「将棋界の一番長い日」への序章 大山康晴vs森雞二 1988年 A級順位戦

2020年02月26日 | 将棋・名局

 将棋の世界には「クソねばり」という言葉がある。

 形勢が不利になると、逆転をねらって「ねばる」というのは、当たり前の行為だが、中には



 「もうムリっしょ」

 「早く投げろよ」



 という声が、多勢をしめるような局面にもかかわらず、それでも根性(もしくは投げきれなくて)で指し続ける場合があって、こういうのを少々下品な言葉だが「クソねばり」というのだ。

 前回は佐藤康光九段の見せた、終盤の猛追を紹介したが(→こちら)、今回は同じねばりでも、泥臭さ100%なものを見ていただこう。 


 1988年A級順位戦は、

 

 「大山がピンチに立たされている」

 

 ファンの注目を集める展開となっていた。

 名人18期をはじめとする、タイトル80期を誇る昭和の巨人、大山康晴十五世名人は、

 「A級から陥落したら引退する」

 といわれていたが、この年の順位戦ではじめて、それが現実味を帯びることとなったのである。

 7回戦を終えたところで、大山の成績は2勝5敗

 降級2名の1枠は、まだ1勝有吉道夫九段でほぼ決まりだが、残りひとつは、2勝の大山(順位4位)と森雞二八段(同5位)、3勝内藤國雄九段(同9位)で、争うことになってしまったのだ。

 しかも8回戦は、大山と森が直接対決

 順位が上の大山は、勝てば残留が決まるが、負けたうえに内藤に勝たれると、最終戦に勝っても、森が勝てば陥落が決まる。

 つまり、

 「自力でなんとかする」

 には最後のチャンスになるかもしれず、「引退か現役続行か」が、ほぼここで決まる。

 今で言えば、羽生善治九段が現役引退をかけるような大勝負で、A級順位戦最終局が

 

 「将棋界の一番長い日」

 

 注目されるようになったのも、この

 

 「大山康晴、引退か」

 

 という、インパクトの大きさから来たものだったのだ。

 棋士やファンのみならず、一般の興味も集めたこの一番。大山の振り飛車に、森は居飛車穴熊にもぐる。

 いつもは積極果敢な森も、降級がかかった将棋では手が伸びないのか、序中盤、ちぐはぐな手が出てしまい、大山の動きも機敏で、早くも形勢不利におちいってしまう。

 一方の大山は「負ければ、ほぼ引退」のプレッシャーを感じさせない、落ち着いた指しまわしを見せる。

 これらの手が「最善手」かどうかはわからないが、いかにも「大山将棋」の雰囲気が感じられるので、少し紹介してみたい。

 

 



 図は不利ながらも森が▲43角と反撃したところだが、次の手がいかにも「大山流」だ。

 

 

 




 

 △13桂と逃げるのが、落ち着いた手。

 この局面、すでに振り飛車がハッキリ有利で、△49飛と攻め合って充分だったようだが、ここで1手ゆるめる手が指せるのが大山の強さ。

 手の善悪よりも、



 「大一番で勝ち急がない手を指せる」



 これが勝負将棋の極意であり、また、それを選べる精神力がすごいのだ。

 

 

 

 手を殺された森は、今度は▲69金打とねばりにかかるが、大山はここでもあわてない。

 

 






 

 ここでも、じっとを引いておく。

 後手からすると、△69同飛成から2枚が手に入るので、一気に決めたくなるところだが、その手はのらないと自陣竜で守る。

 森からすれば飛車切りを誘って、あとは固さにまかせて「穴熊の暴力」の突貫をねらっていたのだろうが、それもかなわない。

 これこそが、大山得意の「受けつぶし」であって、攻めても勝てそうだが、ここでもブレずに、自分のスタイルをつらぬき通す。

 その後も徹底して、相手の手を消していく方針はゆるがず、しっかりと自陣に手を入れる。

 

 

 

 ▲37角と逃げたところで、先手に有効手が見当たらない局面とあっては、今度こそ決めごろかと思いきや、やはり行かないのが大山将棋だ。

 

 







 またもや受けに回る。

 ▲75桂の両取りなどを防ぐ意図はわかるが、△77歩みたいな攻めも魅力的に見えるところを、かまいませんと自陣を補強。

 この手については、『現代に生きる大山振り飛車』という本で、藤井猛九段も、

 


 「味わい深い」

  「次に△62金と上がり、端攻めをして△91竜と回る構想だが、盤上の駒をすべて無駄なく使う感覚はすごいと思う」




 何度も言うが、「負ければ引退か」という将棋で、こういう手を指せるのがすごいのだ。

 勝又清和七段をはじめとする中堅以上の棋士が、よく永瀬拓矢叡王王座の「負けない将棋」のことを、



 「まるで大山名人のようだ」



 と表現することがあるが、若いファンにも、それが理解いただける一連の手順であろう。

 どこまでも動じず、じりじりとを広げていく大山に対し、森の方は敗勢になっても投げない。徹底して「クソねばり」を続けていく。

 仮に敗れるにしても、なるたけ終局時間を遅らせ、競争相手の内藤を精神的に楽にさせないという、順位戦特有のかけ引きのためだ。

 そうして将棋は、クライマックスを迎える。

 追いつめられた森に、とうとう大山が、とどめを刺すときが来た。



 

 この局面で、後手に決め手がある。

 

 





