焼きマシュマロ!

 27日(土)は厚高17回生同期会に参加し、半原にお住いの恩師を送迎しました。
 夜9時ころ、先生をお送りするために中津川沿いのバイパスを通ると、平山橋上の川原には明かりがともるテントが幾張りも見えました。
 以前から真夏は湘南海岸並みの賑わいを見せていましたが、近ごろは寒い時期でもアウトドアを楽しむ人が増えたようです。

 写真は、21日(日)に華厳ヒオウギ広場で作業をしたのち、沓掛館山で打ち上げをした際に、たき火で焼いて食べたマシュマロです。
 我妻さんが用意してくれ、皆で味わいました。

 北米では、キャンプファイヤの際に、マシュマロを串に刺すなどして、直火で焼いてとろけさせ、そのまま熱いうちに食べるそうです。

 ご存じない方はぜひお試しください。おいしいですよ。
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相州アルプス縦走は!

 会員の皆さんには昨日までに『黄色いチラシ』3月号をお送りしました。
 紙面の都合により、「相州アルプス縦走」の日程を入れることができませんでしたが、今年も4月29日(祝)に行います。
 半原高取山から荻野高取山まで元気に歩きましょう。
 (写真は昨年仏果山で写したものです)

[別件]
 昨日、ミツマタ桃源郷に行って来ました。
 花芽は、1、2本の木が部分的にほんのりと黄色くなり始めたところで、全体的にはまだ白い冬芽のままです。
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華厳山まで!

 3月6日の西山踏査登山・3月例会の内容を一部追加変更します。

 21日に行いました華厳ヒオウギ広場の作業で、ピン杭が足りなくなりました。
 そこで、6日は華厳山まで足を伸ばし、残りの個所にピン杭の打ち込みをします(写真は21日の作業の様子)。
 
 [別件] 
 毎年忘年会で飲んでいます「しぼりたて蓬莱」の大矢孝酒造㈱が、今日(26日)午前11時05分から放送のNHKテレビ「ひるまえ/田崎真也さんと行く食材探し! 神奈川愛川町」で紹介されます。ぜひご覧ください。
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オニシバリの花

 21日(日)に大たるみで見つけました。
 いつもの年より少し早いかも。
 樹皮で鬼をも縛れるということからこの名があるそうです。
 林下に生えるジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の落葉小低木。
 葉は樹上を覆う木々が葉を落とす秋に伸びて冬を越し、夏に落葉します。
 まさに、隙間産業的生き方です。
 花は黄緑色。好きな色です。
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3月の活動予定

☆西山踏査登山・3月例会
 3月6日(日)  (雨天12日)
 JA荻野支所前午前9時集合
 (本厚木駅北口午前8時20分発半原行き乗車、東谷戸入口バス停下車)
 支所~三つ沢~付け替え市道~ミツマタ桃源郷~発句石~高取山~大沢 
 弁当・飲み物・雨具等持参ください
 参加は自由 但し、事故は自己責任です
 一部落ち葉掃きをしながら登ります
 下山後、希望者は沓掛館山で打ち上げをします
 ※今回はいつもと集合場所が異なりますので、ご注意ください

☆ヒオウギ圃場の作業
 3月20日(日)  (雨天27日)
 沓掛館山午前9時集合
 チガヤの掘り起しをします 
 弁当持参ください 

☆問い合わせ先
 事務局 電話046-241-8990 荻田
 (写真は、昨年3月15日のミツマタ桃源郷です)
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鹿に食われないために!

 21日(日)早朝、携帯電話を見ると、前夜、小島英世さんからメールが入っていました。
 それは、26日に千穐楽を迎える「二月大歌舞伎」夜の部「籠釣瓶花街酔醒」の遣手お辰役の歌女之丞を、長谷部浩が、「廓の空気を醸し出すにはこのクラスの老女方が欠かせない」と評しているとのものでした。
 このメールのお蔭で、1日のスタートが気分良くなりました。

 華厳ヒオウギ広場の作業に集まった会員は前夜の大雨の影響もなく予想より多く、9名になりました。
 集合場所の分館から作業道具を取りに事務局に移動し、それぞれ、杭(ポール)を杖代わりに持ち、ネットは代わる代わる担ぎ、華厳山頂を目指しました。
 11時半前に華厳ヒオウギ広場に到着し、先に昼食を済ませ、その後、杭を打ち、ネットを張りました(写真)。
 1時頃終了し、時間もあるので、発句石まで行くことにしました。

 高取山頂のダンコウバイは、もう咲き始めていました。
 発句石移設広場から、久しぶりに筑波山がかすかに眺められました。
 2時頃に高取北尾根を下り始め、途中、損壊の激しい九十九折り作業径路に登山者が迷い込まないように、入口を枯れ木などでふさぎました。

 下山後、沓掛館山に行き、たき火でマシュマロを軽く焼いて食べ、クラブツーリズムがミツマタ桃源郷をツアーに組み込んだことなどを話題に打ち上げをし、4時に散会しました。

 なお、ヒオウギの苗は4月例会のときに植える予定です。
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再び花を!

