蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

サッカー教養講座

2018年06月30日 | 本の感想
サッカー教養講座(山本昌邦 武智幸徳 日経プレミアシリーズ)

日経新聞のスポーツランの記名記事は、ちょっとひねった視点と(一般紙とスポーツ紙とも違う)独特の言い回し・言葉遣いが特徴です。特に阿刀田寛さんの記事は、一読して誰が書いているかわかるくらい(新聞記事としては)特異です。
一般紙に比べれば、スタッフ数はかなり少ないと思われ、サッカー、野球兼業の記者さんも多いようですが、サッカー部門の主筆?は、本作の著者の一人である武智さんでしょうか。勝ち負けを超越したサッカーの本質を見つめるような求道的?な記事には共感できることがおおいです。
その武智さんが(山本さんと)ロシアワールドカップを語る、ということで出版社の狙いに見事に乗せられて読んでみました。

素人には近寄りがたい技術論や戦術論は避け、ワールドカップというシステム自体をリスペクトする内容はとてもよかった。

以下、印象に残った点

・今大会のNO.1はブラジル(特に山本さんは断トツの高評価)
→グループリーグではやや苦戦しました。1戦目引き分けの後、2戦目のコスタリカ戦をテレビで見たのですが、一方的に攻め続けながらゴールはできず相当に焦りの色が見えました。それでもロスタイムに2点いれて勝ちました。勝利の直後、ネイマールが誰はばかることなく号泣(近頃よく見かける安売りの号泣じゃなくて、本来の意味でのそれ)している姿から「王国」の選手にのしかかる重圧のすごさがしのばれました。

・ドイツは今大会からのVARの導入をにらみ、早くから国内リーグにVOAを導入して選手に慣れさせてきた。
→これもブラジル-コスタリカ戦ですが、ネイマールがペナルティエリア内であおむけに倒れた時は(主審の当初判定の通り)ファウル(=PK)としか見えませんでした(それまでその主審がネイマールのファウルのアピールに非常冷たかったので、なおさら)。でもビデオをゆっくり再生させると、今度はネイマールの倒れ方が大げさすぎることが明白でした。
いったんPKとされた判定がくつがえれば、競った試合では攻撃側のダメージは相当なはずで、そういう意味では慣れって確かに重要そう。

・ドイツチームの紅白戦を見てみたい。ワールドカップの多くの試合よりレベルが高そう。
→そのドイツがまさかのグループリーグ敗退。前回優勝国が勝ち上がれないことが続いているそうですが、そういうのとは無縁の国だとおもっていたんですが・・・わからないものですなあ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木洩れ日に泳ぐ魚

2018年06月24日 | 本の感想
木洩れ日に泳ぐ魚(恩田陸 中央公論新社)

千浩と千明は双子の兄妹である。幼い頃、千明が養子に出されて別々の親に育てられたが、大学時代に偶然再会し、いっしょに暮していた。
しかし、あることをきっかけに別居することになる。
引っ越し準備が終わった部屋で二人は最後の食事(というか酒盛り)をする。以前二人で行った山岳ハイキングの途中でガイドが崖から落ちて死んでしまったことを話題にするが、二人はお互いをこの事件の犯人ではないかと疑っていた・・・という話。
2007年に発行された本で、文庫化されたのは2010年らしいのですが、最近になって本屋で平積みされているのをよく見るようになりました。かなり売れているようです。

兄妹二人の掛け合いで進むのですが、ストーリーを展開させていくのは千明(妹)が過去の出来事を推理していくパート。
しかし、この推理には根拠に相当な難があり(というか単なる思いつき)、その結論は、なかなかうなずけない内容でした。
著者としても、こうした推理が真実である、などというつもりはなくて、相当部分を読者の想像に委ねています。


うーん、正直言って「これのどこがいいの?」というのが感想で、ミステリとしても心理小説としてもイマイチじゃないかなあ。
「六番目の小夜子」「夜のピクニック」など世評の非常に高い作品を読んだ時も似たような感想を抱いてしまったので、相性がよくないんだろうなあ。

