のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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夢に見た 教師になり切り ピアノ弾く   夜学生の頃 先生を夢見た時があったなぁ

2019年08月02日 09時04分28秒 | うたごえ

定時制高校2年の頃 一時 教師になりたかった

それも どちらかと言うと 教師と言うより 親しみのある 先生 小学校の先生を夢見たものだ

その為には 学芸大学卒業が目標 そんなに大げさでは無く行きたかった夢と言うものである

 

貧乏家庭 昼間働いた町工場の給料から 少しは母親へ食い扶持を入れる

大学なんて行けるはずが無い うたかたの夢の範囲だった

しかし その定時制高校でも 私なりの楽しみ 生き方をしてきたものだ

 

昼間の生徒には 文化祭がある 私たちはスポーツも出来ない環境と そのような催しも無い

それではと思いついたのが 海上自衛隊の音楽隊に手紙を書いて励まして頂きたいと投函した

誰も知り合いも無く 唐突な私の手紙に 感動された隊長さんがフル編成で来られた

 

40名くらいの音楽隊が ジープなどで次々と到着 見たことの無い楽器が運び込まれた

会場は体育館などない為 学校側が近くの区民館を申し込み 現在もその建物は健在である

演奏が終わると 公務員だからとお茶や弁当は不要 一切お金も拘わらず帰られた

 

 

真面目に勉強もしたが 奇想天外な行動をして 教職員を驚かせた

日比谷野外音楽堂で 500円でアサヒビールコンサートがあった 無論 夜間である

私がその話をしたら クラスの大半が共感してしまい ある日一緒に聴いてきた

 

問題は 生徒の大半が居ない教室となったこと 翌日 私は職員室に呼ばれて叱責された

でも 参加は自由で あくまで個人意思で行ったのだからと 妙な意見を貫いて怒られた記憶は無い

工業高校であったから 女子高と交流しようと ある女子校と掛け合い 許可を取り見学に行った

 

これも職員室に呼ばれ こちらは 実現が不可能となった まだ不純異性交遊の時代(笑)

こんな具合に 定時制ながら 大いに青春を堪能したものである

4年で卒業だが この間際にボランティアにも目覚めた

 

隣りの区に 孤児院施設があって 訪問したが何の芸も 勿論 ピアノなんて夢の夢の頃

僅かな給料の中から 何度か通って 買える文房具を持って行くのが精々である

ノート 鉛筆は勿論 時には 木琴も無理して買って行った 60年前以上のの話である

 

 

30代半ばから 会社にあったオルガンでポツポツ弾いて独学 ピアノが弾けるようになった

社内行事から町内会へ 病院や老人ホームなど 当時 楽器の出来る人は少ないから喜ばれた

老人ホームなどは バンドで行ったら 生きていて良かったと利用者さんが次々と握手

 

現在までピアノが生きている ボランティアはまだ通い続ける うたごえは更に楽しい

グランドピアノを弾けるのだ それもプロが弾くものを私たちにも弾かせてくれる 迫力ある音だ

昨日も下町のうたごえ 浜辺の歌やローレライなどを伴奏していると すっかり 先生の気分になれる

 

 

皆さんの声も若いし 外で誰かが聴いたら 学生が歌い 先生が弾いている? 

まあ そこまでは若くないが 皆さんも楽しみ 私も夢の実現を少し感じさせて頂いていることに感謝だ

先生の元気分けてねと言われる ハイ もっと元気になれるよと 私が握手された手を包む

 

 

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コメント (14)
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