臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

平成二十六年「歌会始の儀・静を詠む」に就いて(其のⅡ)

2014年01月18日 | ビーズのつぶやき
召人・芳賀徹さん
〇  子も孫もきそひのぼりし泰山木暮れゆく空に静もりて咲く

 本年の召人の芳賀徹氏(1931・5・9生)は、「日本文学研究者にして比較文学者。昭和50年東大教授、平成3年国際日本文化研究センター教授、大正大教授を経て、平成11年京都造形芸大学長。平成22年静岡県立美術館館長。近代日本の洋学・文学・美術などを中心に比較文化史研究を幅広く進める一方、昭和56年『平賀源内』でサントリー学芸賞を受賞するなど、現代日本を代表する文化人・識者の一人」である。
 「東京都が東京府と呼ばれていた頃の昔から、我が家の庭に『子も孫もきそひのぼりし泰山木』の大樹が在り、その老木の泰山木の花が『暮れゆく』東京の『空に静もりて咲く』風景を、今、傘寿を二年余りも過ごした私が目前にしている」という意でありましょうか?
 だとしたら、功成り名を成し遂げた芳賀徹氏の目にのみ視ることが出来る、穏やかにも懐かしく平和な風景ではある。
 「召人」としての芳賀徹氏の立場は、言わば天皇陛下を初めとしたご皇室の方々の御詠にご唱和する立場である。
 したがって、その内容は、基本的には「魂鎮めの御歌」或いは「国鎮めの御歌」でなければならないのである。
 掲歌は、新年に相応しい穏やかで平和な風景を映し出しながらも、作者ご自身の過去半生の思い出を語り、功なり名を成し遂げた高齢者としてのご自身のご感慨を覗わせるなど、召人の歌としての役割りを充分に果たしている佳作である。


選者・岡井隆さん
〇  朝霧のながるるかなた静かなる邦あるらしも行きて住むべく

 岡井隆氏と言えば、慶応大学医学部出の医者でありながらも、塚本邦雄氏と共に現代短歌の改革者としての役割りを果たし、前衛短歌運動の旗手としての役割りを果たした歌人であり、現代歌壇の不動のリーダーではあるが、また、一時期、職をも名声をも家庭をも捨てて出奔し、九州に於いて隠遁生活をしていたことも私たちの記憶しているところである。
 一首の意は「今、記憶朦朧とした私の目の前を『朝霧』が流れているのであるが、その『かなた』には、この老齢で役立たずの私が『住む』に相応しい『静かなる邦』が在るようだ」といったところでありましょうか?
 だとすれば、自らを茶化して道化、それで居ながら、自らの不動の信念を述べ、老境に達した自らの理想を語るなど、選者の歌に相応しく余裕のある歌境を示している佳作である。

 真に失礼ながら、この機会に返歌を一首詠ませていただき、天皇陛下の統べる我が日本国の今年一年の平安を祈念し、併せて岡井隆氏のご健康と、いろいろな意味での今後益々のご発展を祈念させていただきたく存じ上げます。
 〔返〕  岡井氏の住むべき邦の在りとせば女護島なりさつさと参れ


同・篠弘さん
〇  一瞬の静もりありて夕駅へエスカレータは下りに変はる

 とある秋の日の夕刻の都心の地下鉄駅の構内風景を、印象鮮やかに描いた佳作である。
 掲歌を解釈するに当たっての要諦は、「エスカレータは下りに変はる」という下の句に着目することである。
 作者の篠弘氏は、ある秋の日の夕方、東京メトロのとある駅から地下鉄電車に乗車して帰宅しようとしたのであるが、件の駅の構内の構造は、地下ホームに出る為には上りのエスカレータに乗ったり下りのエスカレータに乗ったりしなければならないような構造になっているものと判断されるのである。
 東京メトロの数多い駅の中には、駅構内が私の指摘したような構造になっている駅が数か所在るのであるが、その代表的な存在は、南北線や半蔵門線の永田町駅と一帯化された、銀座線及び丸ノ内線の赤坂見附駅でありましょう。
 就きましては、件の地下鉄駅を赤坂見附駅と仮定した上で、一首の意を述べてみますと、「議題が議題だけに、会議が予定以上に長引いてしまい、場内の雰囲気もやや上気気味であったのであるが、赤坂見附駅に向かう為に、歩道寄りのホテルや商店のウインドーなどに目をやりながらぶらぶらと歩いていたら、辺りの風景いつの間にか夕景色となり、それまで興奮し切っていた私の心も少しは静まって来たようだ。さて、赤坂見附駅に着いたが、この駅の構内は極めて複雑な構造になっているので、私の乗るべき電車が入るホームに向う為には、案内図に従って、エスカレータの導くままにゆっくりと行かなければならないのである。上りのエスカレータを下りてしばらく歩を進めたら、目の前に現れたのは下りのエスカレータである。このエスカレータを下りた所に、私の乗るべき電車が入って来るホームが在るものと思われる・・・・・」といったところでありましょうか?


