蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

それでも人生にイエスと言う

2023年09月30日 | 本の感想

それでも人生にイエスと言う(V・E・フランクル 春秋社)

日経新聞の読書欄に「リーダーの本棚」というコーナーがある。経営者や学者が自分の読書遍歴やおすすめ本を紹介している。たいていが有名な経営書や専門領域の古典、1冊くらいは小説、みたいなパターンが多くて、正直、あまり面白みがない。

しかし、2023年9月16日付の大手生命保険社長の永島さんのそれは違った。ビジネスのことにはふれず、人生とはなにか、幸福とはなにか、を常に追求していて、その参考になった本を紹介しているのだが、極く少ないスペースの中で、その、深遠ともいえる主題に一応の回答を提示していた(と、私には思えた)。

記事によると永島さんは、現場にいっても保険の話はしないで、「幸せのヒント」をテーマに話す、という。(以下、引用)

+++

ひとは、誰かに意味を届けられたとき、幸せを感じられます。社員一人ひとりが自分の幸せや生きる意味を誠実に考え行動すれば、結果としてお客様の満足や会社の価値が高まる。そんな美しい循環が生まれると信じています。

+++

こんな人が経営している会社になら、ぜひ投資してみたい、と思ったが、残念ながら、この会社は株式会社ではなった。

まあ、相互会社だからといって経営者がみんなこう考えているとは思えないし、もしかしたら、この記事も実はキレイゴトを並べているだけなのかもしれないけれど。

そこで紹介されていたのが本書で、著者は「夜と霧」で有名な精神科医。

現代は、意味喪失の時代であり、人生と世界に意味があるのかが問われている。

著者は、生きるということは義務であり、重大な責務だという。よろこびや幸福は求めるものではなくて結果にすぎないという。

「私は人生になにを期待できるか」を問うのではなく、「人生は私になにを期待しているか」と問うべき。私たちが意味を問うのではなくて、私たちは問われている存在だとする。(永島さんも記事の中でこの点を冒頭にあげていた)

 

強制収容所の収容者の話題は、常に食事や食料のことだったという。朝から晩まで考えるのはひたすら食べることだったという。

+++

「私たちは、どれほど悲しく切ない思いで、動物のような苦痛や期限ではなく、人間らしい苦悩や問題、葛藤がまだあったころのことを回想したでしょうか。将来に対してもそうでした。私たちは、苦悩や、問題や葛藤なしには生きていけないような状態をどれほど切望したでしょうか」

+++

そして人生を意味あるものできるのは次の3つであるとする。

1)なにかを行うこと、活動したり想像したりすること、自分の仕事の実現(創造価値)

2)なにかを体験すること、自然、芸術、人間を愛すること(体験価値)

3)自分の可能性が成約されていることが、どうしようもない運命であっても、その事実に対してどのような態度をとるか、その事実にどう適応し、どうふるまうか、に意味をみいだす(態度価値)

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グッバイ・クルエル・ワールド

2023年09月30日 | 映画の感想

グッバイ・クルエル・ワールド

元ヤクザの安西(西島秀俊)は、萩原(斎藤工)らと組んで、暴力団の資金洗浄の現場を襲撃して大金を手にする。安西はその金をもとに妻とともに旅館経営をしてカタギの生活に戻ろうとする。

襲われた方の暴力団の幹部の尾形(鶴見辰吾)は、組に内通している刑事の蜂谷(大森南朋)を使って手がかりをつかみ、現場のラブホテルの従業員の矢野(宮沢氷魚)とその恋人のミル(玉城ティナ)が情報源だと知る。尾形は矢野たちに犯人グループの殺害を命じるが・・・という話。

レビューを見ると、貶しているものが多かったのだけど、私としてはとても楽しめた作品だった。

豪華なキャストが、普段ならあまり演じなさそうな、セコい悪役にうまくなりきっていて、不自然さが感じられなかった(西島秀俊を除く。彼は見かけがどう見てもいい人にしか見えないのが玉にキズ?)。

特に斎藤工がよかった。もともとこういう人なんじゃないかと思えるくらい。

日本映画としては珍しく説明的場面が少なくて、そのくせ展開につれて背景がくっきりと見えてくる筋立てもよかったし、音楽も作品のムードにマッチしていたと思えた。

細かいところ(ショットガンの扱い等)や、終盤に主役の人たちが撃たれても刺されても死なないあたりはちょっと気になったが、まあどうでもいいかなと思える程度。

安西の元手下役の奥野瑛太がいい。目つきがイッテしまっていて役柄通りの人にしか見えなかった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数学が見つける近道

2023年09月23日 | 本の感想

数学が見つける近道(マーカス・デュ・ソートイ 新潮社)

数学者のガウスは、小さい頃に先生から「1から100までのすべての数を足すといくらになるか」という問題を出されて一瞬で答えをだした(50✕101=5050)。このような近道(ショートカット)を見つけるのが数学の最も有効な使い方だと著者はいう。

