(承前)「おいちゃん、また泣いちゃったよ」と寅さんなら泣きべそをかきながら言うだろう。プッチーニのオペラで涙するなんてつい先日まで思ってもみなかった。あんなセンティメンタルなお話しで、それも今回は三つの一時間ドラマでしかない ― 「泣いて堪るかよ」程度のものである。
初日のラディオ放送の演奏よりも全ての面でよかったと思う。完成度が高かった。ストリーミング放送の数時間前からちょこちょこと準備をしていた。途中初日の録音らしきが出力テストで使われていた。あまりにも管弦楽が微細で弱音で奏するものだから全体のダイナミックレンジのバランスを調整しておかないとクリップしかねない。実際に音声を録音すると、驚くことに一幕「外套」で最大のレヴェル―1ほどに達していた。浮気の二重唱の辺りらしい。
初日も二日目もただ一人不満のあったスターキャストのヴェストブロックもヴィヴラートを揃えてきたように感じた。この辺りの実力となるとハルテロスの時と同じでちょっとした指摘で調整可能なのだろう。少なくともヴィデオでの演技も含めるとリーとともに魅せていた。コッホの歌と演技で感動したが、管弦楽は二日目よりも更に巧妙になっている感じだった。
ピットが映されると明らかに二日目とは違う陣営が乗っていた。稽古の音から聞いていたので興味があったのだが、オーボエが山賊兄になっていて ― 二日目はベルリンフィルで吹いた人が入っていた、そして第一ヴァイオリン二番には若いシュルトハイスに代わって金が入っていて、後ろにはいつも彼女と並んでいる若いブロンディーヌが入っていた。そしてどうも上からは確認できなっかったがその音からコンツェルトマイスタリンが全公演を務めている様だった。要するに女性陣を並べたのがこの日の演奏で、その細やかさと共感に満ちた一糸乱れぬ弦合奏になっていたと思う。プッチーニのあのしなやかさは女性的だと思った経験がある。一幕の軽いステップ感も女性ならではだ ― 道理で彼女らが入ってくるとかしましの声が聞こえていた。
なるほどマイクロフォンを通した響きと更に画像に邪魔される視聴と生の体験は印象が異なる面があるが、生放送で音声の録音に集中したので少なくとも視覚的な影響つまりカメラワークの影響からは逃れられる。やはり聞き返すと演奏の細やかさがよりはっきりする。想定通り、本放送の映像がスムースに流れ難そうなので、ツイッターで教えてもらったアジア向きのアドレスに最初から切り替えた。そのお陰で完璧に ― 一か所三幕後半でスイッチングの放送事故があったが ― 音も映像も流れたが、映像は強制的な英語字幕なので字幕無しをオンデマンドで録り直さなければいけない。
それにしても確かに二幕「修道女アンジェリカ」でのヤホの声は大きくはないのだが ― ヤホ、ヤホというと何か美保とか瑞穂とか呼んでいる感じになるが、こうした放送で聞くと全く威圧的なシュスターの歌声と比べても決して引けを取らない。二日目の下支えする管弦楽よりもこのストリーミングでは声楽と並行して歌っている風で更に細やかな歌になっている。声も出ていたがアンサムブルとしてのバランスが向上しているだけでなく、ヤホの歌もより技術的に正確な方へと改善されている。やはりペトレンコ指揮の下で皆が学ぶのだ ― いづれオペラは振らないようになるといってもオペラ界にバーデンバーデン祝祭が恋われるようになるのだろうか。
三幕は最初から更にネジが掛かっていたが、残念ながら代役が袖で歌ったことから若干テムポ感が鈍った感じはした。代役の歌は全く問題なく、来年のオペラフェストでは彼が歌うのだろう。二日目に比べると全てにおいてアンサムブル重視の方向へとより繊細な方向へと舵を切っている感じだ。その意味では、カメラワークと代役の問題があり喜劇性は二日目の方が強かったと思うが、最後の落ちの辺りはとても素晴らしかった。やはり一幕二幕で完全に泣かせるぐらいでないとここまでの効果は出ない。
プッチーニがその効果を願ったというよりも、今の日本語流に言わせると共感力(EQ程度)が試されるということになる。演奏家自身がそこで効果を狙っていたならば決してこうした効果は生じない。キリル・ペトレンコは、この作品を取り上げるに際してあらゆる版の研究もしたという。プッチーニの創作の真意に確信を得るためには必然だったのだろう。楽譜台にはリコルディー版が乗っているようだが、そこまで研究しないと、こうした楽曲が如何に表面的なキッチュなものでお涙頂戴の効果を狙ったものでしかないのかどうかも分からないのである。(続く)
参照:
"Il trittico" - Recording from December 23, 2017, The production will be available as VOD for 24 hours starting from Dec. 24, 11:00 AM (CET) until Dec 25, 11:00 AM (CET). (Bayerische Staatsoper TV)
不覚にも嗚咽が漏れる 2017-12-19 | ワイン
