蔵前仁一『あの日、僕は旅に出た』 もしビジネスにうといバックパッカーが「社長」になったら その2

2019年07月31日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。
 
 「お兄ちゃん、将来はエライ社長になるんやで」。
 
 私に期待をかけてくれたおばあちゃんに、ぜひ読んでほしいのが蔵前仁一さんの『あの日、僕は旅に出た』。
 
 ここで伝えたいのは、
 
 「インドのおもしろさ」
 
 でもなければ、
 
 「『旅行人』の出版業界における歴史的価値」
 
 などでもなく、
 
 「金にも名誉にも執着のないバックパッカーが社長になると、こんな大変なことになるよ、おばあちゃん!」
 
 という、ボンクラ孫息子の天国へのメッセージなのだ。
 
 実際、この本を読んでいると、もう笑いながら何度もつぶやかされるのだ。
 
 
 「蔵前さん、全然社長にむいてない!」。
 
 
 これは決してディスではない。なんといっても、本の中で蔵前さん自身が何度も、自分でそうおっしゃっているのだ。
 
 下手すると、そのことを伝えるために書き下ろしたのではと思ってしまうほど、このフレーズは多発している。
 
 蔵前さんが、小さいとはいえ「一国一城」の主として君臨するのに向いてないなと思わせる要素はいくつかあって、
 
 
 その1「お金に興味がない」。
 
 曲がりなりにも社長をやっているのに、蔵前さんには
 
 「もっと、もうけたい」
 
 「いい暮らしをしたい」
 
 といった発想が、まったくといっていいほどない。編集者が、
 
 「売れるから、こういう本を出しましょう」
 
 「このシリーズは調子がいいから、続編を」
 
 と提案しても、「めんどくさそうですね」みたいなことを言って、苦笑しながら断ってしまう。
 
 いやいや社長やったら、そこはがんばらないと! ビジネスの世界は、稼いでナンボでっせ!
 
 
 その2「自分のペースで仕事をすることが優先」
 
 1の流れもあって、蔵前さんには「会社をどんどん大きくしたい」したいという気持ちが皆無に近い。それよりも、
 
 「自分のやりたいことを、自分のリズムでやりたい」の方が大事。
 
 なまじ規模が大きくなって、現場仕事が出来なくなるのがイヤ。そもそも、旅行が好きだから、その雑誌を作ったのに、制作に追われて旅に出られない! とボヤくことしきり。
 
 だから、社長が長期旅行とかダメですやん!
 
 仕事が軌道に乗り、忙しくなってくると、むしろ逆に規模を縮小したりするんだから、なにをかいわんやである。
 
 
 3「権威というものに興味がない」。
 
 社長なのにもかかわらず、そこに付随する「役得」をまったく享受しない。
 
 そもそも、社長は格安航空券で飛ばない、インドの安宿には泊まらない、アフリカのキャンプ場でテント生活をしない(笑)。
 
 一応は一国一城の主なのに、いばるどころか、むしろそう呼ばれることを、いかにも居心地悪そうにしておられる。
 
 オシャレや食べるものにも無頓着。オフィスにトロフィーや高い骨董品を飾らない。
 
 美人秘書兼愛人を引き連れない。キャバクラで高い酒も空けない。自己紹介のイラストはサンダル履きだ。
 
 しかもそれが、「あえて、キャラづけでそうしている」わけでもないんですね。たぶん蔵前さんは、本とかイラストにある、あのまんまの人。
 
 安宿に泊まるのは、取材とか「旅人」なんてイキってるとかでもなく「そっちのほうが楽しいから」。ただ、それだけ。
 
 上昇志向や見栄を張ることに、てんで力が入ってない。
 
 さらにいえば、『深夜特急』のフォロワー旅行記によくある自己陶酔とも無縁。「旅のカリスマ」という紹介のされ方もご不満なよう。
 
 実績的には「レジェンド」といっていい人だと思うけど、そう呼んだら、きっと笑われちゃうんだろうなあ。
 
 
 4「自分への見切りが早い」。
 
 蔵前さんは自分が商売人ではないことを自覚して、本書の中でも何度も書いてるけど、ちょっと自覚しすぎるところもある。なんといっても、
 
 
 「僕はビジネスに関しては知識も興味もない」
 
 
 社長失格な発言も、平然とされているという、お人。しかも、だからといって、
 
 「じゃあ、会社も作ったし、いっちょがんばってビジネスを極めるか」
 
 といった意識はない模様。
 
 だって、できないものは、できないもの。この良くも悪くも「自己評価がドライ」なところも、いかにも。
 
 途中から、有能なお兄さんが営業などを引き受けてくれ、多少は経営も改善されたものの、それでも失敗ごとに当の社長が、
 
 
 「いやはや、僕に商売は向きませんね」
 
 
 頭をかいている次第なのだ。
 
 しょうがないよなあ、向いてないんだもの。
 
 そんな、どこまでも商売人でない蔵前さんが、なぜわずらわしい社長業を請けおってまで『旅行人』を作成していたのかといえば、これはもうズバリ
 
 「自分のおもしろいと思った本を出したいから」。
 
 この一点。そのために、「しょうがなく」社長をやっている。
 
 しゃあないから。たぶん、ビジネスに興味のない人間は、この理由以外では絶対に社長をやらないのだ。
 
 以上のように、この本は旅や零細出版社の裏事情とともに、
 
 「もしもビジネスに向いてないバックパッカーが、ビジネスをやったら」
 
 というドリフのコントのような副題をつけたくなる内容なのだ。
 
 でもって、私は読みながら蔵前さんの苦戦する気持ちがよくわかる。
 
 なんたって、私もまた「ビジネスに知識も興味もない」バックパッカーのひとりだからだ。
 
 おまけに、上記の「蔵前仁一が社長に向かない要素」を、丸まま自分もかかえている気がする。
 
 だからたぶん、もし自分がおばあちゃんの言うように「社長」になったら、きっとこんなドタバタがくり広げられるんだろうなあと、容易に想像がつく。
 
 もう読みながら、楽しいのと同時に、いたたまれなくて(苦笑)。
 
 『旅行人』が残れたのは、蔵前さんの絵や文章の力、才能を見出す編集センス。
 
 それにバックパッカーに慕われるキャラクター力と、あとはいろいろな幸運があったからだろうけど、それらが皆無な私が同じことしたら、なにかもう悲惨な予想しか浮かびません。
 
 というわけで、天国のおばあちゃんには、ぜひこの本を読んでいただいて、
 
 「あー、ウチのお兄ちゃんは社長に向いてないんやなあ」
 
 と納得していただきたいものだが、そこはアクティブなおばあちゃんのことだ。
 
 これに影響を受けて、底の抜けた孫のことなどほっておいて、インドで「クミコハウス」みたいな宿屋経営とかはじめたりして。
 
 
 
 
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蔵前仁一『あの日、僕は旅に出た』 もしビジネスにうといバックパッカーが「社長」になったら

2019年07月30日 | 海外旅行
 「天国のおばあちゃんに、この本を読んでほしかったなあ」
 
 というのが、蔵前仁一『あの日、僕は旅に出た』を読み返すたびに思うことだ。
 
 蔵前仁一さんは20代のころ、はじめて旅したインドに当てられて、アジアやアフリカなどを経めぐるバックパッカーになった。
 
 帰国後は『ゴーゴーインド』『旅で眠りたい』など、旅関係の著作やイラストレーターとしても活躍され、売れっ子作家に。
 
 また、『遊星通信』というミニコミから発展していったバックパッカー専門誌『旅行人』(現在は休刊中)の編集長もつとめる。
 
 そこでも、グレゴリ青山、宮田珠己、岡崎大五など多くの実力派クリエイターを発掘し世に送り出してきた、旅行好きの中では知る人ぞ知る有名人なのである
 
 この『あの日、僕は旅に出た』は蔵前さんがデザインなどの仕事を辞めてインドに出かけた経緯や、その後、吹けば飛ぶようなコピー誌だった『旅行人』が、いかにして立派な(?)出版社になっていったかを中心に語った自叙伝だ。
 
 私も旅行好きで、『旅行人』を定期購読し、蔵前さんの著作は全部持っているという大ファンなので、この本に書かれたエピソードは、どれも興味深く読んでいて、でもって思うことが、冒頭のこと。
 
