佐賀純一さんが書いた「戦争の話を聞かせてくれませんか」(新潮文庫)を読み終わりました。開業医の著者が、身近の戦争体験者へのインタビュウを聞き書き形式でまとめたものです。
私は、戦記もの特に南方戦線のドキュメントをいくつか読んできましたが、第三者が記録や取材に基づいて書いたものは極めてどぎついものになりがちです。反対に体験者本人が自分の経験を書いたものは、なんとなく、カドがとれているといのか、「辛く厳しく、人間の忍耐の限界をはるかに超えていたが、悪いことばかりでもなかった」といった色合いを帯びているような気がするのです。(もちろん例外はあります)
とてつもない辛い体験もそれを乗り越えることができた人にとっては、アコヤ貝が角張った石を長い長い年月の末になめらかで美しい真珠に変えていくように、やがては美しい思い出に変化するのかもしれません。
この本に納められた経験談には相当に悲惨な内容の話もあるのですが、戦争の冷酷さとか無情、残虐といったものが、やはり、あまり感じられませんでした。特に「特警隊長のダイヤモンド」はこんな戦争体験もあったんだ、と思えるほど、なんというか、稚気にあふれたものです。
もう一つ、私があらためて感じたのは、人間の生と死の分かれ目は、本当に、偶然とか運としかいいようがないところにあることです。
この本の中でも、ふとした選択、なんでもない成り行きにより、知人は死に語り手は生き残った例がたくさん記録されています。
私たちは偶然や運に支配されて生きていかなければならないのでしょうか。もしそうだとすれば、それは戦争の苛烈さよりもいっそう私たちにとって辛いことではないでしょうか。
戦時下に限られた話ではなく、現代においては人間の死は必然ではなく、偶然によってもたらされることが多くなったように思います。これは私たちにとって幸福なことなのでしょうか。それとも生物の本来の寿命をはるかに超えて長生きを求める人間への神様の残酷な仕打ちというべきものなのでしょうか。
私は、戦記もの特に南方戦線のドキュメントをいくつか読んできましたが、第三者が記録や取材に基づいて書いたものは極めてどぎついものになりがちです。反対に体験者本人が自分の経験を書いたものは、なんとなく、カドがとれているといのか、「辛く厳しく、人間の忍耐の限界をはるかに超えていたが、悪いことばかりでもなかった」といった色合いを帯びているような気がするのです。(もちろん例外はあります)
とてつもない辛い体験もそれを乗り越えることができた人にとっては、アコヤ貝が角張った石を長い長い年月の末になめらかで美しい真珠に変えていくように、やがては美しい思い出に変化するのかもしれません。
この本に納められた経験談には相当に悲惨な内容の話もあるのですが、戦争の冷酷さとか無情、残虐といったものが、やはり、あまり感じられませんでした。特に「特警隊長のダイヤモンド」はこんな戦争体験もあったんだ、と思えるほど、なんというか、稚気にあふれたものです。
もう一つ、私があらためて感じたのは、人間の生と死の分かれ目は、本当に、偶然とか運としかいいようがないところにあることです。
この本の中でも、ふとした選択、なんでもない成り行きにより、知人は死に語り手は生き残った例がたくさん記録されています。
私たちは偶然や運に支配されて生きていかなければならないのでしょうか。もしそうだとすれば、それは戦争の苛烈さよりもいっそう私たちにとって辛いことではないでしょうか。
戦時下に限られた話ではなく、現代においては人間の死は必然ではなく、偶然によってもたらされることが多くなったように思います。これは私たちにとって幸福なことなのでしょうか。それとも生物の本来の寿命をはるかに超えて長生きを求める人間への神様の残酷な仕打ちというべきものなのでしょうか。