魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

まる見え(1)

2010年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

ついに、脳波が玩具にまで使われるようになった。
現物は見ていないが、ニュースによると、脳波の種類やレベルによって、電気レベルを調整し、風圧でピンポン球を動かしたり、集中力のトレーニングなどにも使う。

パソコンが出現した時、これを応用すれば簡単にできるなあ、と思ったら、CTやMRIはあっという間に実現した。

脳波の応用で、玩具ができたからと言って、そんなことはそう簡単にはできないと、普通は思うだろうが、マインドリーディングは、ちょっとしたきっかけで案外、簡単にできるだろう。

本当に必要になればすぐできるはずだが、クローンと同じで、人類のモラル進化の壁がじゃまをする。
技術的には可能であっても、モラルという、人類の概念が進化しなければ受け入れられない、がしかし、また、テクノロジーは概念を変えるものでもある。

CTやMRIは、技術的好奇心より、生存願望が可能にした。
その意味では、他人の心を読む「読心機」は、モラルハザードとみなされ、実現が難しい。

しかし、もしそれが出来てしまって、普及し改良され、心に秘密が持てなくなったら、どんなことになるだろう。

今、われわれは、他人の心などわからないものと思っているから、興味を持ち、悩み、誤解をし、悲喜こもごものドラマが生まれ、争いも起これば小説も生まれる。

見えないから見たくなり、妄想をするのは、下着の中身と同じだが、もし全員スッポンポンで、丸出しでいれば、ほとんど誰も興味を持たなくなる。せいぜい、顔の違い程度の識別対象ぐらいにしか思わない。
まあ、そうなると、髪型を気にしたり、化粧をするように、飾り立てるのかも知れないのだが・・・。

考えていることがまる見えになって、それが当たり前になれば、
「ヒ、ミ、ツ・・・」とか、内緒話とか、まったく無意味になる。
それは洞察力を失うデメリットなのか、むだな邪推エネルギーを超えて、合理性で思考する躍進につながるのか・・・どっちだろう?

少なくとも嘘はつけなくなり、妄想は恥ずかしいことではなくなる。
様々な欲望は誰にも知られてしまうから、誰もそれを「あってはならないこと」と責めなくなる。
むしろ、その解決策をともに考えることが当然になり、今、恥ずかしいと思っているようなことも、誰でもそうであることが解ってしまえば悩むこともない。
モラルも欲望も相対的に変わっていくから、今、そんなトンでもない事になっては困ると思っていることも、まったく困らない。

空中浮揚修行しなくても人類は空を飛んでいる。エスパーなどの特別な能力を持たなくても、そういう時代が可能になってきた。
人類は、今からその時代への心づもりを、積極的にしておく必要があるだろう。これもまた、人類の重大な進歩だ。

しかし、「読心機」より、モラルハザードのない「スーパー・バウリンガル」の方が先に生まれそうだ。