 「うちのおばあちゃんに、ぜひこれを手に取ってもらいたかったものだ」。
 
 というと、わが愛する母方のばあちゃんが、旅行好きだったのか、はたまた旅にあこがれていたのに果たせなかった想いがあったのか。
 
 といえば、これがそういうわけでもなく、それどころかむしろ、ワーカホリック的なところがある働き者。
 
 根っからの商売人で、西日本のとある街にかまえた自分の店をせっせと切り盛りし、空いた時間は地域の活動や、ボランティアにはげんだり。
 
 とにかくよく動き、世話焼きで、いつ寝ているのかというくらいにアクティブな、バックパッカーの真逆ともいえる仕事人間なのだ。
 
 そんな「止まったら死ぬ」系のばあちゃんの口癖が、
 
 「お兄ちゃん、大人になったらエライ社長になるんやで」。
 
 大東亜戦争や敗戦後の混乱期、その後の高度経済成長。
 
 そんな激動の日本を生きてきた我がおばあさまは、今は死語となった「立身出世」という言葉を、まだリアルに感じていた世代の人だった。
 
 とはいえ、単純に勉強だけしてサラリーマンや役人になっても、人に使われるのはバカバカしい。
 
 まだ女性の地位が低かった昭和期に、女手ひとつ小さいながらも一国一城の主でやってきた我がおばあちゃんは、
 
 「男の子はかしこいだけではアカン。独立して自分の店をもって、社長にならな甲斐がない」。
 
 しょっちゅう孫たちに口にしていたのだ。
 
 これに対して、いつも私は
 
 「いや、ボクはそういうガラちゃうから。社長とかムリやし、そもそもビジネスとか、そんなん全然興味もわかへんよ」
 
 なんて笑っていたのだが、どうもばあちゃんは私の学校の成績が、そこそこよかったのを見て、
 
 「勉強ができる=頭がいい=仕事も有能にちがいない」
 
 といった、昔の人にありがちな方程式を抱いていたっぽいのだ。
 
 いや、偏差値とその人の有用性は、リンクしてるようなしてないような……。それに勉強できるいうても、別に学年トップとかでもないわけで……。
 
 偏差値と能力の関連に対する意見は様々ですが、まあ、こればっかりはケース・バイ・ケースで人によりますよねえ。
 
 そんな筋違いな期待を受けていた私が、ぜひともこの蔵前編集長の本から、おばあちゃんに伝わってほしいのは、
 
 「蔵前仁一の軽妙洒脱な文章」
 
 でも、
 
 「旅のすばらしさ」
 
 でもなく、
 
 「金やビジネスや地位や名誉に、興味もなんもないバックパッカーが社長になると、こういうことになりまっせ」。
 
 という、「実録・スチャラカ社長シリーズ」としてのレポートとしてなのである。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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この「クソねばり」がすごい! 佐藤康光名人vs谷川浩司九段 1999年 第57期名人戦第6局 その2

2019年07月24日 | 将棋・名局
 前回(→こちら)の続き。
 
 1999年、第57期名人戦第6局は、終盤で佐藤康光名人が勝ちを逃し、谷川浩司九段必勝形になっている。
 
 
 
 
 
 後手玉は入玉し、先手玉は受ける形がない。
 
 カド番の佐藤だが、さすがに投げるしかないという局面で、だれもが
 
 
 「谷川、名人に復位」
 
 
 そう確信したところ、まさかの1手が飛び出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲76飛と歩を取ったのが、血まみれの松田優作も「なんじゃこりゃあ!」とさけぶ驚愕の手。
 
 手の意味は、そりゃ△77への打ちこみからの詰み筋を消したわけだけど、こんなのふつうは指さないよ。
 
 なんたって、これは本当に詰みを防いだだけで、他になんのねらいもプレッシャーもないのだ。
 
 ただ、投了を数手先にのばしただけ。
 
 しかも、下手すると形も作れない、なんてことになりかねず、実際ここで後手にいい手がある。
 
 センスのいい方は、パッと見えたかもしれない。
 
 そう、△93角と出るのが好手。
 
 
 
 
 取られそうになっている角を逃げながら、△75△66と先手玉の上部と飛車を押さる。
 
 さらには、△48まで自玉の守りにも利いてくるという、一石三鳥のすばらしく味の良い手なのだ。
 
 そうすれば、ねばるどころか、ますますヒドくなるだけ。
 
 そもそもこの▲76飛というのが、理屈抜きで「将棋に無い手」なのだから、どちらにしても状況が変わるはずもないのだ。
 
 ……というはずだった。
 
 ところが、谷川はこの0,1秒で見えたはずの角出を指さなかった。
 
 理由はわからないが、やはり谷川も△49同との場面で投げると思っていたのだろう。
 
 居飛車穴熊相手に、ずっと苦しい場面を耐え抜いて、「やっと勝った」と息をついたその一瞬、まさかの▲76飛が飛んできた。
 
 それが、エアポケットのように、谷川のペースを狂わしたのだろうか。
 
 先も書いたが、▲76飛という手は、そもそも1手の価値が、ほとんど無い手だ。
 
 ましてや、谷川浩司が先手だったら、絶対に指さなかったろう。
 
 そこにもう1手、戦いは続いた。しかも、それは谷川にとって、あきらかに不協和音で二重の意味で意表だった。
 
 それでも勝っているが、佐藤と同様に、疲れのたまった秒読みの中、混沌とした局面で、ギアを入れ替えるのはプロでもむずかしい。
 
 谷川は角を出る代わりに、△85桂と跳ね、▲89桂の受けに、△75歩と押さえる。
 
 自然な攻めで、これでも問題ないように見えるが、佐藤も▲79飛と引き、△96歩、▲同歩、△76銀▲78香と、やはり「ど根性」を見せる。
 
 
 
 
 
 後手の自然な攻めに、先手はどこまでも「土下座外交」しかないが、すでに雰囲気はアヤシイというのだから、勝負というのはおそろしい。
 
 △96香▲76香と取ったところで、とうとう後手玉に▲48銀以下の詰めろがかかった。
 
 執念の追いこみだ。
 
 
 
 
 
 ここで、谷川に敗着が出た。
 
 △77銀と打ったのが、自然に見えて悪手だったのだから、いかにも運がなかった。
 
 1分将棋のなんでもありの中、佐藤の「念力」が通ったというべきか。
 
 ここは△7七角と、銀を残して王手すれば、詰んでいたのだ。
 
 ▲同桂△98香成と取って、▲同玉△97銀と、温存した銀を打てば詰み。
 
 ▲同桂△98香成▲78玉も、△77桂成、▲同玉、△76歩から押していけば、自然に詰む形になるのだ。
 
 そこを銀打から入ると、▲同桂△98香成、▲同玉、△91香
 
 
 
 
 
 これで詰みにしか見えないが、次の手が妙手だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲96歩中合があって詰まない。
 
 ここで△77銀の罪がわかり、角打でを残していればば、△97に打って簡単だったのが、おわかりいただけるだろう。
 
 本譜の△同香から追って、▲89玉、△88歩、▲78玉、△77桂成、▲同玉、△76歩▲86玉と進めば、▲96歩効果が一目瞭然。
 
 
 
 
 
 中合がなく△91にいれば、9筋に逃げられないから、△75金で簡単に捕まっている。
 
 とはいえ1分将棋の上に、2日制将棋の2日目で、しかも夜の12時(!)に近い攻防となれば、それも責められない。
 
 
 
 
 
 △81香は「最後のお願い」だが、ここで決め手がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲84桂の2度目の中合で、やはり不詰
 
 △同香と取るしかないが、▲95玉で先手が勝ち。
 
 泥仕合の終盤だったが、最後は教科書に載っているような、きれいな手筋で終わったところがおもしろい。
 
 ウルトラ大逆転で、勝利をものにした佐藤康光は、第7局にも勝って名人防衛。
 
 一方の谷川は、その後も2度名人戦に登場するが、復位はならなかった。
 
 それもこれも、「100回に1、2回しか勝てない」局面で、好手でも妙手でもなく、▲76飛という「クソねばり」を見せたからだ。
 
 なんという、筋の通らない話だろうか。
 
 そしてこの「論理の中の非論理」こそが、まさに将棋というゲームの醍醐味なのである。 
 
 
 
 (大山康晴の受け編に続く→こちら
 
 
 
