魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

金を出せ

2017年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

租庸調
京都市が宿泊税を取ることになった。観光税や宿泊税は、採る側からすれば分かり易く容易だ。為政者の発想は権力でお金を集めることしかない。
これに対し、商人の発想は、悪く言えば、相手を「騙して」気づかれないように、お金を出させることにある。しかし、商人の言い分は、喜んでお金を出して頂く「三方よし」の努力なのだ。

この、「喜んで出して頂く努力」を理解できないのは、「士」の為政者だけではない、「農」「工」の製造者も同じだ。百姓も職人も、本来は自分のものを、権力者に収奪される。権力者もまた、民を殺さぬ程度に収奪物を還元する。権力者の言い分は、民を喜ばせる治世だ。
どこにも逃げられない狭い日本列島では、この機械的な関係が容易になり立ち、1000年以上続いてきた。日本が最も共産主義を成功させた国と言われるのも、始めから、この官民システムが出来上がっていたからに他ならない。
しかし、世界は日本のようにはシステム化されていない。成り行き次第の弱肉強食だ。だからこそ、ユートピアや共産主義が夢見られるようになる。

中国では、日本語や朝鮮語は中国語の方言の一種と信じる人達もいるが、文法構成からして全く別系統だ。中国語は、むしろ印欧語に近い。大まかに言えば、中国を筆頭に、世界の大部分の人々は結論から話す言葉で考えている。日本語のように、プロセスが重要で、結論が曖昧な思考をしていない。
民の生業も、国家運営も、世界では関係性より結果を重視する。結果が悪ければ、どんな理想も捨てられるし、結果が良ければ非道な王も英雄になる。

結果重視の人々にとって、財を得るのは理屈やプロセスではない。最も効率的である方法が選ばれる。お金を出したくない人間から効率よくお金を取るには、強奪か、騙してちょろまかすかだ。当然、力を持たない商人は「喜んで出してもらう」ために、ちょろまかすが、力を持つ為政者は、当然のように強奪する。
日本のように、「集金」システムが安定的に続いている国なら、出す側はあまり大きな不満を感じないが、多くの民族が入り乱れ、結論からもの考える世界では、当たり前のように強奪をしていると、革命が起きる。
その結果、互いに騙しあう、「取引」や「駆け引き」が、自然で好ましい、世界の常識になっていた。

騙し合いの世界
ところが、産業革命パラダイムの近年は、学校学習によって、国家権力による集金システムが、個々を為政者とする民主主義とともに定着した。
このシステムは、さらに国際ルールにも広がり、国際機関は法治主義を掲げて、当たり前のように、ルールを強要するようになり、それを守ることが、教養人の常識となってきた。
地球が、日本列島のように狭くなり、安定したシステム社会になれば、この理想は通用するだろう。

しかし、世界はまだまだ広い。中国のような前近代の大国が、いきなり産業革命パラダイムにデビューすると、世界の秩序は一気に崩れる。身なりだけは先輩に合わせても、狼の足が、そこら中を泥だらけにする。弱肉強食の騙し合いが、生まれかけの法治世界をかき回し、あっという間に、前近代のルールがはびこりだした。
この、えげつない本音の社会で渡り合えるのは、実際のところ、トランプのような「取引」の猛者しかいない。アメリカ社会はそれを感知してトランプを選んだのだ。

当然のことながら、これまで法治の理想に酔っていた「教養人」には、青天の霹靂だ。あらゆる攻撃でトランプを引き倒そうと躍起になっている。だが、彼らは勘違いをしている。トランプを引き倒しても、中国の前近代パワーの「前進、前進」は押さえられない。
前近代の中国を増長させてきたのは、他ならぬ、彼ら教養人の「夢」と傲りだからだ。
彼らの理想の大統領オバマこそが、中国の秩序破壊と、その手先の北朝鮮の核を生んだ張本人であることを、全く反省しない。ひたすらヒステリー攻撃に没頭している。

世界は、もはや、強迫、騙し、駆け引きの横行する、前近代が支配し始めている。
お金を、システム的に集められるような法治が、通用しなくなり始めているのだ。やるかやられるか。当たり前のように、権力で税を集めようとすれば、反発が起こり、脱法が起こる。中国伝統の「上に政策あれば、下に対策あり」が常識になる。

京都市が始めた「宿泊税」のような発想は、安定した法治社会なら通用するが、そうではない海外から来る人間には通用しない。目の前で心外な金を取られることに、外国人は反発する。飲み屋での「お通し」に納得しないのも、計算できない心外な金だからだ。
金額の大小ではない。強奪されるように感じるからだ。
京都市の発想は、日本のシステム社会や先進国では当たり前のことかも知れない。日本のビジネスもまた、金を出す相手の立場に立った発想で考えない。「良いものだから買え」と、上から目線の高飛車なのだ。

これからの海外との付き合いは、弱肉強食の騙し合い。力か知恵が必要になる。力で押せば力で返される。「相手に喜んでもらって」欲しいものを得ることが肝要だ。
寺社の「拝観料」や、京都市のような役人発想は逆効果だ。先ずは、人がお金を出したくなる仕組みを考えるべきで、客から直接お金を取らなくても、門前町から割り前を取るか自前の商売をすれば良い。
宿泊費とは別にお金を強奪される。お賽銭やオミクジ御朱印代に土産物を買って、その上「拝観料」を強奪される。これでは、観光客は喜べない。国際関係なら戦争だ。


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