同・三枝昂之さん
〇  から松の針が零れる並木道みんな静かな暮しであつた

 掲歌の作者・三枝昂之がお住いの川崎市麻生区千代ケ丘界隈に於いても、「から松の針が零れる並木道」は、数カ所存在するのであるが、「みんな静かな暮しであつた」という下の句の措辞から推測すると、件の「並木道」は、恐らくは、三枝氏の故郷の山梨県甲府市の「並木道」でありましょう。
 だとしたら、掲歌の題材となっているのは、三枝昂之氏が少年時代に目にした情景であり、当然の事ながら、三枝昂之氏と、彼の愛妻・今野寿美氏の運命的な遭遇の場面が展開する以前のことでありましょう。


同・永田和宏さん
〇  歳月はその輪郭をあはくする静かに人は笑みてゐるとも

 「笑みてゐるとも」という七音に疑問有り。
 「(今は亡きあの人は、)笑みてゐるとも」と、「亡くなった特定の人物が極楽浄土で笑いながら暮らしてゐるに違いない」という、ご自身が抱いている確信的な気持ちを強調して述べているのでありましょうか? それとも、「(今は亡きあの人は、)笑みてゐるとも(思われる)」と、推測して述べているのでありましょうか?
 もう一言述べさせていただきますと、掲歌の作者にとっての「(今は亡きあの)人」と言えば、先年お亡くなりになった、愛妻の河野裕子さんと特定される可能性が大である。
 そういう側面から言えば、個人的な事情を前面に出した掲歌は、「歌会始の儀」の「選者の歌」として相応しくない、歌と言わなければなりません。


同・内藤明さん
〇  手に載せて穴より覗く瓢箪の静けき界に心はあそぶ

 今上天皇の広き御心の余慶に与り、選者・内藤明氏の「心」は「手に載せて穴より覗く瓢箪の静けき界」「あそぶ」ことが出来るのでありましょうか。

平成二十六年「歌会始の儀・静を詠む」に就いて(其のⅠ)

2014年01月18日 | ビーズのつぶやき
天皇陛下
〇  慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

 天皇陛下を初めとした尊き辺りの御詠は和歌(短歌)と言うよりも「魂鎮めの御歌」或いは「国鎮めの御歌」であり、その内容は、「天地が穏かにして平らかなれと祈る御歌」、「民の暮しが豊かにしてその心と身体とが安らかなれと祈る御歌」、「地球環境が瑞々しくして世界が平和であれと祈る御歌」でありましょう。
 畏れ多くも、御製は、昨年の十月「全国豊かな海づくり大会」にご出席なさる為に熊本県水俣市にお出掛けになられ、水俣病の犠牲者の為に建立された「慰霊碑」にご献花なさった際に、目前にされた情景をお詠みになられたものと思われる。
 真に僭越かつ失礼乍ら、本御製をお詠みになられた際の天皇陛下の広き御心を拝察させていただきますと、「献花しようとして皇后の宮と共にしずしずと献花台の前に進もうとした折、ふと前方に視線を向けたところ、かつてチッソ株式会社という一営利企業の飽くなき利益追求の為に水銀汚染されて幾多の尊い人命を失った水俣湾の海が、何事も無かったかのように、慰霊碑の先に青くかつ静かに広がっているのであった。この国の象徴たる天皇としての私は、『この海よ、いついつまでも、今日のように青くかつ静かにあれ』と禱らず居られなかったのである」といったところでありましょうか。
 不躾な言葉遣い、真に失礼に存じます。