 
 
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この「クソねばり」がすごい! 佐藤康光名人vs谷川浩司九段 1999年 第57期名人戦第6局

2019年07月23日 | 将棋・名局
 将棋の世界には「クソねばり」という言葉がある。
 
 形勢が不利になると、逆転をねらって「ねばる」というのは、当たり前の行為だが、中には
 
 「もうムリっしょ」「早く投げろよ」
 
 という声が多勢をしめるような局面にもかかわらず、それでも根性(もしくは投げきれなくて)で指し続ける場合がある。
 
 こういうのを、少々下品な言葉だが「クソねばり」というのだ。
 
 前回は強靭な受けを誇る木村一基九段によるタイトル戦での熱戦を紹介したが(→こちら)、今回は佐藤康光九段の同じ受けでも「クソねばり」なそれを。
 
 
 1999年、第57期名人戦
 
 佐藤康光名人谷川浩司九段の7番勝負は佐藤の開幕2連勝の後、谷川が逆襲で3連勝し、名人復位に王手をかけて第6局へ。
 
 後手の谷川が、シリーズ2度目の四間飛車を選ぶと、負けたらお終いの佐藤は4枚穴熊にもぐって果敢に攻めかかる。
 
 「固めてドッカン」の穴熊流特攻を、谷川もきわどいところでしのいで、形勢は佐藤有利だが、いい勝負にも見える。
 
 とにかく佐藤の剛腕と、水際で持ちこたえながら、そのスキを見て穴熊を巧妙に削っていく谷川のワザ。
 
 これぞ勝負将棋と見所満載で、ぜひ盤に並べて堪能していただきたい一局だ。
 
 むかえた最終盤。
 
 
 
 
 双方の玉形が、いかにもな熱戦を感じさせるが、この△66歩と突いたのが好手。
 
 さりげない手に見えて、上部脱出を見せながら、△77歩成、▲同玉に△65桂からの詰めろになっている。
 
 解説の塚田泰明八段によると、ここで▲56金と打って上部を厚くしておけば、これが詰めろのがれの詰めろで、難解ながら先手が勝ちだった。
 
 佐藤は最後1分をここで使って▲63銀打と詰ましに行くが、これが秒に追われ、あせった手。
 
 △同銀、▲同銀不成△65玉と泳ぎ出し、▲66歩、△同玉、▲67歩△57玉
 
 ぬるぬる逃げて、なんだかアヤシイ雰囲気である。
 
 
 
 
 
 ここで気持ちを切り替えて▲69桂と打ち、△48玉に▲78飛と王手して、手順に▲77の地点を守ってから▲71成桂と取っておけば、まだ佐藤が勝ちだった。
 
 しかし秒読みの中、佐藤名人はブレーキを踏めず▲68銀と打って、△同玉に▲78飛と深追い。
 
 △59玉に▲52竜が、ふつうならピッタリなのだが、△55歩と中段で止められてしまう。
 
 
 
 
 
 どこで佐藤に錯覚があったかはわからないが、これで詰みはないことはハッキリした。
 
 以下、▲58金、△49玉、▲48金打
 
 必死で追うも、△39玉▲79飛△49金、▲同金、△同と、まで、どうやら結末が見えてきたようだ。
 
 
 
 
 
 形勢は大差である。
 
 後手玉は入玉を果たし、先手は△77銀からの詰めろで、受けても一手一手の形。
 
 ここで「次の一手アンケート」を取ったらどうなるだろう。
 
 おそらくは、まあまあの数の人が「投了」をクリックするのではあるまいか。
 
 実際、見ていただれもが、ここで投げると思ったそうだ。今見て、私だってそう思う。
 
 それで谷川名人誕生だ。
 
 そもそも投げないとしても、ここで先手に指す手が、まったくないではないか。
 
 実際、佐藤康光本人すら、
 
 

 「100回やったら、1回か2回しか勝てない局面」

 

 
 そう認める必敗形
 
 ところが佐藤は投げなかった。後年、
 
 

 「今見直しても、やはり投げないと思う」

 

 と語った佐藤は、ここでもう1手、まさに「クソねばり」の見本のような手を指す。
 
 それは決して、好手でも妙手でもない。
 
 ただ、「投げなかった」というだけの手だが、それがこの期の名人戦を左右する、とんでもないドラマを生み出すことになるのだから、勝利の女神というのは実に気まぐれで、また不条理なものである。
 
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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「勇気」の価値は アントニオ・タブッキ『供述によると、ペレイラは……』

2019年07月20日 | ちょっとまじめな話
 アントニオタブッキ供述によると、ペレイラは……』を読む。


 「勇気を持つこと」


 これについて、どう教えたらいいのだろうと、ずっと悩んでいる。

 私は独身貴族だが、もし将来子供ができたら、彼ら彼女らが成長過程で当然持つであろう疑問に、どう答えればいいのか考えることがある。
 
 たとえば、なにか決断するとき、「勇気」を持って行動するべきかどうか。

 なんていうと、
 
 
 「そんなことは当然だろ。それともお前は子供に卑怯者とか臆病者になれと教えるのか」


 なんだか、しかられてしまいそうだけど、それでもとぼしい人生経験上でも、


 「《勇気ある者》は実社会ではをしているケースが多い」


 という、イヤ現実を何度も見さされてきたからだ。

 私の周囲でも、「勇気」を持っている人はいた。

 いじめをゆるさない人、差別搾取と戦う人、強者横暴を阻止しようとする人、不正ごまかしを見て見ぬふりをできない人。
 
 世の様々な不公正を、「人生とはそんなもん」とスルーしない人など。

 だが、彼ら彼女らはその「勇気」に対して、評価が不当であることが多いのだ。

 通知表の数字を下げられたり、中傷されたり、を引っ張られたり、左遷されたり、理不尽な謝罪を要求されたり。

 中には彼ら彼女らの「仲間」や「守ろうとした人」からすら、裏切り迷惑そうな顔を向けられたりもしている。

 こっちも一応子供ではないから、「世界は不公平にできている」ことくらいは理解するけど、じゃあその中で「勇気」を持って生きようとすることに、どんなメリットがあるの?


 「まあ、それが大人の社会ってもんじゃん」


 なんて、クールなふりをできればいいんだろうけど、因果なことに私は文化系の読書好きで、映画好きである。

 そして、「物語」というのは、そういう安易な考えをゆるしてくれず、「待たんかい」と襟首をつかんでくる。
 
 アントニオ・タブッキの『供述によると、ペレイラは……』も、そんな作品のひとつなのである。

 舞台は1938年ポルトガル
 
 ドイツイタリアファシスト政権が確固たるものになり、隣国スペインではフランコ将軍が反乱を起こし内戦が勃発している。

 かくいうポルトガルも独裁者アントニオサラザールが君臨し、思想言論への締め付けが強化されている。
 
 そんな息苦しさにつつまれたヨーロッパで、この物語は幕を開ける。

 主人公は小さな新聞『リシュボア』の記者ペレイラ

 もとは別の新聞の社会部で働いていたのだが、今は文芸担当。
 
 太っていて心臓が弱く、養生をすすめられているが、好物である砂糖たっぷりのレモネードと香草入りオムレツはやめられない。

 日々の仕事を淡々とこなすけど、さして勤勉というわけでもなく、事なかれ主義的であり、なにかあれば家で亡きの写真に話しかける。

 特に悪い人間でもないが、格別すぐれたところがあるわけでもない。いわば我々と同じ、「よくいる小市民」なのである。

 そんな彼は、経済的に困窮し、新聞社に原稿を売りこみに来たモンテイロロッシという青年と出会うことから、少しずつ人生のレールが軋み始める。

 ファシズム批判するような原稿を書くモンテイロ・ロッシに対して、当初は困ったような反応をしていたペレイラだが、なし崩し的に彼に協力していくことになる。

 理由はわからない。青年の志に共感したのか、また作中で何度も「子供がいない」と語られるところなどから、自分の息子のように肩入れしてしまったかのか。
 
 そこはハッキリとは書かれないが、主義主張というよりは惚れた女利用される形で、しかも書いてきた原稿は彼女の請け売りという、決して有能とは言えなさそうな彼のため、天をあおぎ、ボヤキながらも、ペレイラはどんどん深みにはまっていく。

