いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

私的な財津和夫論。(第22回) private essay about k. zaitsu

2011-07-27 19:40:56 | 日記
 「私的な財津和夫論」第22回は、「welcome to my house」です。
 22 welcome to my house
長崎市。1600年~1800年代の江戸時代には江戸幕府から遠く離れた異郷の港町として出島にオランダ領事館が置かれて、唯一外国との交易、交流が行われた土地です。ヨーロッパの文化、経済、医学が伝えられて、オランダ坂、グラバー邸のオペラ「蝶々夫人」の舞台にもなった坂の街です。

 そして1945年8月9日に米国による原爆投下で世界で唯一、広島とともに被爆の非人道的戦禍を経験した街です。破滅的な惨事からその後の観光と造船、平和による「復興」は著しく、街はすっかり現代都市化して再生している。

 九州人にとっても長崎は特別ノスタルジア(nostalgia)のあるところで、財津和夫さんもずっとあこがれの地であったと言っています。
 財津さんの初期の作品は、よくビートルズの影響を受けた(もちろんビートルズサウンドに触発されていた)楽曲という捉えられ方をしているが、流れるように揺れてスピード感のある透明な小川のような美しいメロディラインの財津さん本来の持っているサウンド志向、特徴の強いものである。

 1976年6月5日にアルバム「all because of you guys」でチューリップとしてビートルズの完全カバーアルバムを発表して、1977年8月5日にアルバム「welcome to my house」を発表しますが、プロローグ(prologue)の「welcome to my house」は、これはビートルズサウンドを強く意識したビートルズがスタジオワークとしてよく使った変調も効かした(「ハロー・グッバイ」のような)曲想になっています。

 手元に当時東芝EMIから発売された同アルバムレコードがあります。アルバムジャケット(jacket)は、夏の木漏れ日の中、ヨーロッパ風建物の庭園の中で、財津さんと安部さんはシャーツのボタンをはずして胸をはだけて立ち、上田さんは上半身はだか、姫野さんは木陰で読書の構図です。犬が一匹横を向いてすわっています。ベランダの前に2つの大きな白いアジサイの花群が印象的です。

 このアルバム写真、スタッフが探し回って長崎市内の当時活水女子短大(現活水女子大)の何かの記念建物の庭園で撮影されたものです。余談として、当時チューリップの誰か(記憶にもうほとんどないのですが、上田さんだったか)が活水女子短大(高等部)出身の女性とフレンディなお付き合いがあった関係もあったと聞いたような気がします。

 数十年前に長崎を訪れた時に、その日も暑い晴天でしたが急な坂の路地を登って急にひらけた活水女子短大の誰もいないこの庭園を踏みしめたことがあります。もう、このアルバム写真とおなじシチュエーション(situation)、色合い、芝生がそのまま残っていて、チューリップ「welcome to my house」の気分を空気をそのまま味わった、これははっきりと記憶がよみがえります。

 このアルバムは、草野さん、新田さんのプロデュースコンビにデザインの大野さん、西田さん、小野さんのマネージメントに同郷のマンガ家長谷川法世さんの絵、文字に塩瀬さん(クレジットに for walking dictionary)という当時の強力スタッフが参加して制作されています。

 ちょっとハードスタイルな財津さんの詞曲「僕はライオン」、メロディラインの美しいイントロの音の韻を踏む印象的な「置いてきた日々」、「たしかな愛」、エピローグ(epilogue)の「人生の始まり」では「できることならば 命尽きるその日まで 声を限りに歌い続けよう たった一つの僕の道だから」力強く財津さんは歌い切っています。そして、来年は音楽活動40年を財津さんは迎えます。
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