 △43竜と角を取るのが、気持ちよい手。

 最後に、詰めろ質駒を取るという寄せの理想形で、▲同桂成とするしかないが、△96角と打って詰みだ。

 ここでそう進んで後手が勝ったなら、この将棋は単に大山の快勝譜ということで終わっていたことだろう。

 ところが、そうはならなかった。

 これは断言できると思うが、これが他の棋戦だったら。

 それこそ仮に、それが決勝戦やタイトル戦の挑戦者決定戦でも、森は▲43同桂成と取り、△96角までで投了したことだろう。

 その当たり前の手を、森は指さなかった。

 ここで、信じられない手を披露するのだ。

 

 

 

 




 ▲99香と打ったのが、すさまじいがんばり。

 そりゃ詰むんだから、しょうがないにしても、タダで取られる手をゆるすなんて、ありえないではないか。

 これでもまだ、△54竜▲95香△94歩くらいになれば、相変わらず先手敗勢だが、やはりわざわざここで取り上げなかったろう。
 
 おそろしいのはこの次で、大山は△98歩と打つ。

 ▲同香しかないが、続けて△97歩が激痛。

 ▲同香△86銀と出て詰むから、▲同玉しかなく、これで銀取りが消えたところで、△99角

 


 頭金を受けて▲87銀しかないが、そこで△55角成桂馬を取り払ってしまう。


 


 この局面を見てほしい。
 
 なんと先手は、クソねばりのあげくタダで取られ、代償にもらうはずだった取れず、さらにはを取れる桂まで抜かれてしまった。

 まさにこれぞ「全駒」。森にまったく指す手がない。

 これがA級の、将棋界のトップ10プレーヤー同士の戦いとは信じられないではないか。

 これぞ大山流の血も涙もない勝ち方だが、森がそれを誘発してしまったともいえる。

 再度言うが、これが降級のかかった一番でなければ、森は▲99香という手は指さなかったはずなのだ。

 それが、この局面を生んでしまった。

 良くも悪くも、「これが順位戦」といえるインパクトを残す手と、言わざるを得ないではないか。

 

 

 (豊島将之の順位戦デビュー戦編に続く→こちら

 (森のクソねばりの「名局」は→こちら

 (現役引退をかけて戦う大山の姿は→こちら

 

 

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ジュディ・ガーランドの名曲とレネー・ゼルウィガー主演『ジュディ 虹の彼方に』

2020年02月23日 | 音楽

 ジュディ・ガーランドの伝記映画『ジュディ 虹の彼方に』を楽しみにしている。

 『オズの魔法使』で歌われた「Over The Rainbow」(→こちら)を代表曲とする、ハリウッドで一時代を築いた女優であり歌手。ライザ・ミネリのお母さんとしても有名。

 それを、『シカゴ』ですばらしく困った女であるロキシー・ハートを演じたレネー・ゼルウィガーで映画化となれば、これが期待するなという方が無理である。

 ジュディ・ガーランドを知ったのは、まだ浪人生だったころ。

 そのころから本格的に映画へとのめりこんでいた私は、ヒマがあればというか、予備校に行ってなかったのでヒマだらけだったのだが、せっせと近所のレンタルビデオ屋に通って様々な作品を浴びるように鑑賞していた。

 当時から私も好みがかたよっていたというか、どちらかといえば最新ヒット作よりも古い作品の方が好みであって、周囲が『スピード』や『ダイ・ハード』シリーズを楽しむ中、ヒッチコックやビリー・ワイルダーを堪能し、

 「おお! 梅田のACTシネマヴェリテではエルンスト・ルビッチ特集がやってるやん!」

 「よっしゃ! プレストン・スタージェスの『レディ・イヴ』と『パームビーチ・ストーリー』のVHS(!)見つけた!」

 なんて一喜一憂していたのだから、なんとも独自がすぎる映画ライフであった。

 そういった渋好みのラインアップにもうひとつ、「古いミュージカル映画」というのもあった。

 ミュージカルというと日本では宝塚か劇団四季の『ライオンキング』『オペラ座の怪人』あたりが思い浮かぶかもしれないが、私が好んだのはコニー・ウィリスの『リメイク』に出てくるような、もっと能天気な方。

 「アステア&ロジャース」のシリーズとか『雨に唄えば』に代表されるMGMのとか、いかにもアメリカ的楽天性があらわれている作品だ。

 そのひとつである『イースター・パレード』が、ジュディとのファーストコンタクト。

 映画の内容としては、まあたわいないっちゃあたわいないんだが(MGMのミュージカルにそれを求めてはいけません)、そこで初めて見たジュディ・ガーランドの歌声に、すっかり魅了されてしまったのである。

 彼女の声は一言でいえば伸びる、張りがある、一本芯の通った太さがあり、それでいて耳に心地よい。

 私はいわゆる「歌のうまい」歌手には興味がないのだが、この人だけは別格だったなあ。ハマっちゃったよ。

 「Over The Rainbow」のような静かな曲もいいんだけど、やはり彼女の伸びやかな声は明るい曲調やコメディーソングこそある気がする。「スワニー」(→こちら)とか「サンフランシスコ」(→こちら)とか。

 『イースター・パレード』でも、フレッド・アステアとボードビルの劇場に出ているシーンがいい(→これとか→これとか)。喜劇もできる女優って、ただの美人より何倍も魅力的に見えるものなのだ。

