召人・芳賀徹さん
〇 子も孫もきそひのぼりし泰山木暮れゆく空に静もりて咲く
本年の召人の芳賀徹氏(1931・5・9生)は、「日本文学研究者にして比較文学者。昭和50年東大教授、平成3年国際日本文化研究センター教授、大正大教授を経て、平成11年京都造形芸大学長。平成22年静岡県立美術館館長。近代日本の洋学・文学・美術などを中心に比較文化史研究を幅広く進める一方、昭和56年『平賀源内』でサントリー学芸賞を受賞するなど、現代日本を代表する文化人・識者の一人」である。
「東京都が東京府と呼ばれていた頃の昔から、我が家の庭に『子も孫もきそひのぼりし泰山木』の大樹が在り、その老木の泰山木の花が『暮れゆく』東京の『空に静もりて咲く』風景を、今、傘寿を二年余りも過ごした私が目前にしている」という意でありましょうか?
だとしたら、功成り名を成し遂げた芳賀徹氏の目にのみ視ることが出来る、穏やかにも懐かしく平和な風景ではある。
「召人」としての芳賀徹氏の立場は、言わば天皇陛下を初めとしたご皇室の方々の御詠にご唱和する立場である。
したがって、その内容は、基本的には「魂鎮めの御歌」或いは「国鎮めの御歌」でなければならないのである。
掲歌は、新年に相応しい穏やかで平和な風景を映し出しながらも、作者ご自身の過去半生の思い出を語り、功なり名を成し遂げた高齢者としてのご自身のご感慨を覗わせるなど、召人の歌としての役割りを充分に果たしている佳作である。
選者・岡井隆さん
〇 朝霧のながるるかなた静かなる邦あるらしも行きて住むべく
岡井隆氏と言えば、慶応大学医学部出の医者でありながらも、塚本邦雄氏と共に現代短歌の改革者としての役割りを果たし、前衛短歌運動の旗手としての役割りを果たした歌人であり、現代歌壇の不動のリーダーではあるが、また、一時期、職をも名声をも家庭をも捨てて出奔し、九州に於いて隠遁生活をしていたことも私たちの記憶しているところである。
一首の意は「今、記憶朦朧とした私の目の前を『朝霧』が流れているのであるが、その『かなた』には、この老齢で役立たずの私が『住む』に相応しい『静かなる邦』が在るようだ」といったところでありましょうか?
だとすれば、自らを茶化して道化、それで居ながら、自らの不動の信念を述べ、老境に達した自らの理想を語るなど、選者の歌に相応しく余裕のある歌境を示している佳作である。
真に失礼ながら、この機会に返歌を一首詠ませていただき、天皇陛下の統べる我が日本国の今年一年の平安を祈念し、併せて岡井隆氏のご健康と、いろいろな意味での今後益々のご発展を祈念させていただきたく存じ上げます。
〔返〕 岡井氏の住むべき邦の在りとせば女護島なりさつさと参れ
同・篠弘さん
〇 一瞬の静もりありて夕駅へエスカレータは下りに変はる
とある秋の日の夕刻の都心の地下鉄駅の構内風景を、印象鮮やかに描いた佳作である。
掲歌を解釈するに当たっての要諦は、「エスカレータは下りに変はる」という下の句に着目することである。
作者の篠弘氏は、ある秋の日の夕方、東京メトロのとある駅から地下鉄電車に乗車して帰宅しようとしたのであるが、件の駅の構内の構造は、地下ホームに出る為には上りのエスカレータに乗ったり下りのエスカレータに乗ったりしなければならないような構造になっているものと判断されるのである。
東京メトロの数多い駅の中には、駅構内が私の指摘したような構造になっている駅が数か所在るのであるが、その代表的な存在は、南北線や半蔵門線の永田町駅と一帯化された、銀座線及び丸ノ内線の赤坂見附駅でありましょう。
就きましては、件の地下鉄駅を赤坂見附駅と仮定した上で、一首の意を述べてみますと、「議題が議題だけに、会議が予定以上に長引いてしまい、場内の雰囲気もやや上気気味であったのであるが、赤坂見附駅に向かう為に、歩道寄りのホテルや商店のウインドーなどに目をやりながらぶらぶらと歩いていたら、辺りの風景いつの間にか夕景色となり、それまで興奮し切っていた私の心も少しは静まって来たようだ。さて、赤坂見附駅に着いたが、この駅の構内は極めて複雑な構造になっているので、私の乗るべき電車が入るホームに向う為には、案内図に従って、エスカレータの導くままにゆっくりと行かなければならないのである。上りのエスカレータを下りてしばらく歩を進めたら、目の前に現れたのは下りのエスカレータである。このエスカレータを下りた所に、私の乗るべき電車が入って来るホームが在るものと思われる・・・・・」といったところでありましょうか?