ヤホに表現の可能性を 2017-12-20 | マスメディア批評
初日のラディオ放送の演奏よりも全ての面でよかったと思う。完成度が高かった。ストリーミング放送の数時間前からちょこちょこと準備をしていた。途中初日の録音らしきが出力テストで使われていた。あまりにも管弦楽が微細で弱音で奏するものだから全体のダイナミックレンジのバランスを調整しておかないとクリップしかねない。実際に音声を録音すると、驚くことに一幕「外套」で最大のレヴェル―1ほどに達していた。浮気の二重唱の辺りらしい。
初日も二日目もただ一人不満のあったスターキャストのヴェストブロックもヴィヴラートを揃えてきたように感じた。この辺りの実力となるとハルテロスの時と同じでちょっとした指摘で調整可能なのだろう。少なくともヴィデオでの演技も含めるとリーとともに魅せていた。コッホの歌と演技で感動したが、管弦楽は二日目よりも更に巧妙になっている感じだった。
ピットが映されると明らかに二日目とは違う陣営が乗っていた。稽古の音から聞いていたので興味があったのだが、オーボエが山賊兄になっていて ― 二日目はベルリンフィルで吹いた人が入っていた、そして第一ヴァイオリン二番には若いシュルトハイスに代わって金が入っていて、後ろにはいつも彼女と並んでいる若いブロンディーヌが入っていた。そしてどうも上からは確認できなっかったがその音からコンツェルトマイスタリンが全公演を務めている様だった。要するに女性陣を並べたのがこの日の演奏で、その細やかさと共感に満ちた一糸乱れぬ弦合奏になっていたと思う。プッチーニのあのしなやかさは女性的だと思った経験がある。一幕の軽いステップ感も女性ならではだ ― 道理で彼女らが入ってくるとかしましの声が聞こえていた。
なるほどマイクロフォンを通した響きと更に画像に邪魔される視聴と生の体験は印象が異なる面があるが、生放送で音声の録音に集中したので少なくとも視覚的な影響つまりカメラワークの影響からは逃れられる。やはり聞き返すと演奏の細やかさがよりはっきりする。想定通り、本放送の映像がスムースに流れ難そうなので、ツイッターで教えてもらったアジア向きのアドレスに最初から切り替えた。そのお陰で完璧に ― 一か所三幕後半でスイッチングの放送事故があったが ― 音も映像も流れたが、映像は強制的な英語字幕なので字幕無しをオンデマンドで録り直さなければいけない。
それにしても確かに二幕「修道女アンジェリカ」でのヤホの声は大きくはないのだが ― ヤホ、ヤホというと何か美保とか瑞穂とか呼んでいる感じになるが、こうした放送で聞くと全く威圧的なシュスターの歌声と比べても決して引けを取らない。二日目の下支えする管弦楽よりもこのストリーミングでは声楽と並行して歌っている風で更に細やかな歌になっている。声も出ていたがアンサムブルとしてのバランスが向上しているだけでなく、ヤホの歌もより技術的に正確な方へと改善されている。やはりペトレンコ指揮の下で皆が学ぶのだ ― いづれオペラは振らないようになるといってもオペラ界にバーデンバーデン祝祭が恋われるようになるのだろうか。
三幕は最初から更にネジが掛かっていたが、残念ながら代役が袖で歌ったことから若干テムポ感が鈍った感じはした。代役の歌は全く問題なく、来年のオペラフェストでは彼が歌うのだろう。二日目に比べると全てにおいてアンサムブル重視の方向へとより繊細な方向へと舵を切っている感じだ。その意味では、カメラワークと代役の問題があり喜劇性は二日目の方が強かったと思うが、最後の落ちの辺りはとても素晴らしかった。やはり一幕二幕で完全に泣かせるぐらいでないとここまでの効果は出ない。
プッチーニがその効果を願ったというよりも、今の日本語流に言わせると共感力(EQ程度)が試されるということになる。演奏家自身がそこで効果を狙っていたならば決してこうした効果は生じない。キリル・ペトレンコは、この作品を取り上げるに際してあらゆる版の研究もしたという。プッチーニの創作の真意に確信を得るためには必然だったのだろう。楽譜台にはリコルディー版が乗っているようだが、そこまで研究しないと、こうした楽曲が如何に表面的なキッチュなものでお涙頂戴の効果を狙ったものでしかないのかどうかも分からないのである。(続く)
参照:
"Il trittico" - Recording from December 23, 2017, The production will be available as VOD for 24 hours starting from Dec. 24, 11:00 AM (CET) until Dec 25, 11:00 AM (CET). (Bayerische Staatsoper TV)
不覚にも嗚咽が漏れる 2017-12-19 | ワイン
ヤホに表現の可能性を 2017-12-20 | マスメディア批評
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