DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

ある回顧(1965-1972):1965年ベトナム戦争批判、1966年中国文化大革命、1968年全共闘運動、1972年連合赤軍事件

2018-09-16 01:41:02 | 日記
 (1)私の高校・大学時代(1965-1972)の争点について
①1965年当時(高1)、ベトナム戦争批判は正しく、大国が小国を侵略した点で、米国に大義はない。しかし権力集中的な共産主義を北ベトナムが目指した点は批判されねばならない。(当時は権力集中制批判の観点が私に不十分だった。)政治の力学は、正邪が入り乱れて進行する。行動を決断させるのは、結局、感情だ。
②文化大革命も、当時、好意的に捉える意見があった。(私が高2から大2の頃、1966-1970年頃だ。)反エリート主義の立場が強調された。例えば、母校(高校)での世界史の授業は、「長征」を出エジプトに見立て、「文革」を推進する中国の政治勢力を応援した。
③反エリート主義は「全共闘」運動も同じだった。エリート候補の大学生が「自己否定」を主張した。反エリート主義は、「人間の本質的平等を前提する民主主主義」の理念的延長上にある。この限りでは、反エリート主義は倫理的だ。
③-2 だが反エリート主義を主張する者が、大学を卒業しエリートの道を歩むのは、反エリート主義の理念に反する。
③-3 「全共闘」運動は、「真の」学問とは何であるかを問い、とりわけ誰のための学問であるかを問うた。それは、その限りで、一種の倫理運動だ。
④だが社会は、その経済的(産業的)・国家的・行政的発展のために、エリートを必要不可欠とする。高校・大学時代、私はこの点を、重視すべきだった。(Cf. 例えば、鄧小平的エリート有用論は、中国経済・国家の発展を生み出した。)だがエリートの傲慢は、多くの他者を不幸にする。
⑤連合赤軍事件(1971-72年)で、12人のリンチ殺害が明らかになり、大学生の「政治の時代」(「全共闘」運動の時代)は倫理的に終わった。
⑥この間、母校(高校)では、反エリート主義の立場、また「真の」学問を問う立場から、1969年に定期試験・制服が廃止となる。(Cf. その後、定期試験は徐々に復活。制服は2006年標準服となり、2016年・71期に復活。なお1969年以降、母校は進学実績が落ちたとの批判があった。)

(2)1973年高校教員になって以後の私の関心
私は、大学卒業後、高校教員として、「人間の本質的平等を前提する民主主義」の立場に立ち、「十分な情報を得た市民」(well-informed citizen)(A. シュッツ)の形成を目的に、勤務した。

(3)1973年頃からの私の学問的研究上の関心
私は、哲学・社会学・政治学の研究として、M. ウェーバーの理解社会学、A. シュッツの社会的意味世界の構成論、フッサール現象学、また他我論を扱い、それらを現在も考え、研究している。
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