ステーション」が通じないとは、さすがに思わないもんなあ。

 とかなんとか、ニュース読んでたら、思い出しちゃったよ。

 あー、コロナ明けたら、タイ行きたい。

 

 (続く→こちら

 

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銀が泣いている 坂田三吉vs関根金次郎 大正2年(1913年) 阪田七段歓迎会 その3

2022年02月16日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 関根金次郎八段のたくみな指しまわしに、苦戦を強いられている阪田三吉七段

 

 

 

 

 

 ▲94銀という、特攻を余儀なくされたこの局面こそが、かの有名な、

 

 「銀が泣いている」

 

 「南禅寺の決戦」における「初手△94歩」と並んで、阪田将棋の代名詞ともいえる1手なのだ。

 阪田自身の言葉によると(改行引用者)、

 


 「進退谷(きわ)まって出た銀だった。斬死の覚悟で捨て身に出た銀であった。

 ただの銀じゃない。それは駒と違う。阪田三吉が銀になっているのだ。

 阪田の魂がぶち込められたその駒が涙を流している。阪田が銀になって泣いている」



 
 
 思わず、「よ、浪花節!」とでも、合いの手を入れたくなるところ。

 情感たっぷりで、ややクサいところもあるものの、なるほど阪田が人気棋士だったのも、よくわかるという印象的な節回しだ。
 
 一見、どうしようもない銀のようだが、△94同香と取れば、▲95歩と突いて端から手を作れる。

 関根は△66歩▲86飛△83歩▲66飛△93歩と、歩で銀を取りに行くが、▲95歩と押し上げて、ギリギリ喰いついている感じだ。

 

 

 


 阪田によれば、△93歩では△84歩とされたら、非勢と見ていたそうだ。

 

  

 阪田が恐れた変化図。こうして、銀にさわらず無力化させたまま戦われると、先手は指しようがなかった。

 

 この銀は取るよりも、宙ぶらりんで遊ばせておく方が、先手は困ったのだろう。

 阪田は▲94の銀を、▲85▲96▲95と手の乗ってのステップでなんとか活用しようとするが、そこからまたも、▲86▲97僻地に追い飛ばされて、なかなかそれはかなわない。
  
 将棋は、どこまで行っても関根優勢のまま進んでいくが、流れが変わったのが、この局面だった。

 

 

 

 

 『将棋世界』の人気コーナー「イメージと読みの将棋観」でも取り上げられた、この将棋のハイライトともいえる場面。

 時刻はすでに、明け方7時(!)。

 「持ち時間」「封じ手」などというシステムも確立されていなかったころのことで、対局者も観戦者も疲れ切っているが、勝負は続行される。

 そして次の阪田の手が、流れを呼びこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲48角と打つのが、乾坤一擲の勝負手。

 真部九段の筆によると(改行引用者)、

 


 私がこの棋譜を初めて知った子供の頃、意味は理解出来ないのだが、この角には感動した覚えがある。

 今でも良い手なのかどうかは分からないのだが、この将棋を巻き返してゆく原動力になった阪田渾身の角であることに間違いない。


 


 実際、「イメ読み」でも、ひとりを除いて全員が、ここで▲48角を(正確には△47歩のタタキを緩和して「▲39角」だが、ほぼ同じ意味)推している。

 プロレベルでは、善悪を超えてこの局面では、「この一手」なのだろう。

 まるで、升田幸三九段による「遠見の角」のようだが、この後、阪田は▲92香成、△同香、▲93歩、△同香、▲67飛という手順で、巧みに角を活用していく。

 「泣き銀」でアヤをつけられた端が、火を噴き始めた。流れは逆転である。

 そうして、押されたように、関根から失着が飛び出す。

 

 

 

 

 △66香と打ったのが、本人も認める「大失策」。

 次の手は▲75歩で、△73飛と逃げたところ、次に先手から、すばらしい返し技があった。

 

 

 

 

 

 

 


 ▲77金と、こちらにかわすのが妙手だった。

 ふつう、金と言うのは、王様の方向に近づけていくというのがセオリーだが、ここでは逆モーションで反対側に飛ぶのが正解。

 △同桂成と取るしかないが、▲同銀馬当たり

 馬を逃げると、▲66銀を取る手が気持ち良すぎるから、関根は△56金とせまるが、▲88銀を取れるのが大きすぎる戦果。

 

 

 

 

 なんと、阪田が「泣いている」と言った、あの銀が、ここにきて見事な活躍を見せたのだ。

 ▲88銀△同成香に、▲66角と勇躍切り飛ばし、△同金に▲74香と、眉間に合口を突き立てるのが激痛

 

 

 

 

 

 △同銀しかないが、▲同歩、△同飛に、▲93角が、作ったような王手金取り

 

 

 

 

 本当に将棋とは、いったん流れがよくなると、次から次へとクリティカルヒットが決まるようになる。

 まさに、「勝ち将棋、鬼のごとし」で、いかな関根金次郎でも、そのレールに乗せられてしまえば、どうしようもない。

 以下、阪田の寄せも正確で、熱戦に幕を下ろした。

 終局は、なんと翌日午後5時

 両者とも一睡もせず、実に対局時間は30時間を超えるという、まさに激闘であった。

 関根はその後、十三世名人に就くが、すでに全盛期は過ぎてのことだった。

 このことに悔いがあったことが、後の

 「実力制名人戦

 につながり、関根がそれを受け入れるという、大きな決断の後押ししたと言われている。

 一方の阪田は、関根との対戦成績を徐々に押し戻していくも、後援者の後押しなどから大阪で勝手に「名人」(「関西名人」と呼ぶ場合もある)を名乗り、東京将棋連盟から除名される。

 その後もスポンサーとのトラブルなどもあり、ますます将棋界での居場所を失う。

 それでもなんとか復帰の道を模索し、昭和12年(1937年)には世に名高い

 

 「南禅寺の決戦」

 「天龍寺の決戦」

 

 を木村義雄花田長太郎と戦うが、すでに年齢は66歳

 往年の力はなく、話題性のわりには、残念ながら棋譜も凡局であった。

 引退後の阪田は困窮生活の中、ほとんど忘れられたまま1946年に亡くなる。

 阪田の名が将棋界に、いや世間に復活するのは、没後まもなく世に出た舞台『王将』が、大ヒットしてからのことだった。

 

 (阪田と関根の「平手戦」に続く→こちら

 

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「十三世名人」のさばき 阪田三吉vs関根金次郎 大正2年(1913年) 阪田七段歓迎会 その2

2022年02月15日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 「歓迎会」という名目ながら、その内実は

 「次期名人

 をめぐる、かけひきがあった、関根金次郎八段と、阪田三吉七段の一戦。

 大正2年という、もはや想像もつかない時代に行われた、この大一番は、まずは関根が香落ちの「上手」を持って指すこととなった。

 というと、現代将棋に慣れていると、

 

 「え? 駒落ちなの? 関根も阪田も、当時のトップ棋士なのに、なんでハンディがつくわけ?」

 

 なんて首をかしげてしまうところだが、これが昔の将棋界は今よりも「駒落ち」が、割とふつうに指されていたという事情がある。

 それともうひとつ、昔の将棋を調べていると、この

 「手合いをどうするか」

 というゴタゴタ(あと「○○君の昇段を認めるかどうか」とかも)が、お約束のように頻出する。曰く、

 

 「オレは名人なんだから、平手はあり得ない」

 「○○家の家元である私が駒を落とすなど、大いなる侮辱である」

 

 そこにはだいたい棋力のみならず双方の面子が絡んでいて、一応そこは日本人と言うことで、忖度まじりな玉虫色の決着になりがち。

 ただまあ、本人たちは必死なんだけど、見ているこちらからすると、ちょっとウンザリすることも多々。

 こういうアバウトなところは日本文化につきもので、ご多分に漏れず、この勝負でも侃侃諤諤あったよう。

 当代トップである関根と阪田がぶつかるなら、の感覚ならなら「平手」だが、この対局は紆余曲折の末に「一番手直り」という形式に。

 まずは、関根がを落として戦い、勝てば次は「角落ち」になる。

 逆に阪田が勝てば、今度は平手に。

 それにも阪田が勝てば、次は阪田が後手をもって戦い、それも勝てば、今度は立場が逆転して、阪田が香落ちで、なんと関根の「上手」に立つことになる。

 要するに、勝った方がハンディを押し戻していく形式で、ちょっとややこしいが、こうなったのには、どうも過去の対戦成績から関根が、

 

 「ウチのが強いのに、いきなりの平手とか、ありえないんですけどー」

 

 物言いをつけたことがあるそう。

 当然、阪田からすれば不本意どころか、もし負ければライバル相手に「角落ち」で戦わされるという、屈辱を受け入れなければならない。

 一方の関根も、平手に押し戻されれば、

 

 「なんやそれ。じゃあ、最初からノーハンディでよかったんじゃん。それをメンツのためにゴネるとか、マジでダッセ!」

 

 なんて言われるに決まってるし、ましてや連敗して自分こそが「香落ち下手」になれば、これこそ本当に笑いものだ。

 そう見れば、これはもう双方、命がけの一局だったことがわかるわけで、実際に将棋の方も、それにふさわしい大熱戦となるのだ。

 とまあ、時代背景が特殊と言うことで、少々長い前置きになったが、ともかくも対局開始。

 負ければ「角落ち」で指さなければならない阪田は、ある意味いきなり崖っぷちだが、選んだ戦型は相振り飛車だった。

 今では全然「アリ」な選択だが、かつて香落ち下手と言えば、1筋からのいないところを攻めるのがセオリー。

 うがった見方をすれば、あえてそこを突かないことによって、

 「平手のつもりで戦う」

 というプライドの発露かもしれない。

 ただ、序盤の駒組合戦では、阪田が左の銀を▲66銀と進出させたのが疑問の構想で、早くも関根が一本取ることに。

 

 

 

 

 △65歩と突きだしたのが、センスの良い反応で、『将棋世界』の連載「将棋論考」で、この一局を取り上げた(今回のタネ本がこれで『升田将棋の世界』という単行本にもなってます)真部一男九段によれば、

 


 △65歩が惚れ惚れとする歩で、この一手により下手の軍勢はものの見事に身動きがとれなくなってしまった。


 

 たしかにこれで飛車の横利きが通り、△74歩▲86銀と退却させられた形は、かなりつらいところだ。
 
 阪田は▲57金から、▲55歩と、なんとか駒をさばこうとするが、中央を無視して、△14歩から△13角が見習いたい呼吸。

 

 

 


 先手(本来は「下手」ですが、わかりやすいように「先手」「後手」で表記します)の攻撃陣が凝り形で詰まっているのを見て、今度は反対側から展開。

 まさに自在な動きで、今ならそれこそ、「さばきのアーティスト」久保利明九段による、指しまわしのようではないか。

 ただ、阪田もここで、ガックリきているわけにはいかない。

 初対戦で完敗してからこのかた、阪田はこの日を念願と待ち続けた。

 最初の対戦で関根は24歳、阪田は22歳で、この対局時の阪田は44歳だから、20年かけてここまでたどり着いたのだ。

 ここに勝てば、次は平手戦。

 こうなれば堂々の「同格」であり、自分が「名人」になっても、おかしくないことになる。これでもう、「自称七段」などとは言わせない。

 執念の阪田は▲79角△33桂▲68角と、苦しいながらも、辛抱してチャンスを待つ。

 真部九段も、

 


 「ここからの阪田は堪えに堪える」


 

 
 と書いているが、たしかに指し手からも、阪田の歯を食いしばっている様が浮かぶよう。

 また勝率の高い棋士は我慢強いというのは、これも時代を問わない、普遍の真理でもあるようだ。

 対照的に、リードを奪った関根はますます絶好調で、△85歩と突くのが、強気のかまえ。

 

 

 

 

 ▲同桂△84歩だから、▲同銀だが、△73桂で銀が死に体に。

 ▲94銀の特攻くらいしか手がないが、この局面を見ていただきたい。

 

 

 

 

 

 そう、これこそが、かの有名な、

 

 「銀が泣いている」

 

 という場面であって、阪田の苦悶が聞こえるような、ひとりぼっちの死に銀なのである。

 

 (続く→こちら

 

 

 

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負けたら大阪に帰れない 阪田三吉vs関根金次郎 大正2年(1913年) 阪田七段歓迎会

2022年02月14日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「阪田三吉って、ホンマに強かったんやなあ」

 なんてことを思ったのは、ある棋譜を並べてみた感想であった。

 阪田三吉

 大阪の名門、通天閣高校のエースであり、甲子園出場3回。

 2年次には甲府学院を破って、夏の大会で優勝。卒業後は近鉄バファローズに入団し、過去には犬を……。

 ……て、そっちではなく、その元ネタになってる方の人。
 
 ちなみに、野球選手のほうは「坂田三吉」だが、将棋の方は「坂田」でも「阪田」でも、どちらでもいいそうで、ここでは今回使う資料に基づいて「阪田三吉」と表記します。

 とはいえ、私のパソコンとスマホは「さかたさんきち」と打つと「坂田三吉」が一発目に出てくるので、違ってたらご愛嬌。

 ちなみに「坂」と「阪」に表記ゆれがあるのは、漢字の読み書きが苦手だったからで、それこそ今で言う「変換ミス」みたいなものだそうです。

 
 と言うことで、

 

 「王将」

 「吹けば飛ぶような将棋の駒の」

 

 などで有名な阪田三吉だが、私は大阪人にもかかわらず、この将棋界の偉人については、あまりよく知らない。

 不勉強きわまりないが、映画や舞台になっているような「破天荒」なイメージはあくまで創作で、実際はわりとちゃんとした常識人だったとか、

 

