美和山吹の川柳ブログ***「川柳歳時記」「川柳画」など。***

このブログを始めてから、11年がたちました。
「川柳歳事記」は、良い川柳を読む機会のない人のため載せています。

「誹風柳多留」

2024-04-26 07:54:33 | 解説
松洞寺むこいへどうもどうも
松洞寺は浅草近くにあり、紅葉の名所として知られている。紅葉見物に出かけて、帰りは吉原へ行くこともある。というより、紅葉はついでであり、最初から吉原へ行くのが目的の輩が多かった。古川柳の約束事でもある。婿殿も紅葉と言えばつきあわなければならないが、吉原までは付き合えない。「どうもどうも」と尻込みしてしまう。
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「誹風柳多留」

2024-04-24 07:35:46 | 解説
あたごからあそこだなあと本能寺
愛宕の地名は各地にある。これは京都の愛宕山である。天正10(1582)年5月、ここで明智光秀は連歌を巻いた。その折の発句が有名な「ときは今あめが下しるさつきかな」である。この句はその折に本能寺はあそこだなあと野心を秘めていただろうというのである。
そして6月、織田信長が備中高山城を包囲中、羽柴秀吉を救援しようとして本能寺へ宿泊した時、明智光秀が叛逆して丹波亀山城から引き返して、信長を襲って自刃させた。いわゆる本能寺の変である。
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「誹風柳多留」

2024-04-22 07:30:59 | 解説
どこへどこへとおして出る松洞寺
松洞寺は古川柳では毎度おなじみの、浅草竜泉寺町の正燈寺である。紅葉の名所でもある。吉原にも近い。いつものメンバーが遊びに出かけようという相談である。どこへどこへと勢いづくのは、正燈寺から吉原へ繰りこもうというコースだからである。「押す」には、軍勢をおし進めるという意味もあるから、大一座で繰り込もうとする勢いも言いたかったのではなかろうか。
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「誹風柳多留」

2024-04-18 07:56:43 | 解説
どうさとつたかぜん僧もためる也
禅宗は達磨大師が開祖で、悟りは座禅によって得られるという。日本には栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を伝えた。この二派日本の禅宗である。お金を貯めることに目覚めたのも、悟りの一つなのであろうか。座禅の結果なし得たことである。
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「誹風柳多留」

2024-04-15 07:26:51 | 解説
ちうけいでつくやうに駕和尚出る
「ちうけい」は中啓で扇の一種で、親骨の上端を外へ反らして畳んでも半分しか開かないようにして作られた扇。和尚はこれを襟の後ろへ差している。これが駕籠を降りるときに駕籠の縁を突くようにして下りたということだが、そのあわて振りが滑稽に見えたのだろう。あんまり人目に付かないようにと思い、あわてたからである。下りた場所は品川の遊所に近いところだったに違いない。芝の近くにはお寺が多い。
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「誹風柳多留」

2024-04-11 07:54:45 | 解説
気ほうじに須磨寺へ来る中納言
中納言と言えば在原行平を指すのは、胡淵流の約束事のようである。業平の兄だから二枚目であることが想像される。勅勘を受けて須磨へ閑居する。そこで塩汲み女とのロマンスは伝説化されている。須磨では気散じに、須磨寺へも出かけたこともあったであろうという、想像句である。須磨寺は神戸市須磨区にある福祥寺。福祥寺は真言宗須磨寺派の大本山である。開鏡の開創と伝えられる。付近には源平時代の遺跡がいくつもある。
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「誹風柳多留」

2024-04-06 07:50:26 | 解説
朝ツぱらしかるをきけば松とうし
前の句の続きで、一夜明けての場面である。
紅葉見物から吉原へ流れの朝帰りである。朝っぱらから叱られているのは、女房に小言を言われている亭主か。父親に朝帰りを叱られている息子か。ここは後者であろう。叱るのは父親の役目である。しかし、父親にも同じような経験があるから、小言も型通りで終わってしまいそうである。
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「誹風柳多留」

2024-04-02 07:57:22 | 解説
妻よばりおきやれとけなす松洞寺
松灯寺は下谷竜泉寺町にあった。紅葉の名所として知られている。古川柳に出て来るときは、近くにある吉原とセットになっていることが多い。この句もそれを匂わせている。この景色を女房にも見せたいものだと言えば「おきゃがれ」と仲間に言われても仕方がない。紅葉見物は言い訳でどうせこの後は吉原へ繰り込むのが目的であるからだ。
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「誹風柳多留」

2024-04-01 07:46:33 | 解説
初かつほかと僧正ハむがで聞キ
僧正とは辞書を引くと僧官の最上級とあるが、その上に大僧正がある。一般的にお寺の僧正さんといえば、その寺の住職を指すことが多い。僧籍のものは生臭いものは禁じられている。だから無我で聞くしかないのである。さすが偉いお坊さんであると、立てている句であるが背景には山口素堂の「目に青葉山ほととぎす初鰹」の句がある。つまり無粋でもあると言いたいのだろう。
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「誹風柳多留」

2024-03-30 07:34:14 | 解説
傘あやめ持て御住寺申ます
傘とあやめ、梅雨どきである。時季も言い、お寺の和尚さんが檀家から傘を借りて、それを返しに来た遣いの小僧さんの挨拶である。和尚さんがよろしくと申しておりました、と丁寧な言葉で挨拶したに違いない上品できれいに纏められている。
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