蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

のりたまと煙突

2009年07月30日 | 本の感想
のりたまと煙突(星野博美 文藝春秋)

通勤途中で寄ることが多い上野の本屋で、文庫版が出版された時薦めていたので読んでみた。

「のりたま」というのは「のり」と「たま」という飼い猫の名前で、「煙突」というのは近所の銭湯のそれだが、著者には火葬場の煙を連想させるものとして描かれている。なかなかタイトルの付け方がうまい。飼い猫の話題を中心にしたエッセイ。

「族長の死」という題のエッセイは、祖父の葬儀を描いたもの。この祖父の葬儀はマフィアの大親分のそれを思わせるような一族総出の華やか(?)なものだったそうだが、著者の周辺の死はやたらと劇的なものが多い。(例えば、海外留学先から一時帰国して郷里の大阪に帰ろうとキャンセル待ちして乗ったのがJAL123便だった友人とか)

「赤い手帳」は、郊外のミスドに行った時の話。二人の子供連れの父親がいて、自分は何も頼まず、子供が残したドーナツは袋をもらって持ちかえろうとしていた。気の毒に思った著者は手元にあったポイントカード(集めるとミスドの手帳がもらえる)を父親に譲る。父親は喜んで自分のそれと合わせて手帳をもらうが、子供どうしが一冊しかない手帳を奪いあいしてしまう。
著者は、この親子を貧しくてぎりぎりの生活をしている、と見ている。しかし、そうだろうか。いつも金に困っているような人は、倹約から遠く離れた生活をしているから金に困っているわけで、この父親のように、「自分は我慢する」「見栄をはらず袋をもらって残りものを持ち帰る」ことができる人は、実は裕福(だけどケチ)なことが多いような気がする。

多くのエッセイで、最後の2~3行でいわずもがなの説教臭い結論が書いてあるのが少々気になった。
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容疑者Xの献身(映画)

2009年07月26日 | 映画の感想
容疑者Xの献身(映画)

原作のトリックを映像で説明するのはちょっと難しいのではないかと思っていたのだが、それなりにわかりやすく再現されていたし、映画全体としても(意外にも)かなり良い出来だと思えた。

何より原作では弱いと思われた主人公の数学教師の動機(タイトルからもわかるように、これが本作の主題)が(むしろ原作よりも)説得力を持って映像化されていたように感じられた。

映像化されたガリレオ(テレビシリーズを見たことがないので初めて見た)には特に違和感がなかったけど、相棒の女刑事は、ちょっとなあ、という感じがした。
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たまりませんな

2009年07月20日 | 本の感想
たまりませんな(伊集院静・西原理恵子 角川文庫)

競輪と競馬の話を中心としたエッセイ。

当初連載された媒体がけっこうゆるめの雑誌なので、書いてあることも時に過激(特に競輪の施行者に対する批判が強烈)で、時にいいかげん。

競輪や競馬の話題は6年くらい前のもので、私が競輪を見ていたのはこのころまでだったので、話にかなりついていけて面白かったし、また競輪を見て見たくなったが、現役のファンとしてはいくらなんでも古すぎるのではないかと思う。

なので、本書の楽しみ方としては、競輪や競馬の話題はともかくとして、風来坊という言葉がぴったりの著者の日常を感じることだと思う。
自宅(女優の奥さん所有の豪邸らしい)に帰ると落ち着かず3日間もいつけない。それでふらりと上京して友達と酒場でギャンブル談義。
常宿のホテルはフロントに大金を預けておけるくらいのなじみで、普段はたばこ銭くらいしかもちあるかず金欲も物欲もない。気がむくと(たぶん出版社のおごりで)海外旅行にいってゴルフとカジノと美術館めぐり。ああ、なんて素晴らしい人生なんでしょう。

著者は、周囲の人に誰彼かまわず借金をしているらしいが、本書によると野球の松井(秀)、競馬の武(豊)にまで申し込んだらしい。ほんとに見境ないんだ、と、驚いた。
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皇軍兵士の日常生活

2009年07月16日 | 本の感想
皇軍兵士の日常生活(一ノ瀬俊也 講談社現代新書)

日中戦争~太平洋戦争期の日本軍の軍隊生活に絡む諸制度について調査、考察した本。

徴兵逃れのいろいろな手段(丸山真雄は帝国大学の学部長が徴兵免除の特別願を提出し、参謀会議でその採否の検討が行われたという。結局は否決されたものの、そのような扱いを受ける自体が異例であって、丸山を最下層の兵士が「ひっぱたく」ことは困難であったそうである)、
軍隊も学歴社会であること(太平洋戦争末期に補給の立たれたメレヨン島でも幹部候補になって島を脱出しようとした人がいるそうで、この人は必死に勉強して合格し、昇進したために食事の配分が良くなって生き残れたそうである)、
大企業に勤めていた人が出征すると、残された家族に多くの企業が給与を払い続けていたそうで、これが経営上の大きな負担になっていたこと、などが興味深かった。

出版された時期が「格差問題」が盛んなころだったので、第三章を中心にして、軍隊制度におけるいろいろな不公平(格差)が取り上げられているが、これは、編集上の(売らんがための)配慮だったのではないかと思う。著者の本音は次の部分(P112)に書かれていたように思われた。

「若者たちは、天皇の名の下に定められた兵役法をはじめとする諸制度によってがんじがらめにされ、兵営へと送られることになった。法的にも社会的にも、選抜から逃れることなどありえなかった。だがそこで彼らを「兵士」たらしめたものは、「皇軍」意識や「聖戦」などの公的な建前や階級秩序というよりはむしろ、一個の人間としての力の強弱あるいは「勇怯」というきわめて「世俗」的な論理であった。殺さねば殺される、ゆえに「勇敢さ」が最重要視される軍隊という組織の底辺で、彼らはどちらかが「怯」なのかを相互に監視しあい、それが軍隊としての統一を下支えしていたのである。」
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淀どの日記

2009年07月15日 | 本の感想
淀どの日記(井上靖 角川文庫)

秀吉の側室の一人、茶々(淀君)の生涯を描いた歴史小説。京極高次と蒲生氏郷が茶々の恋人だったという筋立てが(私には)目新しかった。

京極高次は姉(秀吉の側室)、姻族(妻が茶々の妹で、かつ、徳川秀忠の正室の姉)の引き立てで大名になったと「蛍大名」と陰口をたたかれた人だが、本書を読むと、ほとんど裸一貫で(自分の代では滅亡寸前の)名家をさんざん苦労しながら建て直したことになっていて、イメージが変わった。

茶々は、実父と継父の治める城が共に落城するという、苛酷な運命にさらされたものの、信長の姪として洗練された生活を送っていたのだろうと想像していたが、本書を読むと秀吉の側室になるまでは、人生のほとんどを近江近辺で母娘だけでさびしく暮らしていて、案外、田舎者だったらしく思われた。

また、子供をもうけたことで側室としてはトップの地位にあったものの、秀吉の寵愛を一身に集めた、というほどでもなかったようだ。秀吉は側室達に対しても気配りの人であって、お気に入りの寵姫数人にはほぼ等しく手紙や訪問をマメに繰り返していたらしい。

それにしても、天下人の愛人となり、三度の落城を経験した茶々の人生は、女性としては、日本史的にみても一、二を争う波乱万丈さだが、自分の意志で何かをしたことはほとんどなく、運命の神の身勝手さを怨みたかったに違いない。
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