 「初手△94歩」

 「初手△14歩」

 

 で有名な「南禅寺の決戦」と「天龍寺の決戦」。

 あとは、そのあたりのことを、織田作之助が書いてるとか、せいぜいその程度。

 

 阪田三吉の代名詞ともいえる、「南禅寺の決戦」で見せた初手△94歩。

 「阪田に秘策あり」「いや、ただのハッタリだ」と物議をかもしたが、今となっては真相は闇の中。

 

 

 そもそも資料が少なく、知りたくても、なかなかそうもいかないわけだが、年末に実家の押し入れを整理していたら、スクラップしていた阪田の棋譜解説が見つかっって、「おお!」となった。

 また、読者の方から、

 

 「阪田三吉を取り上げてください」

 

 というリクエストをいただいていたので、前回は森内俊之九段の歩の妙手を見ていただいたが(→こちら)、今回はそこを紹介してみたい。

 見つかった棋譜と言うのが、あの有名な上にも有名な、

 

 「銀が泣いている」

 

 の一番で、大正2年(!)の4月6日に行われた、関根金次郎八段阪田三吉七段の一戦だが、まずはその背景から。

 私は戦前の将棋界にくわしくないのだが、この2人には深い因縁があるという。

 阪田は明治24年ごろに、関根とはじめて対戦するも完敗し、そこからプロの道を志すようになった。

 いわば、『ヒカルの碁』における、進藤ヒカル塔矢アキラの出会いのようなもので、2人は度々対戦することになる。

 この大正2年の勝負は、小野五平名人など、阪田支持の有力者が主宰して「歓迎会」という形で行われたが、これには「次期名人」をかけた戦いという一面もあった。

 関根は長く、実力は充分ながら、自分が名人になれないことに、大きな不満をかかえていた。

 これは当時の名人が推挙制で選ばれ、また「終身制」だったがゆえ、小野が長生き(91歳)したことによって起こった悲劇だが(当時の平均寿命は43歳くらい)、そのせいで小野と関根はかなりの不仲であった。

 小野の「阪田支持」は、自分に歯向かう相手への嫌がらせの意味もあり、そりゃ関根からすれば、ここで負けるわけにはいかない。

 また阪田が関西で団体を立ち上げ、勝手に「七段」を名乗り、「本家」である東京の将棋界と対立

 それに反対する棋士を、阪田が駒落ちのハンディ付きで、次々となで斬りにするという事件もあった。

 またそれを新聞社が支援し、今よりもはるかに激しかった東西の対抗意識などもあいまって、政治的なドロドロもかなりのものに

 それこそ、かなり乱暴に今で例えれば、豊島将之九段あたりが突然に、

 

 「今の将棋連盟はダメだ。自分が関西を中心に『新・将棋連盟』を立ち上げ、【真名人】を名乗ることにする」

 

 なんて言い出した上に、怒って勝負を挑んだ関東からの刺客プロを次々退け、ついには佐藤康光会長が、

 

 「こちらは五冠王の藤井聡太を出します! それで決着をつけましょう」

 

 と宣言するようなものだが、永世名人の羽生善治森内俊之といった面々は、藤井が名人位に近づくのを良く思わず「反・藤井」として裏で暗躍

 しかも、豊島九段の裏には、アべマTV利権をねらう、ヒューリックや、不二家などスポンサーがついていて、巻き返しをねらうドワンゴ囲碁将棋チャンネルも参戦し……。

 みたいなものだろうか。

 そんな妄想をたくましくしてみると、この関根-阪田戦が、メチャクチャにおもしろい対決であることがわかる。

 昔の将棋界は「興行」であり、その視点から見れば「プロレス」的でもあった。

 メンツと様々な思惑がからみ、次期名人候補であり、「本家」東京の大エース関根はもちろん、阪田の方も、

 

 「負けたら大阪に帰れない」

 

 覚悟を決めるほどの大一番だったのだ。

 

 (続く→こちら

 

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テニスの練習動画 錦織圭&フアン・マルティン・デルポトロ&リシャール・ガスケ 

2022年02月11日 | テニス

 YouTubeで、テニスの動画を見るのは楽しい。

 特にテレビなどではなかなか放送されない、ダブルス練習風景などが見られるのが、うれしいのだ。

 スポーツにはテレビ観戦派と、スタジアムで生観戦派でどっちが楽しいかわかれるもので、私は基本的に寝転んでみられるテレビ(最近はスマホかパソコンも多いけど)がいいんだけど、生で観るのももちろん楽しい。

