youtubeで三輪明宏の「ヨイトマケの唄」を見て、うかつにも涙を流してしまった。。。
別に子供に感謝などされなくて良い。
しかし、我が家にはこう言う絆が欠けているのではなかろうか。
そうだ、今年は「家族の絆」をテーマにしよう。
私はkekeが目覚めるのを待った。
しかし、kekeは目が覚めない。
朝からこのご時勢に掃除機を掛けるのもはばかられ、洗濯物もろくにないし、カレーも煮物も半分以上残っている。
図書館はやってないから、同じ本ばかり読んでいる。
しょうがないからTVをつけて、ひたすら観た。
こんなにTVを観たのはどんなぶりだろう。
こうして待つこと6時間。(横に寝すぎて首が回らなくなった)
kekeが起きて来たので、さっそく「kekeちゃん!誕生日おめでとう!」と伝えた。
そして握手をしようと手を差し伸べたが、迷惑そうにトイレに直行された。
二人で休日なのだから、プレゼントをぜひ選んだものを買いたいと提案した。
(と言うのも、物心ついてから去年まで誕生日に現金をお年玉のように贈るのが我が家の慣わしだったのだ。)
「それから神社でおみくじでもひこう、そう言うの好きじゃないか」と言うと、ウンみたいな感じで迷惑ながらも着替えに行ったようである。
そして神社では臨時駐車場の「軽」に停めようとして狭すぎて6回切り替えしているうちに「もうそれでいいですよ」と係りの人に言われて停め、「墓参りの時もそうだったよねエヘヘ」とかひとり言を言いながら、お参りして、kekeにお守りを買いたいけどどれがいい?と尋ねると「買う人が相手を思って考えるものなのでは?」と言われて10分悩んでいるうちに仕方なくkekeが「これでいいのでは?」と決めて、さぁおみくじを引こうとすると、kekeはもう引いたと言う。
何が出た?と尋ねても言わないので、まぁいいや私も引くと末吉。
「願いはあせらず時間を掛けて待ちましょう」みたいな感じで、つまんねぇのと思って結わいてkekeにアンタは?と言うと、「大吉」と言ってジャーンと1番の大吉が出てきた。
え!すごいじゃん、すごいじゃん、それゼッタイ大事に取っておきなさいよ、と言うとkekeもまんざらではない様子。
そして車の中で「ヨイトマケの唄を聴いて、今年は家族の絆を深めたいと思ったんだ」と言う話をして、「今まではお金を渡していたけれど、後になって『お母さんが買ってくれた○○』と言うモノの方が家族愛が深まるような気がしたんだよね。」と言うと、kekeは怒り出した。
「それは自己満足なのでは?」と言い、「自分が親であるのを酔いしれたいために子供の誕生日を引き合いにされるのは迷惑だ。」と言う。
私はウッ!「結構痛いところを突かれたかも!」みぞおちにパンチを喰らった様な感を覚えたが、プライドもあり、そんな事無いよと言い、「だって、お金を渡しましたって言うの、後から思い出すと変じゃん」とか言ってごまかすのであった。
誕生日プレゼントは決まらなかった。
最初はサイフでもと言い、二人で見に行った。
kekeは「(今使ってるのを同じ)黒の長サイフがいい」と言って、そればかり見て、実際に黒の長サイフはいろいろあったけど決まらなかった。
そして幸楽宛で初めて「濃厚つけ麺」みたいなのを食べて(ダシがきいてて二人で汁まで飲み干した)、「実は最初は枕とかどうかなぁと思ったんだよね」と私は言い、それじゃ枕を見てみると言うが、枕も決まらなかった。
靴もチラリと見てみた。(しかし靴はついこの前kekeが『今の靴を洗うため』に買ったばかりであった。)
kekeは「幾ら見ても何を買っていいか分からない」と言い、「今使っているもので充分だし、ほしくなったらバイト代があるから。」と言う。
仰る通り!
