クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

私の“思い上がり”とも云えますが・・・

2017年11月02日 | 歳時記
周囲の人が高所作業をされることを聞いたとき、私は必ずそれは出来れば止められるよう、いつもアドバイスします。殊にそれが高齢者の場合は言葉を強めます。理由は申し上げるまでもありません。かって、僅か1メートル上へのぼることでさえも危険、「イチメイヲトル(一命を取る)」と聞いたことがあります。正にその通りです。ところがそう云いながらも私は昨日も又、屋根に上りました。脚立を伸ばして廂に立てかけて使用しました。天へ向かって直立している夥しい数の柿の枝を除去する為です。周囲の人達にはブレーキを懸けながらその本人の私は厳守していないのです。全く自分で理解に苦しみます。極めて神経を集中させて注意力を働かせていますので自分は事故防止に努めている、と思っているのです。私の“思い上がり”であることは分かっています。気になったことは処理しなくては頭が疼く、これが作業に駆り立ててしまいます。今日も又、脚立に上るつもりです。

桑の木移植
先日、桑の木を移植しました。桑の木自体を考えてのことでなく、アサギマダラ用のフジバカマの面積を増やす為です。桑の実はジャムを作るために是非必要ですので移植には大きな注意を払って実行しましたが、事後、葉は全て枯れて茶色になり落ちてしまいました。事前の状態でも茎の付け根からポロリと簡単に外れていましたし、葉自体にも斑点が出来ていたりして落葉の時季には来ていたような気がしますが、果たしてどうでしょうか。1日も早く、生きていることを確認したいのですが来年を待たないと無理かも知れません。