 これですっかりジュディにまいってしまった私は、彼女の他の作品を次々と観た……かったのだが、これがなかなか見つからずに苦労した。

 もともと、日本で有名になってる作品にあまり出ていないため、そもそもソフトが少ないのだ。『オズの魔法使』『若草の頃』くらい。

 晩年の傑作『スタア誕生』はちょっと重いし、『ニュルンベルク裁判』に関しては歌もダンスもないし。

 そんな渇望感を満たしてくれたのが、『ザッツ・エンタテインメント』シリーズだった。

 伝説ともいえるディアナ・ダービンに競り勝ったオーディション映画の模様や(→こちら)、「雨に唄えば」(→こちら)「アイ・ガット・リズム」(→こちら)など当時の名曲に「バックヤード(裏庭)・ミュージカル」シリーズの名シーンなど、お腹いっぱい堪能できます。

 そんな才能あふれまくりの彼女だが、私生活の方は残念ながら幸福とは言えず、体形維持のために飲まされていた覚醒剤(!)をはじめ、仕事のストレスなどもあって薬とアルコールにおぼれていく。

 精神的にも不安定になり、遅刻や無断欠勤が重なりスタッフにもうとまれ始める。

 ついには『アニーよ銃をとれ』の主役を降ろされ解雇の憂き目にあい、夫だったヴィンセント・ミネリともうまくいかず離婚と、すべてを失うハメに。

 このあたりのことは、ラジオ「たまむすび」での町山智浩さんの解説にくわしいけど(→こちら)、とにもかくにも彼女はその実力はだれしも認めるところだったが、「ハリウッド・バビロン」の犠牲者でもあり、ついに幸せにはなれなかった。

 ただそれでも、私は彼女の歌声を、演技とダンスも愛している。

 輸入盤に入っていた「ザッツ・エンタテインメント」(→こちら)「アレキサンダーズ・ラグタイムバンド」(→こちら)はもう英語版で歌えるほど聴いたもの。

 虎は死して皮を残すが、エンターテイナーはたとえ不幸でボロボロになっても、すばらしい歌や感動や笑いを残す。

 その壮絶な人生を知ったあと、「Over The Rainbow」を聴き直すと、また別の味わいがあって胸にくる。「There's No Place Like Home」と唱えながら、最後まで「Home」に恵まれなかった。

 そんな彼女を、レネー・ゼルウィガーは渾身の力で演じたという。歌も吹替えなしというのだから、すごいもの。

 『ジュディ 虹の彼方に』。久しぶりに、映画館に行こうかと思わせてくれる作品であり、今回はまあ私のヨタ話なんかよりも、ジュディ・ガーランドの曲をたくさん紹介したいがために書いてみました。

 にしても、音楽といえば周囲がGLAYだミスチルだスピッツだと言ってるときに、ひとりこういうのばっかり聴いてたんだから、われながら変な若者だったなあ。

 

 

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「勝ち切る」ことの大変さ 先崎学vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 挑戦者決定戦 その2

2020年02月20日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1995年、第8期竜王戦の挑戦者決定戦3番勝負、第2局

 佐藤康光前竜王先崎学六段の対決は熱戦になり、むかえたこの局面。

 

 

 が強力で、上部も開けて先手が優勢に見えるが、ここから「勝ち切る」となると、これがなかなか……。

 

 

 

 

 

 △36桂と、こんなところから吹き矢が飛んできた。

 ▲同歩には△37銀として、▲同玉なら△28角から、▲55にいるを抜いてしまう。

 

 

 

 そうなっては中央の制空権を奪われ、攻守所を変えてしまうから、先崎は▲47玉と上がるが、佐藤はかまわず△48金と追撃。

 ▲56玉△54歩と打って、先手玉はにわかに危ない。

 

 

 

 先崎は▲26香を一本利かして、△23歩に▲43歩成と踏みこむ。

 △55歩を取られるも、▲同玉で耐えていると。

 

 先手玉は裸にむかれているが、▲43と金も強力で、左辺に大宇宙も広がっており詰みはなさそう。

 一方、後手玉には受けがないから、ようやっと先手勝ちかと思いきや、勝負はまだ終わらない。

 

 

 

 △65金と、ここから迫る筋があった。

 ▲同玉には△87角と、背後からの一撃。

 

 

 

 

 ▲74玉に、△43角成と要のと金をはずされ、これは先手が勝てない。

 先崎は▲44玉と逃げるが、佐藤は△62角とさらに王手。

 

 

 単騎の角打ちだが、これがまた、おそろしいねらいを秘めた一着。

 ▲53金と合駒するのは、△54飛、▲同玉、△64飛までピッタリ詰み。

 

 

 

        ▲同玉の一手に、△64飛まで

 

 

 ▲53銀でも、△55銀、▲34玉、△35飛以下、これまたきれいに詰んでしまうのだ!

 

 

 △35飛、▲同玉に△53角と取って、▲同と、に△46銀打、▲34玉、△44飛と追えばピッタリ。

 

 ここまでがんばって、最後の最後にこんなトン死を喰らったら、泡を吹いて倒れるしかないが、先崎は冷静に▲53桂成
 
 ▲45に逃げるスペースを作って、これで先手玉に詰みはない。

 ちなみに、ここでは▲53角と打つのも、△55銀▲34玉△35飛▲同角成と取る手を作って不詰だが、どちらもギリギリだ。

 ともかくも、これでようやく先手の勝ちがハッキリした。

 といっても、将棋はまだ終わったわけではなく、△64飛と王手して、▲54歩の合駒に△53角と取り、▲同玉に△93飛

 

 

 佐藤康光の執念もすさまじく、これでまだ実戦的には相当危ない形。

 ▲52玉△61銀▲51玉

 必死の逃亡劇で、ついに敵の本丸にトライ成功。

 ようやっと、ここで佐藤の弾が尽きた。

 △43飛と、と金を払ったところに▲53角が落ち着いた手で、ここで後手投了

 

 

 

 ▲31角打からの詰めろになって、受けても一手一手の寄り。

 切り札である、△49金と質駒を取る手などが回ってこないうえ、△62銀のような手も防いで、△53同飛には▲同歩成で今度こそ盤石。

 ……というのは後で解説されればわかることだが、われわれのようなアマチュアレベルでは目がチカチカして、こんな手はとても指せそうにない。

 そもそもその前の、△36桂△65金△62角といった追いこみにも、まず正解手など指せるはずもないわけで、どこかでつかまって尻子玉を抜かれることだろう。

 この将棋は先崎の強さが際立っていたから、懸命のラッシュにもすべて正確に対応できたけど、私レベルだと、強い人がくり出してくる、こういう手の数々にはめまいがしまくります。

 これがホント、ヒーヒーいうわけですが、それが楽しすぎるのがまた困りもの。

 将棋の終盤というのは観るのも指すのも、ほとんど麻薬だよなあと、しみじみ思うわけですね。

 

 (大山康晴の引退をかけた血戦編に続く→こちら

 

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「勝ち切る」ことの大変さ 先崎学vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 挑戦者決定戦

2020年02月18日 | 将棋・名局

 将棋の強い人に勝つのは大変である。

 序中盤で圧倒されてのボロ負けは、まだしょうがないとして、これが終盤で明らかにこちらが勝勢になってからも、そこから「勝ち切る」までの道のりが、また長いのだ。

 みなさまも指導対局や上位者との駒落ち戦でありませんか?

 

 「勝った」

 「寄った」

 「詰んだ」

 

 そう確信した瞬間に、読んでない手やアヤシイねばりが飛んできて、何度も「延長戦突入」になり、

 

 「もう、ここまできたんやから、勝たせてよ!」

 

 なんて、泣きそうになることが。

 前回は森内俊之九段の自陣飛車の受けを紹介したが(→こちら)、今回もそんな、強い人のねばり腰が発揮された一局を。

 

 1995年の第8期竜王戦。

 挑戦者決定戦に勝ち上がってきたのは、佐藤康光前竜王(当時の竜王と名人は失冠後しばらく「前竜王」「前名人」と呼ぶ変な習慣があった)と先崎学六段だった。

 この3番勝負、話題をさらったのは先崎の快進撃

 先崎六段(通称先チャン)といえば、奨励会時代から「天才先崎」と呼ばれるほどの才能の持ち主。

 プロデビュー後も、その実力にくわえ、文才や歯に衣着せぬ言動などでも人気棋士となったが、順位戦ではC級2組をなかなか抜けられず、またタイトル戦にも縁がなかったことが不思議がられていたもの。

 なもんで、この挑決進出には、「やっと来たか」という想いを強くしたファンも多かったが、さらに先崎はこの大勝負に、スーツではなくラフなチノパン姿で登場するという意表の行動に出る。

 本人の思惑はわからないけど、ふだんは紳士なのに、将棋に関しては「ケンカ上等」の佐藤康光を挑発しようという「盤外戦術」に見えるところ。

 もちろん、これに黙っている佐藤康光ではない。次の対局をジーパンで挑んだ先崎に、堂々の和服で登場。

 なんだか、戦後すぐの木村義雄升田幸三みたいだが、いやあ、どっちも負けてないねえと、まぶしいライバル心(先崎と佐藤はプライベートでは仲がいいが)に、観ている方は自然と頬もゆるむというものだ。

 将棋のほうも、2人の気迫が乗り移った激戦になる。

 佐藤先勝でむかえた第2局では、先手番の先崎が、今ではなかなか見なくなった「ひねり飛車」を選択すると、理想的なさばきで敵陣を突破する。

 むかえたこの局面。

 

 

 駒の損得こそないがが大きく、後手は玉が薄すぎることもあり、一目先手持ちに見える。

 となれば、ここで発動させるべきは、RPG風に言えば「コンフュージョン(混乱)の呪文」である。

 

 

 

 

 


 △16歩、▲同香、△17歩が、手筋中の手筋。

 居飛車党なら、なにはともあれここに手が行きたいもの。

 この手自体に、すごいきびしさがあるわけではないが、振り飛車党なら、

 「これが、イヤやねんなあ」

 なんて苦笑されるのではあるまいか。

 

 「美濃囲いは、端歩一本でなんとかなる」

 

 とはよくいわれることだけど、これですでに雰囲気はアヤシイのだから、恐ろしいものである。

 先崎はかまわず▲24角と出て、△19銀▲39玉から左辺に逃げ出す。

 以下、中央で華々しい大駒の振り替わりがあって、この場面。

 


 が手厚く、上部が開けている形で、こうなると先崎が逃げ切っているようにも見える。

 だが、相手は剛腕で鳴らす佐藤康光である。

 ここから、おそるべき怪力が発揮され、そう簡単には勝たせてくれないのだ。

 

  (続く→こちら

 

 

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エジプトの首都カイロ紀行 オールド・カイロ コプト人エリアを歩く

