ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

手作りマスク

2020年03月25日 | 日記

3月25日(水)です。世界的なウイルス流行で、毎日TVではその話題ばかりで、気が滅入っています。様々な行事も中止・延期・変更が続きます。昨年買っておいた紙マスクも、徐々に残り少なくなっていますが、店舗では新規に買うことができずにいます。

昨日、妻が八寸先生の陶芸教室に行ったら、八寸先生の奥様に「手作りマスク」をいただいたと、見せてくれました。奥様は布工芸の専門家です。自分が外付けハード・ディスクの入れ物として使っている巾着袋も奥様の制作物を購入したものです。

緑の花柄の布を立体的に加工して、細いゴムひもを付けています。顔にフィットして、呼吸も楽です。

20年ほど前に台湾に行った時に、ほとんどの人が色や柄の布で作ったマスクを、ファッションに合わせて使っていたのに驚いたことがありました。当時は、台湾の多くの人がバイクで通勤していて大気汚染もひどかったので、呼吸器を守るためにしていたのですが、おそらく今は感染予防のために使われているでしょう。

いよいよ今年は、日本にもマスクファッションが流行ることが予想されますが、布工芸の専門家はそのトレンドをすぐに理解して、製品化に取り入れているのだと感心しました。布ですから、洗って何度も使用できます。

徳島は藍の産地で、植物から取った藍の染料は抗菌・抗ウイルス効果もありますので、「藍染マスク」を売れば今後ヒット商品になるはずです。

草木染は様々な美しい色が出せますので、桜色や萌黄色など、季節に合わせてお洒落に染めたものを使えば楽しいでしょう。植物の染料は薬効も持っているケースが多いので、人が昔から布を染めて身に着けるのは、本質的に医学的意味もあって、東洋医学で言う「未病」の発想から起きてきたのだという記事を読んだことがあります。

考えてみるとイスラム教の女性が顔を隠している「ヒジャブ」という布も、マスクの効果があります。歴史上に細菌やウイルスとの戦いはずっと続いてきたわけですから、ヒジャブも、もともとは日除けだけでなく、抗菌も狙ったものかもしれないと思います。

裁縫の得意な方は、ぜひ制作に挑戦してみてください。

 


令和元年度卒業の会、修了の会

2020年03月16日 | 日記

3月16日(月)です。午前中に標記が開かれました。ウイルス流行のため、大学全体の式は中止になりましたが、学科別の卒業証書授与の会が開かれました。保護者や在校生は参加せず、卒業生と教員だけの会です。

学長・理事長の挨拶は、事前にUSBで動画データとして配布され、それをプロジェクターで放映しました。このような形式も初めてです。

証書授与もみんなマスクをつけての対応です。

授与の後に、先生方からの言葉、卒業生代表の謝辞がありました。最後の撮影の時だけはマスクを外しました。ちょうど1時間の会でした。17名が元気に巣立っていきました。それぞれの新たな場所でのご活躍を期待します。

書道文化学科の会が終わるとすぐに、教員だけ場所を移動して文学館の2階で、大学院文学研究科の修了証書授与の会に行きました。今回は1名のみの修了です。

先生からの贈る言葉と、修了生からの返す言葉で、心温まる会でした。先生方に記念品とお菓子が配布されました。例年であれば、終了後に茶話会をしていたのですが、それもできなくなったので、持ち帰っていただくという形になりました。

11:30までにはすべての行事が終わりました。

他大学では、このような授与の会すらできずに、証書を郵送するケースも多かったとお聞きしています。四国大学は、幸運にもこのような形で互いにお別れを言い、区切りをつけることができました。

ウイルスとの戦いで、卒業式も修了式も偶然にこのような形になりましたが、逆に「記憶に残る」会になったことは間違いありません。今後の皆様に幸あれ。

 

 

 


香川大学博物館特別展「倉田貞美博士の業績」

2020年03月15日 | 日記

3月14日(土)です。標記の展示を見に行ってきました。当初はこれに関する田山泰三先生の講演会が午前に予定されていたのですが、ウイルス流行のために中止になりました。しかし、資料解読に協力した関係もあったので展示を見学にいきました。施設は高松市の香川大学教育学部の一角にあり、北門から入ります。

大学内に博物館があるのは素晴らしいことです。

倉田 貞美 (くらた さだよし、1908~1994)日本の教育者、中国文学者。博士(文学)。元香川大学学長。香川大学名誉教授。 香川県三豊郡大見村(現・三豊市三野町)出身。旧香川県立三豊中学校、第一臨時教員養成所卒業、東京高等師範学校研究科、東京文理科大学文学科卒業。 1968年(昭和43年)「清末民初を中心とした中国近代詩の研究」で学位修得(東京教育大学 文学博士)。 1934年(昭和9年)東京文理科大学文学科に入学後、漢文学を専攻する。現代の中国民族の新しい文化の研究に取り組む。1937年(昭和12年)同大学卒業後、福井師範学校に赴任。間もなく蘆溝橋事件が起こり、同年12月に応召。1949年(昭和24年)香川大学教授に就任後「中国現代詩の研究」を継続し清末民初詩壇の実態の全面的究明に取り組む。 