同・三枝昂之さん
〇 から松の針が零れる並木道みんな静かな暮しであつた
掲歌の作者・三枝昂之がお住いの川崎市麻生区千代ケ丘界隈に於いても、「から松の針が零れる並木道」は、数カ所存在するのであるが、「みんな静かな暮しであつた」という下の句の措辞から推測すると、件の「並木道」は、恐らくは、三枝氏の故郷の山梨県甲府市の「並木道」でありましょう。
だとしたら、掲歌の題材となっているのは、三枝昂之氏が少年時代に目にした情景であり、当然の事ながら、三枝昂之氏と、彼の愛妻・今野寿美氏の運命的な遭遇の場面が展開する以前のことでありましょう。
同・永田和宏さん
〇 歳月はその輪郭をあはくする静かに人は笑みてゐるとも
「笑みてゐるとも」という七音に疑問有り。
「(今は亡きあの人は、)笑みてゐるとも」と、「亡くなった特定の人物が極楽浄土で笑いながら暮らしてゐるに違いない」という、ご自身が抱いている確信的な気持ちを強調して述べているのでありましょうか? それとも、「(今は亡きあの人は、)笑みてゐるとも(思われる)」と、推測して述べているのでありましょうか?
もう一言述べさせていただきますと、掲歌の作者にとっての「(今は亡きあの)人」と言えば、先年お亡くなりになった、愛妻の河野裕子さんと特定される可能性が大である。
そういう側面から言えば、個人的な事情を前面に出した掲歌は、「歌会始の儀」の「選者の歌」として相応しくない、歌と言わなければなりません。
同・内藤明さん
〇 手に載せて穴より覗く瓢箪の静けき界に心はあそぶ
今上天皇の広き御心の余慶に与り、選者・内藤明氏の「心」は「手に載せて穴より覗く瓢箪の静けき界」「あそぶ」ことが出来るのでありましょうか。
〇 子も孫もきそひのぼりし泰山木暮れゆく空に静もりて咲く
本年の召人の芳賀徹氏(1931・5・9生)は、「日本文学研究者にして比較文学者。昭和50年東大教授、平成3年国際日本文化研究センター教授、大正大教授を経て、平成11年京都造形芸大学長。平成22年静岡県立美術館館長。近代日本の洋学・文学・美術などを中心に比較文化史研究を幅広く進める一方、昭和56年『平賀源内』でサントリー学芸賞を受賞するなど、現代日本を代表する文化人・識者の一人」である。
「東京都が東京府と呼ばれていた頃の昔から、我が家の庭に『子も孫もきそひのぼりし泰山木』の大樹が在り、その老木の泰山木の花が『暮れゆく』東京の『空に静もりて咲く』風景を、今、傘寿を二年余りも過ごした私が目前にしている」という意でありましょうか?
だとしたら、功成り名を成し遂げた芳賀徹氏の目にのみ視ることが出来る、穏やかにも懐かしく平和な風景ではある。
「召人」としての芳賀徹氏の立場は、言わば天皇陛下を初めとしたご皇室の方々の御詠にご唱和する立場である。
したがって、その内容は、基本的には「魂鎮めの御歌」或いは「国鎮めの御歌」でなければならないのである。
掲歌は、新年に相応しい穏やかで平和な風景を映し出しながらも、作者ご自身の過去半生の思い出を語り、功なり名を成し遂げた高齢者としてのご自身のご感慨を覗わせるなど、召人の歌としての役割りを充分に果たしている佳作である。
選者・岡井隆さん
〇 朝霧のながるるかなた静かなる邦あるらしも行きて住むべく
岡井隆氏と言えば、慶応大学医学部出の医者でありながらも、塚本邦雄氏と共に現代短歌の改革者としての役割りを果たし、前衛短歌運動の旗手としての役割りを果たした歌人であり、現代歌壇の不動のリーダーではあるが、また、一時期、職をも名声をも家庭をも捨てて出奔し、九州に於いて隠遁生活をしていたことも私たちの記憶しているところである。
一首の意は「今、記憶朦朧とした私の目の前を『朝霧』が流れているのであるが、その『かなた』には、この老齢で役立たずの私が『住む』に相応しい『静かなる邦』が在るようだ」といったところでありましょうか?
