Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

掛け値無しのLA大舞台

2008-02-26 | マスメディア批評
AP通信が三浦さんのことを世界に流している。雄一郎よりも和義の方が遥かに報道価値があるに違いない。後者の独特のキャラクターを改めてアーカイヴVIDEOにみると、これから恐らく始まるであろうロスアンジェルスでの大舞台での裁判劇は、日本では当然のことながら、LAから暫らくは世界に話題を振りまくに違いない。

CNNにおいてもシンプソン騒動の時に、ライヴの法廷劇が流れっぱなしになっていたが、所謂ロス疑惑での日本のマスメディアの過熱振りは当時を知る者には忘れ難い。ネットには、当時の状況を振り返ってその国民心理のようなものを非難しているものもあったが、さてどうだろうか?

今改めて、最初にTV視聴者が三浦さんを見かけた病室や事件現場でのインタヴューや米軍のヘリコプターを迎えて駆け寄る姿を繰り返しみると、その声を微妙に上ずらせての大変オーヴァーな言動はどうして大変興味深い。それが殆どの人に不審を抱かせる映像だったのは間違いないが、一方表向きは気の毒な被害者として迎えられたと現在でも記述されている。

当時の日本のマスメディアのパパラッチ振りを思い出して、編集されているとは言いいながらも、その後の会見の表情や昨年の窃盗の現場VIDEOなどを見れば、なるほどこれほどメディアにとっては商売のネタになる人物もないと思い知らされる。最も近頃は同姓同名のサッカー選手の方が有名と書かれてはいる。

昔話の「狼少年」の如く、人の注目を集めるための狂言癖や盗癖などというかなり本質的な人間性が、マスメディアを使う愉快犯であり同時に冷血な人間性を加味しているとすると、マスメディアにとってはそれほど面白い対象もないであろう。

そうした人の好奇心を刺激して発行部数や視聴率を上げるべく面白おかしく扱うのが、ブルーヴァード紙や三面記事新聞であり、今や速報性の機能等をネットに奪われたCM収入で息を繋ぐTVでしかないありえない。

しかし、一方でこうした特異な人間の行動を社会性のある事件として扱うなど、「自ら報道と呼ぶ狂言」を演じるマスメディアが存在して、エンターティメントを社会的事件として扱う大衆新聞などがあることに留意したい。

そうしたメディアは、生まれてこのかた、その商業的な機構によって資質が定められているのであり、如何に批判されようが、倫理に反しようが、なんら苦にかけないのである。これをして、消滅するまで変わりようがないマスメディアの犯罪癖と呼べるのではないだろうか?



参照:
ロス疑惑 時効の壁も問われている - 産経新聞 (2008年2月26日)
三浦元社長逮捕 偏見なく見守りたい - 中日新聞 (2008年2月25日)
ロス疑惑 2国間捜査のルールを明確に - 毎日新聞 (2008年2月25日)
ロス疑惑 27年前の事件に米当局が動いた - 読売新聞 (2008年2月25日)
投資家の手に落ちる報道 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-01

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4 コメント

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トイレの落書き (frostcircus)
2008-02-26 14:30:33
立て続けトラブルに遭われたそうでお見舞い申し上げます。

ところでご指摘のマスメディアなら江戸時代から類似物が存在してましたが、その頃から絵を載せていたのですからマルチメディアの先駆けです。
今も先駆けていると思うのは、街角を防犯カメラや盗撮カメラが埋め尽くす前に、ひたすら人力で盗撮して来たことを指摘します。
そしてニュースヴァリューが消滅すると三脚も撤去していただけるのですが・・・

ところで防犯カメラはジョージ・オーウェルのテレスクリーンと一緒、とは言いませんが最近の無秩序な氾濫に嫌気がさします。
近頃は家庭にも防犯のためと言ってWebカメラを売っていますが、これなど誰もその危険に気づいていないようです。
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娯楽性と社会性を隔てる基準 (pfaelzerwein)
2008-02-26 17:12:52
防犯カメラも近所で問題になったことがあります。敷地内の人の動きを監視するカメラを他称「我が町のシェリフ」が取り付けたのです。

映されている場所が集合住居の一部だったことから、一般道路ではなくとも肖像権に触れるということで撤去されました。

もし本人が反論していてば法的処置が取られるケースでした。それを更に公共の場所が映るものとした場合、更に大きな問題が潜んでいます。

英国の監視ネットが有名ですが、何処まで公共性があるかどうかと、個人の関心(防犯・覗き・眺望利用)との鬩ぎ合いになりますね。

日本のマスメディアの様子を見ると、営業上の企業個人の関心と公共性が充分に峻別されていないようです。そもそも三面社会面記事の殆どは公共性が無いですからね。

すると当然のことながら企業・個人の趣味や実益での「盗写」も許されることになる。それが販売されれば立派に市場での経済的な公共性を示す事になりますね。

その差異を示すために「倫理基準」を設けている様ですが、そこには娯楽性と社会性を隔てる基準は存在しないでしょう。
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スウェーデンモデル (frostcircus)
2008-02-26 17:35:15
日本の場合社会性以前に適法であるかどうか全く考慮されていませんね。

先日もあるTV局で飲酒死亡事故の直前通過を商店の防犯カメラ映像をニュースで堂々流していました。
これは社会性があるという局側の判断でしょうが、運転者の遺族が裁判に訴えたら絶対TV局側が負けると思いました。

刑事法に絡んだ案件も問題ですが、憲法に遡って議論すればそもそも被疑者・被告の段階で実名を報じること自体、本当に社会性があるのかずっと疑問に思ってます。

また被疑者が例えばTV局や国家公務員ですと見苦しいまでにそのプライバシーを暴露しますね。

スウェーデンのように一切の実名報道を止めると犯罪抑止にならない、というのが警察とマスコミの言い分でしょうが、集団リンチの如き報道を許して犯罪抑止を語ること自体が笑止ですね。
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百年ぐらいでは (pfaelzerwein)
2008-02-27 04:14:59
司法判断やそれに纏わる話は、日本の現法務大臣の談話や陪審員制度法制化として聞こえてきますが、常連コメンテーターの弁護士Barl-Karthさんなどの意見に見るように、何か性急な感じが伴っています。なぜかそれは、国軍海外派遣と同じぐらい、その意図が議論尽くされていないように見えます。

同様なものに報道の自由と個人情報保護の裁量がありますね。こうした問題もボトムアップで充分に煮詰まるまでには、基礎教育での徹底が必要で最低四半世紀は必要なものと思います。それなのに一切教育改革が出来ていないようにしか思えませんが、どうなのでしょう。

民主主義教育を徹底させるに必要なカリキュラムすらなさそうです。

加害者への抑制効果の議論以上に、被害者や死者の尊厳の保護までを考慮すると、百年ぐらいでは国民の意識は変わらないかもしれません。そこに具体案を提示することなく発言する法相の真意を探ると、まるでそれは禅問答のようです。
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