ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

長野県に帰省

2017年09月04日 | 日記

8月30日(水)~9月3日(日)、お休みをいただいて年に一度の帰省をしてきました。昨晩、徳島に戻りました。今回も往復は自家用車での単独長距離ドライブです。30日の移動時には、吹田SA~多賀SAの間の100㎞ほどの間、ヒッチハイクの大学生を乗せました。茨城県出身で函館の大学でコンピューターを学ぶ2年生男子です。函館から長崎までヒッチハイクで行って、茨城へ帰省する途中ということで、車中、いろいろと楽しい話を聞きました。若いからこそできる冒険で、少しうらやましく感じました。話しているうちに、四国大学4年生の渡邊君の母校の高校の後輩ということがわかり驚きました。

私の故郷は長野県須坂市で、この街を象徴する山が臥竜山です。扇状地の中にひょっこりひょうたん島のように残った山です。小学校の恩師の青木先生のお見舞いに行ったときに全体像がよく見えたので、病室の窓から撮らせてもらいました。

現在、長野市民新聞の「善光寺表参道書道散策」というコラムの連載(月2回)を請け負っておりまして、その調査の必要が出てきて、善光寺に2回行きました。両日とも秋晴れの好天でした。

大本願と大勧進の宝物館を訪問して調査しました。これらのお堂に入るには500円の入場料がいるので、あまり多くの観光客は訪れないのですが、ここは皇族の方も訪れる場所で、庭や建物の手入れが行き届き、京都の寺院にも匹敵する美しさです。写真は大本願の内部のお庭の様子です。現在は浄土宗の本山の一つです。

善光寺の歴史がジオラマで音声付きで解説されていました。これは本田善光が難波の淵の中から阿弥陀仏を救い出して、長野まで運ぶ様子です。善光寺仏は日本に渡来した最古の仏像と言われ、日本も外国から仏教導入時には排斥運動が起こり、仏像は物部氏によって海に投げ込まれてしまったのです。

こちらは大勧進。現在は天台宗に属しています。門構えも立派で、看板はよく見たら清国人の筆によるものでした。

堀には美しい蓮の花が咲いていました。

忠霊殿は、明治から昭和にかけての戦没者の慰霊塔です。1階は資料館にリニューアルされて、平安・鎌倉時代に制作された仏像や、明治の高村光雲作の仁王像などが拝観できます。善光寺の大看板の本物も展示されています。ここは初めて拝観したのですが、とても充実した展示でした。内部は写真撮影禁止です。

再調査すると、今まであまり注目していなかった石碑が、書道史的に重要なものだとわかりました。善光寺は全国的に有名な寺院ですから、そこにある石碑も、思った以上に優れたものが多いのです。

善光寺には多くの宿坊があります。私が学生時代に下宿していたアパートの大家さんは「良性院」という宿坊だったのですが、その内部の観音堂の看板を初めてしっかり見ましたら、立派な書でした。寂順という僧侶の揮毫です。

今回の調査で新たなことがたくさんわかりました。連載記事はすでに2年先ほどの分まで新聞社に送ってあるのですが、その先の連載記事で紹介することになりそうです。気を長くしてお待ちください。

帰りに、駒ケ根のSAから見えた山です。駒ヶ岳でしょうか?頂上付近は雲に隠れていましたが、爽やかな風が吹きおろしていました。

この後、名古屋で叔父・叔母夫婦と会って、昼食を共にしてから徳島に戻りました。親や兄弟、親戚、恩師、長く会っていなかった友人たちとも会えて、リフレッシュしました。また徳島での仕事を頑張ります。