 そうして気がつけば、すっかり権力側から「要注意人物」とマークされ、様々な困難に直面する羽目になってしまうのだ。

 何度も引き返すチャンスはあったはずなのに、いつの間にかペレイラは、望んでいなかった政治的トラブルに肩までつかることに。
 
 そして最後に「凡人」であったはずの彼が取った行動とは……。

 タイトルがすでに、ある意味「ネタバレ」(解釈は色々あろうけど)になっているため、中盤からクライマックスにかけて、カタストロフへの疾走感にはフルえがくる。
 
 彼はなぜ、危険な物件であるモンテイロ・ロッシの原稿を破棄せず、せっせとアルフォンスドーデーなどフランス小説を訳すのか。

 「批判的精神」を失い、「愛国的でない」物語を紹介するペレイラを怒鳴りつける『リシュボア』の部長

 嬉々として卑劣なスパイ活動にいそしむ、管理人のセレステ
 
 インテリで弁は立つが、悪くなる時代に対して何もする気がないシルヴァ

 そして、ナチスの「突撃隊」のように、権力側にいることを本人自身が偉くなったとカン違いして、無辜の市民に暴力をふるう「ちんぴら」たち。

 彼らの横暴諦観がペレイラをして、作中の様々な行動に走らしめるのだが、「英雄でない」彼が、なぜ赤の他人のため、そんなことになってしまったのか。

 そう問われたら、作中の言葉を借りればペレイラの「たましい」ゆえのことである、としか答えられない。

 彼はなんてことのない人間である。それが、ある決断をすることによって「供述」を取られる立場に追いこまれたのだ。
 
 それをタブッキは淡々と、それでいて熱く語り続け、問う。

 「あなたなら、どうする」と。

 ここで私は思うのだ。

 果たして「勇気」の対価とは?

 なにかが起こったとき「たましい」を守るための行動に出られるか。そして、「その結果」を受け入れられるか。

 将棋のプロ棋士である先崎学九段は、若手時代に苦労がなかなか報われなかったとき、軽く「やめちゃおっかなあ」と思うことがあったという。

 それは棋士という職業をということではなく、


 「将棋に勝つことが喜びである」


 という考え方をやめてしまおうかということ。本人が和文和訳するところの、「精神的な自殺」だ。

 続けて先チャンはこう書いた。


 「不純な気持ちに折り合いをつけるのは、不純に考えると楽だが、純情に考え出すと、えらくややこしくなることがある。そうして僕は、ややこしく悩むのである」。

 
 自分も、ときおり、そう考えることがある。
 
 やめちゃおうかなあ、と。
 
 私はもともと「勇気」なんか持ってない人間だ。だから今さら、そのことをなんとも思いはしない。でも、
 
 
 「勇気を持って生き、《たましい》を守るために戦うことをあきらめない人を尊敬する心」


 この想いから、どうしても抜け出られないのだ。
 
 世の中のことをわかっている「大人」のフリをして、「そういうもんだよ」と肩をすくめて、ペレイラのことを「バカじゃん」と決めつけてさえいれば、きっと今より楽しく生きられるのはわかっている。

 実際、そうしている人もいるし、私も若いころはそうしようと、ニヒルを気取ってやってみたこともある。
 
 だって、オレには「勇気」がないのに、その人のことを勝手に尊敬したり「感動」したりするのは、ただ「尻馬に乗っている」だけではないのか?
 
 自分以外のだれかが頑張っているのを見て、「共感」して「仲間だ」と認定するなど、安全圏から他人前線に送り出すだけの、卑劣な行為ではないのか?

 嗚呼、なんて青臭いんだ。ワシャ高校生か。
 
 まったく、先チャンの言う通りだ。そうして私もまた、今日もややこしく悩むのである。
 
 すばらしい作品にめぐり合えた幸運に感謝しつつ、アントニオがこんな小説を書きさえしなければ、オレがこうして煩悶しなくてすむのになあ、とかブツブツつぶやきながら。



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2014年&2019年ウィンブルドン決勝 ジョコビッチvsフェデラーに見る「承認欲求」の功罪 その2

2019年07月17日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「承認欲求の強い人は、常にそれを求めて安定しにくいから、幸福になりにくい」
 
 
 という説に対して、承認欲求の低い私は「そんなもんかねえ」と思うくらいだが、ときにそのことをで感じさせられることもある。
 
 それが2014年度と2019年度のウィンブルドン決勝を観戦したときのこと。
 
 まずは2014年の話をしよう。
 
 ファイナルに勝ち上がってきたのは、当時押しも押されぬ世界ナンバーワンだったノバクジョコビッチと、元王者のロジャーフェデラー
 
 テニス界を席巻する「ビッグ4」の一員同士の対決は、フルセットにもつれこむ激闘となったが、最後は第1シードのジョコビッチが2011年に続く2度目優勝を飾った。
 
 両者ともすばらしいテニスを披露し、その年のベストマッチといっていい内容だったが、プレー以上に忘れられないのが、勝者よりも敗れたロジャー・フェデラーの姿だ。
 
 最大のライバルを倒し、歓喜の表情を見せるノバクと対照的に、ロジャーの方はこれ以上ないくらい打ちひしがれていた。
 
 芝を口にふくむパフォーマンスを見せながら、家族スタッフと抱き合ってよろこびを分かち合う優勝者。
 
 その陰で、敗者はどす黒い顔をしてベンチに座りこみ、呆然としていた。
 
 その表情は今にも泣きだしそうで、苦しそうに目や口元をゆがめながら、すがるようにファミリーボックスに視線を送る。
 
 その先にいたのは、彼を常に支える奥さんのミルカさんの姿。
 
 ミルカさんはフェデラー家のシンボルともいえる双子ちゃんを両手に抱いて、
 
 
 「アカン、お父ちゃん、泣いたらアカン。アンタはチャンピオンなんや、無敵の王者ロジャー・フェデラーなんやで。そんな男が、負けたからいうて、くずれたらいかんのや。ほら、立ち上がって、堂々と胸張ってふるまうんやで!」
 
 
 なんて、言葉はわからないけど、おそらくはこんなことを言ってはげまそうとしていた空気は伝わってきて、でも実際のところは、負けた人間にかけるべきなぐさめなどないのだろう、
 
 
 「わかってる、わかってるねん。でも無理や。ここまでがんばって優勝やないなんて悲しすぎる。ミルカ、ごめん、もうオレここで乙女のように泣いてまうわ!」
 
 
 頭をかかえて、うなだれるロジャー・フェデラー。その様相はほとんど、
 
 
 「もうすぐ世界が終わることを予知してしまった人」
 
 
 にしか見えず、なにかもう、すごいことになってるなあと、いっそ息苦しい思いにすらさせられたものだ。 
 
 ここでつくづく感じさせられたのが、
 
 「達成感承認欲求のおそろしさ」
 
 これなんである。
 
 ロジャーの打ちひしがれる姿にザワザワさせられたのは、単に彼が大勝負に敗れたからだけではない。
 
 そりゃたしかに、ウィンブルドン決勝戦で負けるのはつらかろう。
 
 1年かけて調整して、タフな戦いを6つクリアして、最後の最後にファイナルセットまでもつれこんだ末、栄冠を逃したとあっては、その脱力感はすさまじいものかもしれない。
 
 けどだ、テニスファンならご承知のことだろうが、彼はこの時点で17個グランドスラムタイトルを獲得しているのだ(今は20個に増えている)。
 
 ことがウィンブルドンにかぎったとしても、2003年から5連覇
 
 さらに2009年2012年に優勝し、すでに7個のカップを保持しているのである。
 
 そんなテニス界のすべてを手に入れた男が、今さらここで8個目の優勝カップを取りそこなったからと言って、
 
 
 「え? 今ここで子供が車に轢かれたん?」
 
 
 というくらいの苦しみを味あわなければならない理由が、果たしてあるのだろうか。
 
 このときつくづく、「ハングリー精神」って諸刃の剣だと思い知らされた。
 
 いうまでもなく、ロジャー・フェデラーが一時期のスランプを乗り越え、全盛期を過ぎても安定して上位をキープするどころか、2017年度に「王の帰還」を果たしたのは、まさにこの
 
 
 「負けることの悔しさ」
 
 
 を持ち続けていることが一因だろう。
 
 だがそれは同時に、どれだけのものを、それこそテニス史上最高でこれ以上は積みあがらないというほどに名誉優勝カップを手に入れても、やはり敗北の痛みは「持たざる者」だったことから減ることはないということでもあるのだ。
 