とてもいい人に見えた千浩と千明の化けの皮がはがされていくプロセスは意外感がある展開で、ここに魅力を感じる人が多いのだろうか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウニはすごい バッタもすごい 

2018年06月24日 | 本の感想
ウニはすごい バッタもすごい (本川達雄 中公新書)

サンゴ、昆虫、ウニ、ヒトデ、ホヤ、ナマコなどの生物の精妙ともいえるカラダの仕組みと生活環境との関係を開設した本。

タイトルからして「ざんねんな動物・・・」系の内容が想像されるのだが、内容はバリバリの硬派で学術的なものであった。
例えば、昆虫が全身に酸素を運ぶ仕組み(ヒトの場合は血管)として気管系を発達させたのだが、その末端の毛細気管の太さは0.2ミクロンであり、それは酸素分子の平均自由行程の2倍となっていて、酸素は通すが体内から水分が逃げくい直径になっているという。
気が遠くなるほどの長い年月をかけた進化によって最適化されているのだろうと思うが、それにしても「できすぎだろう」というくらいよくできているよなあ。

その他にも、ウニの棘をコントロールする筋肉や貝の開け閉めを司る筋肉の仕組みなどにも感心させられた。

著者の研究の主テーマはナマコなのだが、ナマコはエネルギーが必要な筋肉の量が非常に少なくて少量の栄養で生きていける。主な食糧は砂(の粒の間にある有機物)で無限にあり、筋肉が少なくて(捕食者が)食べても栄養が少ないうえ毒も持っているので捕食される心配もない。食う心配がなく、食われる心配もない、ナマコの生活こそ天国そのものではないか・・・と著者はいう。

ハードな内容だなあ、と思ったら、あとがきによると本書のネタ元は東工大の講義録だとか。
そんななか、著者自身が作ったサンゴや虫などを讃える?歌が章末、巻末で披露されているのが、また強い違和感(やっぱ、ナマコを研究している先生って変わり者なんだろうなあ・・・という)を生じさせているのであった。もしかして東工大の講義では著者自身がこの歌を歌っていたりするのだろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西部戦線異状なし

2018年06月22日 | 本の感想
西部戦線異状なし(レマルク 新潮文庫)

最前線のドイツ兵の視点から第一次世界大戦の先頭の様相を描く。

昔、中学生の頃、どこかに旅行に行った帰りの新幹線の中で読み始めたら、面白くて(と言っては不謹慎かもしれないが)車中で読み終えた記憶がある。
その後、10年くらいしてもう1回読んだ覚えがあるが、内容はほぼ忘れてしまっていた。

本の整理をしていたら、本書の新潮文庫版(昭和61年の重版分)が出てきて、懐かしくしてまた読んでみた。

深刻な最前線の場面(特に塹壕や砲弾穴に籠って敵軍の砲撃をやり過ごす場面の迫真性がすごかった)と、休暇などで戦友たちとリラックスしてすごす場面のコントラストが非常に強くて、後者の場面はユーモラスですらある点が、本書の魅力の一つ。
戦闘場面や戦場の悲惨さばかりでなくて、兵士の日常生活なども紹介しているような戦記ものが私としては好みだ。

第一次世界大戦でドイツ軍は兵站を軽視し、栄養失調やそこから発生する病気で多くの兵力を失ったそうで、その反省から第二次世界大戦では補給を重視し、終戦直前でも食糧は(兵士の間では)豊富に出回ったそうである。
(脱線するが)この点に関して、宮崎駿さんが「ベルリン1945-ラストブリッツ」(梅本弘:著)という本の解説で興味深いことを書いているので、以下引用する。

