魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

占いの眼(1)

2011年06月10日 | 兄弟関係

補足
兄弟関係について、始めから読んで頂いている方なら、解ってもらえると思い、多少、文章が甘えてしまった。

被害者は」の、兄弟関係の考察で、「長子、一人っ子の日本」とは、弟妹を持たない長子のことで、長子型の原点=一人っ子のことだ。
言葉が足りなかった。と言うより、わざわざ「長子」と加えたことで、兄弟関係について予備知識のない人に、上下問題との誤解を招いたようだ。

言うまでもなく、朝鮮半島が末っ子というのは大陸兄弟の末っ子で、日本列島とは親戚ではあるが、兄弟関係はない。
と言うのも、例えば、朝鮮+中国の連合と、日本は戦ったことはあるが、日本+中国の連合が朝鮮と戦ったことはない。
(あえて言えば、671年、新羅に攻められた朝鮮半島の唐軍から日本に、唐史=郭務悰らの援軍要請が来たが、断っている)

また、「占い人類学」で既に、国民性と兄弟関係の考察をしているので、末っ子話として、話題に出したのだが、もう一度、兄弟関係は上下ではなく、環境と性格の話だ。

兄弟関係に苦労をしてない日本は、上下関係に鈍感だが、常に上下を意識している人々には、無頓着な一人っ子=日本の言動が「上から目線」「生意気」と解釈される。それが日本から見れば逆に、不可解な反応、言い分と見える。

中立は嫌われる
嫌韓と思われては、少々つらい。嫌韓とは感情論だからだ。これも始めから読んで頂いている方なら解って頂けると思うが、むしろ、嫌韓から売国奴と言われかねない、と心配しているぐらいだ。

占いの視点に好き嫌いはない。あるがままの状態を、公平に見たいと思っている。しかし、中立であることは、かえって、さまざまな「立場の感情」との距離が生まれる。感情論には意に沿うこと以外、聞いてもらえないので、気を配っているつもりなのだが・・・
まだまだ、未熟者だ。

なぜ占いの眼に好き嫌いはないのかと言えば、好むと好まざるとに関わらず、時は過ぎ、事象は積み重ねられていくものだからだ。
未来を予測するには、出来る限り、正確に過去を見なければならない。
好みや、願望で歴史を見れば、たちまち判断を誤る。
予測の判断ミスの反省から、そう信じるようになった。

一人っ子の生い立ち
ところで、一人っ子=日本はどのように生まれたのか。日本の成り立ちについては、さまざまな見解があるが、少なくとも、7世紀~19世紀は、ほぼ、独自の道を歩んだことに、異論はないだろう。
これが、今日の一人っ子的日本文化、日本人の気質を生んだと思われる。良くも悪くも島国根性やガラパゴス文化の醸成の時間となり、特に江戸の実質200年が、今日のいわゆる日本人の原型だろう。

国民気質のような地域文化は、意外と短時間で変わるようだ。
7世紀以前や、15、6世紀の日本人は、極めて大胆で、今の日本人が出遭ったら、ショックを受け、辟易するだろう。

しかし、思い描くには素晴らしいロマンの時代で、古事記・萬葉に憬れ、戦国武将に憧れ、美化することになる。武士道と言われるものも、むしろ、平和になった後の江戸時代に定義されている。

日本人の体格にしても、戦国時代には大きく、江戸時代には小さい。
日本人の血統については、大陸からの流入が相当あったことは争えないし、今も各地に渡来文化が色濃く息づいているが、ベースには、海洋民俗があり、ここが大陸との気質の違いであり、一人っ子の原点になったと考えられる。


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