 もし彼が「満腹」だったら、2012年ウィンブルドン優勝でそのキャリアの幕を閉じるという選択もあったろう。
 
 それはそれで、十分以上に充実したテニス人生だったと思う。
 
 だが、ロジャー・フェデラーはそれを選ばなかった。
 
 そして見事、ナンバーワンに返り咲いたが、同時にそれは減ることのない「敗北の痛み」を受け入れたうえでのものなのだ。
 
 ハングリーたることは幸せを手に入れるための大きな武器だが、その分、それを手に入れる瞬間以外結果過程は、ただただ修羅の道。
 
 なんと大変なことなのか。そのことをこれでもかと感じさせられて、なんだかグッタリしてしまったのだ。
 
 そして、2019年度のウィンブルドン決勝で、またも歴史に残る激戦の末、ロジャー・フェデラーはノバク・ジョコビッチに敗れた
 
 まさに、あのときの再現で、準優勝のプレートを持つロジャーの顔はどす黒く、露骨にひきつっていたのまで同じだった。
 
 昨日、録画しておいたロジャー・フェデラーの準優勝スピーチを聴きながら、
 
 
 「幸せって、なんだろう」
 
 
 なんて、あのときガラにもないことをボンヤリ考えたことを、なんだか思い出してしまったのだった。
 
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2014年&2019年ウィンブルドン決勝 ジョコビッチvsフェデラーに見る「承認欲求」の功罪

2019年07月16日 | テニス
 「幸せって、なんなんやろうね」
 
 
 先日行われたウィンブルドン決勝を見ながら、しみじみとそんなことを思ったりした。
 
 
 「芸能人やスポーツ選手など有名人は、幸せになるのがむずかしい」
 
 
 というのは『幸福論』みたいな本によくあるフレーズであるが、華やかな世界に生きて、人によっては稼ぎも相当というノバクやロジャーのような選手が、なぜにて幸福になりにくいのか。
 
 私のような凡人は「はて?」と首をかしげたくなるが、これは「2ちゃんねる」の創始者でもある西村博之さんも、似たようなことをおっしゃられていて、つまりは、なんらかの形で人前に出る人というのは
 
 
 「承認欲求」
 
 「達成感を生きがいにする心」
 
 
 が強く、そのことが幸福感と密接に結びついているわけで、常にそれを求めていることから「精神的な安定感」が得られにくい。
 
 スポーツ選手に必要なのは「勝利への欲求」「ハングリー精神」だが、これは裏を返せば
 
 
 「勝ち続けないと、その時点で不幸決定」
 
 「いつもお腹ペコペコで必死」
 
 
 ということになり、年中精神的に追い立てられていることになる。
 
 もちろん、人は渇望感があるからこそ、それを埋めようとしてがんばって、そこに発展成長があるわけだけど(「夢にむかってがんばる」とかね)、ずーっとそれが続くのは、たしかにしんどそう。
 
 竹熊健太郎さんは『新世紀エヴァンゲリオン』以降の庵野秀明監督を語るときに、
 
 
 「クリエイターは、モテてないときが一番いい作品を作る」
 
 
 と言っていたけど、「渇望感」が「前進への活力」になるという意味では、彼ら彼女らが幸せを追求するには、
 
 
 「デフォルトの状態が満たされていないほうがいい」
 
 
 という矛盾があるわけで、そう考えると因果な話だという気もする。
 
 ひろゆきさんの場合、
 
 
 「ボクは承認欲求とか、もう全然ないから、人の評価とか気にならないよ」
 
 
 なんてしれっと語って(これはこれでホントかなぁという気もするけど)、そのあたりは私も似たようなところがあるから、
 
 
 「たしかに人によく思われたいっていう願望にとぼしいから、そのことで悩んだこととかはないかなあ。なるほど、それを【ラッキー】とする解釈もあるわけだ」
 
 
 なんて今さらながら思ったりした。
 
 うーん、いわれてみれば「注目」「達成」「勝利」を目指すほど、「嫉妬」や「不公平感」といったの感情にとらわれる機会も多くなるだろうしなあ。
 
 けど、反面こちらのようなボンクラは、精神的に楽といえば楽だけど、
 
 
 「認められることや達成することで、得られるよろこび」
 
 
 このすばらしさが半減するし、なにかにむかって走り出すときのモチベーションにも、おとるところもある。
 
 つまるところ「熱くなる」という快感を味わえない体質であるので、そこは「損してる」という気にならないこともない。
 
 人間の長所短所は、常にウラオモテなのだ。
 
 そんな承認欲求にとぼしい「ひろゆき型」人間なので、「ハングリー」な人の幸不幸というのはピンとこないことが多いんだけど、ときおり、
 
 
 「あー、それって、こういうことか」
 
 
 なんて実感させられることもあり、それが先日の2019年度、それともうひとつ2014年度のウィンブルドン決勝で敗れたロジャーフェデラーの姿を見たときだった。
 
 
 (続く→こちら
 
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『マダムと泥棒』〇〇〇〇クラッシュなおばあちゃん萌えの映画

2019年07月13日 | 映画
 「おばあちゃんっ子は『マダムと泥棒』という映画を見ろ!」。
 
 というのが、私が世にうったえかけたい意見である。

 映画の楽しみはストーリーやアクションとともに、ヒロインの魅力というのも大きい。

 『ローマの休日』におけるオードリー・ヘップバーンの気品、『七年目の浮気』のマリリン・モンローのかわいらしいお色気。

 他にも、「墓にアレの彫刻を彫ってくれ」と遺言したくなった『アベンジャーズ』におけるスカーレット・ヨハンソンの見事な尻とか、「オレの足も撃って!」と思わず土下座してお願いしたくなるような『普通じゃない!』のキャメロン・ディアスとか。

 さらには、『桐島、部活やめるってよ』に出てきた松岡茉優さんに放課後、裏庭に呼び出されて棒でつつかれながら、

 「オマエは気持ち悪いんだから、《キモイ税》として3万円払えよ」

 などと理不尽なカツアゲをされたいとか、語りだすと枚挙に暇がないのである(一部不適切な発言があったことをおわびします)。

 そんな中、女の価値は若さだけではないと気炎を上げるのが、世界のおばあさん女優たち。

 『八月の鯨』『狩人の夜』のリリアン・ギッシュや、『毒薬と老嬢』の明るく狂った殺人姉妹と並んでキュートなのが、この『マダムと泥棒』のウィルバーフォース夫人であろう(以下ネタバレあります)。

 映画の内容は、ユーモアたっぷりの犯罪コメディ。

 アレック・ギネスやピーター・セラーズといった名優が演ずる強盗団が、現金輸送車を襲う計画を立てる。

 彼らがウィルバーフォース夫人に近づいたのは、彼女の貸す部屋をアジトとして、そして怪しまれず現金を手に入れるための「運び屋」として利用するためだった。

 作戦は見事成功し、大金を手に入れた強盗たちは、すみやかにウィルバーフォース夫人の家から去ろうとするが、ひょんなアクシデントから彼女に奪った金を発見されてしまい、事態は一転する……。  
 
 というイギリス風のドタバタ喜劇なのだが、その脚本やセリフ回しのおもしろさもさることながら、やはりなんといっても、ヒロインであるウィルバーフォース夫人が、すこぶるつきに存在感を発揮しているのが見どころ。

 善良でお人好しで、ちょっと抜けているところもある彼女は典型的な

 「近所のかわいいおばあちゃん」

 なのだが、そんな人が海千山千の悪党どもとからむと、その噛み合わなさぶりに見ているほうは悶絶する。

 犯行計画を練っているときに、しつこく「お茶はいかが」と誘ってイライラさせたり、

 「ゴードン将軍と同居している」

 と口走って「誰だ? 警戒しないと」と思わせたら、それが飼っているオウムのことだったり。

 正体がバレて逃げようとすると彼女の仲間の老婦人がドヤドヤおとずれてジャマしたりと、それはそれは楽しく場をひっかきまわしてくれる。

 なにより彼女が起こした最大のトラブルが、強奪した金を見られた後のこと。

 正体がバレてしまった強盗団は、

 「もうこうなったら、婆さんをバラしてとんずらするしかねえ」

 との意見の一致を見るが、ではだれがやるのかと問うならば、誰一人名乗り出ない。

 「お前やれよ」「いや、お前こそ」という逆ダチョウ倶楽部状態から、「経験者もいるから……」と水を向けても、そっと顔を伏せられたり、話が一向に進まない。

 そう、彼らが老嬢殺害をためらうのは、ビビっているわけではなく(「経験者」もいるわけだし)、これはもうどう見ても、

 「おばあちゃんがかわいくて殺せない!」

 という理由によるものなのである。

 そんなんできるわけないやん! そりゃ、ちょっとはイラッとさせられたし、「運び屋」のときもおせっかいからトラブルに巻き込まれてハラハラさせられたりもしたけど。

 それでもあんな善良でやさしいおばあさんを殺すなんて、そんなん人間のすることちゃう!

