のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

ボランティア 出来る喜び 日々感謝  20年目の介護施設訪問

2019年08月27日 07時36分41秒 | うたごえ

ボランティアは 人に誇れるものではないし 人知れず実行するもの

それも一つの考え方 しかし 私は 他人のためにするものではないし 自分のためにある

こうして割り切ってブログにも記したりする

 

自分の出来ることで 多くの方に喜ばれるなら こんなに嬉しいことは無い

そして 介護施設でも 自分や関係者がお世話にならない限り 私の知らないものであった

自分の目で見て 利用者さんの歓び 哀しみ 辛さも 伝わってくる

 

従って 認知症の重度の方が多い施設でも 10年以上継続して行く

他のボランティアの方は訪れない 反応も薄いのと その実態にカルチャーショックを受けてしまう

音楽療法は軽度の認知症には かなり効果があるが 重度となると効果は分からない

 

それでも 顔が柔和になったり 部分的には歌ったり 時にはハグしても効果が現れる

握手しか態度には無いが その強さ 握りしめる心の温かさが流れる時もある

瞬間でも 短期間でも 心の交流が出来たら 私も多分 利用者さんもそれは幸せと言えよう

22年前記念に写真を撮った ドラムは故人 ベース パーカッションは闘病中 私は右から二人目

40数年前 八王子郊外老人ホーム 歌っているのはバンドの歌手? 今は故人

 

単発的には 17.8歳のころから一人で孤児院へ訪問したりしていたが 芸は何も無かった

そして40数年間 バンドでの訪問は まだボランティアと言う言葉も無い時代 喜ばれたものである

今でこそ多くのボランティアが訪れるが カラオケも無い時代には バンドなんて滅多に来ない

 

バンドリーダーとして 私は依頼があれば受けてしまうが メンバーの誰も文句を言わず付いて来た

会社が終わってからも行くし 時にはお金を出し合ってクリスマスケーキを買って配ったこともある

休日であれ 遠い場所でも車に器材を積んで出かけた 40代から60代まで一番多かった

 

社内行事は補助も貰うから積極的参加 納涼祭など 週に一度は会社公認の飲み会へバンド

今や豊洲は有名地 この大通りに面した一角で毎年ビアガーデン 左は私

IHIや小野田セメントなどの方がビアガーデンに来て飲んで歌う

20数年前 千葉の健康ランド 現在は無い 昼夜2回公演で 料理が無くなったりする好評

10数年前 中野・鍋谷横丁の夏祭りへ参加

12.3年前 クラブツーリズムの本社BIPルームでうたごえの会

 

60歳定年になって 今度は 一人で出かける あるいは たまにバンドの協力を得て訪問もした

踊りのメンバーと組んで 定例のボランティアにもなって行った この定例では20年を数えるだろうか

単発時代を含めて60年余 私のボランティア人生 自分にとって最高の幸せでもある

 

これは昨日の老健介護施設 まだ介護保険の無い頃からの20年来のおつきあい 相棒と共に行く

 

昨日も相棒と 80歳を超えての初の音楽訪問 この施設は20年来の付き合いが続く

いつまで 出来るか私にもわからない ボランティアが出来る幸せを日々感じながら過ごす

明日は下町のうたごえ 亀戸 相変わらず100名内外の参加者で お互いに心身健康を目指す

 

コメントは伝言コーナーへもどうぞ!

     (メルアドは入力しなくてもOKです) 

夜のパソコンを控えています コメントは翌日朝 必ずお返ししますね

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする