ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




八百金。中央区入船3-1。1987(昭和62)年1月15日

新大橋通りの、入船橋交差点と入船二丁目交差点の間の東の裏通り。現在は「グラーサ銀座EAST〈レジデンススクエア〉」(2003年3月築、15階建て148戸)というマンションと「イオタ」の小さいビルが建っている。画面上で現在もあるのは後ろの白い壁の「ライオンズマンション新富町」(1985年8月築、9階建て46戸)だけだ。
写真手前の角に住宅(土屋家)、その右に看板建築が並んでいる。1986年の地図では手前から、「三友(プリントショップ?)、東都印刷、飛田(製本所)、交通安全出版、三平」。三平の横に路地が入っていて、カルピスの看板の左の看板建築が八百金。この店は戦前の火保図に「八百屋」とある店だろう。1969年の地図では「八百柳」になっている。



東信物産。入船3-1。1988(昭和63)年1月4日

1枚目写真の右奥に続く町並みで、写真左の空地は八百金の跡。現在写真の範囲は稲田屋のビルも建て替えられて、同じような大きさの3棟のビルが並んでいる。
下見板の洋館は会社の事務所として建てられたものらしい。現在の「東信入船ビル」(1991年3月築、8階建て)と1950年頃の火保図の「東信物産KK」から、「東信物産」とした。1969年の地図では「土屋児童文庫」となっているが、なんだったのだろう。
稲田屋酒店の右に「矢崎ビル」があってそれが新大橋通りに出る横町との角。画面右端の瓦屋根の家は横町の向かいの「井上内科医院」。矢崎ビルは1950年頃の火保図にすでにある「中華美寿々」があったところ。

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