クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

痛みのデパート

2021年12月28日 | ブログ

痛みのデパート、それは私の肉体です。起きる場所でその痛みの種類は異なり否が応でもそれらに耐え続けなければならな状況が続いています。医院受診を妻は勧めますが現在まで、耐えがたい痛さが在ってもその気にはなれません。以前経験の所謂「五十肩」でのことが影響している為です。今回は、「五十肩」(80歳にも達しようとしている私が「五十」を使うとは思い上がり)の再発の左腕がもう、2年近く続いていて今なお、忍耐を強いられていますが、この2週間ほど前からは右腰の外側に痛みが発生しています。その範囲は狭いように感じていますが痛みの程度は当初は弱だったのが時間の経過に伴って激痛となりました。そして更に、その痛みは右脚の付け根外側付近へ移動したりしています。左腕と腰、脚の痛みをどちらが影響甚大か、比較すること自体がナンセンスではありますが、後者では行動が極端に制約されますのでその方が致命的かも知れません。先端が細い針をさしたような痛み、それより大きめの針を使ったとき、殆どの場合はそういう類いの痛みでしたが昨夜の痛みはそれを遙かに凌ぐものでした。拷問にも感じられました。グラグラと煮えたぎる湯を直接、腰と脚に浴びせられた感じで、それは初めて経験する種類の痛みでした。

徳島阿波おどり撮影の折は強い腰の痛みで入院の要を考えたにも拘わらず、撮影の為にホテルを出て歩き回り、加えて帰途の道まで間違えましたが、ホテルに帰着したとき何故か腰の痛みは消えていました(このブログに以前、書きました)。ウォーキングで痛みが取り除かれたのだと推量していますが、その経験が私の頭の中には常に残っていますので現在でもそれを実行に移しています。今朝は用件をもって家を出ました。出発して暫くは右腰、脚に痛みが在りました。右手でげんこつを作りその部位に当てて揉みながら歩き続けました。しかし、それでも痛みは消えませんでした。暫くしてその動作に疲れたことから揉むことを止め、げんこつを当てただけに変更しました。ところがそれで痛みは略、消えました。驚きと喜びでした。げんこつを通して筋肉の動きが感じ取れましたが、そこで分かったのは、人がわざわざ揉む動作をしなくても歩くことで筋肉が自然に動き、恰もただ当てているげんこつがマッサージをしているのと同様である、ということでした。歩くのに使われる筋肉そのものを合理的にマッサージしているような理屈ではないでしょうか。人の浅知恵を持ち込むことなく、身体の自然の動きを生かすことなのです。これは私にとっての1つの重要な発見になるかも知れません。