2020年02月15日 | 海外旅行
 エジプトは遺跡もいいが、人がおもしろい。
 
 先日もお話したが(→こちら)エジプトといえば、ギザのピラミッドをはじめ、ルクソールの遺跡群やアブ・シンベル神殿など見所だらけだが、それと同じくらい人が印象的だ。
 
 特にカイロっ子は感情が激しく、そこらへんでケンカが起ったりしてビックリするが、10分も経てば仲直りしてハグしたりとか、全体的にふり幅が大きい。
 
 そういうところが見ていて飽きないが、それ以外でも、カイロにはいろんな人がいるもので、オールド・カイロという地域を歩いていたところ、ある家族から声をかけられた。
 
 エジプトはイスラムの国だが、実は人口の1割ほど、数にして800万人ものキリスト教徒が住んでいる。
 
 信仰されているのは、コプト教という紀元前から残るエジプトの原初キリスト教。
 
 マイノリティーである彼らは、イスラム中心のエジプト人たちから、住むところや仕事を大きく制限され、危険で健康にも有害なゴミ処理業に従事せざるを得ないなど、きびしい迫害を受けているという。
 
 雑誌『旅行人』に連載された、エジプト在住経験もある田中真知さんの文によると、以前に新型インフルエンザが世界的に流行したとき、エジプト政府は多くの豚を殺処分しようとした。
 
 ところが、コプト教徒に言わせると、豚が原因であるというデータもなければ、そもそも患者も出ていないのに、勝手にそのようなことを決定するのは不自然だと。
 
 これはインフルエンザに乗っかったコプト弾圧であり、実際イスラム教徒が手を付けない養豚はコプトの大きな収入源となっているため、そう言われても仕方のない乱暴なやり方だった。
 
 そんなコプト教徒が住むのがオールド・カイロだが、歴史あるコプト教会など案外と見どころも多く、それ以上に、カイロ中心部と比べると静謐で、ゆったりした時間が流れる場所であるところが魅力だ。
 
 私はここを歩くのが好きだった。
 
 こちらに手を振るコプト家族は、庭にある木のテーブルに腰かけておしゃべりをしていた。
 
 おばあさんに、お母さん、高校生くらいの男の子に、そこいらを走り回る子供たち。
 
 ちょっとしたお茶会の雰囲気だ。なぜにて私などに興味を持ったかはわからないが、「こっちにこい」というのでお邪魔することにした。
 
 そこから思いもかけぬコプト&日本の交流会となった。
 
 もちろんのことこっちはアラビア語がわからないし、むこうも日本語どころか英語も片言だけど、とにかく私のことを歓迎してくれているのはわかった。
 
 チャイをいただき、コーラを飲み、パンやチーズ、オリーブなどをいただく。
 
 会話はほとんど成り立たないので、おたがいにニコニコするだけだったけど、むこうもそもそも無口なのか、気まずい感じにはならなかった。
 
 たしかに、喜怒哀楽が激しくアクが強いエジプト人とは、ずいぶんとちがう印象だ。
 
 おばあさんにすすめられるまま、チャイをおかわりする。子供が日本語版プレステのサッカーゲームで遊んでいた。
 
 そういえばエジプトでは、おばあさんのことばかりおぼえている。
 
 オールド・カイロでごちそうになった帰り、道に迷ってしまった。
 
 イスラムからの迫害を逃れるために、わざとそうしているらしいが、地図にも乗ってないようなゴチャゴチャした路地に迷いこんで、完全に方向感覚を失っていた。
 
 季節は春だったが、カイロの日差しは強い。
 
 暑さと疲れと心細さで、思わず道端にへたりこんでしまうほどだった。
 
 そこに、ひとりのおばあさんがやってきた。
 
 買い物かごをかついだコプトのおばあさんは、泣きそうになってしゃがみこんでいる私にみかんをふたつ手渡すと、なにやらブツブツと呪文のような言葉をつぶやき、そのまま笑顔で去っていった。
 
 わけもわからず、みかんを両手に阿呆のように突っ立っていると、その様子を見ていた八百屋のおじさんが、
 
 「ばあさんが、よかったら食べなさいってさ」
 
 拙い英語だが、一所懸命に語彙を探して教えてくれた。
 
 コプトとイスラム。前回も言ったが、宗教や文化はちがえど、「おばあさんは若者にものを食べさせたがる」というのは、どこでも同じなようだ。
 
 あの呪文はなんだったのか、こっちも身振り手振りをまじえて訊くと、
 
 「あなたの旅が無事でありますようにって、コプトの祈りを唱えてたんだよ」
 
 その後、なんとか帰り道を発見した私は、歩きながらそのみかんを食べた。
 
 それはパサパサで、甘みもそっけもなかったが、それでいて世界でもっとも美味なみかんであった。
 
 
 
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この自陣飛車がすごい! 森内俊之vs村山聖 1996年 第54期A級順位戦

2020年02月12日 | 将棋・好手 妙手
 「自陣飛車」というのは上級者のワザっぽい。
 
 飛車という駒は攻撃力に優れるため、ふつうは敵陣に、できれば成ってにして暴れさせたいもの。
 
 そこをあえて、自陣で生飛車のまま活用するというのは難易度が高く、いかにも玄人という感じがするではないか。
 
 前回は大山康晴十五世名人による、角を使った妙手を紹介したが(→こちら)、今回は飛車のうまい使い方を見てみたい。
 
 
 
 1996年、第54期A級順位戦の最終局で、森内俊之八段と『聖の青春』の主人公である村山聖八段が当たることとなった。
 
 村山はすでに残留を決めて、なかば消化試合だが、6勝2敗の森内は勝てば森下卓八段とのプレーオフ以上が決まる大きな勝負だ。
 
 森内が向かい飛車で△32金とあがる急戦を見せ、飛車角交換後に村山が▲45歩と突いたところ。
 
 
 
 
 
 角のラインを止めるのはむずかしそうで、攻め合いでも、△28△27にすぐ飛車を打つのは▲39金で、うまく桂香が取れない。
 
 となると、あの手が出てくる。
 
 「森内なら、こうだよね」
 
 通ぶりながら、打ちつけたい場所は……。
 
 
 