*****************
ドイツ人って戦争に向いているんです。普段からあんまりおいしいものを食べてないんですよね。日もちのいい堅いパンを食べているでしょ。焼きたてよりも、一週間くらいたったほうがうまいパンなんだよね。ところが日本軍って、飯を炊かなくちゃならいでしょ。飯を炊くだけで火が必要で、残った火でみそ汁を創る。あのころの日本人って、飯とみそ汁と漬け物だけでも良かったんだけど、それでも兵隊を食わせるのは大変なんですよ。硫黄島の洞窟陣地の奥でも飯を炊いてるんですよね。気温40何度、湿度100パーセントくらいの所で、それでも飯を炊いているんです。それから日本軍は、水を大量に運搬する容器を持っていなかったんですよ。一升瓶を使ってたんです。考えられないことでしょ?(中略)

第一次世界大戦のときのドイツ軍ってのは、日本軍そっくりだったんですね。飢餓状態だったんですよ。その反省で第二次世界大戦のときは、ドイツの兵隊には1日1.7キログラムの食糧をきちんと配給するっていうシステムをちゃんと作り上げてるんです。
これは要するに、包囲されてもドイツ軍部隊のなかで飢えによって降伏した部隊がなかったってことにつながっているんですよ。日本は第一次世界大戦を経験していないでしょ。だから装備もなにも日露戦争のまま行っちゃったんです。
*****************

本書では、主人公(パウル・ボイメル)の戦友の一人(カチンスキー)が現地調達の達人で、どこからか食糧や嗜好品をくすねてきては主人公たちにふるまってくれる。それで、深刻な飢えに苦しむことはなかったことになっている。
このカチンスキーが終盤で戦死してしまう場面が本書のクライマックスで、ここを読んだときは、「ああ、中学生のころ読んだ時もここで感動したなあ。ちょうど新幹線が名古屋についたころだった」と、記憶がみずみずしくよみがえった。

訳者のあとがき(昭和8年に原作者をスイスに訪ねた際のエピソードが書かれている)からすると、本書が最初に出版されたのは(日本の)戦前なのだろうか?
確かに全般に言葉遣いは古びていて、特に違和感があったのは登場人物が時々江戸っ子っぽい口調になることだ。(あまりにミスマッチすぎて、逆に面白く読めたけど)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パターソン

2018年06月17日 | 映画の感想
パターソン

アメリカのパターソン市に住む乗合バスの運転手パターソン(アダム・ドライバー)は詩作が趣味。毎朝決まった時刻に起きて、朝食はシリアル、昼食は(弁当として持参した)サンドイッチやケーキ、夕食後は飼い犬(ブルドック)の散歩のついでになじみのバーでビールを飲む、といった規則正しい生活をしている。芸術家肌?の奥さんにつきあうのは若干疲れるものの、ベタ惚れしているのであまり気にならない・・・という話。

アダム・ドライバーって、まあ普通にハンサムであるものの、何等かの不安や悩み、今時の言い方では闇を抱えているような、ちょっと不穏なオーラがありますよね。
で、時々唐突に双子が(何度も)登場したり、BGMが妙に重々しかったり、パターソンの奥さんが作るカーテンやお菓子のデザインがちょっと危なげ?だったりしたので、「これは穏やかな日常を描くと見せかけて、突然猟奇的な大事件がおきるのでは?」と思って見ていたのですが、最後まで事件らしい事件は起きませんでした。

本作は、あまり映画を見慣れない人が見たら(ストーリー性が薄いという意味で)「なんだこれ」と怒り出しかねない内容だと思いますし、上記のように私も「結局何も起こらずじまいか」とエンドロールで思ったクチです。
メジャーでない、ミニシアター系というのかアート系な映画でも、殺人事件とかはなくても夫婦の対立とかくらいは起きそうなものです。

しかし、一方で私は、規則正しい、静かで、穏やかで他律的な生活にあこがれがあります。例えば、軍隊とか刑務所での生活なんかも(3日くらいならですが)してみたいなあ、と時折思ったりします。
このため、パターソンのような生活もいいよねえ、と思えました。(あの奥さんの相手をするのは、ちょっとイヤだけど)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする