小倉にある平和記念碑と長崎の鐘

2008-10-03 00:00:52 | 市民A
小倉シリーズ第4回は、平和記念碑。小倉城の南側にある小倉中央図書館の敷地内にある。まず、記念碑に添えられた北九州市によるパネルの一部を紹介。


平和記念碑と長崎の鐘

 昭和20年8月9日は、長崎市に原爆の投下された日です。

 当初、この新型爆弾は、旧小倉陸軍象造兵廠があったこの血に投下される予定でした。ところが、当日の小倉上空は、雲のため、視界がきかず、第二目標の長崎市に投下されたのです。

(以下略)

  北九州市

ということで、小倉市を第一目標にしたのに、雲で視界不良のため、第二目標の長崎に投下された、というのが長い間の定説になっていた。

c27d3797.jpg実際に、B29は小倉上空を三回にわたって旋回し、投下地点を探したものの視界不良により断念する。そして一つの燃料タンクの配管の不具合もあり、燃料切れに近づいたため、長崎に向うと、雲海の中に一ヶ所だけ切れ目があり、住宅地であることを確認し、そこに投下したところ、そこは浦上天主堂だった。

マンハッタン計画全体が極秘であって、戦後公開された記録類も、マンハッタン計画という独立したカテゴリーの中で読み解かれていたため、真相がよくわからなかったのだが、どうも小倉上空を覆っていたのは、雲ではなく、煙だったようだ。

マンハッタン計画では、原爆投下地決定までの検討の過程で、京都、小倉、広島、長崎といった都市への通常爆撃を禁止していて、そこに市民が逃げ込んだ後、原爆を使おうとしていた。小倉は禁止していても、当時は別の市だった八幡に対して、原爆投下の前日、通常部隊が激しい爆撃を行っている。2500名が犠牲になったといわれる。この空襲により、八幡の市街地は炎上を続けていて、その煙で隣の小倉市上空が煙に覆われていたことがわかったようだ。

二発目の原爆は広島型の1.5倍の威力があったそうで、もし、山に囲まれた長崎ではなく、小倉に原爆が投下されていれば、さらに巨大な被害があっただろうと推定されているそうである。



ところで、北九州市自体、5つの市の合併で誕生した100万都市であるが、この5つの地区が仲がいいのか悪いのか、外部からは知る由もない。八幡の空襲のおかげて小倉が助かったとか言いたくないのだろうか。今でもそれぞれの場所で大規模な市民祭りが行われているようだ。

つまり、祭り好きにはたまらない場所なのである。


この後、市民ご愛用の旦通(たんか)市場を覗いてみれば、函館朝市とか札幌二条市場といった観光用スポットとはまったく違い、お目当ての「呼子(よぶこ)のイカの刺身の試食」などどこにもないし、不埒な輩のいる場所はなく、今回の主目的である、「鳩サブレ」持参による顧客先の表敬訪問とお昼の会食というパターンに進むのではあるが。
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