のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

かやぶき屋根の集落 心に残る風景

2014年08月31日 07時04分40秒 | 旅行

かやぶき屋根の家々が立ち並ぶ風景は 何故か日本の原風景と皆が言う

童話の挿絵にも かやぶき屋根の家は 住む方たちのあたたかさが伝わる

山は青きふるさと 水も清きふるさと この歌は この景色が一番似合う

 

 

農家には 縁側があって ここで交わす会話とお茶菓子が眼に浮かぶ

トマトやナス きゅうりやひょうたんが 土の匂いと 太陽の恵みを感じる

花々は 静かな空気の中に 生きていることを喜んで のびのびと呼吸する

 

 

ゆるやかな傾斜地のなかに 家々を縫って 小さな流れが 生活を支える

その先には 思い思いの形をした 田や畑がある

黄金色に輝く稲は 間もなく収穫を迎える

 

 

私の田舎での暮らしは 命も危うい極貧の生活だった

冬は厳しく食料も無い 空腹を雪を食べて過ごしたことがある

建てつけの悪い部屋は 枕元まで雪が舞っていたものであった

 

ばあちゃんが縁側に座っていた

おかいこさん まゆと桑の葉を食べている蚕

炭焼き小屋がある 樫の木や竹も炭になる

 

それでも 少しも哀しくは無い 想い出もわびしくは無い

都会での生活より 田舎が持つ 自然のあたたかさがあったのだろう

そんな風景と 昔の自分が重なりの合う かやぶき屋根の集落が印象に残った

 

地元では 山梨と言う ピンポン玉くらいの大きさになっている

かぼちゃは直径50センチほどの大きいものだった

 

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秋桜 おみなえし 萩が咲く いやしの里根場

2014年08月30日 10時07分50秒 | 旅行

行って良かった 行きたいと思っていた土地があった

富士山麓 西湖の近く いやしの里 根場である

天気予報は雨の確率50% それでもドライブで訪ねて見た

 

萩が壁のように連なっていた

 

途中も 帰途も雨が降ったが いやしの里に居る間 晴れ間も少し見える

雨模様で 中央道では ワゴン車が横転し 東名では衝突のため渋滞していた

この 西湖の根場にある かやぶきの集落は かぶと造りで有名であった

 

買わなかったが ラムネとトマトが この清冽な水に冷えていた

 

昭和41年の台風で 甚大な被害を受け 集落は消滅した

以後 ここにあるように 昔を偲び 再建されて現在 ツアーも訪れる

富士山は ここも 道中も見えるはずだが これは厚い雨雲が垂れこめ見えない

 

 

かやぶき屋根の建物は20戸ばかり それぞれ見学や売店もある

昔のままだから 庭先や 周囲にも花があり 建屋とマッチして懐かしい感じだ

こすもす おみなえし 萩は至る所に咲いており それこそ 私たちを癒してくれる

 

おみなえしが 見事な黄色い花を咲かせている

 

写真を多く載せ 雰囲気を紹介したい

きっと 皆さんの郷愁を呼ぶと思う

帰りは 富士宮へ出て 一路 東名を走って日帰りロングドライブを終えた

 

白川郷の合掌造りに似ているが かぶとの屋根が特徴である

何の実 赤い実が 何故か こんな風景に似合う

すすきが秋の気配を感じさせてくれる

おばあちゃんが 観光客の話の相手をしたり 甘酒を売っていた

たまたまお客さんで 三つ子の10歳の誕生祝いで来ていた方が居た

店で こんな衣装を貸し出してくれる

刀を抜いて 私にサービスのポーズをとってくれた

本来は ここからも富士山が望めるも これは無理だった

こすもすと かやぶきの屋根 私が好きな風景である

 

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一緒に歌いましょう 心で踊りましょう

2014年08月29日 07時05分28秒 | うたごえ

椅子に並んで待っている皆さんの前に 一番先に入って行き挨拶するのが私だ

踊りのグループと 毎月 訪れている介護施設に昨日も訪れた

器材の準備のために 皆さんの前で手を振ると 嬉しそうに手を振ったり笑顔が出る

 

キーボードもアンプも スタンドも 模造紙の歌詞も いっぱい抱えて準備に入る

音が割れて聞こえる どんなに調整しても 良い音が出ない

ああ こんな音で聴かせてはいけない みんなに詫びたがお構いなしの様子である

 

 