だから私は今まで現金であげてたし、今日も何も用意しなかったのだ。
私は「もういいよ」と言い、「今年も現金にしよう」と言うと、kekeはニッコリ笑った。
そして食品売り場で夕飯の惣菜を買うことにした。
「この売り場が一番ホッとするね、安心して買えるね」と言うと、kekeも同感であった。
先ほど飲み干したラーメンのつけ汁でノドが乾いたので、二人で飲み物を買った。近くのスーパーに無いジュースを買った。それから惣菜もkekeが選んだ中華の詰め合わせを買った。(私は家であるもので充分だった。)
ドーナツを買った。
選んだドーナツは、私だったら買わないドーナツばかりだった。
外に出た。
その時、思い出した。
そうだ。
私は「keke」と言い、「思い出した、私もそう言えば、誕生日はじいちゃんばあちゃんに現金でもらってたんだよ。そうだった。」
今あるもので充分で急に言われても何もほしいと思えなくて、それよりお金の方が喜んだ。
だって、ほしいと思った時に何にでも使えるから。
(その安心感がうれしかったんだと思う。)
なんで今になって急に思い出したんだろう。
プレゼントでもらったこともあったけど、お金でもらってて、だからと言って、親子の絆がそのせいで目減りしたとは思わない。自分の時は。
晩ご飯がレトルトカレーで淋しいと思ったことはなく、むしろその方がうれしかったこと。
お母さんが忙しいと分かっている日は、レトルトカレーが良かったこと。
それが好きだったし、(そこで気遣う事が)何だか家族の一員だった気がしたこと。
だから、そんなに気にし過ぎなくてもいいんじゃないかな、その家庭家庭で。
と言う事で、明日はまたひとり出かけよう。
kekeもそれでいいって、それがいいって言うんだから。
別に子供に感謝などされなくて良い。
しかし、我が家にはこう言う絆が欠けているのではなかろうか。
そうだ、今年は「家族の絆」をテーマにしよう。
私はkekeが目覚めるのを待った。
しかし、kekeは目が覚めない。
朝からこのご時勢に掃除機を掛けるのもはばかられ、洗濯物もろくにないし、カレーも煮物も半分以上残っている。
図書館はやってないから、同じ本ばかり読んでいる。
しょうがないからTVをつけて、ひたすら観た。
こんなにTVを観たのはどんなぶりだろう。
こうして待つこと6時間。(横に寝すぎて首が回らなくなった)
kekeが起きて来たので、さっそく「kekeちゃん!誕生日おめでとう!」と伝えた。
そして握手をしようと手を差し伸べたが、迷惑そうにトイレに直行された。
二人で休日なのだから、プレゼントをぜひ選んだものを買いたいと提案した。
(と言うのも、物心ついてから去年まで誕生日に現金をお年玉のように贈るのが我が家の慣わしだったのだ。)
「それから神社でおみくじでもひこう、そう言うの好きじゃないか」と言うと、ウンみたいな感じで迷惑ながらも着替えに行ったようである。
そして神社では臨時駐車場の「軽」に停めようとして狭すぎて6回切り替えしているうちに「もうそれでいいですよ」と係りの人に言われて停め、「墓参りの時もそうだったよねエヘヘ」とかひとり言を言いながら、お参りして、kekeにお守りを買いたいけどどれがいい?と尋ねると「買う人が相手を思って考えるものなのでは?」と言われて10分悩んでいるうちに仕方なくkekeが「これでいいのでは?」と決めて、さぁおみくじを引こうとすると、kekeはもう引いたと言う。
何が出た?と尋ねても言わないので、まぁいいや私も引くと末吉。
「願いはあせらず時間を掛けて待ちましょう」みたいな感じで、つまんねぇのと思って結わいてkekeにアンタは?と言うと、「大吉」と言ってジャーンと1番の大吉が出てきた。
え!すごいじゃん、すごいじゃん、それゼッタイ大事に取っておきなさいよ、と言うとkekeもまんざらではない様子。
そして車の中で「ヨイトマケの唄を聴いて、今年は家族の絆を深めたいと思ったんだ」と言う話をして、「今まではお金を渡していたけれど、後になって『お母さんが買ってくれた○○』と言うモノの方が家族愛が深まるような気がしたんだよね。」と言うと、kekeは怒り出した。