 特にテニスは、スタジアムの大きい野球やサッカーと違って、グランドスタンドコートに出れば、手を伸ばせばさわれるくらい、選手を間近で見られたりもするのがいいものだ。

 リラックスした練習風景もいいし、ダブルスだと、思わぬスター選手が目の前で見られることも。

 また、サインなどをもらうにも、こちらのほうが近さといい選手の気楽さといい、デカ目のコートよりもゲットしやすい。

 フラッとその辺を選手が歩いていたりして、写真握手をお願いできるチャンスも多いなど、そのフランクさが魅力なのだ。

 なので、私はテニスを生で観るなら、センターコートよりもむしろそっちをオススメするのだが、YouTubeであがっている動画などは、まさにそのグランドスタンド目線。

 たとえば練習動画だと、こんなのが。

 

 フアン・マルティン・デルポトロリシャール・ガスケの打ち合い(→こちら)。

 これくらい近いと、トッププロの打つストロークの威力が、ビンビンに伝わってきて迫力。

 デルポトロのショットはやっぱりすごいなあ、この両手打ちバックが機能しなくなるんだから、ケガってホントにつらい。

 「天才」ガスケの片手打ちバックは、やっぱり芸術だとか、そのすごさがダイレクトに味わえるのが病みつきになる。

 他にも、ノバク・ジョコビッチ(→こちら)やラファエル・ナダル(→こちら)といったトップの練習風景とか、クレーや芝といった、日本ではなじみのないコートのプレーの動画もうれしい。

 芝は跳ねないうえに、すべるという特性がよくわかるし、クレーの固めなボール音も気持ちいい。

 あと、トッププロのジュニア時代の練習や試合が見られるのも、昔とくらべて本当に、ありがたくなったもの。

 そのころから輝いていたといえば、錦織圭選手。

 16歳以下の大会で戦う13歳の錦織圭(→こちら)。撮影しているのは、たぶん米澤徹さん。

 スピードのあるサービスにも臆せずリターンし、ムーンボール、ドロップショットからのロビングなど、このころから多彩な「ショットメイカー」だったのがわかる。

 フットワークもいいし、これが13歳なんだから、今さらながらスゴイですわな。

 もうひとつ、今度は16歳の錦織選手(→こちら)。

 フォアハンドを見ると、「あ、錦織や」と、すぐにわかる。

 スピーディーで躍動感にあふれ、見ているだけで楽しい動画だ。

 果敢にネットを取るが、守りのスライスも打てて、やはりここでもショットは多彩

 タッチショットのキレも相変わらずで、コメント欄に絶賛が並ぶのも納得。

 この人がデビュー後すぐトップ100に入っただけでなく、18歳でツアー初優勝を飾り、日本男子テニス界が、何十年も超えられなかった壁を一瞬でクリアしたときには、

 「才能というものの残酷さ」

 これをヒシヒシと、感じさせられたものだった。

 皆が死にものぐるいになって努力し、戦って、どうしても届かないものを、ヒョイと乗り越えてしまう。

 まさに、ピーター・シェーファー『アマデウス』の世界。

 かつて、21歳で名人を獲得した谷川浩司九段について、芹沢博文九段がこんなことを言った。

 

 谷川はスッスッと歩いて来て、目の前にあった、食べたいと思った蜜柑を食べたら、それが名人位であった。

 他の劣れし者は、必死に蜜柑を食べたいと思っていても側にも行けない。

 

 谷川からすれば、そんな簡単なもんじゃない、と反論したくなるかもしれないが、それでもやはり、きっとそういうことなんだろう。

 

 

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「泥沼流」退治の焦点の歩 森内俊之vs米長邦雄 1995年 第36期王位リーグ

2022年02月08日 | 将棋・好手 妙手
 「将棋が強い人は、の使い方がうまい人」
 
 というのは、よくいわれることである。
 
 オールドファンなら、歩の使い方が巧みで、「小太刀の名手」と呼ばれた丸田祐三九段を思い出すかもしれないが、今でも、それこそ羽生善治九段など、本当に歩で手を作るのが巧みだ。
 
 
 こないだ放送されたNHK杯準々決勝。
 羽生善治九段と出口若武五段の一戦。
 最終盤で放たれた▲23歩が、まさに「一歩千金」のさわやかな好打で、 ▲42銀からの詰めろに受けがない。
 本譜も△23同金に、▲42桂成まで出口が投了。 
 
 
 