踊りのグループは オープニングに 水戸黄門のテーマソングの盆踊り

終わりは 童謡の 毬と殿様 東京音頭 炭坑節の盆踊りとなる

最後はスタッフの方も1.2名の元気な利用者さんも 輪の中に入って踊る

 

 

以前は踊りのグループから 私も一緒に踊らないかと勧められた

炭坑節なら みんなが踊れる振付だから 出来ないことも無い

ただ 私は みんなの前で踊ることが恥ずかしくて 盆踊りで踊ったことが無い

 

 

舞踊の方が 舞を披露してくれた

大月みやこ さんの歌 儚な川 という曲で踊る

着物姿で踊る光景は 日本人の郷愁にも似たものがある

 

 

私は皆さんと歌の時間を受け持つ

童謡唱歌から懐メロまで10曲以上 歌って貰う

この時 踊りのグループは周りに立って 一緒に歌って盛り上げてくれる

 

今日は これから日帰りロングドライブ 

雨模様だが 行きたい時に行かないと チャンスを失う

行き先は 富士の西湖の近く いやし根の里 かやぶき屋根集落がある

 

私が名付けて マシナスターズ 怒られるかな?

 

 

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開けてはならない玉手箱

2014年08月28日 09時49分05秒 | うたごえ

昨日も90名近くの方が集まって 下町のうたごえを楽しんで頂いた

雨模様が心配されたが 開始前も後も 降らずに済みほっとする

歌の絆で結ばれた あたたかな和と輪 笑顔のこの雰囲気がたまらなく良い

 

 

皆さんの笑顔が素敵 ほんの短い会話でもあたたかさが溢れてくる

歌も好きだが 私は 皆さんも好きである 仲間のように思えてしまうのだ

昨日も朝日新聞の例の取材記事の縁で 新しい方も見えた

 

 

友だちを連れて来たのよとか 毎回 定着どころか輪が拡がって来る

それが うたごえバスツアーの募集前満席につながり 断るのに心を痛めた

旅費を用意して 私の前に現れる方々に 申し訳ありませんと謝る

 

キャンセル待ちでも良いと 数名取りあえず受けた

補助席でも良いのよとか 冗談には 先生の膝の上でも良いと仰る

そんな女性を膝の上に乗せたら 気が動転して仕事にならないよと私が笑う

 

 

リクエストで歌うが その曲30を数える

全員が知っている曲とは限らない 500曲も用意してあるから・・

戦争を知らない子供たち 小雨降る道 など 皆さんがうろ覚えのものもある

 

ピアノ伴奏をしていて失敗は数多くあるが これもみんなで笑ってくれる

秋桜 山口百恵さんの歌だが 素敵な曲で 嫁に行く前日の母娘を歌う

私は娘の結婚のことを考えながら 伴奏に没頭してしまった

 

意外と楽譜を見ながら 集中していると思うだろうが 実際には妄想している

なんだか全体がざわざわしていて ようやく気がついた

曲に酔って2番を弾いていたら 歌詞が一番しか用意していなくみんなが笑った

 

 

童謡唱歌のリクエストも目立つ

みかんの花咲く丘 鐘の鳴る丘 浦島太郎 月見草の花 小さい秋みつけた

歌い始める前に 曲の背景 歌碑の話 連想する秘められたことなど紹介する

 

浦島太郎 この歌は誰でも歌えるし 話もみんなが知っている

ただ 浦島伝説は日本各地に有って 根源も日本書記から万葉集まである

一つの例を紹介したが 長野県・木曽の上松に寝覚ノ床がある

 

木曽川の岩盤がある 東京近辺では 長瀞の岩畳のような場所だ

ここに浦島伝説があり ちゃんと釣り竿まで 祀られている

愛知県・三豊には 玉手箱が現存していると言うが公開はされていない

 

横浜市・神奈川区にも 沖縄にも 京都の伊根にも伝説がある

いずれもストーリーは同様である 亀を助けて竜宮城に招かれる

豪華な接待を受け ふと ふるさとを思い出し 玉手箱を土産に帰ってきた

 

そこには時代が変わっており知人もふるさとも無い

貰った玉手箱 絶対開けてはならぬと約束させられたものを開いてしまった

とたんに若者の姿から 白髪の老人になってしまう

 

以前私が在籍していたサイトのネット仲間 この他 鎌倉から毎回参加の方も

 