皇后さま
〇  み遷りの近き宮居に仕ふると瞳静かに娘は言ひて発つ

 掲歌は、本質的には「国鎮めの御歌」でありましょうが、その意と共に、伊勢神宮の式年遷宮に際して臨時祭主という極めて重要な任務を担われた、愛娘・黒田清子様に対する、母としての優しい御心映えをお詠みになって居られるのである。
 そうした複眼的な内容の御詠こそは、美智子皇后ならではの卓越した御詠でありましょう。
  畏れ多くも、本御詠をお詠みになられた際の皇后様の広くかつお優しい御心を推察させていただきますと、「『ご存じでごさいましょうが、近々執り行われる伊勢神宮の式年遷宮に際して、私は臨時祭主という重要な任務を帯びることになりました。就きましては、私は心も身体も浄めつつ、つつがなきように任務を果たして参ります』と、我が愛娘・清子は瞬きもせずに私に話し、伊勢神宮へと旅立ったのでありました」といったところでありましょうか。
 不作法な言葉遣い、真に失礼に存じます。

 真に失礼ではありますが、皇太子様以下のお歌の鑑賞に際しましては、日常的な文体で以って、事に当たらせていただきたく存じます。


皇太子さま
〇  御社の静けき中に聞え来る歌声ゆかし新嘗の祭

 掲歌中の「新嘗の祭」、即ち「新嘗祭」とは、「宮中祭祀の一にして、収穫感謝祭に相当する大祭である。毎年、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇に進め、また自らも食して、その年の収穫に感謝する神事であり、宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる」とのこと。
 掲歌の作者・皇太子様は、十一月二十三日の新嘗祭の際、静まり返った皇居・神嘉殿に於いて、殿舎の外から聞こえて來る神楽の音色に耳を傾けつつも、我が国の今年一年の平安と豊作に感謝の心を抱いたのでありましょう。
 「歌声ゆかし」との心映えは、オーケストラの一員としてチェロ演奏をなさる、皇太子殿下ならではの表現と思われる。


皇太子妃雅子さま
〇  悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり

 本日付けの「YOURI ONLIN」は、本日の午前中に皇居・新宮殿「松の間」で行われた「歌会始の儀」に関連して、「雅子さまの歌に地元感激『復興後押し』・・歌会始」というタイトルで次のような記事を記載しているのである。
           (以下・YOURI ONLINよりの転載)
 
 皇居・宮殿「松の間」で15日に行われた歌会始の儀では、皇太子妃雅子さまが、昨年11月にご夫妻で訪れた岩手県釜石市で釜石湾を目にした際の思いを歌にされた。歌には東日本大震災の悲しみが癒やされるよう願いが込められ、被災者からは「励まされました」などの声が聞かれた。
 皇太子ご夫妻が昨年11月に訪問された同市平田の仮設団地。大槌町の自宅が流され、夫婦でこの仮設に住む岩崎敬子さん(77)は当時、雅子さまと言葉を交わし、被災した状況などを伝えたという。「とても気さくで話しやすかった。釜石を忘れないでいてくれたことは本当にうれしいし、ありがたいこと。励まされました」と笑顔で話した。
 野田武則市長は、「来ていただくだけでもありがたいのに、歌に釜石を織り込んでいただいて大変感激している」と話す。「新しい年の始まりに歌は大きな復興の後押しとなる。今年は本格復興の年と位置づけており、歌を大切に復旧復興に努めていきたい」と決意を新たにしていた。
 2012年の歌会始の儀でも、天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻は、被災地をはじめ東北地方に関連した歌を詠まれている。
 同妃雅子さまは昨年11月に東日本大震災の被災地見舞いで岩手県釜石市を訪問した際の釜石湾の様子をそれぞれ詠んだ。  (以上、転載)

 先ずは以て、目出度し目出度しとしなければなりません。


秋篠宮さま
〇  数多なる人ら集ひし遷御の儀静けさの中御列は進む

 掲歌も亦、「式年遷宮」関連の作品であり、「国鎮めの御歌」でもありましょう。
 秋篠宮様のお優しい視線は、御列の先頭に立って、しずしずと行進なさる御妹様・黒田清子さんの方に向けられていたのでありましょうか? 