 加藤治郎名誉九段による、将棋入門書のバイブルだった本が『将棋は歩から』というのだから、どれだけこの駒が上達に直結するのかわかる。
 
 前回は羽生善治九段が、その達人の受けで藤井猛九段がもくろんだ歴史を「消滅」させた将棋を紹介したが(→こちら)、今回はきれいな歩の決め手を。
 
 
 1995年の王位リーグ。
 
 米長邦雄前名人(当時は名人を失冠して無冠になると、「前名人」と呼ばれたのだ。変だよねえ)と森内俊之七段の一戦。
 
 相掛かりからタテ歩取りという古風な戦型になり、米長らしい激しい踏みこみから激戦に。
 
 むかえたのが、この場面。
 
 
 
 
 先手玉に寄せがありそうだが、後手もかなり迫られていて、うまく決めないとアヤシイ筋も出てくる。
 
 解説によると、たとえば△78桂成、▲同玉、△69金が一番ふつうだが、これには▲42成銀と取る。
 
 △同玉に▲64馬と活用して、△33玉に▲36香と、王手でせまられ嫌な感じ。
 
 
 
 
 また▲42成銀△同銀▲55飛と打つ筋で、竜を消してがんばる。
 
 
 
 
 
 強い人の終盤は、このように一筋縄ではいかないことが多く、私が将棋観戦で一番燃えるのは、こういう「泥沼流」なもがきだ。
 
 しぶとい抵抗を前に、なにかセンスのいい手が必要なところだが、さすがは森内、ここでいい手を用意していた。
 
 「次の一手」みたいな気持ちのいい手なので、よければ考えてみてください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △77歩焦点に打つのが手筋で、これで寄り形。
 
 ▲同角は△78竜で詰み。
 
 ▲同金は△68竜がタダ。
 
 ▲同銀は△69竜ともぐって、▲79金に△同竜で簡単に詰み。
 
 あざやかな決め手で、指されてみればなるほどだが、実戦でこれをしっかり発見できる森内はやはり強い。
 
 本譜も、ここで米長投了
 
 と、ここで終われば、これは森内の会心譜ということになるが、実はこの話には、まだ続きがあった。
 
 △77歩の局面で投了したのが、森内には意外だったというのだ。
 
 といっても、先手玉は寄ってるし、投げるしかないのではと問うならば、森内によると、△77歩を▲同金と取る筋があるらしい。
 
 △68竜と、ありがたくをいただけそうだが、そこで▲86金を取るのが力強い受け。
 
 
 
 
 これで、寄せが見えないと森内は言うのだ。
 
 なるほど。たしかにこうなれば、一撃では決まっていない気もする。
 
 とはいえ、そうなったらなったで森内なら、またいい手を見つけるのだろうが(これが強い人の信頼感)、終わったと思ったところからでも、まだ手はあるものだと感心させられた。
 
 当時、米長は参議院選挙に出馬するかどうか、という話があり、忙しくしていた時期だった。
 
 それもあって、
 
 

 「緩めてくれたのでしょう」

 
 
 森内は謙遜したが、もしかしたら、△77歩があまりにさわやかな決め手だったから、それに敬意を表して、きれいな形で投了したのかもしれない。
 
 
 (阪田三吉と関根金次郎の戦いに続く→こちら
 
 
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まじめな優等生に説教つきでフラれる私は風のような自由人でない

2022年02月05日 | モテ活

 「妥協するなら、下ではなくてにしたほうがいい」

 

 こないだ、

 

 「スペックは悪くないのに、なぜか彼氏彼女がいない人」

 

 について、なんでそうなっているのか推測し、語ってみたが(→こちら)、そこでの結論がそれだった。

 そこで前回(→こちら)は、「世話好き」に好かれる(らしい)私が、「干渉」を嫌って逃げ回っている話をしたが、今回もそういうスカタンな例を。

 人には相性というものがあるが、私の場合はもうひとつ、

 

 「マジメな優等生」

 

 これにも、ときおりお近づきになるチャンスがめぐってくる。

 勉強ができて、倫理感も高い女の子が、なぜにて私のような、脳みそが風船でできているような男に興味を持つのかと問うならば、彼女らはどうも、

 

 「自由」

 「反抗」

 

 というものに、あこがれているようなのだ。

 先も言ったが、私はこう見えて「干渉」「束縛」が大嫌いである。

 これは別に、異性にかぎらず一般生活でもそうで、世の「常識」「当たり前」でまかり通っている「理不尽」にも、どうにも相性が悪い。

 「なら」「なら」「若者なら」「学生なら」「社会人なら」「プロなら」「大人なら」「有名人なら」「日本人なら」etc……。

 その他、数えきれないほどの、たいした根拠もないカツアゲ

 こんなもん、別に普遍性もなにもなく、ただ

 

 「その時代にたまたま多数派」

 