何とも乙姫様は 無情の土産を持たせたことか

ずっと飾っておけと言う裏には 信頼 を試していたのか

裏切った果てが 老人の姿になって放り出されるのである

 

一時の快楽の代償が こんなに無残な姿で そのあとも暮せと言う教訓か

パンドラの箱も似たようなもの 自分に合った世界であって欲得に惑わされるな

男はつらいよの 寅さんに言わせれば それを言っちゃおしまいよ のセリフも合う

 

ここまで説明しないが 解説も笑って皆さんが聞く

楽しい歌の時間で有る 帰りがけに私に挨拶する顔が 潤いに満たされている

今日は そんな余韻に満ちて 私も介護施設の訪問に踊りのグループと行く

 

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涙も郷愁も 唱歌「ふるさと」歌い継がれて100年

2014年08月27日 09時24分07秒 | うたごえ

日本の次代に残したい歌では 常に唱歌 ふるさと と 赤とんぼ があげられる

他の歌より群を抜いて 日本人の愛唱歌となっている所以である

今年 その発表(1914年・大正3年)から 100年を迎える

 

戦前の歌の殆どが 内容が難しい 時代に合わないと切り捨てられている

その中でも この歌だけは どんな時代でも愛され 心の郷愁の歌となっていた

歌詞が またどの人が歌っても 自分のことのようにも共鳴できる素晴らしさだ

 

うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川

夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと

いかにいます父母 つつがなしやともがき

雨に風につけても 思いいずる ふるさと

志を果たして いつの日にか帰らん

山は青き ふるさと 水は清き ふるさと

 

この歌にどんなにか励まされた方が居よう

志を果たして ふるさとへ帰ろうかと思った方も居る

事情があって ふるさとへ帰れなく いつもこの歌を歌うのだろうか

 

   豊田村の高野辰之記念館に立つ ふるさと歌碑

 

長野県・豊田村に作詞の高野辰之記念館がある

ここに育ち やがて渡米したりして 文学博士となって帰国した

故郷に錦を飾って帰る この意味も込められていたのだろう

 

芸大の前進 東京音大の教授にもなったのが 才能の為す所以か

晩年は 同じ信州の野沢温泉に別荘を持って暮らした

おぼろ月夜 の作品も ここで暮した風景が珠玉の心の映像である

 

 

北朝鮮に拉致されて 奇跡的に帰って来た あの 曽我ひとみ さん

過酷な運命に翻弄されたが その時も 心の中でふるさとを歌い偲んでいた

日本語を話すことも もちろん歌うことも禁じられて どんなに辛かったことか

 

理不尽な拉致被害者は まだ多く北朝鮮に居る

その方たちも 日本語で 日本の歌を 故郷の地 日本で歌うことを夢見ている

最後のチャンスと言われる今年の成り行き 希望は大きい 返せ拉致被害者!

 

 

現在は 佐渡に暮らしているが 帰られた時 当時の仲間の女性たちと会った

そして みんなで この ふるさと を歌って涙ぐんでいた

日本に帰ることも 日本語で 心おきなく歌える ふるさと 辛さも払しょく出来たか

 

 

東日本大震災の後は この ふるさと を歌うのが辛い方が多く 控えてきた

あの津波 今まで平和な暮らし 穏やかな暮らしを一瞬にして変えた運命の日

現在も 復旧 復興はあるものの 多くの命が消え ふるさと も消えて行った

 

 

悲痛の中でも 人間は生きなければならない 立ち直らねばならない

哀しさを隠して 笑顔で 仮設住宅や 新しい仕事で懸命に頑張って居られる

行政も私たちも いつか本物の笑顔になるまで 支援を続けよう

 

 

原発の被害者も 更に深刻である

そこに ふるさと があるのに ふるさとへ帰れない

山があり 川があり 家が そのまま残っているのが悲痛である

 

花は咲く この被災地の方々へ 心を一つにして 励ます歌だ

復興支援ソングである 

いつか みんなの心に花が咲いて 心から歌える ふるさと であって欲しい

 

 

ふるさとが無くても この歌には 懐かしい香りの郷愁がある

どこか心の中にある ふるさとがある

日本人にとっては この美しい国こそ 愛してやまない 故郷なのだ

 

 

写真は 55年ぶりに訪れた 私の故郷 信州・高遠から更に入った山奥

生死の境目を多く味わった ふるさとだが 不思議に辛さ哀しさの想い出は無い

小学校の時代は そんなものか 対して両親は どんなに過酷だったか

 

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