ウイニーの作者に無罪判決がでた。
結局、殺人事件に刀鍛冶の責任が有るか無いか、という争点で、刀鍛冶には責任がない。という話だ。
殺人のような、人間社会の基本的生存権に関わる問題なら、誰でも「悪いこと」だと解る。(もちろん哲学的な話ではない)
しかし、知的所有権のような、仮想の新概念は、ややこしい。
今、誰もが当然だと思っている、通貨や国家や民族と同じように、知的所有権も根拠の怪しいものだ。
太陽黒点や地震とは違い、人間の考え一つでどうにでもなる。
これらは、いずれも実は、産業革命パラダイムが成長していく過程で、固まっていった骨組みだ。
中でも、知的所有権は、後から生えてきた、親知らずのようなもので、まだ、その存在も意義もしっかり認識されていない。
にもかかわらず、産業革命の時代が、もう定年を向かえて店仕舞いをしようとしている時に、マネーの暴走と供に害をなし始めた。
若い元気な時なら、親知らずもじゃまにはならないが、筋肉や脂肪が落ちてくると、じゃまな上に、虫歯になったりする。
産業革命パラダイムに染まり切った日本は、知的所有権でも立派な大人になり、それを理解せず守れない者をバカにし、自らもそれで大人の利益を上げようとしている。
しかし、原点で考えれば、そんなものは自然界に存在しないものであり、産業革命ゲームのルールの一つに過ぎない。
天才は必然
人間が進歩してきたのは、歴史に名を残す天才や英雄のお蔭ではない。彼らは、人間の知のネットワークのマイルストーンだ。
天才や英雄は、知の飽和から生まれる結晶だ。時間の必然であり、現れるべくして現れたのであって、その人が生まれていなければ、別の人間が同じ事をしただろう。
それが証拠というか、発明や発見にはタッチの差で、影に埋もれてしまった人の話が多い。
知は元来、個人のものではない。
知的所有権という金儲けシステムのお蔭で、この大転換の時代、どれほどの弊害が出ているのであろうか。
薬品特許の為に救われない貧者。いつまでも後れた技術に縛られる文明。人類全体の認識向上の遅れ・・・隠れた弊害はもっとあるだろう。
金儲けのために、これが当然のルールと思える現代は、今、この時点で移ろいつつある。
新しい時代には、新しいルールが必要になるが、まだ、それは現れていない。それが現れるまで、まだ半世紀はかかるだろうが、
知的所有権を意図的にむしばむ行為は、一つの革命行動とも言えるだろう。
コペルニクスやガリレオの本質を求める行為が、反社会的で堂々と発言できなかったように、知的所有権否定は堂々と公言できない。
500年後、ウイニー作者はガリレオのように語られるかも知れない。