魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

黒船時代

2012年05月08日 | 大転換

国際人材育成について、産学会議があったそうで、秋入学や、通年採用を拡充したりする話をしたそうだ。一方で、企業は即戦力として、海外からの留学生の採用を広げている。

時代というものは、こうして徐々に動いていくものなのか、そうしても間に合わず、ある時ドカンとドンデン返しが起こるものなのか。
歴史を見ていると、たいてい、間に合わずに、ある日、突然ひっくり返るもののようだ。

犬は、興奮したり緊張したりすると、残っていた餌を食べたり、それが無いと、器を舐めたりすることがある。脳科学的な仕組みは解らないが、緊張を、日常行為で緩和させようとしているのだろう。

人間も犬も大して変わらない。非常事態が起きると、多くの人は、逃げたり立ち向かったりするよりも、反って、日常を続けようとする。
平和な日常感覚を感じることで、安心しようとするのだろう。

今、時代は、明らかな「大転換」の中にある。過去とはまったく違う時代に入ろうとしている。しかし、異常事態は解っても、「ゼロからの出発」は、誰も考えられないようだ。国際人育成の意味も目的も解らず、過去の手直しをしようとしても、砂上の楼閣に終わる。
一度、裸にならなければ、冬物の上に夏物は着られないのだ。

黒船を前にして
84年周期の3倍の、250年の大転換の意味が解らないから、産業革命パラダイムの枠の中での、手直しの議論しか始まらない。
幕末の幕府にバカが集まっていたわけでは無い。選りすぐられた秀才がいたはずだ。しかし、徳川幕府250年の仕組みの中から出た秀才であり、仕組みそのものの老朽化の結果だった。

産学会議のメンバーも、現代の秀才達だが、それを生んだ学校も企業も、産革パラダイム250年の仕組みであり、それが全く通用しない時代を前にして、何をして良いのか分からない。
だから、今までのように、入学時期や採用基準をひねるばかりだ。
滑稽であり、憐れであり、悲惨である・・・としか言いようが無い。

極論すれば、今や、大学も企業も解体するしか無いのだ。
産学何れも、産革パラダイムに適応して来た形態であることを悟り、来たるべき新パラダイムを見据えて、そこから逆に、組織を組み直し、その組織にマッチする人材を求めるしか無いのだ。
今までの、冬物のボタンを後ろにつけても夏物にはならない。

今から始まる、250年の新パラダイムは、
大航海時代に始まる、「人類再統合」の千年(750年)の最終章だ。
順風、波乱、如何なるプロセスにせよ、民族や地域国家の枠は完全に無くなる。近年のナショナリズムの高まりも、消滅前の最後の輝きだ。

産学が大転換の動きを無視した、状況対応の手直しでお茶を濁していたとしても、就職難は若者の意識を変えつつある。
産業界が軸足を海外に移せば、自動的に、過去の就職システムが機能しなくなる。

面白いことに、産学協同で歩いてきた大学が、再び、真の学問の場になることを迫られている。
象牙の塔でも無ければ、企業の予備校でも無い。新パラダイムの世界に送り出す人材育成であり、大学は最も国際化したカオスにならなければならない。

産業のグローバル化に平行して、学術の同時カオス化があり、その一方で、文化の徹底した地域化(新鎖国主義)が必要になる。

産革パラダイムの中で、すべてが一体化してきたかに見えるものが、実は今からは、むしろ、それぞれのスタンスを鮮明化しなければ、人類としての一体的な発展が無いことを告げている。