 
 
 
 
 △41飛と打つのが、森内流の腰の重い手。
 
 ダムを強力な支柱で支え、これで4筋は持ちこたえている。
 
 ▲44歩、△同銀、▲65角の攻めには△31飛打(!)が好手で、後続がない。
 
 
 
 △41飛に村山は▲23歩とたらすが、ここで△25歩と突くのが、これまた森内流の牛歩戦術。
 
 ▲58金右に、さらにじっと△26歩
 
 
 
 
 
 なんてイヤな手なのか。
 
 こんな手が間に合うのかといいたいけど、森内ほどの男に
 
 「間に合いますね」
 
 と言われては顔面蒼白になる。
 
 静かに、でも一歩ずつ確実に、ヒタヒタとせまるところは、まるでホラーめいた恐ろしさがあり、なんだか、パトリシア・ハイスミスの短編小説『クレイヴァリング教授の新発見』みたいではないか。
 
 こんなので負かされてはアツいということで、先手は▲44歩と取り、△同銀に勇躍▲22角と打ちこむ。
 
 △33桂と跳ね、▲42歩、△同飛、▲11角成と手をつくして攻めるも、△23金▲21馬△41飛打と再度の自陣飛車!
 
 
 
 
 
 
 これにはさしもの「西の怪童丸」こと村山聖もまいった。
 
 ▲43香、△同飛、▲32馬のような手にも、△34金でまったくダメージをあたえられない。
 
 ▲65馬と逃げるしかないが、これで後手玉はまったく怖いところがない。
 
 以下、△27歩成△28と△19と、と着々とせまり、△45桂から、取った△56に打って攻め切った。
 
 自陣飛車というだけでもめずらしいのに、それが2回も、それもまだ中盤戦で出るのだから、すごい作りの将棋だ。
 
 さらには、あの△25歩からの攻め。
 
 あの、なにかおそろしい圧が迫ってくる感は、今並べ直しても恐怖を感じる。
 
 まさに、森内俊之の名局といって、いいのではないだろうか。
 
 
 (先崎学と佐藤康光の竜王戦挑戦者決定戦編に続く→こちら
 
 
 
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大童澄瞳 原作 アニメ『映像研には手を出すな!』がおもしろい

2020年02月09日 | オタク・サブカル

 アニメ『映像研には手を出すな!』が、ガッツリおもしろい。

 人にはそれぞれ思い入れのあるジャンルというのがあるもので、元野球部員は『ダイヤのA』とか、元ロック少年だった現ロックオジサンには『ボヘミアン・ラプソディ』とか。

 そういった「これ、オレの話やから」というジャンルが、私の場合「文化系の部活」をあつかったもの。

 過去にも初野晴「ハルチカ」シリーズや(→こちら)、ドラマ『アオイホノオ』でも語ったが(→こちら)とにかくこの手の物語に弱く、まさに『映像研』などドンピシャなところを突いてくるなとワクワクさせられるのだ。

 私は若いころから、文章を書いたり舞台に立ったりするのが大好きな「表現したい」さんだった。

 高校では某文化部に所属し、文化祭をはじめ各種イベントで走り回った。

 そこからも落語をやったり、演劇をやったり、自主映画を手伝ったり、ミニコミ誌を作ったりといった青春を、やったりとったりしたもの。

 仲間を集めて、企画を立てて、会議して、金がなければバイトして、脚本を書いて、稽古して、ケンカして、受けてスベッて、泣いて笑って転がって。

 そこには金も才能も大してないが、熱意とアイデアだけはムダにあって、とにかく鬼の数ほど深夜のファミレスで過ごしたものだった。

 人生がつまらないという人は、一度舞台に立てばよい。そんな悩みなど、一瞬で吹き飛ぶはずだ。

 だからだろうか、私は自分と同じく「イケてない」人が、

 「リア充がねたましい」

 「クラスの一軍にあこがれがあった」

 なんていうのが、今ひとつ理解できない。

 だって、彼ら彼女らのやってることなんて、流行りのテレビか、あとはオシャレとかヒットソングとかそんなんの話ばっかりで、ちっともおもしろくなかった。

 その想いは、文化祭の出し物でクラスメートが、当時流行っていたコント番組の完コピを披露していたときピークに達したのをおぼえている。

 なんて、つまらないんだ。

 その理由は、今ならわかる。別に流行のコピーがダメなのではない。好きなものをマネたくなるのは創作の基本のキだ。だから、コピバンとかも、全然OKである。

 でもきっと、彼ら彼女らがやることの中に、決定的に欠けているものがあったのだ。

 それはまさに浅草氏の言うような、だれになにを言われようが、笑われようが無視されようが絶対にゆずれない自分だけの、

 「最強の世界」

 これを持っている子がいなかったから。

 たまさか、そういう人と組むことがあるとすぐわかって、彼ら彼女らは「なんかやろうぜ!」という声は勇ましく、飲み屋ではものすごく盛り上がるのだが、その後、本当に企画やアイデアを持ってくる人はひとりもいないのだ。

