母が亡くなって30年近く経つ 父もそのあと一か月余で あとを追うように亡くなった
その父は入院中であり 意識も薄れているので 母の亡くなったのは知らせず葬儀をした
母84歳 父86歳だった 私もだんだん母の年齢に近くなるが 思慕の念は変わらない
介護施設のボランティア 私はピアノを弾いて 皆さんを歌わせ伴奏をする
楽しそうに歌っている方たちの笑顔を見ながら弾く
時折 高齢の女性の笑顔が 母の顔にダブって見えることがある
ああ あんな笑顔だったなぁと思う
私がピアノを覚え始めたのが30代後半 独学であるけれど 何とか人様に喜んで貰える
ただ 母には一度も聴いて貰ったことが無い 機会が無かった
今 思えば 母に聴いて貰いたいといつも思う
きっと 眼をしばたかせ 嬉しそうに聴き 時には 歌を口ずさんでくれるだろう
大した親孝行はしていない でも まじめに生きていることだけが喜んで貰えるか
昨日も この施設には いつもの踊りのグループと訪れる
少し遅めに到着すると メンバーが心配していた
いつもと違う曜日で もしかしたら私が忘れているのかも知れないと思ったようだ
大丈夫だよ そんなにボケてはいないからと笑い合った
来月は珍しく土曜日の予定 曜日が違うとディの参加者も若干見慣れない方も居る
帰りに車を運転していたら電話 私が楽譜と歌詞の模造紙を忘れてきた やはりボケている
利用者さんが色付けをした ぬりえ
窓うつ嵐に夢も破れ~唱歌・旅愁の一節だ
夜半から春の嵐のようになった ベランダがわの扉に雨風が当たる
夜中に一度目が覚めて ベランダの草花が気になった
今も時折強い雨風が吹きつけている
菜の花がちょっと倒れている あとは心配は無い
薄白く見える窓外の景色に ベランダの菜の花の黄色とブーゲンビリアのピンクが浮き上がる
最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m
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会いたくなりますね。・
私もです。のびたさんのおかあさま
きっと空からのびたさんのピアノを
きかれてよろこばれていると思います。
「ほかの人に喜んでもらえることができて
よかったね~^^偉いよ~・:」とおっしゃって
おられますよきっと・・^^
まじめに生きて 皆さんに囲まれている姿を見せたかった・・・。
どこかで微笑みながら、涙しながら、見ておられるのでしょうね。
私も父に見てもらいたいと思いますもの。
元気しておりますので、感覚は違いますが
自分の両親ことさら母親を想う時はいつも
子供となって思い出す・・その時自分の歳は
一切関係なく 親子として・・いい思い出だけが
蘇って、・・現実に引き戻されて、自分の年が
蘇り本当の現実の世界に戻る。
いいお母様だったんでしょうね(^o^)
誰もみんな同じでしょう
人は亡くなってもだれかが自分を思い出してしのんでくれる人がいる限りまだ生き続けているのだと・・・
本当の死は誰も自分を思い出してくれる人がいなくなったときだって聞きました。
永六輔さんの言葉です
それをいつも胸に抱いて両親や親族を思い出しています。
お母さまにピアノを聞かせてあげたかったですね
きっと天国で聞いているでしょう
よくやっているなって!
ひとり言で相談です・・・
口数は少なかったけど今思うとその時々大事なことを話していたのだと思わされます。
のびたさんのお母様 きっとうたごえやピアノ演奏喜んでおられると思います!peace
おそろいの法被?も来ておいでのようで、本格的ですね。
何時までも、こんな慰問ができますように。
今日は快晴になりました。
母が倒れたと聞いたのは台北でした。それからの
目まぐるしさははっきりと今でも脳裏に刻まれて。
帰名してから一週間後、母は亡くなりました。64歳
でした。誰からも愛されて、慕われて、自慢の母
でした。
心のこりは息子たちが母を知らないこと..寂しい
現実です。もっと近くに住みたかったと悔やみました。
のびたさんお母様に「ピアノ演奏を聞いてほしかった」
の心情 痛いほどこころに響きました。
この歳になって そして 30年近く経ってもなお 母への思慕はありますね
人様のお役にたって良かったねと 多分 微笑みを浮かべて私を見ているでしょうね
母は昔 歌を口ずさんでいたから きっと 私の伴奏でも歌ってくれるでしょうね
ピアノが弾けるようになったの?すごいね・・・と喜んでいるでしょう
ひろさんには お父様に画を見せてあげたいですね