仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

植物の形には意味がある

2016年06月27日 | 日記
「雑草という草はない」、有名な昭和天皇の言葉です。

昭和天皇が留守中に、お住まいの庭の草を刈った侍従の入江相政に天皇は尋ねられた。
「どうして草を刈ったのかね?」
入江は、ほめられると思って、
「雑草が生い茂って参りましたので、一部お刈りしました。」
と答えた。すると天皇は、
「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所
で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのは
いけない。注意するように。」
と諭された。                   (入江相政「宮中侍従物語」)

過般『植物の形には意味がある』(園池公毅著・ベル出版2016.4.25刊)を読みました。

葉の平たい目的な何か。葉は光とに二酸化炭素と水で光合成をします。光を一番有効に集めるためにメガソーラーのように広い面積を利用します。

逆に、光がいっぱいあって水が少ない砂漠地帯では、水をためていく部分を増やします。葉の裏側は、表の部分と違って細胞が密ではなく、まばらな細胞を利用して、光を乱反射させて、裏に光がとおりくねることを防ぐ。

櫻の葉っぱは、葉の周りが開いた傘の周りに芯が何本の突き出ているように、とがった峰状の先端をもっています。それは水滴が葉に留まると、気功をふさいだり、光の乱反射による害を防ぐために、水滴を外へ逃がすためにその形状をしている。

「根はなぜもじゃもじゃなのか」ー水や栄養分を取るために表面積を確保するためであり、実際にアメリカの研究者が(1937年)ポットに植えたライ麦の地中の根の総延長を調べたら、数百kmあった。根は水を求めて深く張る必要があるが、栄養は動物のフンや枯葉など地表面に近いところの方が多い。そうした複合的な理由で、根の形は多様化している。


等々。植物の形に込められている意味を知ると、雑草はないどころか、雑草の一つ一つの形に、神秘的な生命体の工夫が思われます。
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