秋篠宮妃紀子さま
〇  いくつものボビンを子らは繰りながら静かにイドリアレースを編めり

 「いくつものボビンを子らは繰りながら静かにイドリアレースを編めり」と、はるばると遠い異国から遣って来たご夫妻の前で、伝統工芸の「イドリアレース」を編む作業に熱中している「子ら」の姿を詠んでいるのである。
 作者が同じような年頃の娘を含めた三人の子持ちであることを考慮すると、国際親善という秋篠宮ご夫妻の担うべき役割りの重さとは別に、母親としての心配りが感じられる作品であり、更には、題材が少女たちが「レース編み」をしている光景である事から、女性特有の性向と感性の優しさが感じられる作品と評して宜しいのかも知れません。
 掲歌中の「イドリア」とは、昨年、秋篠宮ご夫妻がご旅行なさったスロベニア共和国に在る「鉱山とレースの町」として知られる地方都市である。
 ところで、私が、この度たまたま目にした「泉友庭(せんゆうてー)『ふるさと公民館』熊本情報館」というブログに掲載されている記事に拠ると、「2011年5月11日付けの毎日新聞・熊本地方版」に、「駐日スロベニア大使:水銀問題が縁、水俣訪問/今後の交流約束/熊本」というタイトルで、次のような記事が掲載されている、とのこと。

 駐日スロベニア大使のヘレナ・ダルノーシェク・ゾルコさん(55)が10日、水俣市の宮本勝彬市長を表敬訪問した。水俣病の原因ともなった水銀問題が縁。スロベニア国内のイドリア市にはかつて世界有数の水銀鉱山があり、閉山後の現在も水銀の微量汚染と環境対策が課題になっているという。宮本市長とゾルコ大使は今後の交流を約束した。
 市長と大使は1月、水銀規制条約制定に向けて千葉市であった国際会議で顔を合わせ、市長が水俣訪問を要請していた。ゾルコ大使が10、11の両日「EUがあなたの学校にやってくる」と題した行事で水俣、八代東両高校を訪問するのに合わせて市長を表敬した。
 ゾルコ大使は市立水俣病資料館の展示を見て「感動し、参考になった」と話し、水俣、イドリア両市や高校生同士の交流を進めたいとの考えを宮本市長に伝えた。市長は市の環境問題の取り組みを説明し「同じ悩み、思いを共有できれば」と答えた。
 スロベニアはヨーロッパ中部にある旧ユーゴスラビアからの独立国。イドリア市の水銀鉱山はスペインのアルマデン鉱山に次ぐ世界第2の産出量を誇ったが、70年に閉山した。スロベニア国内の研究所と国立水俣病総合研究センター(水俣市)が水銀汚染の実態調査や研究にあたっている。【西貴晴】  (以上の記事は、前述のブログから転載させていただきました。)

 今年の「歌会始の儀」の天皇陛下の御製は、前掲の記事にも登場する「水俣市」での「水俣病の被災者の為の慰霊碑に御献花なさった際の光景」をお詠みになったものである。
 秋篠宮妃紀子様は、かつて世界第二の水銀産出量を誇ったこの町にお出掛けになられ、この町の誇る伝統工芸である、イドリアレースを無心に編んでいる少女たちを目にされて、如何なる思いを抱かれたのでありましょうか?
 ここ数年間、掲歌の作者・秋篠宮妃紀子様と、その義姉君に当たられる方との御仲が、口さがないマスコミなどでいろいろと取沙汰されているのであるが、義姉君に当たられる方の母方の祖父が、水俣病との関わりが深い、(旧)チッソ株式会社の元社長であることを考慮すれば、掲歌の存在は、これからもいろいろと取沙汰されることでありましょうか?