 だからこそ、それを持っているヤツに出会えたときは震えがきた。

 「重ねてみますか」

 「合作しようよ」

 「入部がダメなら、新たに部をつくりゃあいい話じゃないですか」

 そのイチイチに反応してしまうのだ。そんなん「よっしゃ!」とガッツポーズだよ。

 そうだ、ダメなら作って、創ればいい。それだけのことなのだ。

 だからこれは本当に言いたい。今がつまらないという若者は、いや若者でなくとも中年でも、おじいさんおばあさんでも全然。

 仲間を集めて、アニメを作ろう。もちろん、小説でも演劇でも映画でもゲームでもバンドでもお笑いでもYouTubeでも、なんでもいい。

 もし私が浅草水崎コンビに出会ったら、上田早夕里『華竜の宮』みたいな海洋SF撮ろうって誘うよ。

 ハインラインの『人形つかい』とか、マイクル・コーニイ『ハローサマー・グッドバイ』とか、池上永一『シャングリ・ラ』(戦車対少女だ!)なんてイメージでもいい。画は描けないけど、シナリオの部分を手伝わせてよ。

 それがムリなら、熱意や才能を持ってるヤツ探して、おだてて、すかして、嘘八百でだまくらかして「諸々のサポート」してあげてもよいではないか。金森君のように。

 ペンを取ろう、舞台に立とう、カメラを回し、プログラムを組もう。

 それだけで、そんな簡単なことだけで、行けるんだから。

 私たちの夢みる、自分だけの「最強の世界」に。

 

 

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「創作次の一手」ではありません 大山康晴vs飯野健二 1978年 十段戦リーグ予選

2020年02月06日 | 将棋・好手 妙手
 「受け将棋萌え」には大山康晴十五世名人の将棋が楽しい。
 
 前回までは羽生善治谷川浩司の「絶対王者」の座をかけた決戦を紹介したが(→こちら)今回は昭和の王者の将棋を。
 
 かつて無敵を誇った大山康晴名人といえば、そのしのぎの技術が際立ってい。
 
 
 「助からないと思っても助かっている」
 
 
 という有名な大山語録にあるように、相手からすれば「勝った」と思ったところから見事にしのがれて、絶望の底にたたき落とされるのだ。
 
 今回紹介したいのは、十段戦飯野健二四段(飯野愛女流初段のお父様)との一戦。
 
 
 
 
 若き日の飯野先生。
 
 
 
 十段戦というと、若い将棋ファンにはなじみがないかもしれないが、これは今の竜王戦のこと。
 
 昔からある「九段戦」が「十段戦」になり、さらに「竜王戦」に発展したわけだ。
 
 この十段戦にはひとつ特徴があって、それが挑戦者決定リーグに入る難しさ
 
 なんといっても、年に2人しか入れないという狭き門だったのだが、その分リーグ入りを果たせば、トップ棋士と10局も指せるというゴージャスな場が約束される。
 
 特に低段者にとっては収入経験値、また周囲からの評価という面でも、非常に得るものが大きい棋戦なのだ。
 
 過去にも、土佐浩司四段有森浩三四段泉正樹五段などがリーグ入りして大いに名をあげたが、その「十段戦ドリーム」にチャレンジする権利を得たのが、若手時代の飯野だった。
 
 
 1978年の十段戦リーグ予選。
 
 決勝まで勝ち上がった飯野は、大山康晴と相対することになる。
 
 大山の四間飛車に、飯野は左美濃で対抗。
 
 双方、銀冠に組み替えたところから飯野が仕掛け、玉頭戦のねじり合いに突入する。
 
 むかえた最終盤。先手の大山が▲13角と王手して、飯野が△12玉とかわしたところ。
 
 
 
 
 先手陣は△28角成詰めろになっている。
 
 受けるなら、飛車の横利きをうまく使いたいが、▲57銀などでは△38歩くらいで負け。
 
 一方、後手玉は詰まない
 
 となれば、一目後手勝ちである。飯野が、夢のリーグ入りだ。
 
 ところがここで、大山に奇跡的なしのぎがあった。
 
 絶体絶命にしか見えない先手陣だが、3手1組の好手順で逃れている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲49銀、△同香成、▲57角成まで先手勝ち。
 
 まず銀を▲49に引くのが序章。
 
 
 
 
 今度△38歩は、▲同飛と取る。
 
 △同金には▲同銀引(▲同銀上でもほぼ同じ)で、△28飛には▲19玉打ち歩詰めになって詰まない。
 
 △27歩と、ムリヤリ詰めろをかけても、先手はを手に入れたことから、▲24桂と打って、△同金に▲22角成と捨てるのが好手で、後手玉が詰むのだ。
 
 
 
 
 
 △同金▲13金から。
 
 △同玉も、▲21金から、どちらも▲24金と出る形で捕まる。
 
 かといって▲49銀に、そこで△27金▲46角成が、を取りながら▲28に利かす、詰めろ逃れの詰めろで後手負け。
 
 
 
 
 
 結局△49同香成と取るしかないが、通路をふさいでいた香車がどくことによって、今度は▲57に成り返る筋が可能になった。
 
 
 
 
 
 これで、△28金には▲同飛△39角成には▲同馬△28銀はスルリと▲18玉の死角に入って寄りはない。
 
 後手玉は受けなし。見事な「必至逃れの必至」でゲームセット。
 
 大山がこの筋を、どこから読んでいたのかは不明だが、こんなギリギリの形に呼びこんでいるのだから、かなり前からイメージしていたのだろうか。
 
 とにかく、あれこれ駒をいじくってみるとわかるのだが、▲13角からの組み立ては、後手がどの組み合わせで攻めても、すべての手順で先手はピッタリ受かっている。
 
 『将棋世界』の人気コーナー「イメージと読みの将棋観」で、この局面を見た渡辺明三冠が、
 
 

 「知ってます。創作次の一手ですね」

 