 などと、おのれの悪党ぶりを棚に上げて、もう嫌がりまくるのだ。

 ラチがあかないので、最後の手段とクジ引きで決めるのだが、当たったヤツがまた、

 「ムリやっていうてるやん! かくなるうえは……」

 と、なんと仲間を裏切って金を持ち逃げしてしまうのだが、アッサリと見つかって殺されてしまう(そっちは平気なんやね)。

 それどころか、力仕事担当で少々おつむの弱い「ワンラウンド」など、その「おばあちゃん萌え」が高じすぎて、彼女が眠っているのを「殺された!」と勘違い。

 仲間を追いかけまわして、これまた殺してしまうのだ(やっぱ、そっちは全然OKなんやなあ)。

 こうして、金のことも口封じも逃亡計画も、なにもかもとっちらかるどころか、ついには仲間割れが高じて全員が相打ちのような形で死んでしまう。

 危険な強盗どもはいなくなり、なんと盗まれたお宝はウィルバーフォース夫人のもとに残されることに……。

 というのは、まあ設定を見たところで、だいたい見当がつくオチではあるけど、では「漁夫の利」を得たウィルバーフォース夫人が、この間なにをやっていたかといえば、ずっと寝ていたのだ。

 自分の殺害計画が立てられていたなどつゆ知らず、寝椅子でぐっすりおやすみ。

 気がついたら一人になって、手元には大金が。

 おやまあ、おばあちゃん、びっくりや。天然ぶりも、ここに極まれりである。

 ラストの、警察署から出るときのちょっとしたオチも、なんとなくイギリス風に粋でニヤリとさせられる。

 もう最初から最後まで、フワフワしたウィルバーフォース夫人が絶好調!

 うーん、これって、映画の本だと

 「豊潤な英国風のユーモアとウィットが楽しめる大人の喜劇」

 なんて紹介されることもあるけど、

 「紅一点のあふれる魅力で男どもの結束を破壊する」

 という意味では、要するに「サークルクラッシャー」のお話なんだなあ。見直して、今気づいたよ。

 「昔、おばあちゃんっ子だったなあ」とか思い出したりする人は、絶対にハマること間違いなしの傑作。おススメです。



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フリオ・コルタサル『悪魔の涎・追い求める男』 アルゼンチンはサッカーだけでなく文学もすごい

2019年07月10日 | 
 フリオ・コルタサル『悪魔の涎・追い求める男』は、読書人生ナンバーワンかというくらいにおもしろい。
 
 コルタサルはアルゼンチンの作家で、一時期あったいわゆる「ラテンアメリカ文学ブーム」の一員。
 
 南米の文学といえば、幻想的というか独特の空気感がある。
 
 まあリアリズムの観点からいえば気ちがいじみているものが多いのだが、この『悪魔の涎・追い求める男』もステキに変な小説ばかり。
 
 
 「口から子ウサギが飛び出す男」が主人公ということで、イカれた一遍かと思いきや、最後の一行でリアリズムが交錯しギョッとする『パリにいる若い女性に宛てた手紙』。
 
 古びた屋敷に住む兄妹が正体不明のなにかに、徐々に排除されていくホラー風味でありながら実は……な『占拠された屋敷』。
 
 バイク事故による昏睡で見た夢と、先住民の残酷な儀式がまじりあい、どちらが夢でどちらが現実かあいまいになる恐怖(『夜、あおむけにされて』)。
 
 素人写真家が撮った一枚が、突然映画のように動き出し、そこでは悪夢のような恐ろしい出来事が……(『悪魔の涎』)。
 
 
 こうして並べていくだけでも、その不思議な雰囲気はつかんでいただけると思う。
 
 ポーのようなフレドリック・ブラウンのようなキュビズムの絵画のような。
 
 それでいてロジカルな要素も感じられ、幻想的で象徴的で、文体も格調高く、なんかこういかにも「文学読んでるなあ」という底知れぬ満足感が味わえる。
 
 特に好きなのが『南部高速道路』。
 
 とんでもない渋滞に巻きこまれた人々が、動けないストレスと暑さにうめきながらも、次第に近所の人とコミュニティーを作っていく。
 
 そこにちょっとした「社会」ができていく過程を描いているという、なんとも不思議な一遍。
 
 名前でなく車種で識別し合う人々や、そこで人々が徐々に「リーダー」や「救急係」などを担当するようになり。
 
 果ては「調達屋」なんてのも出現してブラックマーケットで闇取引をはじめたりするんだけど、舞台は刑務所でも戦後の焼け野原でもなく「渋滞」なんである。
 
 なんだか、SFにある
 
 「人類進化のシミュレーションを見ている科学者か宇宙人」
 
 みたいなノリなのだ。閉鎖生態系モノというやつか。野外だけど。
 
 時間の感覚もはっきりしなくて、これが数日のことなのか季節をまたぐ長期間なのかもよくわからない。
 
 「渋滞」も本当の交通事情なのか、それともなにかの「象徴」なのかと首をかしげたくなるが、一応警察や政府など「外の世界」も機能しているようで、ますますなんのこっちゃである。
 
 ドライかつ寂寥感あるオチも、独特の余韻を残す。
 
 他にも演劇を題材に、現実と虚構の被膜のあいまいさを描く『ジョン・ハウエルへの指示』。
 
 現代の不倫カップルと、ローマ時代の剣闘士をめぐる秘めやかな情欲が、火によって同化していく『すべての火は火』などなど、傑作ぞろい。
 
 フリオによると、
 
 
 「小説を書くというのは、日々浮かび上がる妄念を形にして吐き出す治療みたいなもの」
 
 
 とのことらしいけど、読むとその感覚はすごく伝わってきます。とにかくナイトメア感バリバリ。
 
 大げさではなく、
 
 
 クレイグ・ライス『スイートホーム殺人事件』
 
 ガルシア=マルケス『百年の孤独』
 
 沢木耕太郎『深夜特急』
 
 サマセット・モーム『月と六ペンス』
 
 
 などと並ぶ、読書人生オールタイムベスト候補のひとつ。
 
 絶対損はさせません。超おススメ。
 
 
 
 
 
 
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木村一基がタイトルホルダーになる日 vs深浦康市 2009年 第50期王位戦

2019年07月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 棋聖戦王位戦で挑戦者になり、一気に二冠も視野に入ってきた2009年度の木村一基八段

 しかも、棋聖戦では羽生善治棋聖2勝1敗、王位戦では深浦康市王位3連勝と、どちらもカド番に追いこみ

 「6番連続タイトル獲得の一番」

 という状況になる。

 まず、棋聖戦では第4局で、木村がいい調子で指していたように見えたが、羽生もしぶとい将棋で土俵を割らず混戦に。

 

 


 図で▲57香と、羽生が受けたのが危険な手で、ここで△19角成と香を取っておけば、後手玉の上部脱出が防げず、木村が勝ちだった。

 チャンスを逃した木村が、最後はらしくない受けのミスというか「一手バッタリ」のような手で、あっさりと持っていかれてしまった。

 これで棋聖戦はフルセットへ。

 むかえた最終局

 先手になった木村は、羽生の横歩取りを迎え撃つ。

 


 を作り、じっと▲85歩と突いて後手陣にプレッシャーをかけるが、ここからの羽生の構想が見事だった。

 

 

 

 

 

 あわてず△31玉と、ここで自陣の整備にかかるのが絶妙の呼吸。

 ▲84歩△82歩▲66馬にも、じっと△21玉(!)

