DIARY yuutu

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小川軽舟(1961-)『俳句と暮らす』(その3)(2016年、55歳):(5)「酒を飲む」、(6)「病気で死ぬ」!

2021-04-23 12:30:55 | 日記
(5)「酒を飲む」
★藤田湘子(1926-2005):湘子の師は秋桜子。軽舟の師は湘子で35歳年長。「君達の頭脳硬直ビヤホール」(「置酒勧語」(チシュカンゴ)をモットーとする湘子が、酒の席で弟子に披露し盛り上がった。)
★石田波郷(ハキョウ)(1913-1969):秋桜子門で湘子の兄弟子が、石田波郷だった。湘子は波郷から酒の流儀を教わった。Cf. 水原秋桜子(1892-1981)は品行方正で酒を飲まなかった。「師の傍に酒ひかへゐし年忘れ」(忘年会で師の秋桜子が酒を飲まないので、波郷も酒を遠慮して飲む。)
★鈴木真砂女(マサジョ)(1906-2003):恋に生きた女と言われる。銀座1丁目に小料理屋「卯波」を営む。
「ビール汲む抱かるることのなき人と」(昭和30年代初めの句。真砂女50歳頃だ。女心だ。)
★小澤實(ミノル)(1961-):湘子門で小川軽舟(1961-)の兄弟子。軽舟は小澤から酒の飲み方を教えられた。軽舟が入会した時、小澤實は湘子門の『鷹』の若き編集長だった。「酒飲んで椅子からころげ落ちて秋」(20代の終わり頃の句。)
★石川淳(夷齋)(1899-1987):「鳴る音にまづ心澄む新酒かな」(連句の発句。発句はその座の主客が挨拶の心を籠めて詠む。新酒の注がれる音!)

(6)「病気で死ぬ」
★正岡子規(1867-1902):「をとゝひの糸瓜(ヘチマ)の水も取らざりき」(痰を切る効果があった糸瓜の水を、取らなくて残念だ。子規の絶筆の3句の内の3句目。子規はこの後、昏睡状態となり翌日息を引き取った。)
★川端茅舎(ボウシャ)(1897-1941):結核で亡くなった。「咳き込めば我火の玉のごとくなり」「咳止めば我ぬけがらのごとくなり」(肺結核の発作による咳の苦しさ。)「一枚の餅のごとくに雪残る」(子供の好奇心のような童心。)
★石橋秀野(ヒデノ)(1909-1947):女性俳人。「蝉時雨子は担送車に追ひつけず」(重篤となりストレッチャーで運ばれる。6歳の娘が追いかけるが追いつけない。)
★石田波郷(ハキョウ)(1913-1969):結核のため肋骨7本を切除した。「綿虫やそこは屍(カバネ)の出(イ)で行く門」(清瀬村の国立東京療養所の門だ。綿虫は冬の季語。)
★尾崎紅葉(1867-1903):「ごぼゝと薬飲みけりけさの秋」(紅葉は、胃癌で亡くなった。)
★石川桂郎(ケイロウ)(1909-1975):「裏がへる亀思ふべし鳴けるなり」(食道癌が見つかり1年、66歳で亡くなった。亀は病臥の桂郎の自画像。)
★江國滋(シゲル)(1934-1997):「敗北宣言」と前書きし「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」(1997年食道癌と診断され、その年の8月に死去。)
★折笠(オリガサ)美秋(ビシュウ)(1934-1990):筋委縮性側索硬化症(ALS)に罹り55歳で亡くなった。「ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう」(自分のいない妻の人生を励まし、自分の無念を慰めた。)
★田中裕明(ヒロアキ)(1959-2004):白血病と診断され、5年後に亡くなった。「空へゆく階段のなし稲の花」(彼にはこの階段が見えて、昇ったかもしれない。)
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