だとすれば、自らを茶化して道化、それで居ながら、自らの不動の信念を述べ、老境に達した自らの理想を語るなど、選者の歌に相応しく余裕のある歌境を示している佳作である。
真に失礼ながら、この機会に返歌を一首詠ませていただき、天皇陛下の統べる我が日本国の今年一年の平安を祈念し、併せて岡井隆氏のご健康と、いろいろな意味での今後益々のご発展を祈念させていただきたく存じ上げます。
〔返〕 岡井氏の住むべき邦の在りとせば女護島なりさつさと参れ
同・篠弘さん
〇 一瞬の静もりありて夕駅へエスカレータは下りに変はる
とある秋の日の夕刻の都心の地下鉄駅の構内風景を、印象鮮やかに描いた佳作である。
掲歌を解釈するに当たっての要諦は、「エスカレータは下りに変はる」という下の句に着目することである。
作者の篠弘氏は、ある秋の日の夕方、東京メトロのとある駅から地下鉄電車に乗車して帰宅しようとしたのであるが、件の駅の構内の構造は、地下ホームに出る為には上りのエスカレータに乗ったり下りのエスカレータに乗ったりしなければならないような構造になっているものと判断されるのである。
東京メトロの数多い駅の中には、駅構内が私の指摘したような構造になっている駅が数か所在るのであるが、その代表的な存在は、南北線や半蔵門線の永田町駅と一帯化された、銀座線及び丸ノ内線の赤坂見附駅でありましょう。
就きましては、件の地下鉄駅を赤坂見附駅と仮定した上で、一首の意を述べてみますと、「議題が議題だけに、会議が予定以上に長引いてしまい、場内の雰囲気もやや上気気味であったのであるが、赤坂見附駅に向かう為に、歩道寄りのホテルや商店のウインドーなどに目をやりながらぶらぶらと歩いていたら、辺りの風景いつの間にか夕景色となり、それまで興奮し切っていた私の心も少しは静まって来たようだ。さて、赤坂見附駅に着いたが、この駅の構内は極めて複雑な構造になっているので、私の乗るべき電車が入るホームに向う為には、案内図に従って、エスカレータの導くままにゆっくりと行かなければならないのである。上りのエスカレータを下りてしばらく歩を進めたら、目の前に現れたのは下りのエスカレータである。このエスカレータを下りた所に、私の乗るべき電車が入って来るホームが在るものと思われる・・・・・」といったところでありましょうか?
同・三枝昂之さん
〇 から松の針が零れる並木道みんな静かな暮しであつた
掲歌の作者・三枝昂之がお住いの川崎市麻生区千代ケ丘界隈に於いても、「から松の針が零れる並木道」は、数カ所存在するのであるが、「みんな静かな暮しであつた」という下の句の措辞から推測すると、件の「並木道」は、恐らくは、三枝氏の故郷の山梨県甲府市の「並木道」でありましょう。
だとしたら、掲歌の題材となっているのは、三枝昂之氏が少年時代に目にした情景であり、当然の事ながら、三枝昂之氏と、彼の愛妻・今野寿美氏の運命的な遭遇の場面が展開する以前のことでありましょう。
同・永田和宏さん
〇 歳月はその輪郭をあはくする静かに人は笑みてゐるとも
「笑みてゐるとも」という七音に疑問有り。
「(今は亡きあの人は、)笑みてゐるとも」と、「亡くなった特定の人物が極楽浄土で笑いながら暮らしてゐるに違いない」という、ご自身が抱いている確信的な気持ちを強調して述べているのでありましょうか? それとも、「(今は亡きあの人は、)笑みてゐるとも(思われる)」と、推測して述べているのでありましょうか?
もう一言述べさせていただきますと、掲歌の作者にとっての「(今は亡きあの)人」と言えば、先年お亡くなりになった、愛妻の河野裕子さんと特定される可能性が大である。
そういう側面から言えば、個人的な事情を前面に出した掲歌は、「歌会始の儀」の「選者の歌」として相応しくない、歌と言わなければなりません。
同・内藤明さん
〇 手に載せて穴より覗く瓢箪の静けき界に心はあそぶ
今上天皇の広き御心の余慶に与り、選者・内藤明氏の「心」は「手に載せて穴より覗く瓢箪の静けき界」「あそぶ」ことが出来るのでありましょうか。