なお、この特別展はウイルス流行のために、3月15日(日)に終了になりました。

特に興味深い資料はパンフレットの裏に印刷されています。倉田博士は『大漢和辞典』を作った諸橋徹次の教え子で、学生時代にその編集にも関わりました。

諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883~1982)新潟県南蒲原郡庭月村(現・三条市)出身。東京高等師範学校で学び、卒業後に同校で漢学を教える。大著『大漢和辞典』や『広漢和辞典』(ともに大修館書店刊)の編者。文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学および都留文科大学の(四年制大学としての)初代学長。号は止軒。 

諸橋徹次の書道作品は極めて上質です。展示室は小規模でしたが、わかりやすくまとめられていました。

この博物館の近くの庭に大きな石碑がありました。香川県の生んだ初の大臣、三土忠造の記念碑です。漢学者 三土梅堂の養嗣子です。

三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871~1948)明治から昭和にかけての日本の政治家。 讃岐国大内郡水主村(現・東かがわ市)出身。 宮脇家の次男から三土梅堂の養嗣子となる。小学校教員から上京して東京高等師範に学び、イギリス・ドイツへの留学、新聞記者を経て、政治家となる。長年立憲政友会の衆議院議員として党内にて重きをなし、内閣書記官長を振り出しに文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣・鉄道大臣・枢密顧問官・内務大臣(一時運輸大臣も兼務)を歴任した戦前政界の重鎮である。 

三土梅堂(みつちばいどう、1844~1918) 阿野郡西庄村(坂出市西庄町)の庄屋三土鼓丘の次男として生まれる。名は幸太郎。秋山巌山・富家松浦・片山冲堂に和漢学を学び、上京して昌平黌に入る。のち名古屋に招かれ、明治5年(1872)県中学校教諭となり、坂出公学校、飯山中学校の校長、丸亀中学校の教諭などを務める。丸亀高校・西庄小学校に記念碑がある。75歳。

この石碑の碑陰の碑文を書いているのは、この大学の書道教員だった藤原鶴来です。

藤原鶴来(ふじわらかくらい、1893~1990)岡山県出身。本名は茂。岡山師範卒。丹羽海鶴、比田井天来に師事。大正11年(1922)香川師範教諭、戦後香川大教授。昭和57年(1982)中国西安市に建立された空海記念碑の碑文を揮毫した。平成2年(1990)死去、96歳。著作に『和漢書道史』『書源』など。 

日下部鳴鶴の書法をよく受け継いでいます。藤原鶴来はこれが書かれた昭和2年(1927)に『和漢書道史』を刊行しています。この本は、私が学生時代に何度も読んだ書道史の教科書で、いまだに時々参考にしている名著です。これが初めて出版された年に、その著者が書いた石碑だということで、感慨深いものがありました。

なお藤原鶴来は、香川大学退職後に昭和48年(1963)四国女子大学教授となって、数年間勤務しました。つまりは私の仕事先の大先輩と言ってもよい存在です。

この後、大学の近くにある「サンクリスタル高松」の4Fの高松市歴史資料館の企画展「墨景礼賛~山水に遊ぶ」を見学しました。瀬戸内海を挟んだ高松と岡山の文人の交流の様子がよくわかる上質の展覧会でした。

https://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input[id]=95350

これも3月15日(日)までです。

 

 

 

 

 

 

 


松浦酒造場(銘酒「鳴門鯛」の酒蔵)見学

2020年03月01日 | 日記

2月29日(土)、午後、標記のために、辻尚子先生、3年生の板東杏樹さん親子と、鳴門市の現地で集合しました。この企業については下記サイトを参照してください。

https://narutotai.jp/

新製品のお酒のラベルの題字を書かせていただくにあたり、事前の説明とイメージ作りのためです。

社長の松浦素子さん(赤い服の方)、営業部の三谷昌代さん(左の方)から、説明を受けました。新型ウイルス流行の今は、どこに行っても商売の方はほとんどマスクをされています。

販売所で、商品を見せて頂いたり、試飲をさせていただきました。豊富な商品が展示されていました。

酒蔵の中で、実際にお酒が仕込まれているタンクを見学しました。

タンク内では、お酒の元が発酵してぶくぶくと泡立っていました。酵母菌が元気に活動している証拠です。

この酒造場は江戸時代からの長い歴史を持ち、地域の中心的な名家なので、古文書や美しい書作品がたくさんあります。その一部を見せていただき、このような資料調査にも今後協力することになりました。

最後に記念撮影をしました。伝統を現代に生かした素敵な酒造所でした。

4月の新製品発売に向けて、板東さんがこれから1週間ほどで、デザインの元を作ることになりました。おいしいお酒のイメージを書で表現するという難しい仕事です。どんなものができるか、お楽しみに。