 だっただけのシロモノであって、それをあたかも「当然」のごとくエラそうに語ったり。

 ましてや、人に強制するのは、あまりに想像力が足りない、と思ってしまうわけなのだ。

 なので、そういうところから、なるたけ距離を取っているわけなのだが、どうもマジメな女の子のアンテナは、そこに引っ掛かるらしい。

 優等生というのは、周囲に認められて大人にもほめられて、いい身分のようだが、その実、内心ではそのことに意外なコンプレックスを持っていたりする。

 せっせとルールを守って、小市民的に生きている自分は、ひどく「退屈」な人間なのでは。

 あるいは、本当はレールの上なんて歩きたくないのに、そこからはずれる勇気がない。

 そういうとき、彼女らが感じている「常識」という圧迫感を、まるで無視して鼻歌でも歌っている私を見ると、

 

 「自分もあんな風に、自由に生きたい!」

 

 と思うようなのだ。

 バックパッカーとかやってた影響もあるのだろうか、実際、女の子に

 

 「風のような自由人なんだね」

 

 と言われたこともあるし。

 おお、言った方も言われた方も、激恥ずかしいぞ。

 おたがい、若かったというか、なんでなんも言ってない私まで恥ずかしいのか謎だが、とにかくそう思う人もいるようだ。

 こちらとしても、頭のいい女性は好きだし、人間性にもすぐれているとあっては、仲良くするに、しくはない。

 そもそも視界に入らない「世話好き」と違って、今度は割と進展するというか、いわゆる「おつきあい」に結びつきやすいのは、断然こっちの方なのである。

 となれば、話はハッピーエンドのようだが、もちろんそんな甘い話など、私のコイバナに出てくるはずもない

 結論から言えば、フラれます

 簡単にフラれます。早いと、2週間くらいでフラれます。それこそ風のよう、さわやかに、大谷翔平選手の剛速球並みなスピードでフラれます。

 しかも、場合によっては説教つきで。

 若いころは、カフェとか飲み屋で、ガンガンにアップをカマされながら、

 

 「なんで、オレ、こんなに怒られてるんやろ」

 

 ボンヤリそんなことを考えていたものだ。

 要するに、私は彼女らが期待していたような「自由人」ではないということ。

 たしかに私は、世の「常識」なんて、ただの多数決イキりくらいにしか感じてないし、レールの上を走る人生でもない。

 でもそれは、彼女らが思うような、なにか思想信念があるものではなく、

 

 「わずらわしいから」

 

 程度の理由でしかなく、またその手の考え方は精神論にかたよりがちなところが「論理的に気持ち悪い」のと。

 あとその「常識」やら「当たり前」やらを使って、他人を支配しようとする卑怯者がイヤなだけ。

 つまりは、そこに「彼女」の入る余地はなく、あくまで個人的なはなしで、別に私がそれを強制されなければ、他の人に、それこそ干渉する気はない。余計なお世話だろう。

 レールの上を走ってないのも、そこに高邁な意志はなく、

 「頼んでも、向こうが乗せてくれない

 ハッキリ言えば、乗るには能力が足りないという、ただのスカタンなのである。見込み違いも、はなはだしい。

 そのことに彼女らは、期待があった分、はしごを外されたようなガッカリ感があり、それを

 

 「だまされた」

 

 と取ってしまうようなのだ。

 つまるところ、『ムーミン』に出てきたスナフキンを、

 

 「自由に生きる旅人」

 

 と見るか、

 

 「口だけ達者な、宿なしの無職」

 

 そう解釈するかで、そのキャラクターが変わるように、彼女らは最初、前者を見るのだが、すぐに後者であると理解するようになり、

 

 「裏切られた!」

 

 それが怒りとなって噴出するのだ。

 私からすれば全力で「知らんがな」だが(こういう態度がまた良くないのだけど)、今となっては反省するところも多い。

 けど、そのころは全然わかんなかったし、まさに馬の耳に念仏、糠に釘である。甲斐ないなあ。

 私はテキトーに生きているだけで、物語に出てくるような「自由人」ではない

 嗚呼、サンタラの名曲『バニラ』やGO!GO!7188の『雨上がり アスファルト 新しい靴で』が頭の中に流れるよ。

 応える気概も能力もないから、期待なんて、しないで!

