魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ぺんぺん

2017年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

「ぺんぺん」と聞いて直ぐ思い出すのは、「ぺんぺん草」だろうか、「お尻ぺんぺん」だろうか。
ぺんぺん草は、春の七草の一つ「なずな」で、実が三味線のバチに似て、振り回すと実があたり音も出るから、そう呼ばれる。
根こそぎぼったくる苛烈な商魂をたとえて、「・・・が通った後には、ぺんぺん草も生えない」と言われるほど、強い生命力の象徴だ。

「お尻ぺんぺん」は、子供を叱る時、「言うことを聞かないと、お尻ぺんぺんしますよ」と脅すが、日本では昔でもあまり見かけない光景で、「トムソーヤ」がくらう、欧米式の体罰教育だ。日本の体罰はたいてい感情にまかせて、顔をひっぱたくが、同じ体罰なら、尻を叩く方が合理的かもしれない。日本人は子供を躾けると考えるが、牧畜文化の欧米人は調教と考えるようだ。躾は外観を正すために言い聞かせるが、調教は無知な動物に原理を叩き込むことだから、身体で覚えさせる。

映画やドラマでは、子供の罵り合いで、相手を挑発したりバカにしたりする時、安全地帯まで逃げた上で尻を向け、「お尻ぺんぺん」と自分で叩いて見せるシーンが出てくる。しかし、こんな姿を、実際には見たことがない。
これは、「舌鼓」のように、昔は実際にあったのかも知れないが、あまり日本的ではないような気がする。
子供の頃、映画で初めて見たとき、意味が解らなくて、無防備な姿で、余裕を見せているのかなと思ったが、あまり深く考えないできた。しかし、改めて考えると、『おまえのお尻を、ぺんぺんしてやろうか』の、表現だったのではないかと思う。
いずれにしても、どうも、「ぺんぺん」は良い響ではない。

遠く離れた安全地帯で、相手に尻を向けて「ぺんぺん」するのは、直接対決すると負けるからだ。だから、された方は「卑怯者!」と、よけい悔しがる。
そうして、カッカすれば、ますます思う壺に落ちる。直接対決なら絶対有利のはずの強者が、取るに足らないはずの弱者に、コテンパンにやられるのは、挑発に乗って取り乱してしまうからだ。弱小の真田は、この挑発を得意とした。

アジアの関ヶ原
韓国は、トランプアジア歴訪直前に、日米韓同盟拒否やTHAAD配備の取り止めを中国に約束し、突然、中国に寝返った。衆院選どころか、関ヶ原の小早川秀秋はここにいた。
その上、訪韓したトランプに、「独島エビ」を食べさせ、元慰安婦を面会抱擁させた。これは、韓国の立場をトランプに強引にあてがうことによる、日本に対する挑発に他ならない。同時に、アメリカ大統領をだしにした大欠礼でもあるが、商売人のトランプは応用に受け流したようだ。

こんなデタラメな行動を取る韓国政府に対し、韓国国民は大喝采をしている。
まさに、日本への「お尻ぺんぺん」なのだが、日本の青二才政治が、また、挑発に乗ることを恐れる。慰安婦問題を大きくし、泥沼から出られなくしたのは、日本自身だ。慰安婦像など無視していれば良いものを、過剰に反応し、韓国に、望外の「金鉱を掘り当て」させてしまった。中国も「けつの穴の小さい日本」を再確認した。露骨な作為で動く中国にとっては理解できない、潔癖症の感情対応だろう。
トランプのように、わけの解らない反応をしていれば、相手が「打つ手」を失う。それが駆け引き(外交)の神髄というものだ。