 

 

 

 ねじり合いのさなか、こうやって静かにを固めるのが、実戦的な好着想だった。

 2筋3筋に、が立たないことも大きく、後手陣は盤石。

 以下△51△31にくっつけて、金銀3枚のプチ穴熊を結成し勝ち切った。

 

 あの全駒状態だった第3局ダメージをものともせずに防衛と、本当に羽生の勝負強さにはあきれるしかない。

 まずこれで、「木村二冠」はなくなった。

 負けたのは残念だったが、幸いなことにチャンスはもうひとつ残っている。そしてこちらは、3連勝と圧倒している。

 二冠の夢は絶たれたが、ここに大きな保険が残っていた。まあ、とりあえずひとつ取って、次のことはまたゆっくりと……。

 なんて考えていたら、こちらのほうでも、とんでもないことになっていた。

 なんとそこから1勝がなかなかできず、ついにはこちらもまた3勝3敗で、最終局にもつれこんでしまったからだ。

 流れが変わったのは第4局だった。

 佐世保で開催されたこの一局は、深浦の地元ということもあって、

 

 「ここでストレート負けだけはしてくれるなよ」

 

 相当に悲壮感があったらしいのだ。

 だがこの一番を木村は、らしくない拙戦で落としてしまい、そこから深浦の逆襲をゆるし、一気にわからなくなった。

 もっとも大きかったのは第6局だろう。

 相矢倉からの、両雄の汗がしたたり落ちるのが見えるかというねじり合い。

 終盤は難解すぎてわけがわからないので、局面だけ見ていただこう。

 

 

 形勢判断などはまったくの不可能だが、双方が「命がけで戦っている」ことだけは伝わってくる。

 木村勝ちの場面もあったようだが、最後は深浦が押し切った。

 大熱戦だったが、ここで追いつかれては流れは苦しい。

 第7局も、横歩取りから難解な戦いだったが、木村はついに勝ち切れなかった。

 まさかの、将棋界2度目の3連勝4連敗(ちなみに1度目は2008年竜王戦、羽生と渡辺明の「永世竜王シリーズこちら)。

 なんと木村は、9分9厘手中に収めていたはずの初タイトルを、ここで逃してしまった。

 本人も悪夢だったろうが、見ているこっちも呆然である。こんなことがあるのだろうか。

 その後、木村は2014年2016年とまたも王位戦の舞台に登場するが、ともに羽生王位に敗れた。

 特に2016年3勝2敗と、またも羽生をカド番に追い詰めただけに「ついに」と身を乗り出すも、そこから2連敗で悲願はならず。

 最終局が終わった後、敗者インタビューの痛ましさは、ご存じの方も多いであろう。

 またもしても、木村は敗れた。

 これほどの男が、勝てばタイトル獲得という一番を8度も落とすことなどあるのだろうか。

 なんだか釈然としないものはあったが、事実は事実だからしょうがない。さすがに終わったか。年齢的に2016年が最後のチャンスだったろうな……。

 というのは、私のみならず多くのファンが、同じように感じていたのではなかろうか。

 そこから木村は、またもよみがえった。

 A級に返り咲き、挑決でも因縁羽生を叩きのめしての復活劇。

 まるで詰みそうで詰まない、木村の玉のようである。しぶといぞ。

 今回、こうして木村一基の戦歴を振り返って連想したのが、テニスフレンチ・オープンだ。

 今年のローラン・ギャロス4回戦で、20歳のステファノス・チチパス2015年チャンピオンスタン・ワウリンカと対戦。

 これが5時間9分にもおよぶマラソンマッチとなり、最後はチチパスが敗れた。スコアは6-7・7-5・4-6・6-3・6-8

 トータルポイントは勝者のスタンが194に対し、敗れたチチパスは195と上回っていた。
 
 1時間後の会見で、チチパスは憔悴しきり、言葉を発することも苦しそうだった。

 それでも涙をぬぐって、勝敗を分けたのは、わずか1センチだったと語った。マッチポイントが、ギリギリのオン・ザ・ラインだったからだ。

 次の日、チチパスはツイッターで、こんなつぶやきをした。

 

 「挑戦し、失敗してきた、それがどうした、再び挑戦せよ、再び失敗せよ、よりうまく失敗せよ」

 

 アイルランドの詩人、サミュエル・ベケットの詩だという。これは、対戦相手だったスタン・ワウリンカの腕に彫られていたものだそうだ。

 ステファノス・チチパスは大舞台で敗れて涙した。

 スタン・ワウリンカもまた、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチ、アンディー・マレーの「ビッグ4」に阻まれ、長くグランドスラムのタイトルが取れない日々に苦しんだ。

 スタンはその後、グランドスラム三冠に輝いた。若いステファノスも、すぐに走り出すだろう。

 木村一基もまた挑戦し、失敗し、また挑戦してきた。そういえば王位として待つ豊島将之だって、少し前まではそうだったのだ。

 なおも立ち上がった彼らの、その先にあるものは……。

 

 
 (佐藤康光と谷川浩司の名人戦編に続く→こちら
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木村一基がタイトルホルダーになる日 vs羽生善治 2009年 第80期棋聖戦

2019年07月06日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 力強すぎる受け将棋で、通算勝率7割超えのスゴ技を見せつけていた、若かりしころの木村一基

 となれば、当然次に期待がかかるのはタイトル獲得。

 2005年度は竜王戦2008年度は王座戦に登場するが、それぞれ渡辺明竜王羽生善治王座のストレートで敗れる。

 ただ、負けはしたものの、内容自体はそれほど悪い印象はなく、随所に王者たちを苦しめた場面もあり、スコアほどの圧敗感はなかったように思う。

 そんな木村の大きなチャンスが、2009年だった。

 まず棋聖戦では挑戦者決定戦で、初参加で勝ち上がってきた稲葉陽四段を下して挑戦権獲得。

 返す刀で続く王位戦でも、初のタイトル戦を目指して2年連続挑決にあがってきた橋本崇載七段をしりぞけて、これまた挑戦者に。

 ほぼ同時進行で行われたWタイトル戦で、一気に二冠獲得のチャンス。

 この時期の木村は仕上がっていたのか、羽生善治棋聖相手に2勝1敗深浦康市王位相手に至っては一気の開幕3連勝で、どちらもカド番に追いこむこととなる。

 つまりこのときの木村は、6番連続でタイトル獲得の一番を戦うことに。

 しかも2勝すれば二冠。

 勝率7割の男が、ざっくりの超単純計算でいけば3割で棋聖王位

 メチャクチャに割のいい話で、まあ1ゲーム差の棋聖はまだしも、王位は4連敗さえしなければいいので、これはもう「木村王位」誕生は、ほぼ決まりと見られたのであった。

 もちろん、本人は勝ち切るまで安心できないだろうが、われわれ野次馬が呑気なことを言っていたのは、このときの木村が、かなりいい将棋を指していたせいもある。

 当時話題になったのが、2勝1敗とリードを奪うことになる、棋聖戦第3局の指しまわし。

 相矢倉から、先手の木村が玉頭の歩の突き捨てを放置する、らしい手から押さえこみにかかる。

 

 

 この▲93桂なんかも、筋悪に見えて木村得意の「攻め駒を責める」手。

 △91飛▲83銀成と、飛車を押さえながら上部を厚くし、香にもプレッシャーをかけ、

 「オラオラ、ボーっとしとったら全駒(すべての駒を取って完封勝ちすること)にしてまうどオラオラ!」

 と鼻息も荒い。

 全体的に先手の駒がイバッているというか、あの羽生善治相手にここまでオラつけるというのがスゴイ。

 クライマックスがこの場面。

 

 後手も必死の手作りでができ、なんとか上部脱出は防げたように見える。

 だがここで、先手に決め手がある。

 それも、木村一基にしか指せないであろう、力強くも個性的すぎる一着だ。

 

 

 

 ▲87飛と、こんなところに打つのが、木村のすごみを見せた一手。

 こういうところでを打つのは、俗に「ヘルメットをかぶる」なんていうけど(どうでもいいけど「銀のヘルメット」っていったら『インデペンデンス・デイ』が思い浮かんでしまうなあ)、飛車のヘルメットなんて聞いたこともない。

