Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

同志を愛せ、君と等しく

2007-06-20 | マスメディア批評
ここ暫らくの連邦共和国内政における政治的動きを忘備録としておく。

左派党は、その党員数からSPD(ドイツ社会民主党)、CDU(キリスト教民主同盟)に続いて連邦共和国の第三党となった。既に書きとめた左派党のブレーメンでの初の西ドイツ議会進出の成果が大きい。その後、社会民主党の方針が発表されて、ベック党首を先頭に左派イデオロギー路線が明確になっている。生産的と非生産的を対照させる論理にこれが顕著に現れている。

もともと、グローバリズム批判の矛先がネオリベラリズムへと向っていて、特にヘッジフォンドを代表とする実体のない経済や金融経済の不安は避ける事の出来ない政治課題であることから、社会主義経済運営の必要性が問われている。

社会民主党の前首相シュレーダーの天敵ラフォンテーヌが、元PDSのビスキーと共に、西ドイツのWASGと合弁された左派党の党首に就任したことから、経済運営への政府の関与と方針の明確さが要求されるようになっている。

ラフォンテーヌは、ケインズ経済主義者と呼ばれるように、労働組合の要求達成と公共サーヴィスの充実を以って、つまり計画経済をもってマルクスやエンゲルスの指摘した過剰生産の問題を解決しようとする。

「皆が幸福になろうと思うものは、自らも幸福と感じなければいけない」と前PDS民主社会主義党首ギジーが語るような政策なのであるが、ラフォンテーヌは、「同志を愛せ、君自身と等しく」と語るように、さらにマルクス・レーニン主義に傾いている。

この元ザール州首相は、ブッシュ大統領とブレアー首相をテロリストと呼ぶように、その発言や政治姿勢は益々過激化しており、外国人労働者に対する問題発言なども記憶に新しい。

暴力無き革命を標榜しても、ドイツ民主共和国が否定されたように、段階的社会主義への道は、西側出身者の元社会民主党党首によって、より制度・理論先行型の政治となっている。

今後、その古巣SPDとの間でフランスの左派を手本とするような理論闘争がデジャヴの如く現れて、キリスト教民主同盟が適正にネオリベラリズムに介入する具体的政策を採るだけで、選挙民の支持を掻っ攫うことが出来るようになるのだろう。

ラフォンテーヌの言う「社会主義を通した自由」は、丸山真男が戦前の「自由民権運動」の言葉の英文化への困難性をさして言及する、消極的自由「...からの自由」であって積極的自由「...への自由」でないことが判る。つまり、自由への運動の欠損と制度としての権利が翼賛体制を準備することを示している。それは、進歩的なヴァイマール憲法の「財産権への留保」が呼んだナチズムの共同体思想への流れであり、その言動と共にもっともこれに近い思想を左派党の党首は示している。

余談であるが、反グロバリズムの議会外運動ATTACなどは、そのイデオロギーから左派党は近いのであるが、ラフォンテーヌの言う「自由」はこの運動に矛盾するものであることも事実である。

なによりもこうした政治状況を齎したのは、ネオリベラリズムの悪用に相違なく、その新自由主義の真価を改めて査定する必要が新聞等で既に唱えられている。



参照:
「何を、どう、翻訳したか」 ― 「翻訳と日本の近代」、丸山真男、加藤周一

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 茹でて剥いて栗のように | トップ | 秩序破壊的実力行使 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