(鮎美)
ある夜は女なること呪ひつつ京つげぐしに油塗るなり
鮎が美女に化けたのではなく、狐が美女に化けたのである。
だが、二日三日すると、美女に化けた狐は現実に帰り、女になってしまった自分の今の身の上がつくづく嫌になってしまったのである。
「あの頃は本当に面白かった。私がまだ雄狐だった頃、村の鎮守の杜から雌狐どもがわんさんわんさかやって来て、あの洞窟にたった一匹しか居ない雄狐の私を、下へも置かぬもてなしだった。厚揚げは持って来るわ、稲荷寿司は持って来るわ、お餅入りの薄揚げ巾着は持って来るわで、私は自分の胃袋を休める暇も無かったのだ。それなのに、私が人間の女になってしまった今はどうだ。食べ物と言えば、薄味のたぬき饂飩がたった一杯ぽっきり。お腹を空かした身体を赤いおべべで包み、日がな一日、千間格子の内に座らせられて、道行く助平な男どもにじろじろじろじろ見つめられていなければならないのだ。男どもの中には、女になった私を見つめているだけでは足りずに、『へい、おねーちゃん。一日中座り続けでは退屈だろう。たまには立ってみて、その着物の裾をぱっと捲り上げてみせたらどうだ。襦袢まで捲り上げたら、その中から、黒いものが出て来るか、白いものが出て来るかが楽しみだから』なんて、この私をからかう者もいるんだよ。アー、嫌だ、嫌だ、人間の女になるなんて嫌だ。私は大失敗してしまったのだ。それにしても、お腹が空いたわ。あっ、そうだ、私は自分の頭に、この店の女将から借りた京つげぐしを挿していたんだ。この京つげぐしに鬢付け油でも塗ったら、あの懐かしい油揚げの味がするかも知れない。そうだ、そうだ、早速試してみよう。」
かくして、その美女狐は髪に挿していた京つげぐしに鬢付け油を塗りたくって、がりがりがりがりと音を立てて食べてしまったのだとさ。
とっぴんぱらりのぷー。
いっちがぽーんとさけた。
〔返〕 京五条狐の嫁入り通り雨花嫁衣裳が濡れて破れた 鳥羽省三
(B子)
濡れ髪の少女眠れる8月の京阪電車は塩素のにおい
どげち商売で名を馳せた「京阪電車」とて、毎年一度の車体消毒は欠かせない。
車内に立ち込めた「塩素のにおい」は車体消毒したときの残臭なのである。
折りも折り、季節は「8月」。
「塩素のにおい」と乗客の体臭が車内一面に立ち込め、悪臭の原因の一つなのにも関わらず、乗客たちは一刻も早く電車から降りて、鴨川の風に当たりたいと思っているのである。
そうした中に在って、ただ一人「濡れ髪の少女」が先程から眠っているのである。
この少女は、一体何者か?
「濡れ髪」と面貌から察するに、彼女の正体は、あの洛北<みどろが池>の河童の化身に違いない。
〔返〕 濡れ髪で少女は眠る滾滾と啼くのは河童みどろが池の 鳥羽省三
(橘みちよ)
聖護院賀茂鹿ケ谷堀川や京野菜ゆかしアスパラ食めば
「聖護院賀茂鹿ケ谷堀川や」と、知っている限りの京都の地名を適当に並べ立てた挙句、「京野菜ゆかし」と言い、お終いに「アスパラ食めば」で纏めて、笑いを取ろうとしたのである。
本作の作者の<橘みちよ>さん、あなたはコンコン狐でも<みどろが池>の河童でもありませんから悪戯をしてはいけません。
あなたぐらいの美女になったら、ただ黙って座っていて、にっこり笑っているだけで充分に存在感があるのですから、し慣れないことをするのは止めましょう。
あなたは笑われる側の人間では無くて、笑う側の人間なのです。
〔返〕 九条葱・壬生菜・海老芋・聖護院大根・水菜・賀茂茄子・酢茎 鳥羽省三
(ふみまろ)
兵たりし人のこころはつゆ知らず南京町の饅頭を割る
「兵たりし人」にとっては「饅頭」は<まんじゅう>では無くて<マントー>なのであった。
かつて彼が「兵たりし」日、彼は現地の人々を脅して<マントー>を奪い取ってしまったことがあった。
生まれてこの方、たった一回きりの悪事ではあったが、気の弱い彼にとって、この行為は、悔やんでも悔やんでも悔やみ切れない思い出となり、とうとうトラウマになってしまったのである。
その事を薄々知りながら、作中の<わたし>は、彼を横浜の中華街に誘って、超特大の中華饅頭を買って、真ん中から真っ二つに割り、その一つを自分が食べ、残りの半分を彼に食べさせようとしたのである。
「兵たりし人のこころはつゆ知らず」とは、作品を作品たらしめようとしたために已む無く吐いた作者の嘘であり、本作の作者は、「饅頭」という存在が「兵たりし人」にとってのトラウマであることを知りながら、敢えてこの挙に出たのであった。
これは、善意に名を借りた犯罪なのだ。
〔返〕 饅頭が人を狂はせ命さへ奪ぶことあり饅頭恐し 鳥羽省三