 けど、これで後手に手がまったくないのだから、恐れ入る。

 △同馬▲同玉で、盤上に後手の駒がまったくなくなり、今度こそ入玉ロードが防げない。

 △59馬と逃げるが、▲97玉△83歩▲85成銀として先手玉は安泰。

 そこから、△84桂▲89飛△58歩▲87玉△14歩(!)。

 

 

 

 この△14歩というのが、これまたすごい手。

 後手は香を1枚補充したところで、なにが好転するわけでもない。

 先手はどこかで、▲68歩と打って馬を無効化すれば、100回やって100連勝できる不敗の態勢。

 いやそれどころか、ここで1手パス、いやさ2手くらい先手がパスしても、後手に勝つ手はないかもしれない。

 タイトル戦で羽生相手に、こんな勝ち方ができるのもすさまじいが、「姿焼き」状態で投げるに投げられないとはいえ、この歩を突いた羽生もまたすごい。

 なにがすごいか論理的な説明はまったくできないが、意味はなくとも、なにやら感慨深い、このシリーズのハイライトともいえる局面だ。

 こんな勝ちっぷりを見せられたら、そりゃもう「木村王位棋聖」は決まりと前祝いしてもおかしくないのが、わかっていただけると思うが、ここから夏のシリーズは、まさかの展開を見せることとなるのだ。

 

 (続く→こちら

  

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「高勝率男」木村一基の若手時代 vs鈴木大介 2002年 第33期新人王戦決勝 

2019年07月03日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 若手時代から「高勝率」で鳴らしていた木村一基九段は、その受けの力が際立っていた。

 

 

 

 

 2002年新人王戦決勝。

 ここで、鈴木大介七段相手に見せた将棋が、まさにそれを示していて、ここからの木村の玉さばきを見ていただこう。

 次に△35角と王手されると中央が受けにくく、△36歩からを取られて△45桂の「天使の跳躍」とか、雪だるま式に借金が増えていく。

 だが「受けの木村」は、なにもおそれない男なのだ。

 

 

 

 

 ▲58玉とこちらに寄るのが木村将棋。

 飛車先の銃剣に、自らを差し出す玉寄り。

 見た感じではとんでもなく怖いが、これで大丈夫とみている。

 以下、△35角▲36歩と打って、△24角▲65歩と眠っていたを活用。

 後手も△14歩と角の退路を作るが、そこで▲68銀と中央を守り、△72玉▲64歩がいかにも筋の良い突き捨て。

 

 

 

 △同歩に▲55歩△44飛▲56金とくり出して、押さえこみ一丁あがり。

 

 

 あの危なかった玉が金銀装甲車に守られ、悠々リクライニングでもしているように見える。

 これぞ、木村流の指しまわしである。

 さらにこの将棋は、終盤も話題になった。

 

 

 

 相手の無理攻めを誘って、王様がこんなところに。

 これが危険に見えても、木村流の安全地帯

 いやそれどころか、この玉を相手陣の寄せ拠点にしてしまおう、という発想なのだから、なんとも図々しいではないか。

 以下、△47飛成▲58金△46竜▲45飛と打つのが決め手。

 

 

 

 △同竜なら▲同角が、あまりにも気持ちよすぎな飛び出し。

 これが一気に後手玉をねらう好位置で、以下、鈴木も必死でねばるが逆転の目はなかった。

 いかがであろうか、この木村将棋のすごみ。

 ただ勝つだけでなく、将棋の作りが独特すぎる。

 渡辺明棋王王将居飛車穴熊や、永瀬拓矢叡王の「負けない将棋」のような勝負に辛い手ならまだしも、こんな口笛でも吹きながらスナイパー通りを闊歩するような玉形で、7割も勝てるというのが信じられない。

 よく、落とし穴に落ちないもんだなあ。

 そんな高勝率男・木村一基が次にねらうのは、当然タイトルである。

 その大きなチャンスが、2009年度のことであった。


 (続く→こちら

 

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「高勝率男」木村一基の若手時代 vs杉本昌隆 1999年 第57期C級2組順位戦

2019年07月02日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 木村一基九段王位戦の挑戦者になった。

 挑戦者決定戦で戦ったのが羽生善治九段で、タイトル100期、豊島将之三冠との新旧王者対決と、相手に注目が集まる中で、勝ち切ったのは見事の一言。

 本人は「4連敗もあるかも」なんて言ってたけど、王位リーグでは稲葉陽八段阿久津主税八段という強敵に勝利。

 前期王位菅井竜也七段には、リーグ戦とプレーオフで「往復ビンタ」を食らわせる。

 9期ぶりのA級復帰も決め、この勢いなら豊島将之王位も、そう簡単には行かないと気を引き締めているのではあるまいか。

 ということで、前回は木村一基がはじめてA級にあがった「ど根性」な将棋を紹介したが(→こちら)、木村九段といえば思い出すのが、デビュー時の鮮烈な勝ちっぷりであった。

 17歳三段に上がり、毎期のように昇段争いにからみながら、そこから四段昇段までに6年半もかかってしまった苦労人

 三段リーグ風通しの悪さには毎度、本当にうんざりさせられるが、木村の場合ホッとしたのは、その後この停滞に、お釣りがくるほどの勝ちっぷりを見せてくれたことだ。

 デビューから長く高勝率を続け、通算勝率7割超えていたのは羽生と木村だけというのは、当時よく話題になっていたこと。

 そんな木村の将棋が、まずクローズアップされたのが、1999年、第57期C級2組順位戦の9回戦。

 今では藤井聡太七段の師匠としてすっかりおなじみの、杉本昌隆五段との一戦だ。

 木村四段にとっては2期目のリーグだが、ここまで8連勝トップを快走している。

 一方の杉本も7連勝しながら、ひとつ前の7回戦では、行方尚史五段との全勝同士の決戦に敗れて1敗

 ただし順位が2位というのが大きく、まだ自力圏内。

 つまりこの一番は勝った方がほぼ昇級決定という、双方とも心臓を売ってでも勝ちたい鬼勝負なのだ。

 特に実力は認められ、毎年のように昇級候補に上がりながら、すでに8期も足止めを食らっている杉本(こっちのリーグも息苦しすぎだ……)からすれば期するものはあったろうが、木村はこの大一番で見事な将棋を見せる。

 このころの木村で話題になっていたのが、おなじみの受けの強さと、もうひとつ居飛車穴熊全盛の時代に、対振り飛車で急戦を得意としていたこと。

 「ひふみん」こと加藤一二三九段も愛用する棒銀のような急戦策は、一見破壊力が武器に見えて、実はじっくりとポイントをかせいだり、押さえこみに行ったりする展開になりやすい。

 玉も薄いので、攻めと見せてその内実は、受けが強くないと指しこなすのは難しいのだが、それが木村の棋風にピッタリと合っていたようなのだ。

 取り上げられていたのが、この局面。

 

 

 

 

 木村の急戦から戦いが起こり、杉本が△29飛とおろしたところ。

 飛車交換に成功し、しかも先にそれを敵陣に打ちこんでいるのだから、一目は振り飛車がさばけ形のはずである。

 だが、次の手が地味ながら好手だった。

 

 

 

 

 ▲66歩と突いて、居飛車が優勢。

 この歩がフトコロを広げながら相手の角道遮断

 さらには美濃囲いのコビン攻めもうかがうという、急戦党なら絶対おぼえておきたい、すこぶるつきに味の良い手なのだ。

 これで、振り飛車側におどろくほど有効手がない。

 △63金▲46角△36歩▲45桂と軽やかにさばかれて、△42歩と謝るのではつらい。

 

 

 

 先手陣の、のびのびとした形を見れば、いかに居飛車がうまく指しているか伝わってくる。

 以下、木村四段が圧倒して、早々にC1昇級を決めたのだった。

 実力者である杉本を、この内容で押し潰したのだから、すごいものだ。

 木村の対振り飛車戦でもうひとつ有名なのが、2002年新人王戦決勝3番勝負。

 対するのは鈴木大介七段

 1勝1敗でむかえた決着局。後手の鈴木大介がゴキゲン中飛車にして、早くも中央から動いていく。

 後手が3筋を突き捨ててから、△44角と引いたところ。

 

 

 

 次に△35角と王手されると、5筋のタレ歩が大きく、△36歩桂頭攻めもあり突破されそう。

 対応が難しそうだが、「受けの木村」はここから、力強く迎え撃つのである。

 

 (続く→こちら

 

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