 明日21日(日)、華厳ヒオウギ広場に行き、ヒオウギを復活させるための作業を行います。
 月例登山同様、午前9時に上荻野分館に集合し、トイレなど済ませ、その後事務局に移動し、道具などを手分して持ち、華厳山に登ります。
 沓掛館山のサンシュウは咲き始めましたが、西山のダンコウバイはまだ早いか?
 
 写真は、平成22年8月例会のときに写した華厳ヒオウギ広場です。
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『黄色いチラシ』の目線④了

 湯島天満宮から上野の水月ホテル鴎外荘に行き、そこで昼食をとり、食後、江戸ガイドの浮世絵の話を聞き、上野のお山をあちこち見学しました。
 そのうちの一つに、不忍池を見下ろす清水堂がありました。
 ここは写真の広重の名所江戸百景「上野山内月のまつ」を描いたところで、今は新しい松が植えられています。

 これを見てとっさに、西山にこれを真似たものを作ってみようと思いました。
 私の残された寿命では、松の木では無理ですが、枝のしなりやすいカエデ類であれば可能だろうと。

 どこに行っても、何を見ても、西山と結びつけてしまう。私の西山病はかなり進行しているようです。
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『黄色いチラシ』の目線③

 湯島天満宮には宝物殿がありました。
 この日は梅まつり期間中ということで、通常500円の入館料が300円になっていました。
 ガイドさんは、500円ではお勧めしませんが、今は300円ですから、きれいなトイレを利用すると思えば安いのではと云っていました。
 1階では神輿などを観て、地下展示室に下りると、そこには梅花を題材にした印籠や櫛のほかに、横山大観をはじめ近代日本画界の巨匠の作品が展示されていました。
 その中に、安田靭彦(名前の「ゆき」の正しい「つくり」の字が見つかりません)の紅梅と白梅の対の掛け軸と額装が展示されていました。

 「広報あつぎ」2月15日号の表紙は、用野のスダジイでした。これは月例登山のときに用野橋を渡るたびに見ています。 
 この大樹がある観音堂には写真の絵が奉納されています。描いたのは、熊坂東以(明治40年~平成7年)さんです。
 東以さんは昭和4年に安田先生の門に入り、昭和52年に日本美術院特待に推挙され、翌年厚木市民文化賞を受賞されています。
 お住まいも近く、『黄色いチラシ』を始めた翌年(昭和57年)に結成した「へんな会」(後の「こういう会」)に入っていただき、昭和62年5月5日に三田の清源院で、地元のコレクション展第1弾の「熊坂東以展」を、また平成7年5月4日に中津の龍福寺で第4弾の「熊坂東以米寿展」を開催させていただきました。

 ガイドさんの案内がなくても宝物殿は見学するつもりでしたが、良い出合いがありました。
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『黄色いチラシ』の目線②

 雨が降っているさなかにバスに乗り込み、次の湯島天神に向かう途中から青空になりました。
 湯島駅方面から境内に入る男坂の階段を登りきったところに鳥居があり、ここで振り向いて不忍池を見下ろした構図が広重の浮世絵・名所江戸百景「湯島天神坂上眺望」の雪景色です。

 その鳥居の横に「講談高座発祥の地」の石碑がありました。
 これを見てすぐに上荻野田尻出身の国経が浮かびました。
 国経は浮世絵師・歌川豊国の門人で、神奈川県重要文化財に指定されている伊勢原市上粕屋子易明神(比々多神社)にある美人図絵馬で知られていますが、もう一つの顔があるのです。

 彼は、本名を斎藤源蔵(1777~1808)と云い、講釈師伊東燕晋の門下にもなり、伊東燕太とも名乗りました。
 師の燕晋はこの湯島天神境内に住み、自宅を講席に開放していました。

 講談は江戸時代半ばころまでは街角の辻講釈など、聴衆と同じ目線の高さで演じられていましたが、湯島天神境内で活動していた燕晋が文化4年(1807)に徳川家康の偉業を語る際に、高さ三尺の高座を設けたことが高座の始まりとされ、境内にこの「講談高座発祥の地」の碑が建てられたのです。

 燕太(国経)は文化5年6月19日に32歳の若さで没しました。亡くなる前年の、師である燕晋の最初の高座は見たのでしょうか。

 ちなみに、彼の墓所は、月例登山集合場所の上荻野分館隣のガソリンスタンド横を中津川カントリークラブ方面に入ったところにあります。
 墓所から、西山三山が眺められます。
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