ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




佃大橋交差点角の看板建築。中央区湊3-11。1987(昭和62)年12月20日

鉄砲洲通りが佃大橋の通りの下の道路に出る角(佃大橋交差点)にあった銅板貼り看板建築。その左のモルタル壁の看板建築は「湊水産」と「文祥堂製本」。そちらは『岩崎パン店、他/湊3丁目』で紹介している。銅板張りの家は戦前の地図に「カフェー」とあったが、戦後の地図では商店名や会社名では載っていないので数十年前から仕舞屋になっていると思われる。
現在は「日輪」という会社のビルに建て替わっている。そこのHPに「2006年2月、新本社ビル竣工」とあるビルだと思う。写真右のビルも「日輪ビル」。銅板張りの家と湊水産とを含めて建て直したのが現在のビルになるらしい。



左:水野商店。湊3-12。2008(平成20)年7月10日
左:民家。湊3-12。2008(平成20)年7月10日

左写真は1枚目写真の左端の辺りを右へ入ったところ。右奥が鉄砲洲通り。撮影時から20年前の資料だが、1986年の地図では左手前から「水野商店(錦寿しの看板のまま)、蜂谷靴店と小林印刷(現在は三葉企画)、考昌堂印刷所(現在も同じ)」。
家の前に鉢植えをたくさん置いている家は佃大橋の下の通りから横に入ってすぐのところにある。住居として建てられたような感じだ。


三宝山僧信坊。湊3-10
2008(平成20)年7月10日

三宝山僧信坊の看板がかかる家は水野商店と同じ横町で鉄砲洲通りに近いほうの向かい側。左の日本家屋は「光彩社」。印刷あるいは製本関係の会社だろうか。三宝山僧信坊の家は、現在は「観音御光之会」の看板に替わっている。

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