 
 と言ったのは有名な話だが、まさに作ったような駒の配置なのだ。
 
 ▲57角成の局面で飯野は投了したが、投げるまでに17分考えている。
 
 飯野のような新人棋士にとっては、その後の人生に関わる大一番であったはずだが、そこにこんな局面と出くわすというのは、どんな気持ちだったろうか。 
 
 
 
 
 (森内俊之の自陣飛車編に続く→こちら
 
 
 
 
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エジプトの首都カイロ紀行 ギザのピラミッドやアブ・シンベル大神殿=『VOW』物件説

2020年02月03日 | 海外旅行
 「《英雄》とか《偉人》の跡を見ると、笑ってしまうクセがある」。

 私は海外旅行が好きなのだが、その先にはよく「偉人の墓」とか「英雄の名前のついた通り」があるもので、そういうところを通ると、

 「よう自分のために、こんなデカいもん作ろう思ったな!」

 「街のそこかしこに、我がの名前がついてるのん、どういう気持ちやねん!」

 なんて完全にフットボールアワー後藤さんのごとき「つっこみモード」に入ってしまい、もう爆笑してしまうのだ。

 エジプトのピラミッドなどその最たるだが、これにかぎらず、エジプトという国はこの手の「偉人の遺跡」には事欠かない。

 映画『ナイル殺人事件』でミア・ファローが高笑いしてたアブ・シンベル大神殿とか、ルクソールのカルナック神殿なんて、ムダにデカすぎて、まるでロールプレイング・ゲームの世界。

 どこ見ても『ドラクエ』とか『ロード・オブ・ザ・リング』の世界で、私などもルクソール観光では自転車をこぎながら(ルクソールはチャリで回るのが効率良し、ただし夏は直射日光で死にます)ずっと、「アレフガルドのテーマ」を歌っていたものだ。

 もしくは『ワイルドアームズ』のダンジョンとか。例は古いが、とにかくそれくらいの「異世界」感なのだ。

 メインイベントのピラミッドも、とにかくでかいのが魅力である。

 でかい、でかい、ばかでかい。

 テレビやガイドブックなどで散々見せられているあの四面ダイスだが、実際に見て見るとやはり迫力が違う。

 「生ピラミッド」は、たしかにそのために航空券代を払う価値もあろうというもの。

 「でかいというのは、それだけでエライことだ」

 という、森永エールチョコレート的真理を教えてくれるのが、ギザのピラミッドの偉大なところだ。

 もう問答無用の大遺跡で、それだけでも満足だが、エジプトの魅力はそういった観光資源だけでなく、案外と現地の人だったりする。

 ピラミッドを見に行ったときも、その日が休日だったのか、ふもとでピクニックを楽しんでいる家族連れがたくさんいた。

 そのうちの一組に手招きされ、「食べなさい、食べなさい」と、キョフテ(ミニサイズの羊肉ハンバーグ)をたらふくごちそうになったもの。

 「若者を見ると、おばあさんはやたらとモノを食わせたがる」

 というのは、洋の東西を問わないらしい。
 
 ……とかマトンをほおばりながらモゴモゴ言ってたら、隣にいたヤングたちが苦笑いしていたから、

 「いや、そんなにお腹空いてないねん、おばあちゃん」

 そう子供側が思っていることは日本もエジプトも同じと確認できて、なにやら感慨深いものがあった。

 こうして、市井の人々が、ピラミッドの下でお茶を飲んだり、その子供が鬼ごっこをしたりしている光景はいいものだ。

 それは単にほのぼのするというだけでなく、

 「《王の墓》なんていったって、時がたてば地元民にはこの程度のあつかい」。

 という「のほほん」なところ。

 私が「偉人の跡」「英雄名の通り」に笑ってしまうのは、こういうところにある。

 いや、もちろん「王」とか「大統領」とか「チャンピオン」とか「カリスマ」といったものを、あがめるにしくはない。

 たとえば将棋における「升田幸三賞」のように、後世の人がリスペクトあまねきためにつけるなら問題ないけど、その張本人が、
 
 「これ、ちゃんとオレの名前つけといてな」
 
 などと主張し、でかい墓を建てたり、銅像を建てたり、公園やスタジアムを整備するのは相当にマヌケである。

 なにかこう、「成り上がり」感がすごいというか、オレ様やなあというか、そこがかわいいといえばかわいいというか。

 少なくとも私なら、地元の駅前にすごく美化された自分の像があって、その生涯を礼賛するようなプレートとか飾ってあったら、速攻で取り壊させて、その「革命後に破壊される独裁者の像」みたいな動画をYouTubeにアップします。

 「せめて、みなさんに笑っていただく」

 くらいの気持ちがないと、そんな恥ずかしいこと、ようやりませんで。

 このキョフテのおばあちゃんも、ピラミッドを見上げながら、なにやらブツブツ言っていて、なんのこっちゃと首をかしげていると、
 
 「なんでこんな高さにしてるんや。ウチに地べたにすわれっちゅうんか。昔の人も、もうちょっと考えて作らなアカン」

 そんなボヤキを発していると、近くにいた若者が通訳してくれて、もうメチャクチャに笑ったのである。

 ギザの大ピラミッドも、昔は王の偉大さを表していたが、今のエジプトおばあちゃんにとっては、「すわりにくいイス」にすぎない。

 このミもフタもなさがステキだ。
 
 もしまかり間違って私がどこかで偉人なんかになってしまったら、ぜひその功績はこのようにぞんざいに扱われて、『VOW』物件として歴史に名を残したいものだ。

 
 (オールドカイロ編に続く→こちら
 
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