秋篠宮家長女眞子さま
〇  新雪の降りし英国の朝の道静けさ響くごとくありけり

 本作も亦、「歌会始の儀」の御出詠歌であれば、内容的にも形式的にもいろいろと制約が多かったことでありましょう。
 その所為でありましょうか、一首全体の韻律の悪さ(読み難さ)に加えて、後半の七七句を「静けさ響くごとくありけり」と、持って回ったような表現をなさるなど、やや窮屈で不慣れな感じの詠風ではある。
 作者ご自身が、エジンバラ大学にご留学なさっていた折りの、英国の静けき朝景色をお詠みになった作品でありましょう。


常陸宮妃華子さま
〇  秋祭君の挨拶を聞かむとし子供神輿の子らは静まる

 毎年の九月に行われる、広尾の氷川神社の秋祭の際には、地域の各町内から様々な子供神輿が繰り出され、常盤松の常陸宮邸まで入って行き、神輿担ぎの子供連を前にして、常陸宮様が親しくご挨拶なさり、ご祝儀なども出されるとか。
 当然のことながら、掲歌中の「君」とは、華子様の御夫君・常陸宮正仁親王殿下でありましょう。
 常陸宮様も、既に傘寿をお迎えになられました。
 今年の「歌会始の儀」にお顔をお見せならなかったのは、如何なる理由が在っての事でありましょうか?


三笠宮妃百合子さま
〇  思ひきや白寿の君と共にありてかくも静けき日々送るとは

 三笠宮崇仁親王殿下が、御年九十九歳になられるとは!
 妃殿下共々、昨今はマスコミの前に姿を現すことも無くなり、本当に静かな日々をお送りのことでありましょう。
 白寿の賀、真におめでとうございます。
 ところで、三笠宮ご夫妻のご長男・寛仁親王(通称、髭の殿下)がお亡くなりになったのは、一昨年の六月六日のこと。
 さすれば、掲歌「思ひきや白寿の君と共にありてかくも静けき日々送るとは」には、今は亡き、髭の殿下の御母君としての格別なる思いが込められているのでありましょう。


寛仁親王妃信子さま
〇  わが君と過ごせし日々を想ひつつ静かにながるるときありがたき

 今は亡き寛仁親王様と、そのお妃・信子様との、マスコミなどでいろいろと取沙汰された御仲のことを思えば、格別に感慨深い一首ではある。
 それにしても、「想ひつつ静かにながるるときありがたき」とは、少しく含みが感じられる表現ではある。


寛仁親王長女彬子さま
〇  夏の夜に子らと集ひし大社静寂の中に鈴の音聞きぬ

 今は亡き寛仁親王のご長女・彬子様も、一昨年の六月六日に薨去した御父君・仁親王の斂葬の儀に於いて喪主の役目をお務めになられたり、昨年の十二月六日には、インド訪問から帰国された天皇皇后両陛下を、他の皇族方と共に羽田空港でお出迎えになられた際に、脳貧血で卒倒されて慶応大学病院に入院されるなど、一昨年から昨年に掛けて、様々なるご経験をなさりました。
 作中の「大社」とは、出雲大社を指して言うのでありましょうが、彬子様は、何処の「子ら」と出雲大社での「集ひ」を持たれたのでありましょうか?


高円宮妃久子さま
〇  灯籠のあかりともれる回廊を心静かに我すすみゆく

 口の悪い御仁ならば、「だから何だって言うんだい!」と言いたくもなるような内容の御詠ではありますが、掲歌こそは、典型的な「魂鎮めの御歌」であり、「国鎮めの御歌」でありましょう。


高円宮家長女承子さま
〇  静けさをやぶる神社の鳥の声日の落ちてよりいづる三日月
高円宮家次女典子さま
〇  かすみゆく草原に立ち眺むればいとど身に沁む静けさのあり

 ご姉妹共々、お母様に似ていらして、穏かにしてお淑やかな作風のお歌をお詠みになって居られるのである。
 ご皇室の方々の御歌は、基本的には「魂鎮めの御歌」であり、「国鎮めの御歌」でありましょうから、是くらいで宜しいのかも知れません。
 ご皇室の方々の御歌が、個人的な事情や個人的な感情を前面にお出しになったとしたら、返っておかしなことになりましょう。