脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Go down to the riverではなくGo up to the river

2018-04-09 | Weblog

80年代は名曲が多いと言われているが、このリバーも名曲のひとつらしい。でも聴いててこの歌詞は、昔俺のまわりにいた奴らのことをそのまま歌った歌じゃないかと不快になった歌だ。私は教育も受けているし、言葉もきちんと話せるのでまわりは非常に育ちがいいと勘違いしている。親父が外国人だと言っても企業の重役クラスで日本に来ているとか、大学関係でというようなすごくいいように勘違いしてくれているが、しかし今だから言えるがうちの家系はシリャンミン、北からにげてきた人たちで、故郷がない。当時は日本でも向こうでも差別される人たちだ。当時私のまわりの環境はよくなかったし、私には言えないことがたくさんあった。たぶんその言えないことをそういう仲間に聞いてもらって傷口をなめあうこともできるのだろうが、しかしそういう仲間を求めなかったし、そんなことはしなかった。この歌の歌詞でgo down to the riverと歌っているが、俺の人生はくだっちゃいかん、go up to the riverと言った感じだろうか、たぶんこのまわりにいるような奴らと同じ生き方をしたら自分もこいつらと同じようになる。そう考えてなるべくこいつらとは違う環境を求めてまじめに生きた。まともに教育を受けて、いい人たちとつきあって自分の環境をかえる道を選んだ。よくアホな格闘家は自分がどれだけすさんでいたかということを得意げに話し、そして自分はそこから這い上がってきた見たいな話を針小棒大に語るが、しかしそういう発想はウジ虫がハエになった程度で根本的にはかわらないだろう。

根本的に大事なことは自分の環境をかえること、なるべく多くの正しい人たちと出会ってそこで影響をうけることだ。特に教養のある人と会話したり、その人たちの言葉づかいや習慣を学んで、世の中の正しさや一般的にいい生活とはどういうものかということをよく学ぶことである。私は多くの不良少年たちの面倒を頼まれてみたことがあるが、彼ら彼女らと話してわかったことは、そういう子供たちに性根のくさった奴はそういないということだ。問題なのは彼ら彼女らの性根ではなく、環境や習慣の問題だ。環境がわるくて生活習慣がわるいからすさんでくる。そこをかえればかわれるのだが、しかし仲間がいるからそれができない。本当に更生させたかったら仲間からはなれて環境と生活習慣をかえること、そこからはなれて正しい人と話したり、広い社会でいろいろなことを経験することで、教育や教養が必要だということがわかるはずだ。顔はきれいが教養もない、品格にかける、言葉はわるいがそういうb〇tchと傷口をなめあって、お互いがかわいそうだ放っておけないと情で結婚する。でもそんな結婚生活は先が見えている。その人のことを本当に心から尊敬できるから結婚するのだ。お互いが尊敬できるからこそ、相手を大事にできるし、心から信頼し信頼できるからいろいろなことを乗り越えていける。そして子供が生まれたらその尊敬できる人の子供でもあるから、心からその子を愛せるのだと思う。学問を学んで教養をつんでいい環境に身をおくというのは、間違ったものの見方を正しく、いい方向にかえられて行くということだ。昔こんな自分は将来この先一体どこに行きつくのだろうかと思っていた。まわりを見たらまともではない、そんな中で自分はそいつらと同じ姿を想像していたかも知れない。でも自分はこの歌のように川を下るのはなく、流れに逆らって上がって行った。上がった世界は自分とは違った別世界であった。環境をかえるというのは見方を変えるということだ。そしてその見方をかえるためには教養をつむことが最も重要だ。


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