「それは自己満足なのでは?」と言い、「自分が親であるのを酔いしれたいために子供の誕生日を引き合いにされるのは迷惑だ。」と言う。
私はウッ!「結構痛いところを突かれたかも!」みぞおちにパンチを喰らった様な感を覚えたが、プライドもあり、そんな事無いよと言い、「だって、お金を渡しましたって言うの、後から思い出すと変じゃん」とか言ってごまかすのであった。
誕生日プレゼントは決まらなかった。
最初はサイフでもと言い、二人で見に行った。
kekeは「(今使ってるのを同じ)黒の長サイフがいい」と言って、そればかり見て、実際に黒の長サイフはいろいろあったけど決まらなかった。
そして幸楽宛で初めて「濃厚つけ麺」みたいなのを食べて(ダシがきいてて二人で汁まで飲み干した)、「実は最初は枕とかどうかなぁと思ったんだよね」と私は言い、それじゃ枕を見てみると言うが、枕も決まらなかった。
靴もチラリと見てみた。(しかし靴はついこの前kekeが『今の靴を洗うため』に買ったばかりであった。)
kekeは「幾ら見ても何を買っていいか分からない」と言い、「今使っているもので充分だし、ほしくなったらバイト代があるから。」と言う。
仰る通り!
だから私は今まで現金であげてたし、今日も何も用意しなかったのだ。
私は「もういいよ」と言い、「今年も現金にしよう」と言うと、kekeはニッコリ笑った。
そして食品売り場で夕飯の惣菜を買うことにした。
「この売り場が一番ホッとするね、安心して買えるね」と言うと、kekeも同感であった。
先ほど飲み干したラーメンのつけ汁でノドが乾いたので、二人で飲み物を買った。近くのスーパーに無いジュースを買った。それから惣菜もkekeが選んだ中華の詰め合わせを買った。(私は家であるもので充分だった。)
ドーナツを買った。
選んだドーナツは、私だったら買わないドーナツばかりだった。
外に出た。
その時、思い出した。
そうだ。
私は「keke」と言い、「思い出した、私もそう言えば、誕生日はじいちゃんばあちゃんに現金でもらってたんだよ。そうだった。」
今あるもので充分で急に言われても何もほしいと思えなくて、それよりお金の方が喜んだ。
だって、ほしいと思った時に何にでも使えるから。
(その安心感がうれしかったんだと思う。)
なんで今になって急に思い出したんだろう。
プレゼントでもらったこともあったけど、お金でもらってて、だからと言って、親子の絆がそのせいで目減りしたとは思わない。自分の時は。
晩ご飯がレトルトカレーで淋しいと思ったことはなく、むしろその方がうれしかったこと。
お母さんが忙しいと分かっている日は、レトルトカレーが良かったこと。
それが好きだったし、(そこで気遣う事が)何だか家族の一員だった気がしたこと。
だから、そんなに気にし過ぎなくてもいいんじゃないかな、その家庭家庭で。
と言う事で、明日はまたひとり出かけよう。
kekeもそれでいいって、それがいいって言うんだから。
美輪さん、あらためてyoutubeで見てきました。
5分以上もあったんですね。
あっと言う間に終わってしまった印象だったので、2、3分のステージだと思ってました。
何度みても圧巻です。
『親から子への愛』は、
理解させるものでは無く、感じさせるものなのかもしれませんね。
2度目を見てそんなことを思いました。
金魚主さん、youtubeでも観られたんですね。
ほんとに5分もあったとは思えませんよね。
間奏もそんなになかったような気がするし
唄自体も長い感じがありませんし。
三輪さんのステージ、金ぴかで派手なものだとばかり思っていたので、ビックリしました。
何を着ているのか分からない、真っ黒で手と顔だけだったんですね。
服の派手さで競い合っていたののイヤミだったのか?
「これでも表現はできるんだよ!」と言いたかったのかなーなんて考えてしまいました。
子供が感じることがなければ、親が苦労とは言えないのかも。
昔の人はそれも踏まえて朝から晩まで働いていたのかもしれません。