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保阪正康(1939-)「橘孝三郎の昭和史②農村救済から国家改造運動へ」 

2017-06-26 19:37:21 | 日記
 『サンデー毎日』(2017/7/2号)保阪正康「橘孝三郎の昭和史②農村救済から国家改造運動へ」を読む。
 橘孝三郎(1893-1974)は、大正時代の人道主義者、トルストイアン、農本主義者、理想的農村共同体建設運動(愛郷(アイキョウ)塾)の実践者。
 彼は、協同組合運動もめざしたが、結局、海軍の国家改造運動を志向する士官の側に立ち1932年5・15事件に参加。愛郷塾生7人を率い東京の変電所を襲撃。無期懲役の判決を受けた。1940年恩赦。
 彼は、権藤 成卿(ゴンドウ セイキョウ)(1868 – 1937)を、農本主義者として尊敬した。
 北一輝に対しては、「地主対小作」図式で農村問題を見る社会主義の立場だと、批判。「都市対農村」図式で見るべきだとする。
 橘は、井上日召(1886 - 1967)から国家改造運動への参加を勧誘された。
 (※井上日召は1932年「ただ私利私欲のみに没頭し国防を軽視し国利民福を思わない極悪人」20余名を標的に血盟団メンバーに「一人一殺」を指令、実行させる。1931年井上の構想:「紀元節前後を目途としてまず民間が政治経済界の指導者を暗殺し、行動を開始すれば続いて海軍内部の同調者がクーデター決行に踏み切り、天皇中心主義にもとづく国家革新が成るであろう」。)
 橘が、5・15事件に参加した理由は、国家改造運動への参加を説得する海軍士官の「目には曇りはなかった」からだという。

《感想》
 明治維新は1867年。1932年5・15事件は、65年後である。当時、天皇主権の帝国憲法のもと、国民主権を意味する「民主主義」の語は聞かれない。
 1945年敗戦の68年後、2013年安倍首相は「自由、民主主義、人権、法の支配」 を普遍的価値と呼んだ。時代が変わり、政治的価値観の変化を思う。
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愚かな娘    

2017-06-26 18:07:26 | 日記
自分はいつも誰かにかしづかれる姫だとおもう。
愚かな娘。
やがて、誰も相手をしなくなるだろう。
誰もその娘の機嫌などとらない。
自己中心の娘はみんなから嫌われる。

The girl thinks that she is like a princess who is to be always taken care of by someone.
A stupid girl!
Sooner or later, no one will make friends with her any more.
No one will try to please the girl.
Every one will hate the selfish girl.
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まだ、現実に破滅したわけでない

2017-06-26 10:51:49 | 日記
四面楚歌。
悪いことばかり。
でも、まだ生きている。
ひたすら耐えるだけ。
死ねば簡単だ。
どうしようか?
やれるところまで、やる。
まだ、現実に破滅したわけでない。
足の下が、深淵でも、現在は、安全。
平穏が、続くことを祈る。

Only enemies are around you.
Many bad things menace you.
However, you are still alive.
You only persevere.
It’s easy to die.
What should you do?
You do your best as long as you can.
You haven’t really ruined yet.
Though under your feet is deep cliff, you are safe now.
You hope to continue to live peacefully.
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政治の方向は、多数の諸個人の行動の複雑な総体として決まる  

2017-06-26 00:26:03 | 日記
 『サンデー毎日』(2017/7/2号)に、「再び『官僚たち』に告ぐ!安倍強権支配に抵抗せよ」の記事あり。
 公平中立な行政をめざすのが「官僚道」。それに従うのが真の「国益官僚」であるという。
 伊東正義元副総理が、農地局長時代、「自分の息のかかった業者を使え」との農林大臣の圧力に、公平中立の観点から抵抗し、左遷された。
 後藤田正晴元官房長官は、内務・警察・防衛・自治官僚出身だったが、軍(自衛隊)・警察の肥大化には、民主的規制の立場から、抑制的であった。

《感想》
 結局、政治全体の方向を決めるのは、個々人の人格、信念、思想、倫理、利害関心、権力関心、社会的評価関心等である。各人のその都度の決定が、重要である。
 できることなら、天に恥じない行動を目指したい。
 また心の豊かさ、寛容、公正さなどが、民主的な政治を支える。
 多数の諸個人の行動、それらの複雑な総体として、選挙結果など政治のあり方、政策が定まる。
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