 

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絶対無敵舟囲い 羽生善治vs藤井猛 2004年 棋王戦

2022年02月02日 | 将棋・好手 妙手

 手品のような受けの妙技を見ると、ため息が出る。

 将棋の棋風には、大きく分けて「攻め将棋」と「受け将棋」があるが、プロアマ問わず、目立つのは前者ではないか。

 それは単純に、攻めているほうが派手で楽しいというのがあるが、受けは耐える時間が長く、また攻めと違って一手のミスで「飛ぶ」というコスパの悪さ(?)もあり、精神的にしんどいという面もある。

 なので、できるだけ受ける時間は短めにしたいというのが人情なのだが、これが上手な人にかかると、どんなキツ目の局面でも、スルリとほどけてしまうのだから摩訶不思議。

 前回は羽生善治九段の見事な受けを見ていただいたが(→こちら)今回も、この人のマジックを見ていただこう。

 

 2004年の棋王戦。羽生善治王位王座藤井猛九段の一戦。

 藤井はおなじみの振り飛車に、羽生は▲55角の牽制を入れてからの急戦に出る。

 

 

 藤井システムに苦戦を強いられた居飛車党は、様々な試行錯誤を見せたが、中でもヒットしたのが急戦策。

 「穴熊に囲わせないぞ」と圧迫された面々が、今度はすばやいフットワークで、

 「いや、むしろこっちが、オマエを美濃に囲わせねえけどな」

 相手がシステムを志向すれば、早めの▲36歩で牽制。

 居玉で仕掛けられては、ひとたまりもない振り飛車が、すかさず△62玉と上がるというのは、ワンセットとして、よく見た手順。

 このあたりの攻防は、毎回のように新手新研究が登場して、「中座流△85飛車戦法」とともに、当時の将棋を盛り上げワクワクしたもの。 

 なんてことを思い出しているうちに、将棋の方は熱戦のまま終盤戦へ。

 

 

 

 むかえた最終盤。

 後手が△69金と打ったところ。

 次に△79金と取る、シンプルなねらいだが、受けるのは意外とむずかしい。

 ▲68銀打△79金、▲同銀、△69銀

 ▲88銀になって、△49竜など寄りつかれても受けにくそうで、とにかく先手陣は一段竜に対する防御力が低く、どう指していいのかわからない。

 藤井はこれで「勝った」と確信したそうだが、このピンチを羽生はあざやかにしのいでしまう。

 

 

 

 

 

 まず▲68銀と上がるのが、マジックの序章。

 いかにも薄い形で、これで受かっているのか怪しいが、△68同金、▲同金、△79金の筋は▲77玉と上部に脱出して、存外に大丈夫なよう。

 そこで△65桂と退路封鎖するが、▲59銀打と受ける。

 

 

 

 やはり、これで受かっているのか疑問で、△68金と取られると、▲同銀△69銀

 ▲同玉は△57銀

 本譜▲同金も、△59竜で銀をボロっと取られてしまうから、全然ダメそうだが、そこで▲69金打とハジけば、どうだろう。

 

 

 

 あれや不思議な、なんと先手陣はこれで鉄壁

 陥落寸前の玉が、数手進んだだけで、しかもを一枚丸々してるのに、これで勝ちが決まった。

 ▲33馬の利きや、▲26にいる飛車のおかげで、手順に△29竜と取れないなど、先手はすべての駒がピッタリ働いて受け切っている。

 以下、いいタイミングで▲51銀からラッシュをかけ先手が制勝

 手順だけ見たら簡単なようだが、勝又清和七段の『最新戦法の話』という本によると、

 


 おそろしく巧妙な受けで、プロでもこんな受けができる人は少ないでしょうが、それでも藤井は

 《終わってから考えてみると、この将棋は一度もチャンスがなかった》。

 《こんな指し方ができるのは羽生さんくらいだろうけど、最初にこういうよい対策を見せられては、もうこの戦法は指せない》


 

 喰らった藤井本人が、ここまで言うのだから、相当にショックな負け方だったのだろう。

 ただしこれは、「羽生さんくらい」しかできない受けがあったから、そうなったけど、状況によっては先手も△69金から簡単に負けていたかもしれない(藤井も「勝った」と思ったのだから)。

 となると、逆に「指せない」となってしまった「この戦型」が、棋界で猛威をふるっていたかもしれないのだ。

 そう、かの「藤井システム」も、最初に披露した井上慶太六段との一戦を、

 


 「あれを負けてたら、もう指さないつもりだった」


 

 藤井自身、いろんなところで「当然でしょ?」くらいのニュアンス言っているのだから、このあたりの判断は紙一重である。

 

 

 

 

 そう考えれば、その強さでもって「あったかもしれない」歴史を消滅させてしまう羽生の恐ろしさよ。

 それにしても、本当にうまくしのぐもので、どうやっても寄ってるようなのに、何度並べてもアッサリと受け切って見えるのが、すごいもんです。

 強いなあ。

 

 (森内俊之の軽妙手編に続く→こちら

 

 

 

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