Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

自由民主の連邦共和制

2007-06-03 | 歴史・時事
承前)ドイツは、遅れて植民地主義へと進んで行く。中欧において安定した重しとなったドイツのビスマルク時世以降の展開に「自由民主主義」と「中欧における国の統一」の意義を、ヴァイツゼッカー元大統領はこの演説で探って行く。

重要な列強の一つとなった新ドイツ帝国は、植民地と海外覇権にその課題を写して行きます。平和な桃源郷と思われたドイツは、覇権と栄光を求めて、スタール夫人の名付けた「思索の古里」は、失われました。

私達が知っているハムバッハにおける国の形成は、背後へと追いやられたのです。国の祝日が、フランスでは民族解放の自由への戦いの7月14日 « quatorze juillet »であるのに対して、そこでは近隣諸国への勝利を祝う日であったのです。ナショナリズムの勃興です。それは、他の国に対しての優越感を感じる重要な国であることとなりました。自国が覇権を持つことが、ドイツに知的所有権がある訳ではなく、ただ遅れてきたこのナショナリズムの部分所有者であっただけなのです。「民族をその自由のもとに纏めるとする国の意味」は中毒して、国の名のもとに自由は危機に曝されるのです。

帝国を求めた国の一つがドイツとなったのです。第一次世界大戦の勃発理由としてチャーチルが名指したものです。英国が帝国を寡占した訳ではありません。しかし、それに挑みかかったのがドイツであり、近隣国は一致してそれに対抗するようになります。第一次世界大戦の勃発です、そして最後にドイツは征服されます。

賢いアメリカ人ジョージ・ケナンは、大戦の勃発を「啓蒙された世界の源破局」と呼びました。実際勝者の自意識は極度に強化されて、ドイツのそれは地に落ちました。欧州の解放と充足以上のものに見舞われたのです。アメリカ大統領ウィルソンは、90年前にハムバッハにやって来て、偉大な行いを敢行しました。ポーランドの独立を助けたのですが、彼の国は諸国の統合へと参加せずに、孤立化への道を歩みます。敗北のドイツにおいての共和制への移行には、行動的民主主義の力と数は、あまりにも弱く、小さなものでした。

陣営は、極右と極左に激しく別れ、人種主義のヒトラーが台頭したことが第二次世界大戦へと導き推移して、破滅を向える。そこでも「ドイツがまだ何かを意味する事が出来たか」と元共和国大統領は尋ねる。

それでもドイツ国は存在し続けて、分断されて、二つの東西の境地に不幸にも別れながらも中央の真ん中に位置して、ドイツ問題として諸外国をも含めて再び課題となるのです。

そこで初めて、1832年にハムバッハー祭りで、政治的具体性も無く叫ばれた、「欧州連邦共和制」と「自由への希求を共にする民族」の一つの欧州が目標となるのでした。連邦共和制は、ただ国を通してなされるとするハムバッハを満たしていた基本がここに確信となるのでした。

ハムバッハー祭りの市民には、先ず国ありきそして共に発展してのヴィションが欠けていました。自由の希求への信仰が、唯一つのそれだったのです。絶えず強権を翳して競争する諸国とその連合は、それではありませんでした。その様に、欧州連邦を運命つけた、幻想以外のなにものでもない、ナショナリズムへの道が示されたのでした。諸国の協力こそが将来への唯一の道と、国の政治家が戦争の教訓を通して目を開くようになったのです。

そして、あの自他共に認める帝国主義者チャーチルがヤフタ会議後の1946年にチューリッヒへやって来て欧州合衆国を提唱したことが語られて、その後の西欧がヤフタ会議に関わらず自主的に形成されていき、さらに1975年以降市民運動として東欧もそれに加わって来たことが回想される。そして、エルンスト・モーリッツ・アルントの言葉が掲げられる。

「一体祖国ドイツとは?」に、明確に自由民主主義憲法をその基礎に置くのです。私達は、隣国に統一を強制などしませんでした。そうではなく彼らの意志によってなされたのです。2004年5月には、東から南東からの民主的政府の欧州への参加も、私達ドイツの特筆される働きによってなされたのでした。そのように連邦欧州への道は均されています。私達ドイツ人はその中央にいるのです。ロシアと中国を除いてこれほど沢山の九つもの隣人を持つのは私達だけです。ですから私達の歴史は一人のものではありません。そのようにそれは外から内へと内から外へと発展して行きました。今日、どの隣人も私達を恐れていませんし、私達も誰からも脅かされていません。これを以って、ドイツの歴史的な開かれた問いに回答が得られました。

もう一度、1832年のハムバッハー祭りへの記憶は、それが無意識にしろ意識されたにしろ、蘇ったのです。その大きな目標である、自由、統一、欧州は、今日ほどそれが生命を持つことはありませんでした。当時の大きな市民の集会と要求を、注意と考察を以って、ハムバッハの思考を私達の課題として意識し続けてこそ、それは初めて活かされるのです。

こうしてリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領の演説は閉じられたが、嘗ての有名な「荒れ野の40年」の演説と比較するまでもなく、現在のドイツ連邦共和国の置かれた立場と確信と自信に満ちた自由民主主義の社会が表出している。それはEUにおける立場でもあり、世界における立場でもある。同時に、自由民主主義は絶え間無く希求されるもので、それは発言の自由などの「権利や制度」として 必 ず し も 保障されている訳で無く、あくなき市民の民主的行動によって保持されることを明白にしている。同時にそれが民主主義国の成り立ちであり、議論と行動無くしては、存続し得ない事をも示している。欧州連邦が現実的な政治課題となる現時点において、民主的な政体を通しての連邦共和制構想が、自由民主主義的な基礎をもつ必要をここに確認出来るのではないだろうか。

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