魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

災い転じ

2011年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

敗戦で焦土と化した日本は、10年で立ち直った。
あまりにひどい壊滅は、むしろ、日本人を元気にする。

互いを牽制しあって、ガチガチの閉塞状態にしてしまう日本人は、他動的な破壊によって、閉塞から解放され、過去の縛りを「水に流し」て、元気になる。

焦土の日本に進駐してきた連合軍は、日本人の明るい顔に、あっ気にとられたそうだ。戦争から解放された安堵感があったのだろう。
焼け跡世代は、異口同音に、「空がやたら青かった」と言う。
国家の強圧に翻弄された戦中派は、団塊世代の我が子に、強いことが言えなかった。

そんな空気の戦後30年間は、日本人があらゆる束縛から解放され、個人の資質がそのまま発揮できた時代であり、大躍進をした。
ところが、一旦成功すると、また、互いを牽制し合うようになり、不況のショックで、ますます下向きになって、動きのとれないガチガチの閉塞社会にしてしまった。

この閉塞状況を打ち破るのは、結局、他動的な破壊しかない。
他国からの強圧か、経済破綻、そして、立ち上がれないほどの大災害だけだ。今それが、まとまって全部来た。

今回の地震と津波は、阪神大震災とは次元の違う災害だ。
阪神大震災は、局地的であり、まだ経済にもゆとりのある時代だった。
しかし今回は、経済破綻の瀬戸際にあって、政治の統治能力が麻痺した中で起こった。

大転換の時代。何とかしなければと誰でも思っている。
そう思いながら、国民も政治も経済も、古い概念や、しがらみに囚われて抜け出せずにいた。
既存の社会システムや、過去の法制度に、自身が囚われていることに気づかず、もがいていた。

頭から水
そこに、この驚天動地の大災害。大ナタが振り下ろされた。
悪夢にもがいている時、頭から水を浴びせられれば、誰でも目を覚ます。目覚めて、とんでも無い状況に驚くが、とりあえず悪夢からは逃れる。後始末は大変だが、もう、バカげた悪夢に苦しむことはない。

チマチマした過去のシステムに囚われて、一歩も現実が進展しない状況が、何年も続いてきた。
しかし、ついに、政治も経済も、現実の生活に働かなければならない時が来た。現実は夢や理屈ではない。机上論や筋道論より、
清濁を超えた現実対処のみがものを言う。

少しでも、現実感がある人なら、一致団結しようとするだろう。
今の今まで、態度や言動にケチを付けることが仕事だった連中も、目覚めるはずだ。

だが、この期に及んでも、建前論や枝葉末節にこだわる連中もいる。
それは目覚めぬ人であり、朝の光に消える夢のまぼろしだ。

もし、日本がまだ、こうした悪夢の魑魅魍魎に引きづり込まれるのだとすれば、目覚めぬ日本には、もう一杯の冷や水が用意されているかも知れない。