ある夜は女なること呪ひつつ京つげぐしに油塗るなり
鮎が美女に化けたのではなく、狐が美女に化けたのである。
だが、二日三日すると、美女に化けた狐は現実に帰り、女になってしまった自分の今の身の上がつくづく嫌になってしまったのである。
「あの頃は本当に面白かった。私がまだ雄狐だった頃、村の鎮守の杜から雌狐どもがわんさんわんさかやって来て、あの洞窟にたった一匹しか居ない雄狐の私を、下へも置かぬもてなしだった。厚揚げは持って来るわ、稲荷寿司は持って来るわ、お餅入りの薄揚げ巾着は持って来るわで、私は自分の胃袋を休める暇も無かったのだ。それなのに、私が人間の女になってしまった今はどうだ。食べ物と言えば、薄味のたぬき饂飩がたった一杯ぽっきり。お腹を空かした身体を赤いおべべで包み、日がな一日、千間格子の内に座らせられて、道行く助平な男どもにじろじろじろじろ見つめられていなければならないのだ。男どもの中には、女になった私を見つめているだけでは足りずに、『へい、おねーちゃん。一日中座り続けでは退屈だろう。たまには立ってみて、その着物の裾をぱっと捲り上げてみせたらどうだ。襦袢まで捲り上げたら、その中から、黒いものが出て来るか、白いものが出て来るかが楽しみだから』なんて、この私をからかう者もいるんだよ。アー、嫌だ、嫌だ、人間の女になるなんて嫌だ。私は大失敗してしまったのだ。それにしても、お腹が空いたわ。あっ、そうだ、私は自分の頭に、この店の女将から借りた京つげぐしを挿していたんだ。この京つげぐしに鬢付け油でも塗ったら、あの懐かしい油揚げの味がするかも知れない。そうだ、そうだ、早速試してみよう。」
かくして、その美女狐は髪に挿していた京つげぐしに鬢付け油を塗りたくって、がりがりがりがりと音を立てて食べてしまったのだとさ。
とっぴんぱらりのぷー。
いっちがぽーんとさけた。
〔返〕 京五条狐の嫁入り通り雨花嫁衣裳が濡れて破れた 鳥羽省三
(B子)
濡れ髪の少女眠れる8月の京阪電車は塩素のにおい
どげち商売で名を馳せた「京阪電車」とて、毎年一度の車体消毒は欠かせない。
車内に立ち込めた「塩素のにおい」は車体消毒したときの残臭なのである。
折りも折り、季節は「8月」。
「塩素のにおい」と乗客の体臭が車内一面に立ち込め、悪臭の原因の一つなのにも関わらず、乗客たちは一刻も早く電車から降りて、鴨川の風に当たりたいと思っているのである。
そうした中に在って、ただ一人「濡れ髪の少女」が先程から眠っているのである。
この少女は、一体何者か?
「濡れ髪」と面貌から察するに、彼女の正体は、あの洛北<みどろが池>の河童の化身に違いない。
〔返〕 濡れ髪で少女は眠る滾滾と啼くのは河童みどろが池の 鳥羽省三
(橘みちよ)
聖護院賀茂鹿ケ谷堀川や京野菜ゆかしアスパラ食めば
「聖護院賀茂鹿ケ谷堀川や」と、知っている限りの京都の地名を適当に並べ立てた挙句、「京野菜ゆかし」と言い、お終いに「アスパラ食めば」で纏めて、笑いを取ろうとしたのである。
本作の作者の<橘みちよ>さん、あなたはコンコン狐でも<みどろが池>の河童でもありませんから悪戯をしてはいけません。
あなたぐらいの美女になったら、ただ黙って座っていて、にっこり笑っているだけで充分に存在感があるのですから、し慣れないことをするのは止めましょう。
あなたは笑われる側の人間では無くて、笑う側の人間なのです。
〔返〕 九条葱・壬生菜・海老芋・聖護院大根・水菜・賀茂茄子・酢茎 鳥羽省三
(ふみまろ)
兵たりし人のこころはつゆ知らず南京町の饅頭を割る
「兵たりし人」にとっては「饅頭」は<まんじゅう>では無くて<マントー>なのであった。
かつて彼が「兵たりし」日、彼は現地の人々を脅して<マントー>を奪い取ってしまったことがあった。
生まれてこの方、たった一回きりの悪事ではあったが、気の弱い彼にとって、この行為は、悔やんでも悔やんでも悔やみ切れない思い出となり、とうとうトラウマになってしまったのである。
その事を薄々知りながら、作中の<わたし>は、彼を横浜の中華街に誘って、超特大の中華饅頭を買って、真ん中から真っ二つに割り、その一つを自分が食べ、残りの半分を彼に食べさせようとしたのである。
「兵たりし人のこころはつゆ知らず」とは、作品を作品たらしめようとしたために已む無く吐いた作者の嘘であり、本作の作者は、「饅頭」という存在が「兵たりし人」にとってのトラウマであることを知りながら、敢えてこの挙に出たのであった。
これは、善意に名を借りた犯罪なのだ。
〔返〕 饅頭が人を狂はせ命さへ奪ぶことあり饅頭恐し 鳥羽省三