臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(096:取・関取が「ごっつあんです」と言うところ)

2012年04月28日 | 題詠blog短歌
(松木秀)
〇  関取が「ごっつあんです」と言うところわたし一度も見たことがなし

 世間様から「関取」と呼ばれている以上、「ごっつあんです」と言ってみたいはずである。
 しかし、近頃の相撲界では“タニマチ”が居なくなってしまったから、なかなか言う機会が無いのでありましょう。
 それに、“北海道場所”というのもありませんし。
 〔返〕  吉野家で大盛り牛丼平らげて「ごっつあんです」と言ったらどうだ!   鳥羽省三


(飯田和馬)
〇  手に取れば香り重みが嬉しくて林檎をみがく眠れない夜

 甘さと瑞々しさがどっさりと詰まっているような、あの捥ぎたての「林檎」の「重み」と「香り」には、一種独特な情趣が感じられ、一個一個手に取って磨きたくなるような気がするものである。
 〔返〕  噛んでみれば果汁が前歯に滲み込んでとても美味しい捥ぎたての林檎   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  幼な日の虫取撫子咲く畦を記憶の中に祖母と歩めり

 作中に「虫取撫子」とあるので、“食虫植物”と思ったのですが、件の植物は、葉っぱが出ている節の下辺りから粘着性の分泌物を分泌する性質を備えている。
 そこで、蜜を求めて飛んで来て止まった虻などの虫がくっ付いて離れられなくなる。
 これが、あの美しくて可愛らしい植物が「虫取撫子」と呼ばれている所以である。
よくよく考えてみると、「祖母」という、孫が虫歯になることも知らないで、甘いお菓子なんか呉れたりして、べたべたくっ付かせることが大好きな人間は、「虫取撫子」のような存在なのかも知れません。
 彼女らに魅せられてしまったら、独特の分泌物で以ってべったりと縛り付けられ、一生涯、その記憶から離れられなくなってしまうのである。
 本作の作者も、その口ではありませんか?
 「お婆ちゃん子は三文安い」とは、よく言ったものである。
 〔返〕  婆ちゃんの記憶に縛られ母親を冷たい女と恨む子も居る   鳥羽省三
      往昔の虫取撫子が咲く頃は海にも山にも海豚が飛んでた


(酒井景二朗)
〇  用水の取水口よりやや離れ落つる水見つ立ち去りがてに

 「~~がてに」とは、「~~することが出来ないで」という意味である。
 したがって、本作の意は、「私は、『用水の取水口』から少し『離れ』た所に立って、田圃の用水溝に落ちて行く『水』を見ている。その場から立ち去ることが出来なくて」、或いは、「私は、『用水の取水口』から少し『離れ』た所から落ちて行く『水』を見ている。その場から立ち去ることが出来なくて」ということである。
 私・鳥羽省三が、こんな事細かな解説をすると、“通りすがりの者”と称して、「知ったかぶりをする奴だ!そんな事ぐらいは誰だって知っているだろう!馬鹿野郎め!」などという文面のコメントを寄せる者がいる。
 しかしながら、昨今の歌壇で最も必要とされているのは、こうした細かい点に目の行き届く評者であろうと思われる。
 「歌人・某の変節は、結社誌『アララギ』の消長と軌を一にしている」などという、どうでもよくて訳の解らないような文章は、何方にでも書けましょう。
 昨今の歌人ちゃんたち(=題詠2011の参加者の大半)に対して発揮して遣るべき親切心は、「文法的な誤りを訂正し、言葉の働きや死語と化してしまった語句などを丁寧に解説してやるような親切心である」と思われる。
 〔返〕  唐茄子の腐れたところに虻が付く立ち去りがてに我は見つむる


(鳥羽省三)
〇  往昔の取水堰の一つにて円筒分水久地に遺れり

 「久地」の「円筒分水」と言えば、知る人ぞ知る、江戸時代からの利水施設である。
 農業用水などを一定の割合で正確に分配するために、円筒状の設備の中心部に用水を湧き出させ、円筒外周部から越流させる。
 水が円筒状の施設から落下する際に一定の割合に分割される仕組みとなっている。
 私はドン百姓の末裔の分際で、不勉強にも「円筒分水」というものを知らなかったのであるが、今から七年前、私たちの長男が、東急田園都市線・溝の口駅の近くにマンションを買い求めたので、新居訪問をしたところ、その近くで「久地円筒分水」の案内板を目にして、その存在や役割りを知るに至ったのである。
 〔返〕  往昔の水争ひの凄まじさ毎年数人の死者が出たとふ   鳥羽省三


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