一方、新しい近道を見つけるには(ガウスのような人でないと)相当に長時間の思考と試行錯誤が必要であり、下手すると力づくで問題を解決するよりも長いかもしれない。その苦労の末にひらめきが降りてきた時の快感こそが数学という学問の醍醐味なんだ、ともいう。

私は数学が非常に苦手で、数学でひらめきが降りてきたことは生涯一度もない。しかし、仕事では同じことをずーっと考えているうちに、思いもかけないようなスマートな解決法を思いついたことは何度かあり、著者がいう、何かが降りてくる瞬間ってそういうことなんだろうなあ、とは何となく思うし、確かに快感が走るだろうな、とも思う。

本書の内容で最も印象に残ったのは、都市の規模が2倍になると社会・経済的な要素は2倍よりちょっと増えるのだが、そのちょっとがどのくらいかは、どの要素もほぼ同じで15%だという説。これを見つけたのは米サンタフェ研究所の理論物理学者だった。サンタフェではさまざまなジャンルの学者がともに研究することで思いもかけない発見が相次いだそうで、これもその一つだという。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半導体超進化論

2023年09月17日 | 本の感想

半導体超進化論(黒田忠広 日経プレミアムシリーズ)

著者は半導体の技術者・研究者で東大大学院教授。1988年日本企業の半導体シェアは50%を超えていたが、今では10%。額としてはあまり変わっていないのだが、世界の市場は年率5%成長しているため。

その要因は、投資不足といわれる。大型投資に踏み切れず、専用チップを志向しても設計技術が追いつけない、という悪循環に陥っている。

昔の半導体は、わずかな電力しか要しなかったが、現代においては省電力こそが効率化のキーになっていて、汎用チップに比べて専用チップは無駄な回路を省けるので電力量を小さくできる。一方、専用チップは数が出ないので、設計費をいかに小さくできるかがコストを決めている、という。つまり優秀な設計者を育成できれば勝てる、ということになる、というまことに教育者らしい結論になっていた。

シリコンコンパイルといって、コンピュータのプログラミングをするような手軽さで半導体も(近い将来)設計できるようになる。そうなれば、半導体が「民主化」されて、さらに多様な技術発展が見込める、という話が面白い。

それにしても、ソフトバンクGが半導体設計会社を買収した頃は、これはほど設計技術の重要性がはやされてなかったような気がする。アリババの後継をちゃんと見つけたというのは、やはり先見の明があるんだろうなあ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説家の四季 2007ー2015

2023年09月16日 | 本の感想

小説家の四季(佐藤正午 岩波現代文庫)

3ヵ月に1回、雑誌「世界」や岩波書店のHPに掲載されたエッセイをまとめたもので、現代文庫では2冊目。

著者のデビューは集英社で、その後いくつかの出版社で刊行していたが、岩波ではエッセイを何冊か出しただけで小説は短編集1冊だけだった(と思う)。そもそも岩波が現代小説を出版するというイメージがないのだが、坂本さんという編集者が佐世保(著者の居住地)まで何度も訪問したりして関係を築いたらしい(と、岩波から出版したエッセイに書いてあった)。

佐世保まで何回も出張して、成果が何年かに1回のエッセイで割にあうのかいな??殿様商売、ってやつなのでは??(失礼)などと思ったものだが、岩波から初めて出版した長編小説「月の満ち欠け」で直木賞を取って映画化までされて、積年の投資は見事に(多分)回収された。いやあ、これぞ編集者冥利に尽きるというものではなかろうか。

で、ふと、本書の奥付をみると発行者が「坂本政謙」と書いてある。まさか、と思ってググったら、著者と友達みたいにしゃべっていた(と、エッセイに書いてある)坂本さんは、今や岩波の社長なのであった!

いや、マジでびっくりした。

本書を読むと、佐藤さんは小説(とエッセイ)を書くこと以外の仕事はほとんどしていないし、佐世保から出ることもめったにない。何しろ直木賞の授賞式すら欠席(坂本さんが代理で出席)したらしいし。

そういう意味でいまやほとんどいない小説家らしい小説家といえそうだが、日常生活も朝起きて4時間くらい小説などを書いて、昼はそうめんをすするくらいですませ、夜になると飲み屋に出かける、くらいの極めて単調な生活で、すべてを小説にささげている、といっても良さそうなくらい(その割に、出版点数が少ないのがファンとしては何とも残念だが)。

何十年もそういう生活を続けて、コンスタントに質の高い作品を生み出し続けることができるのは、小説とか物語が本当に好きだからだろう。本書で書かれた近松秋江という作家の「黒髪」という小説に対する執着ぶりからもそれがうかがえる。

著者は長年の競輪ファンだが、競輪について書いたエッセイは1作しかない(と思う)。本書でもほとんど触れられていない。一度本格的な競輪評論を書いてくれないかなあ、それが無理でも「小説家の四季」の中でもう少し競輪を取り上げてほしいと思う。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする